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長谷川テルに対する評価

12エスペロ:2006/09/26(火) 06:17:03
北辰様、ご返信ありがとうございます。

>「テルの生涯」や彼女自身の文にあるように、上海が日本軍に占領されて
>香港へ脱出、その後広東、漢口へ。漢口陥落後重慶へ -- と移っています。

そうですか。・・・日本軍の「侵略」に追われて・・・と読み取れますが、それで
よろしいですか?

>VIVANTAJ SOLDATOJ (生きてゐる兵隊/石川達三)の全訳、A5判124頁は
>力作。当時の検閲をパスして出たはずだったが、石川が見てきた中国での
>日本軍の残虐行為も隠さず書いてあったため発行の翌日発売禁止。

石川達三氏。たしか、文芸春秋か中央公論の特派員として南京戦を
取材していたのですよね。当時、日本からは、百数十名の取材陣が南京に滞在
していました。その中には、石川達三氏の他にも、大宅壮一、西條八十、林芙美子らの高名な
文化人もいました。これらの人たちも、「日本軍の残虐行為」について書いている
のでしょうか?

>慰安所も何ヵ所かでるが amuzejo では「娯楽施設」? ま、同じようなものですか。

兵士たちはお金を払って遊んでいたのです。長谷川テルも、そのことを知っていた
から、konsolejoとは訳さなかった・・・まさか、それから何十年後に慰安婦問題が
こんな大きな問題になるとは、テル自身も予想しなかった・・・


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