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■■日本民族とイスラエル民族の関係−遺伝子DNAからルーツ探る
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【中国】内陸部に「ローマ人村」、観光で村おこし
:2009/04/13(月) 15:28:01 ID:taPIsFPg
【中国】内陸部に「ローマ人村」、観光で村おこし 2000年前の遠征軍の子孫[03/29]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1238341087/l50
中国西部の甘粛省永昌県郊外に、くぼんだ目に高い鼻、赤みがかった肌をもつ人々が暮らしている。
およそ2000年前、中央アジアに遠征したローマ軍兵士たちの子孫とされる。彼らは今、「ローマ人村」
として観光業に力を入れるなど、“村おこし”に躍起になっている。(中国甘粛省永昌県、矢板明夫)
甘粛省の省都、蘭州から北へ自動車で5時間のところに、永昌県はある。
人口約25万人のこの町の中心部に、古代ローマ人と古代中国人の石像が立つ。
「ローマ人がこの地にやって来たことを記念するために1994年に建てたもので、
今では永昌県のシンボルとなっている」と現地の観光ガイドは誇らしげに説明する。
中国人像も一緒に建てられたのは、「他民族の軍人も受け入れ、一緒に生活する
中華民族の包容力を世界中のみなさんに知ってもらいたいからだ」という。
石像のある広場から北の郊外へ、舗装されていない砂道を走ること30分。
前漢王朝がローマ人に与えた「驪●(革へんに干)城」の遺跡にたどりついた。城壁の一部が
残るだけだが、1989年に蘭州大学の陳正義教授らの研究グループによって発見されたという。
城名の「驪●」は中国古代の史料にたびたび登場する言葉で、古代ローマの別名とされる。中国語で「リーチエン」
と発音し、ローマ軍団を意味するラテン語の「legion」が語源であることが、その後の研究で明らかになった。
古代ローマの史料などによると、紀元前53年、ローマの執政官クラッススが、約4万人の軍を
率いて中央アジアのパルティア(現在のイラン周辺)に遠征し戦死。その部下約6000人が
敵軍の包囲を突破して東へ逃れ、消息を絶った。
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