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■■日本宣教と天皇制〜皇室に流れるキリストの命
6
:
ナザレン教団の神学校へ
:2008/07/10(木) 17:36:39 ID:l6VTH9BU
>>5
よりつづく
○Z そうですか。本当に素晴らしいことですね。
○林 その後、上京して、当時、渋谷のNHKの前にあった教会に行き、そこで船越という先生から洗礼を受けました。
やがて洗礼を受けた教会の近くの道玄坂の上にあった目黒ナザレン教会に導かれ、
ナザレン教団の神学校に入学しました。私は神学校の一期生です。
○Z そうですか。
ところで、お母さまから他に明治天皇について聞かれたことは何かありますか。
○林 母は、いたずらに明治天皇の娘であることをひけらかすようなことを決してしませんでした。
しかし、「私は天皇の権限で日本という国を調べた結果、日本は神道である。しかし神道は、本来はユダヤ教である。
そしてキリスト教はユダヤ教を完成させるものだ。おまえが結婚して男の子が与えられたならば、
キリスト教の牧師にするのだよ。きっと役に立つ時がくるぞ」という言葉は、口癖のように話していました。
今、思い返しても母は、凛とした品格の中にも、謙虚さを合わせ持った美しい人でした。
○Z 先生のお父さまは、どのような方ですか。
○林 父、三郎は、愛知県の半田市の生まれです。そこは徳川のお膝元で、
父の家は、十何代にも亘って呉服屋を営んできました。
しかし天皇の内親王である母と結婚するために、小林家を勘当されました。その後、宮内庁の計らいで上京し、
三河の一文字と徳川の一文字を頂いて三徳屋の屋号で皇族の方々の呉服御用商人として生業を立てていました。
やがて、自分の店を持ちたいということで、名古屋に行きました。私は、そこで生まれたわけです。
○Z 昭和天皇は、どのようなお方だったのでしょうか。
何か、隠れたエピソードなどありましたらお聞きしたいのですが。
○林 太平洋戦争開戦の直前、当時は軍部が強力な力を持っていました。
ある時、軍人が昭和天皇の執務室に入ってきました。
そして「天皇、判を押しましたか」と詰問したのです。判とは、戦争の許可の判のことです。
昭和天皇は「私は反対だ」と言われました。反対と言っても皇室典範に、
天皇がすべき仕事について明確な皇室の勤務規定があるのです。
その中にはこう書いてあります。「天皇といえども、内閣で決まったことは、判を押すべし」となっているのです。
天皇は判を押さないわけにはまいりません。軍人が大変な乱暴な言葉で、昭和天皇に判を押すように迫るわけです。
「判を押さないと言っても、皇室典範にあるではないか」ということです。
しかし、昭和天皇は、はっきりと答えたのです。
「たとえ、皇室典範に違反しても私は判を押さない」。これが昭和天皇意志だったのです。
>>7-8
へつづく
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