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■■日本宣教と天皇制〜皇室に流れるキリストの命
3
:
米国オランダ改革派教会宣教師フルベッキ博士
:2008/07/10(木) 17:14:39 ID:taPIsFPg
>>2
よりつづく
○Z 明治天皇野中で、ユダヤ教とキリスト教はどのように結びついたのでしょうか?
○林 明治天皇は、ユダヤ教の完成がキリスト教であると、理解していたのです。
これにはフルベッキ博士の影響が強くありました。フルベッキ博士は米国オランダ改革派教会派遣の宣教師として、
1859年11月に長崎に上陸しています。当時キリスト教は禁制でしたが、この時を生かして、
将来のために猛烈に日本語と日本の歴史を勉強することになります。その結果、彼は日本人が襟を正すほどに、
荘重で、香り高い日本語の使い手となるのです。
後日、日本の文壇に決定的な影響を与えた文語訳聖書の中の詩篇やイザヤ書の訳も彼によるものです。
フルベッキ博士は、長崎の英語塾「済美館」や「致遠館」で大名の子弟をはじめ、
やがて明治維新の土台となるような、実に沢山の学徒に大きな影響を与えたとあります。
その名声を慕って各地から参集した学徒の数は600人を超えたと言われています。
フルベッキ博士は、キリシタン禁令下にもかかわらず、「ヨーロッパとアメリカを知るには、
キリスト教を知らなければなりません。それにはバイブルを読むことです。そして政治を知るには、
各国の憲法を知る必要があります。憲法は国の基本だからです。」と説いて、
明治維新後の日本の将来に関しても、協力を惜しまず大きな影響を与えつづけました。
明治2年、フルベッキ博士は請われて上京し、当時18歳であった明治天皇に聖書を講義し始めます。
フルベッキ博士は日本政府のために、ほとんどあらゆる分野にわたって援助と助言を与え続けましたが、
彼は頑なと言えるほど、このことに関して沈黙を守って、生涯を閉じました。彼に関する研究と発掘は、
まだ始まったばかりであり、開国にあたって彼の果たした役割がますます明らかになってくると思います。
フルベッキ博士は日本の指導者たちに欧米諸国、特にキリスト教がどのようなものか知って欲しいと思い、
視察団を送ることを勧めるのです。そして日本から初めて、岩倉具視を団長とする日本の重鎮たちが、
約2年という長きに亘って視察団として欧米に渡ったのです。
日本の視察団がアメリカに行くと、各地でキリシタン禁教令を撤廃せよとの抗議に出会うことになります。
アメリカには、すでに密航で渡っていて、アーモスト大学、アンドゥーヴァ神学校で勉強していた、
新島襄(同士社大学創立者)がいました。
当時、密航者は、死刑の大罪ですが、新島襄は、岩倉具視の計らいで赦され、一行の通訳として奉仕したのです。
一行は、アメリカの次にヨーロッパに渡りました。どこの町、村、都会でもキリスト教会が中心にあり
大勢の人が礼拝に出席する姿を見て驚くことになります。
>>4-8
へつづく
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