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【ザ・雑談】☆Part3☆

613初代:2007/11/15(木) 21:02:17 ID:???
エートスさんへ

>>609
>あの番組を見て単純に視覚優位と受け取ってしまいました。

自閉症児を効率的に導くTEACCHという手法が確立されてきたわけですが、この視覚優位というか「言語理解は苦手とするが視覚情報を有効に使える」という気付きがベースになっています。
個人差はあれ、概ね視覚優位という理解は間違いではありませんのでね。

>>あの子とケンカしていた小一の子はカナー型のような印象。お互いですが、気持ち(怒り)を抑えられない場面、らしいなぁとグッときました。

>気持ちを抑えられないということは、喜びのようなポジティブな気持ちに関しても同様なんでしょうか。

この辺りは非常に難しいところかと思います。
先ず、彼らにももちろん「笑顔」はあるのですが、よく「奇妙な笑い」と表現されるように、「何で今笑っているのか?」をこちらが理解できないことがよくあります。笑うような場面とは思えない時にも笑っていることがあるし、唐突な思い出し笑いの大きいようなものもありますし、そうかといって逆に全体的には(喜びの)表情が乏しかったりもして。もちろん、不快で笑うような捩れまでは、さすがにないとは思いますが…。
喜び(?)を見い出す対象というか、「拘り」の対象からして変わっています。例えば、光るモノやデジタル表示、物をまっすぐに並べることに心を奪われることがあったとして、それは一種の楽しみのようにも思えるのですが…。
ひとつ経験的には、怒り等の「不快」に対する反応の方が激しく分かり易いです。極端な例では「パニック」がありますね。前記の怒りを抑えられない場面もそれに近い感じになりますか。
ですので、「怒り」の反対の感情として「喜び」があったとして、それも同じく分かり易く表出するかといえば、それはまた違うかな。
「対象」「場面」「表現」どれにも相当の違和感がありますね。そういう意味では、「怒り」なんかの方は「対象」「場面」「表現」のどれをとっても分かり易いわけで。

>>610
>普遍的なまっとうさっていうのは確かにありますよね。あなたはそれを生物としての人に置いているんですよね。

はい、そこを外さずにあれこれ考えています。

>>で、キリスト教の予定説は、トートロジーぽくはなってしまうのですが、異端な発想とまでは言えないんじゃないかな。むしろ、存分にキリスト教的な印象です。

>ヨブ記からは予定説のルーツが伺われますから異端の発想ではないでしょう。あえて言うなら旧約的発想かな。

ですよね、私はそう思いました。

>>612
>ただ時間が解決してくれる可能性はあるだろうと思います。

私も同じくです。
「時間が薬」とは、よく言ったものです。
渦中の人に言っても仕方がない…というか、言ってはいけないのかもしれませんが、これが後々真理だと分かることになるのですよね。


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