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【ザ・雑談】☆Part2☆
97
:
エートス
:2006/04/11(火) 01:26:19 ID:kTLpMEMk
>>92
RANDY氏
横レスですが
>私はニーチェについては、全くというほど知識はありませんが、彼の神の定義はどんなものだったのでしょうか。
彼は「外部_地上を超えた_にある神」は否定していますね。
>もし〈神=愛〉みたいな感じだったら、そりゃあ「神は死んでいる」と言いたくなるでしょうな。神に仕える称する聖職者たちの内情、社会の悲劇などを見ればね。
まさにそういうことです。かれは人間を「汚れた川」と言ってますし、人間への軽蔑は相当なものだったから、当然、悪を内包する人間を認識する基準として聖なる神を前提とすることはできなかったわけです。
>こういう解釈は、ニーチェの言葉を、日本人の「神も仏もあるものか!」というレベルに引き落とすことになるのかな。
いや、多分、感情的には「そうした絶望感」を持ったんだろうと思いますよ。それをどう理論付けるかは才能や学識によると思いますが、感情ってのは万人に共通しますからね。
で、生まれたのが「超人」といわれるもので、人生に意味を与え続けられる者、つまりはニーチェなりの「神」ですね。強い意志を持ち、つまらないことが繰り返される人生に意味を与えながら孤高に生きるツァラスストラ、がニーチェの「神」でしょうね。
>また〈神=超越的〉と考えれば、神は存在するでもなく、存在しないでもなく、存在するしないを超えたものになり、また善でも悪でもない、善悪を超えたものになりますね。いわゆる不立文字ということかな。
私自身は、神を人格神とは考えずに超越的存在_理念_と考えたいとは思っていますよ。その点で優れているのがやはり「四法印」という理念を最上位に置いた釈迦だと思います。
ニーチェの優れたところは、人間の心理に対する深い洞察力から「プロテスタンティズムと近代的理性」という「傲慢な自我意識」への「反省」に道を開いたことだと思います。
ただし、彼の超人とは自我意識そのものなわけで、自分が批判したはずの傲慢な自我意識を自己神化、あるいは自己絶対化してしまう道を再び歩んでしまったのだろうと思います。
ニーチェと仏教が似ているという人もいますが、自我を捨てる_というか、自我そのものが空であるのを認識することが仏教の真髄であるのに対して、ニーチェはどうしても自我が捨てられなかった。本質がズレテはいます。やはりヨーロッパの近代人だったんでしょうね。
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