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【ザ】+☆+KKⅦ+☆

115エートス:2005/07/19(火) 23:46:31 ID:TyEMlYzs
青の青氏 話を戻します。
>>109
>疑うというのは否定するということですから、「1個のりんご」も否定できる。そう言う事を言ったわけです。

疑うことは否定することではありませんよ。
疑うことが否定につながるのは、疑う行為の問題ではなく、本当に誤っているか、あるいは、疑うという理性的なふるまいに隠された、感情的な動機に問題があるのです。

大川氏は「信仰のすすめ」の質疑応答1で何度も「推定が働く」という言葉を使っていますし、最後もそうした言葉で締めくくっていますネ。

「信じるかどうかは皆さん次第であり、自分は多くの書籍を世に問うてその証明にしたい」とも書いている。

私は、神の存在を完全に証明することはできないし、信仰を強制しないというこの姿勢は正しいと思います。

>認識する、了解するというのが「信じる」と同じものだと言うことが言える訳です。

天動説を例に出されましたが、実際には地球が回ってるはずなのに、我々の日常の感性では、「お日様が西に沈む」という表現を取りますネ。
これは天動説の表現、つまり理性の認識とは別に、感性では天動説を受け入れているということ。

この感性の働きこそ「信じる」に近いと思うのだが、あなたのように考えていくと、頭で認識し了解すること、「すなわち理性の働き=信じる」になってしまうのではないの?

理性の判断と感性の了解は、何らかの形で結びついていることは確かだが、リンゴの数、あるいは地動説など、外界に関しての「認識」に即して結びつけて論じてしまうことは、人間の精神への考察としては早まった結論だと思います。


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