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【閲覧注意】信仰問題隔離スレ【強制sage進行】

1春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 01:27:43
当サイトは注意書きにもあります通り、一般に説明し難い信仰的な立場からの発言を歓迎しておりません。
しかし内面的な信仰の話題を、避けては通れないケースもあるかとは思います。

従いまして『このスレに限り』そうした話題についても解禁致します。
以下の>>2に述べます『本スレッド限定の方針』をご理解の上で、信仰に関わる率直な本音も含めた心情、討論を許容致します。

当スレの書き込みに関する注意点は>>2及び>>3を参照。

2春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 01:43:30
【信仰者の方へ】

信仰的な――世間一般から見れば不思議理論な内容も、こちらのスレに限っては構いません。
ただし一般の方から信仰を否定されたら悔しいとか、自分は傷付くよ…と思われるのでしたら、こちらの閲覧や発言は控えられた方が良いかと思います。


【一般・無宗教の方へ】

このスレにおいては、一般には理解し難い宗教的心情の話題も許可しております。その点をご理解の上、ご参加下さい。

また宗教や信仰の否定に繋がる内容……私自身の信じております真宗の念仏で言うなれば、

「何でそんなもの信じているの?」

「極楽浄土なんて実際にはある訳ないと思います」

「親鸞って手紙やら口頭で弟子に説教してただけで、社会事業とか世の中に役立つことは何もしてませんよね?」

――といった信仰者の心情に対し失礼とも取れる内容も、基本的には歓迎です。
ただし、信仰者側は何だかよく分からん不思議理論でレスをするかもしれませんが、それは予めご承知おきの上でお願いします。

――信仰を持つ配偶者や恋人の方が、世間一般の習慣に抵抗し、そのために色々と我慢をなさったという方もいらっしゃると思います。
相手の信仰への配慮や、何とか二人の間で妥協点を……それが時に悔しかったり淋しかったり、不安だったりもしますよね?
ただ、普通の初詣やクリスマスや……結婚式や七五三をしたいだけなのにって。

そんな、配偶者や恋人に言えない疑問をぶつけたり本音を語るのに、利用して頂ければと思います。

3春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 01:46:00
※信仰の肯定・否定は構いませんが、相手への想像による決めつけや、自他を問わず個人のプライベートな情報を漏洩することは禁止します。

※自身の信仰的な立場を明確にするための発言、つまり自らが信仰に至った経緯やそれを学んだ団体、如何なる師や教学を奉じているかについての発言は歓迎します。
 それらは実に私的な問題であると同時に、開かれた場所で信仰を他者に語るならば、信仰を語る上での公的な責任でもあるからです。
 ただしあくまで匿名のやりとりであることを心がけ、泥試合になりそうな場合は管理人の裁定に従って下さい。

※自身の為した発言には、最後まで自分で責任を持ちましょう。信仰とは個々の奥深くに存す内面の問題でもありますが、
 故にこそ、それを他者に語った時点で、発せられた言葉は最後までその人自身の言葉であり責任です。

※批判をする以上、自らも批判される覚悟はしましょう。特定の信仰や思想信条を持たれている方には、その覚悟を強く勧めます。

4春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 02:04:04
以下はfreeさんのブログ『創価学会体験記』の記事(http://blog.goo.ne.jp/free-zu/e/d8c173d94c3a645e9699c30269ad0312)に付けさせて頂いたコメントです。
長文を分割して投稿したのですが、何故か上手く反映されなかったので、こちらに再掲させて頂きます。m(__)m



※※※※※※※※※※※

http://blog.goo.ne.jp/free-zu/e/d8c173d94c3a645e9699c30269ad0312

>freeさん
>※内容を読んで不都合な点もないように思えますし、春田の蛙さんなら大丈夫かなって勝手に引用しますが蛙さん問題ありましたら仰って下さい。私一人が春田の蛙さんが調べて下さったことを独り占めしているのはもったいないと感じています。m(__)m

恐れ入ります。以前にメールで申し上げました通り、私の差し上げた内容については個人情報に関すること以外、自由にお使い下さって構いません。m(__)m

>あれあれさん
ご無沙汰しています。件の掲示板(http://homepage2.nifty.com/nonsect/)も拝見しました。お疲れさまです。
そちらの掲示板や今回のいわたち氏への批判については、あれあれさんが取られた手法自体には賛同しかねるのですが(いわたち氏への批判は単なるあら探しと中傷に思えます)、
しかしあちらの掲示板で見受けられた信仰や宗教の問題について、徒に聖典からの引用にすがるのではなく、
「お前自身やお前の家族の身に置き換えたらどうなのだ?」
と考えさせる問いを、再三投げかけておられたことについては、その鋭さに共感致します。また、そこにそ本来の信仰の問題があるでしょう。

手法に賛同しかねるという点で一つ申し上げるなら、あれあれさんが挙げておられた真宗大谷派の教学者清沢満之について。

私自身が在家の一門徒として縁があったのはお西の方ですが、しかし清沢に始まる近代真宗教学の流れこそが、
真宗大谷派のみならず日本仏教全体を支える柱であり、目標とすべき巨木であることに異論はありません。
清沢満之から始まった真宗大谷派の近代教学と教団改革。その流れを汲む金子大栄、曽我量深、安田理深、信国淳、
訓覇信雄、宗正元といった方々が指導し支えたそこにこそ、真宗のみならず日本仏教の命脈もあると言って過言ではないでしょう。

5春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 02:04:45
>>4続き】

が、何故にお東にこのような巨大な流れがあり、かたやお西には起こらなかったかと言えば、
東の大谷家の腐敗堕落と、そこから巻き起こる教団改革運動への妨害や圧力といった「負の問題」と無縁ではありません。

逆説的に申し上げれば、先に芳名を挙げさせて頂いた方々が、他方の過ちに対して「自らを聖化した批判」に堕することなく、こうした問題を「我が身」「我が心」の問題として痛みとされ、
真摯に取り組み続けて来られたからこそ、こうした問題も教団改革運動に逆にエネルギーを与えることとなり、大谷派の改革運動は日本仏教全体が手本とすべき大河となったのではないでしょうか。

教団改革運動に対する多大な妨害や圧力を、むしろ受けとめて改革運動の糧にされたからこその偉大さだと思います。
以下のブログのコメント欄でも申し上げたことがありますが、
http://kiukiu.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_8bb5.html
一方の「正しさ」とは、他方の「過ち」「間違い」に依存して成り立つものです。深い過ちがなければ、深い正しさもあり得ないのです。

ですから、自らの言動や自らの信奉する人物を批判されたこと、それを相手への敵意や批判の原動力にするのは、あれあれさんの信奉される清沢満之らの偉大さを、むしろ汚すことになりはしないでしょうか。
またあれあれさん自身の、「お前自身やお前の家族の身に置き換えたらどうなのだ?」といった問いや、ご本尊や極楽浄土に対する依存への否定とも、矛盾することになると思います。
あれあれさんのなされた、これらの問いや否定に価値があると思えばこそ、私は勿体無いと考えます。

6春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 02:07:09
>>5続き】

日蓮宗の宗教学者丸山照雄氏は、真宗大谷派の「同朋の会運動」を指導された宗正元氏の言葉を紹介して、こう述べられていました。

> (宗正元の講義より)「極楽に往生しようという志が起こってまいります場合に、やはり自分でそう割り切ってしまう心というものが
> そこに出てくるわけです。そういうことはどういう場合にも共通していることだと思うのです。
>
>  自分は無宗教なんだと、自分をそういうふうに割り切ってしまう。自分は仏教徒なんだと、いかにも自分は完全無欠な仏教徒であるかのように、
> 自分で自分を割り切ってしまう。また凡夫ということについてもそうです。自分は凡夫なんだと、凡夫という言葉で自分を割り切ってしまう。
> 心理学的に、あるいは生理学的に、また社会学的に実証されればされるほどおろかな人間なんだと割り切っていく心がいよいよ強くなる。
>
>  どんな場合にも、そういうことがついて回るわけです。それは割り切ったほうが、すっきりしているけれども、
> そういうふうに割り切ってしまうということが、実は現実に対する傲慢さといいましょうか、精神のおごりなんです。
> よくいわれていることですが、今日の時代は物質文明ばかりが先行して、その点は非常に繁栄したけれども、精神的な文明というものが見落とされていると。
>
>  なるほど一面の真理ですね。そうではないとはいえないんですけれども、しかしそういう形で現実というものを割り切ってしまう。はたして現実はそうだろうか。
> むしろ、そのように現実を割り切って見ているもの自身のうちに、実は現実というものを受け取る精神の歩みが欠落しているのではないかと思います。
>
> 今日精神文明がやせ細っていると、こういっているのは、現実を素直に受け取れない、非常に貧しい精神なのではないでしょうか。>
> …(中略)…つまり極楽に向かって往こうとする志そのものが、自分自身のなかにそういう怠慢さと同時にまた現実に対する傲慢さを見出してきたわけです。
>
>  われわれは極楽に向って往くんだと、肩を張っている心は、そういう方向に向ってない人を見下してしまいます。
> そうした人のことは、(歎異抄の)第一三章では『後世(ごぜ)者ぶりして』と述べてあります」

7春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/23(金) 02:08:46
>>6続き】

>  いつであったか「同朋の会」の法座に出席した門徒と、出席しなかった門徒について、宗正元は次のように語った。
> 「出席しないという形の出席の仕方がある。出席しないという参加の仕方があるんですね」と。
>
>  これは実に含蓄をふくんだ言葉である。現実に対して傲慢でない精神というものがここに生きている。信仰運動としての「同朋会」の方をむいていない人の立場を
> 割り切ってみたり、切りすてたり、見下したりしない。素直に現実を受けとめていく心が、そこに働いているのである。


> 「われわれは何かを信じるという時には、その信じる自分の心に腰を下ろしているんです。私は仏教を信じるとか、あるいは無信心だとか、そういうところに腰を下ろしている。
>  ……そういうことが、実は精神のおごりであり、傲慢さ、あるいは怠慢さなのであります。そういう精神の傲慢さ、怠慢さというものを内に見出し、
> それこそ極楽世界を閉ざす心として、それを深く悲しむ批判精神が『歎異』の精神なのであります」(『現代人の宗教』・第一巻河出書房)

【以上、(丸山照雄「日本人の心をダメにした名僧・悪僧・愚僧」山手書房)より抜粋して引用】


他者の「上から目線」や「権威主義」を批判するときには、やはり自分自身をその批判や改善から聖別してはならないと思います。

――カルトの問題を論ずるとき、私のようにそうした団体に属した経験の無い人間は、どうしても自分を聖化して、
「自分は別」「自分は大丈夫」というふうに割り切って問題を捉えがちです。しかし、それは傲慢であり間違った考えだと思います。

しかるにあれあれさんは、そうした団体に属されたご経験が無いにも関わらず、他者の問題を心から血を流すようなご自身の問題へと引き受けて、正直に真摯に向き合っておられる。
そのことに、私は本当に頭が下がります。それ故にこそ些か苦言を申し上げましたが、何卒ご理解頂ければ嬉しく存じます。m(__)m

>freeさん
紹介して頂いた内容についての補足は、また明日にでも書きに参りますね。色々とありがとうございます。長くなりましたので、今夜はこれにて…。

8春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/30(金) 16:15:28
【以下のレスは、freeさんのブログ記事(http://blog.goo.ne.jp/free-zu/e/d8c173d94c3a645e9699c30269ad0312
でのやりとりから、親鸞会の被害家族掲示板(http://homepage2.nifty.com/nonsect/)を読ませて頂いての内容です。】

>あれあれさん
いつも気に掛けて下さって、ありがとうございます。m(__)m

先日、私はあれあれさんの、
>でもあのM氏やその同調者は、自己の師系など一切明かそうとしない。本当に不気味極まりない。いわゆる「秘事法門」の現代的な形態の集団に属する人々だ、と僕は見ております。
とのコメントに対して、「彼らは私と同じ単なる独学の半可通で、明かそうにも明かすべき師系など持たない素人なんじゃないか」と申し上げました。

しかし、その後のあちらの掲示板の流れを見ておりますと、やはりあれあれさんが危惧された通りの、
あちらの掲示板に対する工作活動ではないかという気がしてきました……謹んで、不明をお詫びします。

こうしたネットでの工作については、ウチの掲示板でもお世話になっているT.Rさんが鋭いので、お時間があればご意見を伺いたいところですね…。

引っかかるのは、例えば以下の書き込みです。

http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=2994_2935
http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3006_2935

↑この書き込みは一見あれあれさんを好意的にフォローしているようですが、実はあれあれさんの書かれた内容に対して
同意している訳でも、賛同なさっている訳でもありません。そして、その後の他スレでの書き込み↓を読むと、

http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=3045_2872

↑のようにも書かれている訳で、これはやたらに聖教の引用で真宗の布教をしたがる毎日氏一派を、孤立させたり悪役にしないために、
彼らと対立する書き込みをされていたあれあれさんを持ち上げ、敵役のスケープゴートとして利用しようとする工作ではないかと思えます。

9春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2007/11/30(金) 16:17:30
>>8続き】

何故そのように怪しむかと言いますと、上記の書き込みが為されたツリー↓での、↑のHNの人物と毎日氏のやりとりを読んでみて下さい。

http://hpcgi2.nifty.com/nonsect/spict/smallpict.cgi?mode=view&key=2872_2872

↑のツリーのレス番号[3051]〜[3053]及び[3057]〜[3059]の流れです。前者は毎日氏に対する教義上の質問で、後者はあちらの掲示板と親鸞会の被害家族に対する意見です。

前者は毎日氏に教義の質問をし、それに応えて彼は自らの掲示板に誘導をしています。
また後者は、親鸞会の被害家族に対する悪質な印象操作と、それをあれあれさんへの非難に誘導した内容になっています。

以上の毎日氏と彩名氏のやりとりですが、投稿時間↓が些か近すぎはしませんか?

【あれあれ 様 謹慎.. (毎日) 2007/11/25(日)03:16】→【三願転入ってなんですか。 (彩名) 2007/11/25(日)03:24】→Re:三願転入ってなんですか (毎日) 2007/11/25(日)03:36

【望 様 親鸞会をや.. (毎日) 2007/11/26(月)02:23】→【私、カルトとか親鸞会ってよく.. (彩名) 2007/11/26(月)02:28】→【彩名 様 私がこの.. (毎日) 2007/11/26(月)02:38】

↑のやりとりは、いずれも毎日氏に対する信頼を集めたり、彼の主張に都合が良いと思われる内容です。
彼がやたらに真宗の教義を語りたがることを批判されたら、彼に教義の質問をし、
毎日氏が被害家族の掲示板を「印象操作」云々と貶めた事に批判が集まったら、逆に被害家族への非難を行う。
そして、毎日氏が望むような真宗教義の勉強を勧める方向へ持っていく。

↑のツリー全体の流れと、投下された両氏の書き込みを見れば、そこには特定の意図が透けてみえます。
毎日氏への批判を封じ、被害家族とその掲示板への信頼を傷付け、毎日氏の主張するような真宗の勉強を促しているように、私には思えます。

そして、巧みに持ち上げては敵役としてあれあれさんを利用する。彩名氏は携帯からの書き込みですから、
↑のようなやりとりでは、PCと携帯を用いた毎日氏の自作自演?と疑われても仕方ないと思います。


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