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【閲覧注意】信仰問題隔離スレ【強制sage進行】
7
:
春田の蛙
◆j/aD5mpE9Y
:2007/11/23(金) 02:08:46
【
>>6
続き】
> いつであったか「同朋の会」の法座に出席した門徒と、出席しなかった門徒について、宗正元は次のように語った。
> 「出席しないという形の出席の仕方がある。出席しないという参加の仕方があるんですね」と。
>
> これは実に含蓄をふくんだ言葉である。現実に対して傲慢でない精神というものがここに生きている。信仰運動としての「同朋会」の方をむいていない人の立場を
> 割り切ってみたり、切りすてたり、見下したりしない。素直に現実を受けとめていく心が、そこに働いているのである。
> 「われわれは何かを信じるという時には、その信じる自分の心に腰を下ろしているんです。私は仏教を信じるとか、あるいは無信心だとか、そういうところに腰を下ろしている。
> ……そういうことが、実は精神のおごりであり、傲慢さ、あるいは怠慢さなのであります。そういう精神の傲慢さ、怠慢さというものを内に見出し、
> それこそ極楽世界を閉ざす心として、それを深く悲しむ批判精神が『歎異』の精神なのであります」(『現代人の宗教』・第一巻河出書房)
【以上、(丸山照雄「日本人の心をダメにした名僧・悪僧・愚僧」山手書房)より抜粋して引用】
他者の「上から目線」や「権威主義」を批判するときには、やはり自分自身をその批判や改善から聖別してはならないと思います。
――カルトの問題を論ずるとき、私のようにそうした団体に属した経験の無い人間は、どうしても自分を聖化して、
「自分は別」「自分は大丈夫」というふうに割り切って問題を捉えがちです。しかし、それは傲慢であり間違った考えだと思います。
しかるにあれあれさんは、そうした団体に属されたご経験が無いにも関わらず、他者の問題を心から血を流すようなご自身の問題へと引き受けて、正直に真摯に向き合っておられる。
そのことに、私は本当に頭が下がります。それ故にこそ些か苦言を申し上げましたが、何卒ご理解頂ければ嬉しく存じます。m(__)m
>freeさん
紹介して頂いた内容についての補足は、また明日にでも書きに参りますね。色々とありがとうございます。長くなりましたので、今夜はこれにて…。
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