したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

科学と疑似科学とを判別する(2)

568ゲジゲジ:2023/11/30(木) 21:56:46 ID:CqR32Ulo
以上を前提に、Ken様のコメントを見てみましょう。

 >[>>491]
 >私の最大の論点は、人間の世の中が、論理にしたがって行動する保証はないことにあります。

 >[>>507]
 >>世の中が論理的結論の通りに行動している証拠も、行動していない証拠もない。
 >>であれば、特に行動しない理由はないのだから、行動すると考えるのが妥当である。
 >いいえ。行動しない理由はあります。
 >あなたがいうところの「論理」に沿わない方が、目的にかなう場合です。

このように仰いますが、少なくともドーキンスは「基準2-1」に従っているのはお解りですか?
則ちKen様の主張が正しいとすれば、ドーキンスは第1ステップである「基準2-1」に従い、さらに第2ステップである「基準2-2」に従って行動している、ということになるのです。


 >ID論(ドーキンスの中では創造論と同じ)は、
 >進化論の証拠である化石(物証)に不完全な部分があるから、自分の方が正しいと主張するが、
 >ID論自体は、何の証拠(物証)も出せないではないか、といってます。

このご発言も、ドーキンスは「基準2-1」と「基準2-2」とに従って「ID論自体は、何の証拠(物証)も出せないではないか」と言っている、ということですよね。



論理に従わない行動、則ち第1ステップである「基準2-1」に従わずに第2ステップである「基準2-2」にだけ従って行動することは、可能ではあります。

例えば「対立仮説の否定だけで良いが物証がなければダメだ」と主張するのです。
物証があれば「対立仮説の否定だけ」ではなく、「対立仮説の否定だけ」であれば物証も何もないのだから、こんな状況は論理的にあり得ません。
しかし上記の通り、発言することは可能です。

「人間の生存には水だけが必要で、空気、食料、生息地などが、すべてそろわねば、人間は生きられない」と、論理に従わない主張をするという行動は容易に可能です。

1という自然数と1という自然数とを合計すれば2という自然数にしかなり得ませんが、「1という自然数と1という自然数とを合計すれば3という自然数になる」と発言することは容易です。

これを申し上げたのが以下です。

*** [>>495]から再掲 ***********
同様に、「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合に、「対立仮説の否定以外の何かがあれば何でもよい」という以外の解釈は不可能です。
しかし、それとは別の主張をすることは可能ですし、その主張に基づいて何らかの行動を起こすことも可能です。

以上、世間が“どう考えているのか”ではなく“どう行動しているのか”が論点であれば、「対立仮説の否定以外の何かがあれば何でもよい」という解釈に従わない行動をすることは可能です。
論理に従わない行動をすることが可能であるというKen様の主張に異論はありません。
******************


則ち第1ステップである「基準2-1」から導かれる論理的帰結は「対立仮説の否定以外の何かがあれば何でもよい」にしかなりませんが、別の主張をすることは可能と申し上げました。


しかしながら、結局のところKen様の仰る通りだとすると、ドーキンスは論理に従って「基準2-1」に従っているのです。ドーキンスは、「基準2-1」に従い、その上で「基準2-2」にも従って行動しているのだ、というのがKen様の主張となります。
如何でしょうか?


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板