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科学と疑似科学とを判別する(2)

495ゲジゲジ:2023/10/31(火) 21:43:28 ID:lE0u.s5s
 >[>>491]
 >私の最大の論点は、人間の世の中が、論理にしたがって行動する保証はないことにあります。

 >[>>493]
 >>「実行される」の意味が分かりかねますので返答しかねます。
 >「論理」にしたがって行動する、という意味ですよ。

なるほど。これは大変失礼しました。
申し訳ありません。

私が論点を誤っていました。
私は、「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合に、世間は何が必要だと“解釈”しているか、世間が「対立仮説の否定だけではダメだ」という基準2をどう考えているか、が論点だと思っていました。
ですから論理に従わない解釈は絶対に不可能、ということを説明してきました。

しかしKen様が提示されていた論点は、その“解釈”に従って世間が“行動”しているか、だったわけですね。

確かに仰る通りで、“解釈”に従わない“行動”は可能です。


 >あなたがおっしゃるような「論理」にしたがえば、X を行うべきという結論になるとして、
 >その結論のとおりにXを実行するか、その結論に反してYを実行するか、ということです。

この場合、Yを実行する人は、Xを行うべきと考えてYを実行していることになります。
もしかしたら、本人はYを行うべきと考えてYを実行している“つもり”になっているかもしれません。
しかし無意識に、本人はXを行うべきと考えているのです。自分がXを行うべきと考えていることに本人が気付いていないのです。

なぜここまで明言できるかと言えば、論理に従わず、Xを行うべきと考えないことは不可能だからです。
これを私はずっと言い続けています。


 >プログラムの例でいえば、Z = X + Y、と定義しながら、さらに、Z = 5、を実行するのです。
 >可能ですよね。

 >ちがいます。Z = X + Y、の後に、Z = 5、を入れるかどうかです。

Z = X + Y、の後に、Z = 5、を入れたら、Z = X + Y、という定義を否定したことになります。
本人がZ = X + Y、と定義しながら、さらに、Z = 5、を実行する“つもり”になって実行することは可能です。
しかしこの場合、本人は無意識に Z = X + Y、という定義を否定しています。本人は否定していないと思っていても否定しているのです。



同様に、「対立仮説の否定だけではダメだ」と言った場合に、「対立仮説の否定以外の何かがあれば何でもよい」という以外の解釈は不可能です。
しかし、それとは別の主張をすることは可能ですし、その主張に基づいて何らかの行動を起こすことも可能です。


以上、世間が“どう考えているのか”ではなく“どう行動しているのか”が論点であれば、「対立仮説の否定以外の何かがあれば何でもよい」という解釈に従わない行動をすることは可能です。
論理に従わない行動をすることが可能であるというKen様の主張に異論はありません。





 >[>>491]
 >「対立仮説の否定だけではダメだ」から言えるのは、対立説の否定以外の何かが必要という、
 >論理の第1ステップにすぎません。
 >Xだろうが、Yだろうが、その他のなにかだろうが、どれか1つがあればなんでもよい、
 >ことにはなりません。

Ken様がどこで何を勘違いされているのかが、よく分かりました。
非常に非常に重要なポイントなのですが、論点を拡散させないため、今は保留しておきます。


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