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科学と疑似科学とを判別する(2)

260GB:2022/11/14(月) 22:44:30 ID:tid4WkII
どのように科学理論が形作られていくのか、という見地から、プトレマイオスの天文学とコペルニクスの地動説を、理論A 対 理論Bとして捉えること自体に違和感を覚えます。

コペルニクスが出発したのは、「天空は完璧な円を描いて動き続ける」(アリストテレス)や、「惑星は天球に貼りついている」という考えが「常識」である時代です。
迷いますよね。地球ではなく太陽が中心である証拠を、どのように求めるべきか。

「コペルニクスは惑星の軌道の大きさが公転周期の順序にも当てはまることに気がついた。もっとも大きな円を描く土星は30年で1周し、最も内側にある水星は3か月しかかからなかった[35]。太陽は365日で地球のまわりを回る。これは火星の687日と金星の225日の間である。そこでコペルニクスは地球の円軌道を火星と金星の間に置いてみたが。こうしてすべての惑星が太陽のまわりを回ることになった[35]。コペルニクスは後に『天球の回転について』で「他のどんな配置にも、軌道の大きさと周期の間にこれほどの調和に満ちた確かな関係を見いだすことはない」と、この発見について書いている[6]。」(Wikipedia「コペルニクス」)

ケプラー、そしてフーコーへとつながる、確認できた事実に基づく解釈と理論構成の積み上げ、それが科学の営みってもんだと思います。

ダーウィンに関わる経緯とも通じますね、コペルニクスがなかなか地動説を公表しなかったことも含めて。
両者ともに、いわゆる「ヨーロッパ人達の精神界の不可避なコペルニクス的転回」だったこと…
カントの言うコペルニクス的転回が、人間社会に受け入れられるまでにはどうしても時間がかかるということも含めて。

さて、以上はもちろんKenさんに宛てたものではなく、私のひとり言です。


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