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福島の甲状腺がんの諸問題の考察〈おもに過剰診断と検診有効性〉
888
:
TAKESAN
:2018/10/04(木) 09:10:12 ID:???
見ていて、
「検診をおこなうべきで無かった」
「検診は中止すべき」
これらを混同している向きも散見されますね。
後者で一致しているとしても、前者が一致しているとは限りません。
検診の開始時と現在では、得られている情報が違いますから、
「実施はやむを得なかったが、現状を見れば、中止するのが妥当」
といった立場もあります。
あるいは、検診開始についての見解として、
「おこなう(実施を促す)にしても、《効果が認められていない事》は説明すべきであった」
というバリエーションもあり得ます。私はこちらに近いです。30万人が検診を受けたという事実そのものが、圧倒的に異常です。
難しいのは、
「検診に効果は無い」
「検診に害がある」
これらを「理解してもらう(受け手の立場だと、理解する)」事自体が困難、という所です。
この理解には、ある程度の疫学的な認識が必要です。具体的には、確率論的な知識や直観です。
宝くじを買うのは良い事か、みたいな話があった時、期待値が低いのを解っていても効用を求めて買うのなら良いのでは、という意見が出ますが、そもそも、期待値的な概念を理解する事自体が難しい訳です。そういった所と似ています。
私はしばしば、「やるにしても正確な理解を」と書きます。「正確な」と強調するのには、「そもそも理解が難しい」との含みがあります。
実際の話、教育とも関わってくる、根本的で壮大な問題でもある訳です。これらも含め、「科学リテラシー」なんて言われたりもします。
害などを説明すべきであった、と言うと、害は説明されていただろう、という反応があります。その時、余剰発見などの害を本当に「説明出来ている」のか、と思うのです。実際、それを理解出来ている人がどれくらいいるでしょうか。
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