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福島の甲状腺がんの諸問題の考察〈おもに過剰診断と検診有効性〉
592
:
TAKESAN
:2018/08/02(木) 14:10:45 ID:???
前掲書『スクリーニング 健診、その発展から展望まで』に、「安心はどれだけの価値があるだろうか」という節があります。興味深い箇所ですので引用します。
※この本は翻訳が微妙で読みづらいですが、内容はとても重要です
▼ 引 用 ▼
スクリーニングを受ける人の多くは、スクリーニングが正常であったという結果を得たいがために受診している。政治家やベテランの公務員や臨床医でさえもが健康な人を安心させることが、おそらくスクリーニングの正当な目的である、とうそぶいているのを耳にする。我々の見地からすると、スクリーニングによる安心はほとんど幻である(マンモグラフィーによる危険の絶対差は1000人あたり4人である。p.73参照)。また、症状が無視された場合、有害事象を招くし、過剰な医療の介入も招きかねない。これは即ち、人々の健康に対する自信を傷つけること、健康を担保するために一次予防を害すること、検査が実際よりも頼りになるという神話や定期的な医学検査への依存などを意味する。ノルデイックコクランセンター長であるPeter Gotzscheは、このことを「我々は世界中の健康な人々を、恐怖におののく患者にしたてあげたいだろうか?」と表現している(Gotzsche 1997)。安心を得るためだけのスクリーニングは、多くの医療資源を要し、これらの資源が病気の人々の治療へ行き渡らなくなる。スクリーニングのために消費することを問題としない人々にとっては、私たちの議論は教養人の理屈にすぎないかもしれないし、人々が望むのであれば、安心するためにスクリーニングを受ければよいではないかと思われるかもしれない。しかし、安心を得るためだけのスクリーニングを仮に「よし」としても、「我々はよろしいが、誰がどうやってその費用を負担するのか」という疑問は残る。
▲ 引用終了 ▲
「危険の絶対差」は、リスク差もしくは絶対リスク減少(リスク差が負の場合)の事だろうなとか、「症状が無視された場合」のくだりの意味が取れないな、とかありますが、全体的に重要な指摘かと思います。
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