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福島の甲状腺がんの諸問題の考察〈おもに過剰診断と検診有効性〉

175nagaya:2018/05/27(日) 20:31:36 ID:mKKvKPwo
欠如モデルというのはまだ若い概念で明確な定義が定まっていません。
どの学問分野で使われるかで、意味が変わってくるでしょう。

ただ「モデル」とあるように「構造」とか「関係性」を定義したものですから、「巨視的な、社会的な事象を説明するための概念」というのは誤りです。
反対構造は「対話モデル」。

この2つは、どっちが優れているかという議論ではないんです。
たとえば親と子供の関係、これには欠如モデルと対話モデルの両方が必要です。
どういったケースで対話モデルにするかというのは家庭によって違ってきますし、それが子どもの個性を形成します。

学校は基本的には欠如モデルで運営されています。
教師や学者が「知識」を普及させようとする場合、このモデルによることが多いですね。
教科書がそうです。
均一に大量の知識を普及させるためには合理的なんですよね。

ただ、優れた教養書、啓蒙書は対話モデルのものが多いです。
この場合、想定される論点に著者がいくつかの着地点を提示して、読者の判断を誘うという形式になります。
自分の中で仮想対話モデルを為すんです。

逆に原子力PAは典型的な欠如モデルです。
乱暴にいうと、「これが理解できないのは、おまえの学習が足りないからだ」という強迫型の知識刷り込みです。

原発事故の啓蒙の場合、まず「放射線」に知識を限定し、環境にばらまかれた「放射能」から目を逸らさせる。
それから、「放射線」を医療や自然放射線と比較して「一般化」を行う。
この際、被曝のメリットの比較は行いません。
なぜなら原発事故による被曝には、飛行機やカリウムやレントゲンのようなメリットが全くないからです。
次に統計的有意による「影響」の切り捨てを行います。
これで「集団としての被曝受容」のロジックが完成します。

ここで考えて欲しいんですが、これを「対話モデル」でやると、とてもじゃないけど意図する結論には誘導できません。
そこで、個人的に意義を唱える人を属人的に貶め対話モデルへの移行を牽制するわけですね。
そのモデルは>>174のような外形的能力批判から、菊池誠のような「デマ屋」といった極端なレッテル貼りという形で現れます。
全体主義的手法ともいえます。

で、なとろむさんのどこが欠如モデルかというと、「nagayaが知識がないから、自分の主張が理解できないんだ」というところに議論を持ち込もうとするところなんですね。
これはここだけの会話ではなく、彼がいつも誰にでもやる一般的な手法なんです。

やれやれです。
根気よく彼に質問をしていた人もそうやって理不尽に罵倒されて、ほとんど離れちゃいました。
しかも「福島の小児甲状腺ガン」という肝心かつ切実な、みんなが論点としたいことをほとんど一般論の知見にして「わからない」にしちゃうんです。
いわば欠如モデルによる塹壕戦です。

まあ、ほんとうはなとろむさんと同じレベルで知識を持って、対等な議論ができればいいんですが、そうなると学会とか論文とかそういうレベルになります。
時間は有限ですし、この社会は分業です。
専門家と素人の議論の作法においてうまく折りあえるといいのですが。


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