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神と科学は共存できるか

84GB:2007/12/06(木) 15:31:31 ID:Ni9i2QWM
>>77の次郎さんのご意見と、おそらく同じ感想を持ちました。キリスト教文化という
コインの表裏ですよね。ドーキンスが最初に展開する「神は科学の対象となる」
「神はほとんどいない。妄想である」というのも、キリスト教文化圏の中でしか通じない話です。
(ユダヤ・キリスト教、およびイスラム文化圏と言った方がいいか)

人は、具体的な文化の中で育ち「人になる」ことにより、本人が意識することなく、
ある価値体系を共有する人々の一員になります。「重要な問題」が重要なのは、自分が
生きる社会集団(との関係)にとって重要だからです。

文化が指し示す規範の内容は多彩です。「誰も見ていないところでお金を拾っちゃったらどうするか」
から、たとえばアメリカにおける「銃規制」のような歴史的な問題、死生観に絡む事柄まで。
これらは思考方法や感情が絡み合った複雑なものなので、「宗教」だけを切り離すことはできないのでは
ないかと思います。

ただ、キリスト教も科学によって「おバカ」をそぎ落としながら変容してきたのも事実で、
その意味で、「理性」は有効だったし、これからもそうでしょう。でも、西欧文化のコアの部分は
キリスト教という宗教と一体となっており、たとえばフェミニズムという一つの価値観も、
実はキリスト教文化が生んだ発想なのだと私は思っています。

もし、私が自分の文化、特に無意識の領域を否定されれば、私には感情的な反発が起こるでしょう。
外国では、相手の反応にとまどったり不快な思いをすることもありますよね。
それを避けるために、人々は多様な文化を認め合うという方法を長い時間をかけて身につけてきましたが、
ドーキンスの言う「宗教」に関しても、同じことだと思うわけです。(NOMA賛成)。


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