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学会を不信になった瞬間

417:2004/05/19(水) 13:21
>>416 つぶやきさん
 今直面している困難を宿命と捉え、自身の宿命転換をかけ活動に没頭する。理性でも努力でも解決しない問題も人間なら抱えるものですから、活動に希望と解決を見出すのは宗教団体と個人の信仰を繋ぐ唯一の部分だと思っています。
 しかし反面、不幸な人ほど現実への思索を止め、常軌を逸した活動にはまり込み、問題の解決どころか逆に自身も周囲も不幸にしていく。こんな現実を私は見てきました。

 学会の幹部の称号は責任職というより、信心評価であり人格の評価でしょう。傾向として、劣等感が強く自信がない人が「学会からこの評価をもらった幹部だ」と自己評価することで信心の意義を見出し、極端なことをする。自己を客観視することができなくなる幸福感がある。幼稚で根拠のない自信と思い込みがだけで学会では通用するし、重用する傾向もある。
 だから反動として、ムキになって他者を否定したり、幹部だけが集まる会合では部員を利口げに人格を批評して、評価する側の優越感に浸ることで無意識にその証しをもとめるのではないでしょうか。

 まるで根拠のないことを断言しても、周囲の幹部同士が同意する集団の環境の中で、指導すること自体、幹部の為だけのものだというのは、組織に個人が埋没している証拠でしょう。これを指導される側の会員は、多大な迷惑を被り自信を失って噛ませ犬役になるか、指導通りが正しいのだと刷り込まれていくかの、どちらかのケースになってしまう。
 こうして成り立っているシステムだから、本人の為にならない出鱈目な指導でも、幹部の発言が批判される機会など極めて少ない。結局、ただ学会活動に励むことが善であると単純に帰着していくのでしょう。組織は盤石となるでしょうが、これで誰が救われるのでしょうか。

 一生成仏という人格の完成を目指す団体ではなく、ただ組織に糾合させ統率するだけ。信心はない。確信と呼べるものは組織に依存した思い込みだけ。この現れが組織益のために軽々しく宿命転換など使ってまで隷属に向かわせるのだと考えます。当然、指導する側にも宿命転換できた形跡を見ることもない。
 「立場に関係なく会員は皆不幸になる」と、私の周囲で進行している現実から、あえて言ってしまうのですが、どうなんでしょう。。。


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