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私のビデオ評(第3R)
1
:
闇夜の鮟鱇★
:2009/03/22(日) 13:46:46 ID:???0
このスレッドは私がビデオで見た作品を、
ジャンルを問わずに勝手気ままに批評する場です。
その内容としては、映画や現代演劇は勿論のこと、
能・文楽・歌舞伎からオペラ・バレエに至るまで、
私が見る価値があると思って見たものは何でも書くつもりです。
ここでも当然、まじめな異論や反論は大歓迎です。m(_ _)m
その場合、評価の目安として、私の場合は、
一つ星から五つ星までで評価しています。
つまり、とりあえず娯楽作品として楽しめれば三つ星、
それ以上に深い内容があると思う佳作は四つ星、
そして、最高に素晴らしいと思う傑作は五つ星ですね。
逆に、退屈した作品は二つ星、最悪で不愉快な作品は一つ星
ということになっていますから結構、分かり易いでしょ!?
ただ、こうした評価ですと、どうしても、
三つ星が大半を占める結果になってしまうんですよね。
そこで、同じ三つ星の中で優劣を付けたい場合に、
☆☆☆+や☆☆☆−を使う、ということにしています。
では、第3ラウンドもよろしく。(*^^)v
(旧スレッド)
私のビデオ評
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1102295096/
私のビデオ評(第2R)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1162001315/
2
:
闇夜の鮟鱇★
:2009/03/29(日) 12:03:10 ID:???0
●●●北京ヴァイオリン(2002)☆☆☆−●●●(1/3)
これまた陳凱歌作品ですが、今回の出来はもう一つでしたかね。
結局、中国もこうして近代化がどんどん進んで来ると、
その風俗は、万国共通のものに近づいて来た感じがします。
で、そもそも中国映画の魅力の少なからぬ部分というのが、
その固有の前近代的風俗にあった分けですから、こうなると、
余程の内容がないと、他国の映画との差別化は難しいでしょうね。
もっとも、サンセバスチャン映画祭では、二つも賞を取ったそうですが。
そのサンセバスチャンと言えば、スペイン北部の中心都市で、
バスク地方に属する美しい港街なんですが、私は大変気に入りました。
例えば、南仏のニースを二回り位良くしたような印象を受けましたね。
ただバスク地方は、スペインからの独立を求めるゲリラ闘争が盛んで、
時たま、爆弾テロなんかも起こっていますから、
訪問する場合は、事前に良く下調べをした方が良いでしょうね。
物語は、バイオリンを弾く田舎の天才少年が、
北京に出て国際コンクールを目指すという話ですが、
そこへ実は彼が捨て子であった、というエピソードが絡みます。
彼が、少しチャラチャラした感じのモデルの女と親しくなったり、
最初についた師匠が、猫好きで芸術家肌の男だったり……
近代化の道を驀進する中国で、少し背伸びをして生きる庶民の様子が、
とつとつと語られている感じですね。
因みに『北京ヴァイオリン』という日本語の題名は、
如何にも即物的というか、安直な感じがしていただけません。
中国語の原題は『和◆在一起』とかあって意味不明ですが、
日本語に直訳すると『あなたと一緒に』となるそうです。
英語名は『Together』ですから、更に分かり易いですね。(^^;)
それから、以前に『小春おばさん』の話をしましたけど、
この映画では、主人公の少年の名が小春と言うんですね。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3729/1162001315/8
日本の女性名が、中国では男性名になるという分けでしょうか。
それから、少年が二人目につく師匠の余教授として、
監督自身が出演しているのも、ひとつの見所です。
ところで、映画の後半では、少年がコンクールで弾く曲として、
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲が登場しますが、
残念ながら、第一楽章の有名なテーマは出て来ませんね。
例の『ミッミーーー レドミソ レーミレー』という奴ですが……
実を言うと私にとって、この曲は色々と思い出深い曲なんです。
映画の中では、余教授が自分と音楽の出会いについて語っていますが、
今回は私と音楽の出会いについて、少し書いてみようかと思います。
そもそも私が育った家庭環境は、特に音楽的ではありませんでした。
私の幼少期はまだテレビなんてものは無くて、ラジオが中心でしたが、
親父がズボラな性格だったので、朝7時のニュースを聞く為に、
ラジオを付けると、そのままずっと付けっ放しだったんですね。
そうすると、8時頃から『音楽の泉』という番組が始まって、
『タッタララーリ タラリン タラリン』というテーマが流れる分けです。
これはシューベルトの『楽興の時』という曲ですが、
そんな曲を聞くともなしに聞いていたというのが、
私にとってのクラシック音楽の原体験ですね。
最近知った所では、この番組はまだ続いているらしいですが、
とすると、相当の長寿番組ということになりますね。(^^;)
その後、中学生になって放送部に入ったんですが、毎日、
お昼休みにレコードをかけるのが、部員の仕事の一つでした。
その頃は、既にLPレコードが主流になっていたと思いますが、
放送室にあったのは、更に旧式のSPレコードという奴でした。
これは直径が30cmもあるのに、演奏時間はほんの5分位しかなくて、
しかも、シーシー雑音がうるさい、という代物なんですね。(-_-;)
3
:
闇夜の鮟鱇★
:2009/03/29(日) 12:06:16 ID:???0
●●●北京ヴァイオリン(2002)☆☆☆−●●●(2/3)
で、毎日お昼にかけるのは大体決まっていて、
シューベルトの未完成交響曲のレコードなんですが、
ある日、第二楽章の『ドーソーーード シドレーーード
シードレソラシ ドーソーーー』というテーマを聞いていて、
背骨に電流が走ったようになり、それっきりでしたね。
放送部員というと、視聴覚室などに割と自由に出入りできたので、
後は、その辺にあったレコードを片端から聞いたんですが、
それほど沢山あった分けでもなく、せいぜい十数枚でしたかね。
これらは既にLPレコードでしたが、ドボルザークの交響曲『新世界』とか、
メンデルスゾーンの交響曲『イタリア』なんかは、こうして聞きました。
結局、ごく簡単に音楽が手に入る今の時代から見ると、
当時は音楽を聞くだけでも結構、大変な時代だったんですね。
高価なレコードを買うお金がない場合、後は、
ラジオの音楽番組を聞く位しかなかった分けです。
ただ、放送部の顧問が図工の先生だったんですが、
この人が、絵描き崩れの音キチだったんですね。
あのう、最近は先生になるのも何かと大変なようですが、
当時は『でも・しか先生』とか言われていた時代ですからね。
つまり『他には何もやることがなく、先生位「しか」できないから、
先生「でも」やろうか』という時代だったんですよね。
ですから、何とか崩れという感じの先生が沢山いて、
その意味では、非常に面白い時代だったと思います。
この絵描き崩れの先生の他にも、
オペラ歌手崩れの音楽の先生なんかがいました。
それで、放送部の部室には、音キチ先生が手作りしたスピーカーが、
二台置いてありましたが、これが生徒の背丈位ある馬鹿でかい奴で、
何か古くなった卓球台を壊して作ったとかいう話でした。
で、書棚みたいな所に、オープンリールの録音テープが並べてあって、
音キチ先生が録音したものを大切に保管していたようですが、その中に、
問題のチャイコフスキーのバイオリン協奏曲があった分けですね。
既に、チャイコフスキーのピアノ協奏曲はレコードで聞いていたので、
今度は是非とも、このバイオリン協奏曲を聞きたいと思った分けですが、
……この書棚はガラス戸付きで、鍵が掛かっていた分けです。
良く覚えていませんが、音キチ先生はこれらのテープを随分、
大切にしていたので、気軽に頼める雰囲気では無かったんでしょうね。
で、私がどうしたかというと、誰もいない放課後を見はからって、
安全ピンをひねって曲げ、鍵穴に突っ込んで回すと、
この鍵が案外、簡単に外れたんですね。(*^^)v
その時に使ったテープをかける機械も大した代物ではなく、
ポータブル式のテープレコーダーで、スピーカーも内蔵式の奴ですから、
まあ、ろくな音が出たはずはないでしょうね。
でも、こうやってこっそり盗み聞きしたのが、
私とこの曲との最初の出会いであった分けです。
当時は、音楽ひとつ聞くのにも、こんな苦労をした分けですから、
今の時代とは隔世の感がありますが、逆に言うと、
そのスリル故に、有り難みも大きかったでしょうね。
何でも簡単に手に入る今のような時代には、万事、
有り難みが薄れてしまうように思います。(-_-;)
4
:
闇夜の鮟鱇★
:2009/03/29(日) 12:08:35 ID:???0
●●●北京ヴァイオリン(2002)☆☆☆−●●●(3/3)
で、聞き終わった後は、書棚にテープを戻してから、ばれないように、
再び安全ピンで鍵を掛け直したことは、言うまでもありません。
例の音キチ先生がまだ生きているかどうか知りませんが、
万一生きていても、もう時効でしょうね。(^^;)
時効と言えば、もう一つこっそりやったことがありました。
今はどうか良く知りませんが、当時の中学校では、
ある時期、女子生徒ばかりを講堂に集めて、
何か映画を見せていた分けですね。
男子生徒としては、当然その中身が気になるわけで、
一体どんなすごい映画なんだろう、と思った分けです。
で、これまた放課後に、同じ放送部の男子生徒数人が集まって、
視聴覚室で見つけた、それらしきフィルムを、
映写機を操って、こっそり鑑賞した分けですが……
期待に反して、全然面白くなかったのを覚えています。(^^;)
ところで、小学生の時は本ばかり呼んでいた、という話を前にしましたが、
こうして音楽に夢中になってからは、余り読まなくなったようです。
一つには、中学校の図書館の本を案外つまらなく感じたせいでしょうね。
小学校時代の本は一段組みで、装丁も古ぼけていましたから、
多分、戦争前からあった本ではないかと思います
それに比べ、中学校にあったのは、内容が二段組で、
表紙が小豆色の、割としっかりした装丁の本でした。
後になって考えると、これは多分戦後に作られた本で、
その分、内容的にも劣化していたんじゃないでしょうか。
というのも、あの敗戦に伴って、日本全体の文化レベルが、
相当低下したことは、疑えないように思うからです。
で、そうやって本を読むのをやめるのと並行して、
中学校の成績があがったみたいですね。
小学校では、5段階評価で大体オール3、時たま、
体操や図工が2とか、国語が4とかいう感じでしたが、
中学校になると、期末テストでは、
いつの間にか、大体トップ3でしたね。
それと共に、小学時代に悩まされたいじめも、なくなりましたが、
これは成績があがったせいなのか、それとも読書をやめて、
音楽ばかり聞くようになったせいなのか、原因は良く分かりません。
ただ、中学校でも最初の内は良くいじめられましたけどね。
ある時、プールでいじめっこに追いかけられたことがありました。
プールの中にいると、後ろから頭をつかんで水の中に押し込み、
おぼれさせるというか、水を飲ませようとする分けですね。
それでプールの外に逃げ出したんですが、尚も追いかけられて、
それでスッテンコロリンと転び、コンクリートの床に、
左後頭部をしこたま打ち付けたことがありました。
それで、暫くは体調がすぐれなかったんですが……
私の記憶力が低下したのは、
この時の左後頭部の打撲のせいじゃないか、
と今でも疑っている分けです。(^^;)
5
:
闇夜の鮟鱇★
:2009/05/12(火) 10:46:19 ID:???0
●●●二都物語(57英)☆☆☆+●●●(1/6)
これはチャールズ・ディケンズの高名な小説が原作ですが、
実は、この作品で四度目の映画化になるんだそうです。
先ず、1917年と1927年に作られた二つの無声映画があって、
その後、トーキー映画としては1935年のものが最初のようです。
この三件目だけは、何故か『嵐の三色旗』という名前で、
そして、最後の四つ目が、この映画という分けですね。
物語は、ドーバー海峡に向かう馬車のシーンから始まりますが、
主人公のシドニー・カートンは、銀行家ローリーと乗り合わせます。
その馬車が泥にはまって立ち往生していると、そこへ、
馬に乗った伝令がやって来て、銀行家に伝言を伝えますが、
銀行家は、何やら暗号めいた返事を返します。
実は、銀行家はこれからドーバーで、ある令嬢と待ち合わせていて、
彼女の父親を出迎える為に、一緒にパリへ向かう所なのでした。
他方、主人公は同じドーバーで弁護士ストライバーと落ち合います。
実は、主人公のカートンは彼を手伝う下っ端弁護士なのですが、
人生への興味を失い、酒びたりの生活をしていました。
その頃、もう一台の馬車もドーバーに向かっていました。
こちらには、問題の令嬢ルーシー・マネットとその家政婦プロスに加え、
亡命貴族のチャールズ・ダーネーと、密告屋の男が乗り合わせていました。
因みに、ルーシー役のドロシー・テューティンは桜井幸子似ですね。(^^;)
ダーネーは所用があって、手前の駅で降りてしまいますが、
すると密告屋の男も、こっそり彼の後を追います。
さて、この第二の馬車がドーバーの宿屋に着くと、
先に着いていた主人公は、令嬢に一目惚れしてしまいます。
しかし……令嬢が既にダーネーに好意を寄せていることを知ると、
自堕落な自分の生活と比べて、あきらめざるをえませんでした。
他方、令嬢と落ち合った銀行家は、先ず父親の身の上話として、
父親の使用人ドファルジュから聞かされた話をします。
フランス人のマネット医師はイギリス人の妻をめとっていましたが、
その頃から、銀行家は医師の財産を管理していました。
18年前のある晩、パリへの往診から戻ったマネット医師は、
エブレモンド侯爵の邸宅へ、至急で呼び出されます。
そこには瀕死の娘がいて、彼女はすぐに死んでしまいますが、
馬屋にもう一人、刺し傷を負った弟がいました。
その館の召使であるガベール氏が医師に語った所では、
彼らは侯爵の農奴で、父親と息子一人・娘二人の四人家族でした。
実はこの侯爵というのが残酷な男で、一家の姉の方を手ごめにすると、
それに抵抗した父親は、馬車を引かせて酷使し、殺してしまいました。
それを知った弟は、父親の復讐をする為に駆けつけたのですが、
逆に、侯爵の返り討ちに合い、深手を負ったということでした。
こうした状況を見かねたガベールが医者を呼んだので、
マネット医師が来て介抱した分けですが、その時、
弟は『もう一人いる15才の妹だけは、何とか助けてくれ』
と言い残し、こと切れてしまいます。責任を感じた医師は、
この事件を上層部に告発しようと出かけますが、
彼はそれきり、行方不明になってしまいました。
使用人ドファルジュの話では、侯爵に逆らったマネット医師は、
悪名高いバスチーユの牢獄に閉じ込められてしまったのでした。
そこでドファルジュは、生き残った妹を救い出すと、
自分の妻にして、パリの下町で酒場を開いていましたが、
18年の幽閉の後、マネット医師がようやく釈放されたので、
この度、自宅に引き取ったという話でした。
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