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戦争を考える

400藤川一郎:2006/03/12(日) 22:58:40
>>397

仰ることには一々に納得させられます。
私が靖国神社に違和感を感じ始めた第一は、同じ天皇陛下の赤子であるハズの「戊辰戦争及び西南戦争の賊軍」が靖国神社にて神になっていなかったことからです。

そもそも、日本において神とされたのは皇祖神であります。それとは別に祀ろわぬ神の存在もあります。これは明らかに「天皇家と敵対し滅ぼされた者の怨霊を鎮魂する為に、祀られた神」であります。しかし、明治維新後神道の何たるかも知らない、薩長の田舎者が(不肖私の先祖も薩摩なんですが・笑)、国家に殉じた者を神とした。

しかしこれは政策的な側面があると思います。
近代以前は国民皆兵制的な物はありませんでした。戦争は侍がやってくれる。それを民は傍観していた。これが史実でありましょう。しかし、近代国家への脱皮には、中央集権と徴兵制施行が必要であった。しかし、今まで国の為に命をかけようなどと考える事の無かった民衆を、死をも恐れぬ兵士に教育するのは難しい。そこで忠君教育と靖国神社が考案されたと私は考えております。
即ち、①天皇家に忠義を尽くす。②それで死んだ者は須く神になれる。③しかも天皇陛下にすら拝まれる神になれる。
すなわち、一向一揆における「進めば極楽浄土、退けば無間地獄」のような兵士を作り上げる。そのための靖国神社だと思います。
「戦え兵士よ。国に忠義を尽くして命を落とした者は全て、陛下に拝礼される存在となるのだぞ。」

つまり、これは天皇家が御自身の御先祖を祀ったとか、敵対した者の鎮魂のために祀ったのとも違い、日本の伝統から言えば、不思議な事です。
その証拠に、本来の怨霊鎮魂のためには絶対に祀らねばならない「戊辰戦争の賊軍」「西南戦争の薩軍」が一切神になれず排除されているのです。

401犀角独歩:2006/03/13(月) 13:15:03

藤川さん

ご賛同有り難うございます。
仰る点、三土師も、怨親平等と御霊信仰の両面から説明していました。
靖国教義(と言えるかどうか?)というのは、三土師の言を借りれば「国がいかなる形でせよ戦死者を公的に意義づけること自体を、新たな戦死者をつくる準備ではないかと警告する人が多く」(『靖国問題の原点』P101)いると言います。

わたしは靖国神社信仰というのは、天皇崇拝を換骨奪胎した構造である睨んでいます。つまり、元来、天皇に向けられるべき崇拝を、天皇の権威を借りて、靖国祭神にスライドさせ、その祭神合祀の決定権を握る政府が天皇に成り代わる構造です。いわば、現在の下克上といったところでしょうか。

坊さんであれば、追善回向ということがありますから、自分の弟子の礼に向かって拝むことはあるでしょう。しかし、天皇を頂点の神とするはずの日本で、天皇に拝ませる神を天皇祖神以外に想定する在り方は、明らかに天皇崇拝を換骨奪胎したものとしか言いようがありません。

さらに以下、三土師の明解説、やや長く転載します。

「2001(平成13)年春、自民党総裁選に立候補した小泉純一郎は、同選挙の候補者として久々に靖国参拝を公約として掲げ、首相になったら8月15日の終戦記念日に首相として靖国神社に参拝すると明言することで、日本遺族会の支持を取り付け、それを自己の勝利に結びつけた。この「公約」の実行をめぐっては、実行前に何度も話題となり、小泉は釈明を求められたが、7月11日の衆院選主要7党の党首討論会での「A級戦犯も死刑という刑罰を受けている。…死者をそれほど選別しなければいけないのか」という彼の発言は、中曽根首相が目指した方向が、とりわけ、感情面において、過去のものになっていないことを窺わせるものであると同時に、国家護法法案以来30年にわたって戦わされてきた靖国問題をめぐる議論を、この人は学んでいないことを世間に知らしめるものであった。
 小泉の発言は日本遺族会顧問・板垣正の「日本人の文化伝統から、死すれば神または仏である。戦犯刑死者も等しくそのみたまをまつることが、日本人の宗教的感情であり、死者に鞭打つ伝統はわが国に存在しない」(『靖国公式参拝の総括』340頁)との記述とみごとに符号しているが、靖国神社こそがむしろ「死者を選別する」思想によって成立し、それによる矛盾を抱え込んでしまっていることを見落としている。「『日本の伝統』と称するならば、仏教の怨親平等回向の精神に立ち返って、敵を祀れ」とまで要求するのはこの際、求めすぎだとしても、明治時代には想定もされなかった総力戦の時代となって、軍人・軍属としてたまたま軍の指揮下にあった者は神と祀られ、そうでない民間人犠牲者は祀られないという例が多く出て、その選別の恣意性は大いに問題とされている。と同時に、、旧植民地国から出征させられた戦死者の遺族が、日本の神とされることを不快として合祀取り下げを請求しても、それには教義上けっして応じられないと突っぱねているのも靖国神社である。
 合祀取り下げといえば、もうひとつ、自民党内の公式参拝に熱心な人々自身が手を焼いた問題もある。中曽根公式参拝がA級戦犯問題で暗礁に乗り上げ、継続不可能になったとき、ならばA級戦犯だけを合祀取り下げして別の場所に移すことができないかと、靖国神社に打診した政治家があった。しかし、「いったん合祀した魂を分けることはできない」として一蹴されている(高橋哲哉『「心」と戦争』179頁)。その後、この案は1999(平成11)年にも時の自民党幹事長森喜朗と内閣官房長官野中広務によって蒸し返されたが、神社側の不動の原則論の前に、早々と撤退を余儀なくされている(菅野伸郎編著『戦争と追悼』46〜48頁)。ご都合主義の政治家が、みずからの飼い犬と思っていた靖国神社に、手を咬まれたのである。「政治」の都合では御しきれない「宗教」としての靖国神社があったというのは、皮肉なことだが事実である」(前掲書P99)

402藤川一郎:2006/03/17(金) 13:09:48
余談ではあるが、靖国神社は「いったん合祀した魂を分けれない」「神となったものは元に戻せない」
と言っているが、それは本当でしょうか?

豊国大明神と言う神がいる。豊臣秀吉その人であるが、豊臣家滅防後にいったん人に戻っている。
明治以降再興されたが・・・。
つまり、祀られた神でも、人に戻すことは可能です。

403犀角独歩:2006/03/18(土) 09:48:51

402 藤川一郎さん

この点、わたしは孫引きなので、『「心」と戦争』『戦争と追悼』を手繰ってみようと思っています。

いずれにしても、合祀だ・祭神だといっても靖国が勝手にいい、それを認める人が指示している‘教義’であるわけですね。

たとえば富士門で戦没者を供養しようと思えば、塔婆回向で当証菩提を願うことになりますね。そうすれば、神(天界六道)ではなく、仏(仏界十界)です。

結局、靖国問題の本質は、そのような「国のために兵士として死んだ人間は、靖国で合祀されれば神になる」という教義を表に出して肝心の政治的な部分の本音に紗をかけている点にあるわけでしょうね。

どのように政治に利用されているのかという実質論からも考えられるべきだというのが、三土師の指摘だと思います。靖国、軍隊、兵隊賛美、しいては、退役軍人・家族の優遇措置がその背後に見え隠れし、そのような特権性を確保する蜜と、政治家の票田という、同じカミでも、紙幣と投票用紙が祭神にすり替えられている構造があると思えるわけです。

靖国に祀ったところで人が神になるわけもないわけです。そんな美談で、どんなソロバンがはじかれているのか。まあ、小泉氏の父親は知覧の出身だというわけで、そこに言って大泣きした経過が公約につながっているんだなんて話の仕上がりですが、だったら、約束通り、8月15日にいけばいいわけです。「政治は駆け引き」だから、そのぎりぎりのところでそれぞれの支持者の折り合いが付く、妥協の産物というわけでしょうか。こんなことと、人が神仏になることは、元来、別の話だと思うわけです。

404日本侵攻開始:2006/04/16(日) 00:05:11
遂にこの日がやって来てしまったようですね。

中国 日本の経済水域で作業へ
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/04/15/d20060415000137.html

領土問題などの係争地域で一方的な海上封鎖は宣戦布告とみなされるのが常識です。
これが日本の左翼の方たちがもたらした結果ですか・・・
これで皆さん目が覚めましたでしょうか?これが現実です。
9条だのピースだのをアピールしてる人たちは日本解体を企ててるマルクス主義者で、
この本音に気づかずに平和ごっこに騙されている人たちが何と多いことか・・・
やっぱもう手遅れですかね?残念です。

405Slow Life:2006/08/26(土) 20:03:11
、、この問題は読売新聞の特集記事にもありました。  なかなか難題至極の一見でしょう、、か、、??
 今、戦争の原因を思考・錯誤しますことは、意義がございます、、でしょう、?

 歴史に「、、たら、、れば、、」、、は禁句ですが、、明治政府が、、「、、富国強兵を疑問視していたならば、??」、、
「、、大砲・軍艦よりも、米・牛乳・にんじん・自転車・耕運機・風呂など、、、」、、に重きを置く「見識と卓見」のある指導者が不足==人材不足(今と同じ)、という当時の流れ、、??、、も、、一応の、、一因、、では、、、??? 詳細は、、あと99年くらいの後に、、判明するかも、、??

406日本人民共和国反対:2006/08/28(月) 09:33:25
日本共産党は「日本国憲法」に唯一絶対反対した政党である。

日本共産党の独自憲法草案・・・「日本国は、日本人民共和国である」

407羅臼 昆布太郎:2006/08/28(月) 18:36:53
 失礼します。 先日、根室の沖合いで34歳の方が銃撃され御亡くなりました。
 近隣に親戚を有する一人として、本当に、、情けない、、!!
 
 良くは判りませんが、国と国との利害・対立ほど、、難儀・難題な事はほかには無いようです。
 今日、この本を読み、更なる危惧が増しました。
 「中国の核が世界を制する」(伊藤 貫 著、PHP 研究所) です。 御免くださいませ。

408藤川一郎:2006/08/30(水) 12:07:36
>>406

日本人民共和国憲法草案 前文
「天皇制支配体制によつてもたらされたものは、無謀な帝国主義侵略戦争、人類の生命と財産の大規模な破壊、人民大衆の悲惨にみちた窮乏と飢餓とであつた。この天皇制は欽定憲法によつて法制化されてゐた様に、天皇が絶対権力を握り人民の権利を徹底的に剥奪した。それは特権身分である天皇を頂点として、軍閥と官僚によつて武装され、資本家地主のための搾取と抑圧の体制として、勤労人民に君臨し、政治的には奴隷的無権利状態を、経済的には植民地的に低い生活水準を、文化的には蒙昧と偏見と迷信と盲従とを強制し、無限の苦痛をあたへてきた。これに反対する人民の声は、死と牢獄とをもつて威嚇され弾圧された。この専制的政治制度は日本民族の自由と福祉とに決定的に相反する。同時にそれは近隣植民地・半植民地諸国の解放にたいする最大の障害であつた。
われらは苦難の現実を通じて、このやうな汚辱と苦痛にみちた専制政治を廃棄し、人民に主権をおく民主主義的制度を建設することが急務であると確信する。この方向こそかつて天皇制のもとにひとしく呻吟してきた日本の人民と近隣諸国人民との相互の自由と繁栄にもとづく友愛を決定的に強めるものである。
ここにわれらは、人民の間から選ばれた代表を通じて人民のための政治が行はれるところの人民共和政体の採択を宣言し、この憲法を決定するものである。天皇制はそれがどんな形をとらうとも、人民の民主主義体制とは絶対に相容れない。天皇制の廃止、寄生地主的土地所有制の廃絶と財閥的独占資本の解体、基本的人権の確立、人民の政治的自由の保障、人民の経済的福祉の擁護――これらに基調をおく本憲法こそ、日本人民の民主主義的発展と幸福の真の保障となるものである。日本人民の圧倒的多数を占める勤労人民大衆を基盤とするこの人民的民主主義体制だけが帝国主義者のくはだてる専制抑圧政治の復活と侵略戦争への野望とを防止し、人民の窮極的解放への道を確実にする。それは人民の民主的祖国としての日本の独立を完成させ、われらの国は国際社会に名誉ある当然の位置を占めるだらう。日本人民はこの憲法に導かれつつ、政治的恐怖と経済的窮乏と文化的貧困からの完全な解放をめざし、全世界の民主主義的な平和愛好国家との恒久の親睦をかため、世界の平和、人類の無限の向上のために、高邁な正義と人道を守りぬくことを誓ふものである。」

うーん。天皇制の廃止か(涙)?

409藤川一郎:2006/08/30(水) 12:12:07
ついでに、日本人民共和国憲法草案(通称100条憲法)の改正条項の部分です。

第九十九条 日本人民共和国の憲法の改正は、国会代議員の三分の二以上の出席によつて開会される国会において、三分の二以上の多数をもつて採択されねばならない。
第百条 日本人民共和国の共和政体の破棄および特権的身分制度の復活は憲法改正の対象となりえない。

これは矛盾ですね。たとえ「正当に国民が希望しても、天皇制は復活させないぞ」と言う意識ですかね。


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