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戦争を考える
29
:
匿名
:2005/11/18(金) 21:54:51
つづき
しかし、私は思うのです。負けた相手がアメリカでよかった、と。これを思うのは、私だけではないでしょう。終戦後の日本人の大半はそう思ったといいます。もし占領軍がソ連であったなら、日本は東西に分断されていたというくらいですから。
さらに戦後、ご一族の土地は、GHQの農地解放政策によって、所有地を紙切れ1枚と引き換えに没収されたことが記されていました。やる方ない憤りは拝察いたしますが、しかし、この農地解放こそ日本の最終的な「身分解放」でもあったわけです。
戦前の日本は、完全な民主主義国家ではありまんでした。身分的不平等も残っていた社会ですが、それを強行的に完全なる平等社会へと改革させたのは、対戦国アメリカだったというわけです。日本の民主化からいえば、農地解放政策はどうしても避けられなかったことでしょう。大変な思いをさせれた方がいる一方で、多くの日本人が、この敗戦による政策で恩恵を受けた側面もあるわけです。
また、先に述べようとした「なぜ人は戦争を起こすのか」ということでも触れかけたことですが、このGHQの占領政策である「農地解放」は、歴史を溯る、北条政子が煽動した「承久の乱」の発端とも、領土問題ということにおいて、共通点があるわけです。
戦争が起きる原因には、いわゆる生存権に関わる土地(領土)問題が大きく絡んでいるということが、まず言えるかと思います。
しかし、敗戦によって失ったものばかりではない。いや、個々の国民の犠牲の上での敗戦により、大変大きなものも得ている。その一面もあるかと思います。
ひとつには、敗戦を経ることで日本国民は真の民主主義というものを享受できるようになったということでしょう。と同時に、基本的人権も手にします。仏教の立場で、民主主義というものをどう考えるのかは、これはまた別の議論になるでしょうけれど、少なくとも国民の基本的人権は保障されるようになった。これは押し付けられた現行憲法ですが、この憲法によって、明確に規定されることになるわけです。
敗戦を経て、つまり戦争をしなければ得られなかったことも多々あります。さりとて、不戦の立場でいえば、なんとか、あの戦争を回避する方法はなかったものなのか、その思いも当然あります。被害を被った国民のことを考えれば、国家の戦争責任は重大です。
ただ、もう戦後60年も過ぎると、当時の開戦についての実情を知る人は、段々とこの世を去ってきています。どのような状況で戦争に突入したのかは、ほぼ文献に頼らざるを得なくなってきており、そこへきて、憲法が改正されようとしてもいる。
かつての政治家のなかには、出兵経験者もおり、むしろそのような方々こそが、保守系にいながら護憲を訴えてもいらした。と同時に、警察予備隊から始まる自衛隊も、違憲にならないような法的な配慮を整え、国民になんとか容認してもらえるものに整備してきました。私は、そのような立場を支持してきました。
しかし、年数が経つにつれ、そのような方々は今や現職を引退されたり昇天され、戦争を知らない世代が中心となって今日の日本の舵取りをする時代に入ってしまったわけです。
私は、憲法を改正してほしくないと切々と思っていますが、しかし、それも、半ば時の流れとして止めようもなく、受け入れるしかないのかもしれないという思いも、片隅ではあるのです。
適切な仏教用語は思いつきませんが、「受け入れるしかない」ということかもしれません。そういう意味での、覚悟もできているのです。その覚悟からの記述が、私を「改憲論者」の立場のように思わせたものかもしれません。
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