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戦争を考える

26犀角独歩:2005/11/17(木) 11:18:39

憲法9条の解釈は、種々論議されているので、芦田修正案の解釈も一様ではありません。
わたしは、現行自衛隊の解散など、訴えていないが、これを合法であると解釈し、さらに軍備拡大の肯定論とする点に危機感を感じます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95%E7%AC%AC9%E6%9D%A1

先の大戦で数百万人の人々が家財産、親族を失った。わたしの一族もそのうちに入ります。何ら保障もなく、ただ、負けたこの馬鹿げた戦争に対して、失ったものから大きな憤りを覚えることを記したのが、わたしの投稿です。これに対して、不瞋恚戒をもって批判することには到底頷けません。また、戒と律は違うのであって、これを一色単に論じることはもちろん出来ません。

そもそも、仏教といってもその立場区々で、殊に涅槃経では戦争も、殺人も肯定するのであり、日本の末法意識は無戒を標榜します。また、先の大戦では日蓮主義は戦争翼賛の論理的基礎を担ったのであり、八紘一宇、世界最終戦争、大東亜共栄圏という日本を中心にした侵略の基礎には日蓮主義もありました。この日蓮主義もれっきとした仏教です。ですから、戦争と仏教を考える際に、仏教の定義付けがなければ、議論は混乱するわけです。、仏教徒としての発言であれば、そこで自分の考える仏教は何かの定義がなければ読む側は混乱します。ですから、その基礎的な考えを問うことは当然のことです。強要ではありません。

また、「仏教に基づき、国民はそのような自衛のための応戦も放棄するなんてことを世界に宣言」などという架空のありもしない仮定で議論を進めることはおかしなことです。なぜならば、日本は政教は分離しているのであって、国政の決定に仏教が決定権を持つことはないからです。

いずれにしても、憲法改正は、匿名さんが書かれるような善意ばかりではなく、ここの2に移されたようなわたしの疑義を孕む以上、建前のきれい事のみを記した軍備翼賛をするような在り方に疑問ありと記しているわけです。憲法改正、軍備拡大の意図に隠された悪意を暴き、叩き壊すことは、平和のために必須であると何度となく、繰り返し記しても、その論ずべき主点から、建前論に議論をずらす在り方にわたしは問題を感じると言うことです。


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