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信仰は役に立つか
170
:
顕正居士
:2008/02/25(月) 04:35:27
信仰への誡め(『カーラーマ・スッタ』その他)
「何事かを信じてはいけない…
そう聞いただけの理由では。
伝承されて来たからといって伝統を信じてはいけない。
多くの人が語り広まっているからといって何事かを信じてはいけない。
聖典に記されているからといって何事かを信じてはいけない。
単に教師や長老の解説を根拠に何事かを信じてはいけない。
しかし観察し分析した後に理性に合致する事柄があればそれを受け容れ
全生類を善と福とに導く事柄があればそれに基づいて生活すべきである」
http://www.metta.lk/english/not_believe.htm
171
:
顕正居士
:2008/03/27(木) 20:27:42
信じてもいい理由と信じてはいけない理由 リチャード・ドーキンス
'and warn you against three bad reasons for believing anything.
They are called "tradition," "authority," and "revelation" '
「わたしはお前に何事かを信じる3つのよからぬ根拠について警告しよう。
それは「伝統」、「権威」、「啓示」と呼ばれるものである」
http://po3a.blogspot.com/2006/03/blog-post_114298809344017542.html
172
:
顕正居士
:2008/04/06(日) 01:25:54
幾つかの経典で繰り返される信仰を戒める言葉。これは仏陀その人の金言でしょう。
ドーキンス氏はこの言葉を知っていて娘に訓戒したのかも知れませんが、
現代の知識人が同じ事柄を語るのですから、仏陀の発想の先駆性は確かです。
(仏陀だけではなく六師と称される古代インド都市国家の思想家全員にいえますが)
この金言は陣那菩薩(ディンナーガ 480年頃-540年頃)によって大乗仏教の原理とされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E9%82%A3
要するに直接経験と推理だけが認識根拠であり、「伝聞」は認識根拠になりません。
一見は近代哲学と同様の考察が6世紀にすでに発表されたのですが、インド哲学や仏教が
いう直接経験とは禅定の幻覚を含んでおり、それで結局は話にならなかったのです。
自己内心に起こる強い確信 revelation は認識の根拠になりません。
ドーキンス氏は「伝聞」に加えて「啓示」を信じてはいけないと述べているのです。
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