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信仰は役に立つか

169パンナコッタ:2008/02/22(金) 16:25:57
 【法則 5】 聖典は一日にしてならず のつづき
 
次に、第二の技術史上の理由です。われわれは、紙に印刷された本になれていますが、古代にそんなものはありませんでした。最初は、粘土版・竹・木や、
「パピルス」と呼ばれる植物から作った、紙の原型しかありませんでした。パピルスは巻物として使われましたから、「一冊」という感覚はまだ芽生えていません。
次に登場したのが羊皮紙です。羊の皮と書きますが、実際には子牛の皮が珍重されたようです。この段階になると、すこしおりたたみができるようになり、冊子の感覚もでてきます。
さて、最終的に紙が登場したことで、現在のルーズリーフ・ノートのように差し替え(編集)の効率が良くなり、とじることも容易になったので、一冊という感覚が明確になってきます。
このような技術史的な変遷を考えてみると、「宗教の中心となる一冊の本」という感覚は、かなり後になって出てきたと考えられます。
さて、技術史的な背景について、もうひとつ付け加えておく必要があります。それは「異本」(variant)というものについてです。そこで、『源氏物語』を例にとってみましょう。
この小説は、いうまでもなく、11世紀に紫式部によって書かれたものですが、驚くべきことに、その原本はいまだ発見されていません。では、なぜ『源氏物語』が存在するかというと、
原本を書き写した「写本」がいくつも存在するからです。印刷技術が発達する以前には、人間の手によって、原本を書き写すしかなかったのです。
しかし、人の手によって書き写されていくうちに、いつしか原本の内容は変化していきます。これは写し間違いや意図的な創作によるもので、
場合によっては、登場人物の名前や筋書きまで変化するものもあります。このようにしてできた、原本とは異なる写本のことを「異本」(variant)といいます。たとえば、『源氏物語』の場合、
多くの異本が残されており、それらの情報を総合することで、成立年代や作者が判明したのです。
異本が多くなれば、それだけ十人十色に内容がバラバラになっていくようにも思われますが、実際には、内容の類似性から、いくつかの系統に分けることができます。
 さて、話を宗教にもどすと、原本から異本が生まれていく過程は、そのまま宗教の聖典が成立する過程にもみられます。
ユダヤ教やキリスト教などの聖典も、たくさんの異本のなかから文書が取捨選択され、ながい時間をかけて編集されて、「正典」にまとめられたのです。
ちなみに、「正典」とは、宗教の中心となる権威ある教義を、一定の基準にしたがってまとめたものです。
 さて、第三の組織上の理由についてです。世界の宗教の展開をみると、聖典が編集されるきっかけとして、ふたつの出来事があげられます。ひとつは創始者や教祖の死、いまひとつは、教団分裂の危機です。
創始者や教祖が存命中は、教えについてわからないことがあれば、師匠に聞けばよいのですが、なくなってしまえば、それができません。
そこで、教えが忘れられてしまう前に、一度まとめておこうという動きがでます。お釈迦さんの死後に行なわれた、世界史用語でおなじみの「仏典結集」などもそのひとつです。
このような動きには、教えを再確認すると同時に、間違った解釈が広がることを、未然に防ごうという意図もふくまれています。とはいっても、さまざなな解釈が出てくることを完全に抑えられないのが、宗教の常ですが・・・。
また、宗教教団がある程度成長してくると、かならず分裂騒動が起こります。その際に、自分達の信仰を再確認し、分派活動を抑制する意味でも、聖典の編集が行なわれます。
さて、以上のようにみてきますと、古代の教えが、現代に100%そのまま伝わるなどということは不可能に近いし、聖典は、それぞれの社会・時代・地域のニーズにあったように、
長い時間をかけて編集されてきた、ということがわかります。
  (岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)


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