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信仰は役に立つか

165パンナコッタ:2008/02/22(金) 16:20:06
 【法則 9】 宗教には、「脅し」と「慰め」がつきものである。
   宗教は、人を慰めるだけではうまくいかない。
   時には、脅すことも必要である。

「脅し」などという言葉を使うと、なんだか物騒ですが、あえて使います。一般に、宗教は人の心をいやし、人を慰めるものだと思われています。
しかし、これも宗教の一面にすぎません。もし、慰め続けるだけだったらどうなるでしょうか? 人々は骨抜きになり、向上心をうしなってしまうでしょう。
 経済学者・社会学者のカール・マルクスが「宗教は阿片である」といったのは、実はこのことです(厳密には、すこしいいまわしが違いますが)。
マルクスは、宗教が人々の心を安らかにしていることも十分に理解していましたが、宗教によって、人々がいったん気持ちよくなってしまうと、社会を変えていこうという気がなくなってしまいます。
まさにその意味で、宗教は阿片みたいなものだ、というのです。
 さて、事実、どの宗教にも「脅し」の部分と「慰め」の部分が存在します。「アメとムチ」といいかえてもいいでしょう。なによりも、「天国と地獄」「極楽と地獄」などという考えかたが、それをよくあらわしています。
つまり、教えどおりの生き方をしないと「地獄に行くぞ!」と脅すと同時に、教えどおりの生き方をすれば天国や極楽に行ける、というわけです。これが、もし天国や極楽だけで地獄がなかったら、
誘惑に弱い人間を、品行方正にすることは困難だったでしょう。だから、地獄のイメージをできるだけ恐ろしく描くほうが、人々の行動を律するのに効果的なのです。
 社会学の古典として有名な、マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』という本には、こんなことが書いてあります。
自分が天国に行くか地獄に行くかは、すでに神さまによって決められている。そして、それを何人もかえることはできない。
このキリスト教のプロテスタントが説いた「予定説」と呼ばれる教えは、人々を恐怖のどん底におとしいれた。そこで人々は、自分は天国に行くように決められているはずだ、
と自分にいいきかせるために、勤勉に働き、禁欲生活をおくり、そのことが金もうけのシステム(資本主義)を生んでいった(かなり途中を飛ばしたので、くわしくは岩波書店から出ている翻訳か、
井上順孝編『現代日本の宗教社会学』世界思想社に書いた、作者の解説をお読みください)。このように、天国と地獄のイメージは、人々にひじょうに大きな力をおよぼすのです。
ちなみに、日本において、地獄のイメージがはっきりと描かれるようになったのは、平安時代に源信によって書かれた『往生要集』という本からです。

 ところで、どの宗教にも「脅し」と「慰め」があるといっても、行きすぎは問題です。昨今、問題になっているような宗教は、人の心のすきまをねらって、
不安をあおったあとに、「いや、でもウチの宗教なら救われますよ」となだめるわけです。これではあからさまですが、
いずれにせよ、宗教において「脅し」と「慰め」は車の両輪みたいなものだといえるでしょう。 
  (岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)


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