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信仰は役に立つか

164パンナコッタ:2008/02/22(金) 16:19:27
 【法則 8】 宗教にも免疫反応がある。
   異端の発生や異宗教の登場は、宗教を活性化させ、体系化させる。
     
一般に「免疫」は、人間のからだをバイ菌から守る仕組み程度に理解されています。しかし、本質的には、「免疫」とは、「自己」と「非自己」を区別する仕組みなのです。
免疫の仕組みを、臓器移植を例にとってみてみましょう。兄弟や親子の臓器なら、他人の臓器よりも移植がうまくいくと考えられがちですが、そんなことはありません。
人間のからだにとっては、たとえ兄弟や親子の臓器であっても、「自分のものはでない」という意味では、「他人の臓器」でしかありません。
臓器が移植されるときにおこる問題は、拒否反応です。つまり、からだが「自分のものではない」と判断すると、あたらしい臓器を「敵」だと思って攻撃しはじめるのです。
そこで、患者に免疫力低下剤を投与し、「自分」と「自分ではないもの」を区別をする能力を一時的に鈍らせて、新しい臓器が定着するようにするのです。
 ここまでは、われわれのからだの話。しかし、宗教にも、同じように「自己/非自己」を区別しようとする力がはたらいています。
たとえば、キリスト教における聖書の誕生をみてみましょう。イエス・キリストが紀元30年頃にはりつけになり、それから100年以上たったころ、マルキオンという男の一派が、
のちに「マルキオン聖書」と呼ばれる、現在の聖書の原型のまた原型をつくります。このことは、すでに【法則 5】でもふれました。
マルキオンという男は、実は「異端」として処罰された人物です。彼は、この世の中は悪に満ちている、だから禁欲せよ、と説きました。このどこが悪いのか? 
「この世の中は悪に満ちている」というのがよくない。「この世の中は神がつくられた。その世の中が悪いということは神が悪いということか」という三段論法です。
いずれにしても、異端とされた一派が、はじめて聖書の原型をつくってしまったわけですから、キリスト教の主流はあわてはじめます。そして、主流派も、自分達なりに聖書の編集に着手します。
 このように、宗教も異質なものの登場によって、自分についてあらためて考えるようになり、体制をととのえようとしはじめます。
このことは、日本の神道にもあてはまります。「神道」(「しんとう」と読んでください)は、日本古来の宗教であるといいますが、その教えは、最初から体系化されていたわけではありませんし、
自分たちの宗教が「神道」であると認識されていたわけでもありません。神道が自分たちの宗教に自覚的になったのは、仏教の登場以来だといえます。仏教が輸入された当初、
仏という外国の神がひとつ加わった程度にしか認識されていませんでしたが、仏教が勢力を伸ばすにつれ、神道側も体制をととのえる必要がでてきました。
そこで、教えや儀礼をすこしずつ整備していったのです。

  宗教は、異端や異宗教があらわれないかぎり、なかなか自分の姿をたしかめようとしません。
異端や宗教の登場で、あわてふためいて自分をふりかえる、というのが宗教の歴史において繰り返されてきました。
  (岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)


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