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信仰は役に立つか

163パンナコッタ:2008/02/22(金) 16:18:50
 【法則 7】 宗教の秘密はつくられる。
   宗教の秘密は、最初から存在するものではない。
   宗教組織や聖職者たちは、自分たちの地位を正当化するために秘密をつくりだす。
   宗教の秘密に中身がなくてもよい。中身があると思わせるだけでよい。
     
宗教に秘密が不可欠であることは、【法則 6】でお話しました。宗教自体が、なんだか秘密めいていますし、
聖典(経典)に隠された秘密がある、などときくと、宗教には最初から秘密が隠されていたのだと勘違いしてしまいます。
しかし、宗教の秘密も、そのときどきの事情によって、人間がつくりあげてきたものです。
 話をわかりやすくするために、古代の宗教を例にとってみましょう。古代において、さまざまな自然現象は、神の怒りや、なにか超自然的な力のしわざだと考えられていました。
 そして、わざわいを鎮めるのは呪術師や司祭といった聖職者の役目でした。人々は、彼らに頼るしか方法がなかったので、彼らのいいなりになって、いけにえを捧げたり、
 金品を奉納したりしてきました。聖職者たちは、右に三回、左に三回まわり、水を五回ふりかけて・・・と複雑な動作を器用にこなして儀式をすすめていきます。
 一般人にとっては、とてもその意味は理解できないし、また簡単にまねできるようなものでもありません。そのため、聖職者の権威は高まり、人々は彼らに従わざるをえません。
 つまり、聖職者たちは、自分たちの地位を高めるのに、まんまと成功したわけです。
しかし、聖職者たちの儀式の意味をつきつめて考えていくと、その多くには、ほとんど根拠がないことがわかってきます。たとえば、水を五回ふりかけなければならないところを四回ではいけないのか? 
聖職者は、五回でなければならない理由を長々と語るでしょう。でも、その多くはあとから考えだされた理屈です。とはいうものの、一般人にとってはわかりにくいだけに、
あいかわらず、「聖職者は不思議な力と秘密をもっている」ということになってしまいます。
 そうなると、秘密の中身はなくてもよい、ということになります。特定の人間が秘密をもっていて、われわれはそれを知ることができない、と思わせるだけでよいのです。
すでに【法則 2】でもお話しましたが、宗教の本質は、中心がたとえ空洞であっても、そこには何かがある、と人々に思わせることです。秘密の場合も、これと理屈は同じです。
さて、一般信者もバカではないですから、聖職者の知識に疑問をもちはじめることがあります。聖職者が一般信者に論破されるようなことがおこれば、その宗教組織はもうおわりです。
しかし、多くの宗教組織は、聖職者の地位を保護するような制度をつくりあげてきました。たとえば、神学校や学林といった聖職者の養成機関をつくり、聖職者になるためには、
そこで専門教育を受けなければならないという規則をつくることです。そして、そこでしか獲得できないような知識や技能をつくりだすことで、聖職者と一般信者との明確な区別をつくりだせばよいのです。
このように、宗教の秘密はつねに生産され、それを独占するような仕組みをつくることによって、宗教組織は聖職者の地位を安定させてきたといえます。
  (岩井洋 関西国際大学人間学部助教授 宗教の法則より引用)


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