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信仰は役に立つか

154犀角独歩:2005/05/15(日) 13:09:07

> 「文証・理証は現証にすぎず」

ではなく、「道理と証文とにはすぎず。又道理証文よりも現証にはすぎず」です。

この意は、仏法をこころみるのに、道理と文章証拠にすぎるものはない。しかし、道理と証文があるからといって、実際の証拠がなければ理論・空文となる、故に道理証文が実際に証明される現証に過ぎるものはない、という意味でしょう。道理・証文を現証と比較して取捨しているのではなく、その三つ取りそろえて必要であると言っているのでしょう。文を改竄して、意を変えるべきではありません。

ここで、道理・証文がなくても、現証だけでよいという「個人的リアリティーではない価値」という考えは、むしろ、牧口値論の考えで、蓮師の法門とは関係のないものでしょう。たぶん、牧口さんは、自分の値論のこのような点に限界が感じ、大石寺に帰伏したのではないでしょうか。もし現証だけでよければ禊だけでもよかったわけですから。


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