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信仰は役に立つか
151
:
空即是進化
:2005/05/14(土) 00:31:45
皆様、ご無沙汰してました。
もっと自分自身のレベルアップを図ってから再登場しようかと思っていたのですが、
さっぱり研鑽も進まず、このままでは永久に出れなくなってしまう、などと考えてい
ました。
ただ、板曼荼羅・学会へのこだわりが消えてしまった今、「本尊論」への興味が薄
れてしまっているのも事実でした。
その中で犀角独歩さんの
>本尊抄に「寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめたもう」
この五字はしかし、問答さんがお示しのとおり、上行所伝付属です。
では、この「授与」の二文字ですが、具体的には、どのように授与されるのでしょうか。
すなわち、これがまさに漫荼羅の形で授与されるということではないでしょうか。
実際のところ、漫荼羅には「授与」の文字を以て弟子・檀那に下されていったわけです。
さらにこの漫荼羅図は実に懇切丁寧です。この妙法蓮華経が、どのような形で所伝された
かを図案を以て説明されています。「南無妙法蓮華経」と大書され、それが多宝塔内の妙法
蓮華経であり、釈迦・多宝は並座し、これを示し、付属弘通の四菩薩は釈尊の脇士として、
その法が付属されたことを示します。その儀式が行われたのは在世八年八品に限ることは図
示を見れば即座に理解できます。こうして八年八品において、四菩薩に付属された妙法蓮華
経は、今度は、具体的に、その弟子檀那に、日蓮花押の認めを以て授与されるところが漫荼
羅ではないのかと、わたしは考えるわけです。これはまた、末法法華経の行者の所持の法、
事行の法が何であるかを明示された証文でもあるでしょう。
ですから、漫荼羅は事行の南無妙法蓮華経の授与書ではないのか、となれば、これは、本
門本尊の性質とは役割を異にしていると、わたしは考えるわけです。
>「漫荼羅が授与書」、いわば允可、もしくは免許の意味がある
これには、まさに‘目からうろこ’でした。弟子たちにとっては本尊代わりに唱題の対境と
しても使える、真に‘ありがたいもの’といったところでしょうか。
まったく、独歩さんの進化には、驚くよりあきれています。
ちょっとした疑問なのですが、授与書だとすれば、弟子たちの中には、複数の曼荼羅を下付
された方もいたのでしょうか?その訳は?(不勉強ですいません)
ともあれ、「信仰は役に立つか」というよりは、‘何を、どうすれば’今ある信仰を役に立つ
ようにできるのか。探求していきたいと思います。
14日のオフ会は残念ながら参加できませんが、次の機会に是非よろしくお願いします。
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