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悟りを科学する
8
:
雖念
:2004/07/21(水) 09:21
犀角独歩さん:(続き)
**************** 引用続き *****************
インドにおける大宗教の源がソーマ祭官たちの杯にあったのなら、ヘブライの神官たちもまた同じことを行なっていた、と仮定しても不自然ではない。それがどのようなものであれ、おそらくはほぼ同じ薬物であったのだろう、と。ところが聖書を読んでいる内に、私の最初の熱意は失望に取って代わられてしまった。もし私に見落としがなければ、ユダヤ教とキリスト教は、奇妙なほど薬物に関しては口を閉ざしている。結局のところ、仮にユダヤ教徒やキリスト教徒が聖なる薬物を用いていたとしても、それが必ずしも、ヴエーダのアーリア人のように国家宗教に組み込まれたとは限らないだろう。ユダヤの祭司や預言者たちは、ヤハウェとの「特別の」関係を基に絶大な権力を揮った。もしも彼らがヴエーダの祭官たちのように、その関係を手に入れて維持するために薬物を使用していたのなら、おそらく彼らはそれを自分たちだけの秘密にしたことだろう。
このように考えた私は、もう一度新・旧約聖書を読み返してみた。そして私は、そこに飲食にまつわる重要なエピソードが非常に多いということに気付いたのである。しか
もその飲食は、必ず登場人物の意識の劇的な変化と結びついていたのだ。私自身のように、ある宗教システムの内部で育てられた人間は、聖典、すなわちいわゆる神の言葉に
対して、何の疑問も差し挟まないという傾向がある。こうした事柄はまさしくそこに書かれているとおりに起こった、それ以外のなにものでもない、というのである。もしも特定の一節に問題があっても、それはメタファーということで説明してしまえる。そして最も重要なことだが、「奇蹟」とか神との会話とかいうものは、聖書の時代には起こったが、現在ではもはや起こらないのだ、という考えがある。この点が、私にはどうしても合点がいかないのだ。目的意識のはっきりした疑問を抱けば、臭いものに被せて
いた蓋は簡単に開いてしまうものなのである。
たとえば、エデンの園でエヴァとアダムが食べた極めて重要な果実とは何であったのか? それは彼らに知識を与えたが、神が警告していたように死ぬことはなかったので
ある。あるいは、神の山でモーセが遭遇した炎の色をした聖なる植物とは何か? それによって彼は、驚くべき力と勇気、それにファラオーの魔術師たちを退ける芸当を得たのである。
また、同じく神の山に向かう途上のエリヤに天使たちが与えた「パン菓子」とは何か?その食べ物の力だけで、彼は四十日もの間、歩き続ける耐久力を得たのでぁる。また、天使がエゼキュルを天に召し上げるときに食べさせた奇妙な「巻物」とは? パトモス島のヨハネも、同様の巻物を食べて預言能力を得ている。また、エッセネ派やグノーシス派の「聖餐」とは何であるのか、そして何ゆえにそれは秘密とされたのか?そして、自ら生命のパンであり、生命の水を与える者と称するイエス、カトリックの聖餐式という儀礼的な人肉食の場で、その血と肉を喰ゎれるイエスについてはどうか?実際の所、蓋の下の臭いものは、聖書の至る所に隠されているのだ。
聖書の預言者たちが薬物を使用していたのなら、それは何であったのか?当時は化学などなかったから、それは何らかの植物であったに違いない。それも、固体としても
液体としても摂取できる植物である。そしてそれは、あたかも天に昇ったり、神と会話しているかのように思わせるほど強力な幻覚剤である。こんな条件を満たす砂漠の植物
があるだろうか? ペヨーテなら合格だろう。だがそれは、少なくとも今日では、中東には存在しない。あるいはそれは、インドにおけるソーマのように、乱獲の末に絶滅したのかもしれない。あるいはまた、薬物の行商人、すなわちマギたちが、その土地にない植物を乾燥させ、東洋から持ち込んだのかもしれない。あるいほ、それは砂漠の植物ではなく、山の植物なのかもしれない。あるいは、あるいは、ぁるいは…‥・。これには、何らかの調査が必要であろう。そして幸運なことに、既にその調査を行なった人物がいたのである。
クラーク・ハインリック著:神々の果実、pp26-28青土社、1998)
**************** 引用終了 *****************
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