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蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について

183顕正居士:2004/06/14(月) 06:05
>>152で引用した『太平記』の文章にある「迹高本下」という語について少し調べてみました。
本地垂迹の関係は必ず「本が高く迹が下い」とは限らず、反対もあり得ます。天照本釈迦迹や
日蓮本釈迦迹(名字本妙覚迹)は「迹高本下」にあたります。
この語はもとは「本下迹高」で天台大師の『維摩經玄疏』にあります。
天台山修禪寺沙門智邈撰『維摩經玄疏』卷第一(大正蔵第38巻)
http://w3.cbeta.org/result/normal/T38/1777_001.htm
「今約體用權實明本迹。應須四句分別。一本迹倶下。二本下迹高。三本高迹下。四本迹倶高」
(今、体と用と権と実とに約して本迹を明さば、まさにすべからく四句に分別すべし。一に本迹
倶(とも)に下(ひく)し。二に本は下く迹は高し。三に本は高く迹は下し。四に本迹倶に高し)
大和床俊範撰『一帖抄(惠心流内證相承法門集)』(天台宗全書)には。
http://www.biwa.ne.jp/~kanden/lib.html
「問云。四句成道者如何。
傳云。三身中應佛所作也。先爾前淨名疏心四句成道可有。但初住妙覺相當可作四句。一本下迹高。
二本高迹下。三本迹倶下。四本迹倶高。次迹門意論互具。故亘四十二位可有四句成道。次本門意
廣亘十界互施化導。可作四句成道也」
(問て云く。四句成道とは如何。
傳に云く。三身の中の應佛の所作也。先づ爾前の淨名の疏の心に四句成道可有るべし。但し初住
妙覺相ひ當に四句を作すべし。一に本下迹高。二に本高迹下。三に本迹倶下。四に本迹倶高。
次に迹門の意は互具を論ず。故に四十二位に亘りて四句成道有るべし。次に本門の意は廣く十界
に亘りて互ひに化導を施す。四句成道を作すべき也)
日蓮遺文には『十八円満抄』に『修禅寺決』を引いて。
「和尚、証道八相無作三身故、四句成道在蓮教処、只指無作三身為本覚蓮、住此本蓮常唱八相、
常作四句成道故也」
(和尚、証道の八相は無作三身の故に、四句の成道は蓮の教の処に在り、只無作三身を指して本覚
の蓮と為す。此の本蓮に住して常に八相を唱へ、常に四句の成道を作す故也)
*『一帖抄』と『修禅寺決』は『十八円満抄』などの与最蓮房諸書と内容が多く重なる。『一帖抄』
も『修禅寺決』も鎌倉時代の成立としており、『一帖抄』編纂者が俊範であり、俊範−日蓮の相伝
があったなら、『十八円満抄』などは内容上、後世成立とはいえないだろう。浅井要鱗師の遺文の
研究は半世紀以前の業績で、それがいま江湖に膾炙して来たが、田村芳朗師以降の室町思想の研究
も少しずつ進歩しています。反本地垂迹(神本仏迹)や日蓮本仏の思想の根底には「本下迹高」の
発想がありますが、それが14世紀の大衆文芸である『太平記』にすでに現れているわけであります。


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