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つぶやきすれっど2

1管理者:2002/12/15(日) 15:25

つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。

何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!

2278犀角独歩:2006/10/22(日) 18:39:32

2277 ひきこもりさん

以下の本尊です。
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/016.html

2279鳥辺野:2006/10/22(日) 20:28:04
2277ひきこもりさん はじめまして
横レス失礼いたします。
第16大本尊についてですが、私の知っている事を少し書かせていただきます。蓮祖が文永十一年十二月に身延山にて揮毫された曼荼羅です。讃文(端書)に「大本尊」の文字が入っている唯一の曼荼羅です。(他の蓮祖の曼荼羅は大曼荼羅也、大曼陀羅也等です)石山一七世日精師によると弘安二年十二月に興師に授与されたとしています。石山の東坊地問題(日郷師と日行、日時師ら)の後、建武元年(1334)日郷師はこの大本尊と蓮祖正御影を持って小泉久遠寺を開きました。(その後本拠地である大本山保田妙本寺に大本尊、正御影共遷座)現在に至っています。GohonzonShu/016の写真右側のカラーの板本尊は保田妙本寺の真筆大本尊を模刻した新興宗教本門正宗本門寺のレプリカ板本尊です。尚これは私見ですが、蓮祖には究極の本尊とか唯一礼拝の対象の本尊などという物は存在しないと思います。蓮祖揮毫の字像曼荼羅とは釈迦佛救済の世界を図案化した物だと思います。「コレこそ究極だ。これしか拝んではいけない」という器物崇拝主義では決してないと思います。以上僭越ながら私の考えを述べさせていただきました。

2280問答迷人:2006/10/22(日) 20:50:05

ひきこもりさん

>大御本尊が偽作であり、日蓮正宗が邪宗である

確かに、日蓮正宗の戒壇板本尊が偽作で有る事は、前管長日顕師が述べたことでもあり、犀角独歩さんが論証し、広く世に問うたところです。僕も大石寺戒壇板本尊を蓮祖が建立したとはもはや考えておりません。
又、日蓮正宗が本尊に関して、蓮祖のお考えから大きく離れた主張を展開していることに付いては、問題が有る思います。

>私は何を拝んだらいいにでしょうか。

基本的には、六老の門下として、蓮祖の末流に連なる宗派の僧より下付された曼荼羅を拝すれば良いと思います。日蓮正宗の主張に上記の如き問題性が有る事を認識してさえおれば、日蓮正宗から下付された曼荼羅を拝しても何ら問題はないと考えております。なお、この件に付いては、僕の私見に過ぎませんので、諸賢の叱正を乞うところです。

2281今川元真:2006/10/25(水) 16:54:52
私は賢人ではありませんが、私は法華一乗を修行するなら、臨滅度漫荼羅を綺麗にコピーした掛軸を修行の道具に使うべきだと考えます。信学行を望まなければ、修行の道で自然治癒力も出ないと思います。

2282ひきこもり:2006/10/26(木) 02:41:49
>>2280>>2281
問答さんも今川さんも、どっちがどっちなんですか?日寛上人の本尊のコピーと、
本当の日蓮大聖人の第92,93,などのコピーを拝んだ方がいのですか?

私はやはり北山本門寺の曼陀羅か、第92、93、102、103曼陀羅が本当
だと思います。独歩さんどう思いますか?私は全部見ました。四天王と題目の下
の八幡大菩薩と天照大神がある御本尊はこのくらいでしょう?

2283ひきこもり:2006/10/26(木) 02:44:29
>>2281
それでは富士門流を出なければいけないですねw

2284ひきこもり:2006/10/26(木) 02:52:36
>>2281
臨滅度漫荼羅には四天王の日本語の表記がありません。このような表記で、末法の
衆生を全部救済すると言う思想は受け止められません。

2285ひきこもり:2006/10/26(木) 03:04:12
失礼しました。今、臨滅度漫荼羅の曼陀羅の写真を見ましたところ、四天王も
全て同じでした。

2286ひきこもり:2006/10/26(木) 03:09:45
>>2281
蓮祖の御真筆のコピーと、寛師の御真筆のコピーと、どちらがいいのかと言うことですね。
難しい問題ですね。

2287犀角独歩:2006/10/26(木) 12:15:57

ひきこもりさん

わたしは、漫荼羅が直ちに本尊であるという認識はありません。
また、漫荼羅に優劣はないと考えます。あるのは、授与された人の差です。漫荼羅は、授与者に合わせたオーダーメイドですから、自分宛の漫荼羅でなければ、自分の‘本尊’とはなり得ないと原則的には考えています。

また、より厳密に言えば、本尊は寿量仏における久遠本仏の認知ですから、漫荼羅とは別に考えます。

日蓮的な発想で言えば、如何にして上行所伝の妙法蓮華経を受け取るのかは、問答さんのお言葉を借りれば「蓮祖の末流に連なる宗派の僧より下付された曼荼羅」という点で同感です。ただ、それが自分のためのオリジナルでなければ、それはあくまで仮のものという認識です。

2288ひきこもり:2006/10/28(土) 00:14:47
>>2287
独歩さん。有り難う御座います。
『本尊問答抄』に「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。やはり曼陀羅を
本尊とするのが蓮祖の真髄ではないでしょうか。

2289犀角独歩:2006/10/28(土) 10:46:13

ひきこもりさん

では、反対にお尋ねしますが、法華経の題目とは経典の題名、妙法蓮華経のことです。これは漫荼羅ではありませんよ。題名です。『本尊問答抄』が真蹟であるとして、日蓮が法華経典の題名を本尊とせよというのに、何故、あなたは漫荼羅が本尊であるというのですか。

2290藤川一郎:2006/10/28(土) 17:31:18
>>2267
亀レスですが、床の間の掛け軸の前に香炉と花を置くのは日本家屋の伝統です。
不肖、我が家の床の間にも、父母の実家(茨城県)にも掛け軸の前に香炉があります。
別に、中国に限ったことではありません。最近は日本家屋の伝統を護るほどの大きな家屋が少ないので、見る機会は無いとも思いますが、旧家では常識の話では無いでしょうか?

2291今川元真:2006/10/28(土) 19:07:13
犀角独歩さん等の議論で日蓮宗系の輪郭は見え始めてきた様に存じます。鎌倉時代、日蓮が目指した事。21世紀、私等が目指す事。同じなのか。異なものか。

2292今川元真:2006/10/29(日) 11:55:25
連続書き込みで失礼します。 【末法無戒】 【三法門本尊在りて題目起こす戒壇立つ】 【広宣流布(三法門)→漫荼羅(成道得道)→皆成仏道(平等大慧)】 法華経(教科書)、 漫荼羅(天台密教→法華一乗)、       仏像(主師親)

2293天蓋真鏡:2006/10/29(日) 20:30:05
誤字すいません。 ⇒【末法無戒】 【三法門・本尊在りて戒壇立つ題目起こす】 【広宣流布(三法門)→漫荼羅(成仏得道)→皆成仏道(平等大慧)】 法華経(教科書)、 漫荼羅(天台密教→法華一乗)、 仏像(主師親)

2294再挑戦者:2006/10/31(火) 10:30:44
 失礼します。 最近、99%もの多く方方がズル賢いようです。1%くらいは聖人君子かも。
 経済界では「儲ける為にはインサイダー取引も良い」、「手数料さえ稼げれば客にはウソをついても良い」という方は少ないはずです。
 しかし、進学校で将来の有望な高校で「合格のためには、未履修科目でも履修済みにして内申書を整えた」と言う学校や教育委員会が多数存在です。
「インサイダーに積極的にかかわった人は」証券市場から追放される。 文部科学省は見習えるだろうか。 翻って「宗教法人を管轄するのも文部科学省」だったでしょうか。
 他人をダマシようなズル賢いやり方は「決して美しい国の美しい所作」にはほど遠いのでは、とツブヤキでした。

2295蓮華:2006/10/31(火) 11:44:29
>「法華経の題目を以て本尊とすべし」とあります。やはり曼陀羅を
>本尊とするのが蓮祖の真髄

曼荼羅正依でいい。
本尊の功徳に「差異」などあるはずが無い。
個人宛の本尊に他人が拝めば功徳・効能が異なる?
そんな教えはない。

もし、本尊ごとに功徳・効能が異なるとしたら、日蓮は無慈悲の坊主となってしまう。

日蓮は何の為に沢山の本尊を書写したのか?
その根本の一念に気がついた時、
本尊は功徳の塊である事を自覚する。

コピーした本尊でも功徳は変わらない。
体験済みだ。

また他人が模写した本尊であっても功徳は変わらない。
ようは受けて側の信心だ。
これも体験済みだ。

唱題を行い、生活を正し、法華経三昧に浴する
この法の素晴らしさを伝え、社会に役立つ人間になっていく

本尊がどうだ、宗派がどうだ との論議に迷っている間は
功徳を受ける事すら遠い・・・・

2296犀角独歩:2006/10/31(火) 11:50:59

蓮華さん

ここは教書によって議論する場です。
あなたの一方的な意見の投げ捨ては意味を持ちません。
思うところがあれば、証拠を挙げて論じなさい。

2297蓮華:2006/10/31(火) 11:51:00
受けての信心。

日蓮は弟子の為に、命を墨に染め流して本尊を表した。
しかしながら、どんなに念をこめて書いた本尊すら、
物理的にはただの紙と墨汁の跡なのだ。

大事なのは日蓮の念を感じることだ。
この本尊は己の為に日蓮が心血を注いで書写したものだと感じることだ。

対象物の形、筆法、形式、内容の差異など、
信仰の本質論から言えば意味を成さない。

主題を見、日蓮の慈悲を感じ、己の命を妙法蓮華経に帰命させよ。
余事を交えず己の命があるがままに獲得しようとする世界に目を向けよ。
耳を傾けよ。

2298犀角独歩:2006/10/31(火) 11:52:44

蓮華さん、もう一度、忠告します。
あなたの思いこみの押し売りはやめなさい。

2299蓮華:2006/10/31(火) 11:53:52
>自分宛の漫荼羅でなければ、自分の‘本尊’とはなり得ないと原則的には考えています。

>思うところがあれば、証拠を挙げて論じなさい。

自分の考えを述べているのは私だけではありませんね。
まずは貴殿からどうぞ。証拠を挙げて論じなさい。
そもそもここのスレッドは「つぶやき」のスレッドではないのですか?

2300蓮華:2006/10/31(火) 11:55:47
>蓮華さん、もう一度、忠告します。
>あなたの思いこみの押し売りはやめなさい。

犀角独歩さん、あなたに忠告いたします。
ここはつぶやきスレッドであり、スレ主様の言葉をよく思い出しなさい。

「何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!」

独り言は可ですか? それとも不可ですか?

2301犀角独歩:2006/10/31(火) 11:56:49

本尊と漫荼羅において、わたしは文章を挙げて、論じています。
つぶやきを逆手にとって、放言を述べるのは、ルール違反でしょう。

2302蓮華:2006/10/31(火) 11:57:52
>独り言は可ですか? それとも不可ですか?

2303蓮華:2006/10/31(火) 11:59:01
>放言を述べるのは、ルール違反でしょう。」

どちらがルールを違反してるのか?

「ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!」」

2304犀角独歩:2006/10/31(火) 11:59:12

蓮華さん、では、あなたが、わたしに証拠を挙げて論じろと言ったことはどうなりますか。あなた自身を挙証をしているではないですか。

2305犀角独歩:2006/10/31(火) 12:02:30

訂正します。

蓮華さん、では、あなたが、わたしに証拠を挙げて論じろと言ったことはどうなりますか。あなた自身、挙証をしろと言っているではないですか。それにもかかわらず、つぶやきだと言うのは矛盾しています。

ぼやきだ、つぶやきなどと言わず、本尊と漫荼羅のスレッドに移動して議論しましょう。

2306蓮華:2006/10/31(火) 12:05:45
話を摩り替える前に、まず、つぶやきスレッドの内容に抵触したのは
貴方が先だと言うことを認識してください。

「考えを述べるなら、証拠を挙げよ」と貴殿は仰る。
まずはここでスレッド違反です。

私は注意を促しただけです。
「自分の考えを述べているのは私だけではない」との証明と、
貴方の意見自体が矛盾していると指摘しているのです。
(貴方も己の考えを述べていますが、引用箇所についてはご自信の考えであり、
証拠は提示してませんね)

そもそも論議をするつもりであれば、つぶやきには書きません。

いいですか、まずはご自身の書き込みを振り返ってみてくださいね。

独り言は可ですか? それとも不可ですか?

2307蓮華:2006/10/31(火) 12:07:49
>訂正します。

失礼致しました。訂正の文言に気がつきませんでした。
ROMの方に不快な思いをさせました。

>犀角独歩さん、
失礼致しました。

2308犀角独歩:2006/10/31(火) 12:12:01

蓮華さん、わたしが言っているのは、つぶやきという特性を逆でにとって、挙証もせず、根幹に関わる書き込みをするのは、ルール違反だと言っているのです。

つぶやきならば、何を書いてもよいということではありません。
ここのところ、本尊と漫荼羅において、独学徒さん、問答さんと、わたしは議論を積み重ねてきています。その内容に抵触し、かつ、まったく逆の意見を、つぶやきと称して、放言すれば、掲示板全体の風紀は乱れます。

そのようなことはルール違反だと言っているのです。つまり、そのような他のスレッドの議論を抵触する内容を独り言と称して、反論不能の「つぶやき」に投稿することは、わたしは「不可」であると言っているのです。

これはを逆手に悪用する「アラシ」行為であると、わたしは判断します。

2309犀角独歩:2006/10/31(火) 12:16:48

なお、誤解がないように申し上げますが、「信仰」という点からすれば、蓮華山が記された点に、わたしも大いに賛同するところはあります。ただし、当掲示板は、信仰的見地のみならず、宗史、教学史、書誌学的見地を重視し、かつ、挙証義務を課して、議論を深めることによって発展してきました。

ですから、そのような議論が進んでいる横で、まったく挙証せず、信仰的見地から、論攷と逆の意見を「つぶやき」と称して述べることは、この微風を著しく汚すものであるということです。

しかしながら、ご意見はわかりますので、スレッドに移動して、議論しませんかとお願いしているわけです。

2310犀角独歩:2006/10/31(火) 12:18:38

【2309の訂正】

誤)蓮華山
正)蓮華さん

誤)スレッドに移動して、議論しませんかとお願いしているわけです。
正)スレッドに移動して、議論しませんかとお願いすることとします。

2311蓮華:2006/10/31(火) 12:20:24
>悪用する「アラシ」行為であると、わたしは判断します。

そもそもの考え方が異なるようです。
スレッドの趣旨を守って、独り言のように書く行為が「アラシ」と言うのは、
貴方の独断的な決め付けであるかと思われます。

学術的な論議は大変素晴らしいものであり、
大いに盛り上がるべきであるとは存じますが、スレッドの趣旨にある、
「つぶやき」に学術的根拠を求める事自体、奇異に映ってしまいますね。

スレッドの趣旨を読むべきです。
そして、最初にスレッドの趣旨を違反してクレームをつけられたのはご自身だと言うことを
しっかりと認識してください。

つぶやきの内容の可否について、スレ主でない貴方が決めるのもどうかと思います。
管理者様に知的財産の所有権がある事は承知してますが、
あくまでもオープンな掲示板です。ご理解頂ければ幸いです。

2312蓮華:2006/10/31(火) 12:22:43
>この微風を著しく汚すものであるということです。

仰る事は承知しております。
私も犀角独歩さんのレスで勉強した一人ですから。
サイトも立ち寄らせていただいてますし、書籍も読んでおります。

正し、ご理解いただきたいのは、だからこそ、「つぶやき」に記したのです。

2313犀角独歩:2006/10/31(火) 12:53:48

蓮華さん

「スレ主」ということですが、そもそも、当掲示板にはそのような考え方はありません。しかし、あなたが悪意なく、「つぶやき」として記したまでというのであれば、それはその点を否定するものではありません。わたしの発言にはフライングがあったことを反省もし、お詫びもいたします。

ただ、この点はご承知いただきたいのですが、過去の経緯のなかで、スレッドで進行形でなされている議論に対して、悪用されてきたのが、「つぶやき」でした。実際、ここから投稿停止者も何人も出ています。

まして、本尊と漫荼羅に関する議論は、一山を超えて、次の段階に入っています。このような場の雰囲気を考慮いただき、「つぶやき」というより、むしろ、適宜スレッドにおいて、議論に加わっていただければ有り難く存じます。

いまから、外出いたしますので、次の投稿は、間合いが空きます。悪しからず、ご了承いただければと存じます。

2314蓮華:2006/10/31(火) 13:01:05
犀角独歩さん、

ご丁寧なレス、ありがとうございます。
趣旨は理解いたしました。

ただし、「普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい」
の記述がある事から、あえて、協議論争とは別な観点のスレがあってもいいのでは?
と思ってしまいます。
信仰の上から普段感じている点を記載した次第でございます。

まあ、ご判断はスレ主である管理人様に判断していただきましょう。
管理人様のご意向に一任させていただきます。

それではお気をつけて外出されてくださいませ。

2315蓮華:2006/10/31(火) 13:02:51
>別な観点のスレ

「別な観点のレス」でした。謹んで訂正させていただきます。

2316犀角独歩:2006/10/31(火) 22:25:35

蓮華さん、失礼いたしました。
わたしが過敏に反応しすぎました。仰るとおりであろうと存じます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。

2317名無しさん:2006/10/31(火) 23:07:48
現在まで「文証などを挙げ、膨大なる貴重な」書き込みをされている方と、
ポッと出てきて、自分の一人よがりな信仰観を書きなぐる方とでは、
信頼という点で、天地雲泥の差があるように思います。

2318正論氏:2006/11/01(水) 00:57:10
蓮華さんが言ってる事は正論では?
一人よがりを書いてもいいスレでしょうに。

2319寸鉄:2006/11/01(水) 02:03:53
つぶやきを単なるハケ口と勘違いしている。
何でも書けばイイってもんじゃない。

2320藤川一郎:2006/11/01(水) 11:30:40
何かの書籍で読んだのですが、浅井円道師(又は要りん師?)が、とある学術発表会の席上、執行海秀師に
向かって「学術論争の場で、どなたかのように(明らかに執行師に向かって)信仰体験を語られても困る」と批判したそうです。

2321再挑戦者:2006/11/01(水) 19:27:28
、、、失礼、、です。
 いろいろ御座いますようですが、、。 ある程度の、、「、、限界、、」、、も存在のようでしょうか、。
 難儀でしょうか、、、、。 今後とも諸賢の建設的な論議、、考察、、意見、、提言、、をご期待します、、。

2322蓮華:2006/11/02(木) 11:24:46
「会話や議論の応酬は避けるべき」と言うスレの趣旨ですが、
内容を明確にしたいが為、当趣旨を無視して記載する事をお許し下さい。

>何でも書けばイイってもんじゃない。
それでは「つぶやき」に書くべき内容、書いてはいけない内容をご教示下さい。

>学術論争の場で、
全く同意致しますが、つぶやきは引用例は適用外ではないでしょうか?
ここは学術論争の場なのでしょうか?

私の認識と、スレの趣旨は下記の認識でおります。

・普段からフツフツと感じている事
・このスレッドは、独り言、ボヤキ
・会話や議論の応酬は避けるべき
・本音、弱根を、思う存分

学術論争とは別の、信仰における、普段感じている本音を独り言で書きました。
それがスレの趣旨に適合しないのでしょうか?
私的にはルールを遵守した思いがあります。

2323蓮華:2006/11/02(木) 11:28:46
>犀角独歩さん、

ご返信レス、誠にありがとうございます。
こちらこそ失礼致しました。そしてご理解頂いた事に感謝申し上げます。
今後とも勉強させて頂きます。何卒宜しくお願い致します。

2324ボヤッキー:2006/11/02(木) 20:19:45
独り言、ボヤキです。

>コピーした本尊でも功徳は変わらない。
体験済みだ・・・「それは良かったですね。」

>また他人が模写した本尊であっても功徳は変わらない。
ようは受けて側の信心だ。
これも体験済みだ。・・・「素晴らしいですね。」

>本尊がどうだ、宗派がどうだ との論議に迷っている間は
功徳を受ける事すら遠い・・・・「あなた何様?」

2325再挑戦者:2006/11/02(木) 20:32:50
2295さん、 >、、ようは受けて側の信心だ、、。
 一見、、は、、正論のような、響きを感じまするが、、疑義が払拭仕切れませんです、。
 別な視点から考察・論考しますと、ドーモ「、、某S会、、」、、の999%を超えるような「、、擁護論、?」、の感じがしてなりません。
 「本尊に迷えり、、」、、この原点から出発されました日蓮様を「、、何かしら、、軽視、、」、、とも受け止められるような本音をツブヤかてたようでしょうか、、。 そんな自分の愚考をつぶやきました。 悪しからず、。

2326蓮華:2006/11/02(木) 20:36:43
ずいぶん陰湿で排他的なのですね。

教義にわたっては徹底的に論議するべきだと思っています。
真実を探求する姿勢は美しい。諸賢の方々のレスには感謝・感服しております。

私が申し上げたかったのは信仰心から見た宗教の本質、そして心です。
形式も大切だが、偏狭にとらわれずに宗祖本来の精神に光をあてたい。
宗教とは本来、庶民の祈りをかなえる為に生まれたものだと思っています。
庶民が己の人生をより幸福に彩る術であるべきです。

一宗派にとらわれずに、私は私の実践において、宗教がもつ「力」を、
自身の生活の上で発揮していきたいと願っております。
宗祖の門下であった一民衆も、ただひたすら宗祖を信じ、
祈りを実践してきたかのように・・・・。

2327蓮華:2006/11/02(木) 20:44:45
私は諸宗を転々として参りました。また、独歩様のレスやあまたの書籍で、
真実と思える学説に触れる機会がございました。

その結果、無残にも信仰心を消失しかけたのは事実です。

それ故に、敢えてシンプルに考えるようになりました。
宗祖在世中の弟子のように、本尊に題目を徹底的に上げ、宗祖の心を知るべきだと・・。
在世中の弟子には釈尊像を帰依の対象にした方もいらっしゃったでしょうし、
恐らくは主題と四菩薩のみの本尊に帰依してた方もいらっしゃたでしょう。

それがむしろ自然な信徒の姿に感じられました。

2328蓮華:2006/11/02(木) 20:51:34
「本尊に迷えり」。 一番本尊に迷っているのが皮肉にも日蓮系教団です。
私の場合はすっきりしてます。宗祖が表した本尊、それを模写した本尊、
写真複製した本尊、恐らく偽者であろう戒壇本尊、どの本尊に祈っても、
必ず功徳がある気がします。受け手と申したのはその意味です。

現に、身延系、正宗、創価、顕正、正信、その他の宗派は教えは各々異なれど、
沢山の功徳が生まれている現実は無視できません。

それで無ければ、ご本尊を持たない「内徳信仰」などに、功徳がある説明ができないからです。

2329再挑戦者:2006/11/02(木) 21:07:49
 蓮華さん、、>、、内得、、、。
 これである程度が判明しました、、。 そうです、、===、、今お騒がせの「、、某K会、、」、、様のご投稿のようです、、??
 今後ともよろしくお願い申しあげます、!!! 早々。

2330ボヤッキー:2006/11/02(木) 23:29:13
個人の信仰体験を書かれても、心に響かない。説得力が無い。

2331しゅんかん:2006/11/03(金) 13:45:52
独歩さん、このような解りやすいスレがあったんですね。
(教えてくれはったらエエのに。お前の勉強不足や!おっしゃる
通りでごぜぇーやす)(大阪人なんで一人突っ込みです、あしからず)
蓮華さんと独歩さんのやりとりは私など駆け出しの者には両者共
おっしゃる通りと思います。
ここの掲示板は人を傷つける様な文面を見受けないので
好意を持っています。(ほぼ見受けない)
蓮華さんのおっしゃる通り、会話や議論の応酬は避けるべき
ですね。つぶやき=独り言=一方通行では寂しいですから、
会話のキャッチボールをしたいものですネ。

2332しゅんかん:2006/11/03(金) 14:27:18
蓮華さん、はじめまして。
素朴な疑問で駆け出し中のしゅんかんと申します。
蓮華さんの色々な本尊(曼荼羅)ようは受けて側の信心だ。
おっしゃる通りだと思います。多くの方にご理解をいただける
ものと思います。
私は信仰をしておりませんが、ネット上で他宗もこの様に活発な議論、
意見交換、会話のキャッチボールをしているのですかネ。
(しているのであれば私の勉強不足です、すいません)
日蓮上人は他宗はほうぼう?(字も分からず変換出来ませんでした)
って言うのですか。駄目って言ってるんでしょ。
日蓮宗派で色々な曼荼羅が有って全部オッケーって
私自身はなんとなく?って感じです。
信仰を行っている人は自分の派はやはり信じています。
他派の曼荼羅も良しなのであればその教義も良しでしょ。
それでは自我が揺らぐのではないですか。
日蓮上人の教えがこの様に沢山の板を作らせているのかなぁ
と思っております。

2333絵空事:2006/11/03(金) 14:39:51
、、ようは受けて側の信心だ、、。
私もそう思っているのです....が確かな授与も必要かと
一方的片思い...すとーかーもどき?もちょっと困る
様々な経緯は有るものの現在まで受け継がれた信仰としての授与....
かといって広宣流布のように多くの人へ
自分のためのオリジナル曼荼羅以外は仮も無理があるかも....
漫荼羅への大切さと思い入れが持てるのであれば.....
正確な複製の出来る今どきが時代相応なんでしょうかね...
複製に裏書きしてもらって伏せってかぁ.....
でも宗派を越えたような信仰の漫荼羅を誰が授与してくれんねん...
此処の掲示板を読むようになってから、そうだと肯定しながらも疑問を持つようになった...
唱題はいいですね....当面はひたすら祈れってかぁ....

2334蓮華:2006/11/03(金) 15:22:03
>・会話や議論の応酬は避けるべき
上記の趣旨をいささか脱線してしまうことをお許し下さい。

沢山のレスを頂いた故、感謝の意とご返信レスを記させて頂きます。

まずはじめに、独歩様をはじめとする諸賢の皆様の、真実への探求における、
真剣な姿勢、また、わかり易く後輩にご教示いただけるその行為に深く感謝申し上げます。

>ドーモ「、、某S会、、」、、の999%を超えるような「、、擁護論、?」
>今お騒がせの「、、某K会、、」、、様のご投稿のようです、、??
私は確かにとある宗教団体に所属はしておりますが、教義の面では納得しておりません。
ただ少なくとも、他宗教の言い分・主張も理解せずに頭より見下して、
「謗法」だと罵るような行為は、所詮、井の中の蛙であり、本来あってはならない姿勢であると信じております。
又、特別な本尊を崇盃しているが故に、我尊しと言う姿勢にも納得できません。
更に言及して言えば、単なる宗教的建築物を構築する事で、個人も国も安穏になると言う、
安直な考えにも賛同しかねる現状です。(特定の宗派を否定している訳ではありません)

>個人の信仰体験を書かれても、心に響かない。説得力が無い。
ボヤキ、独り言であると言う事でお許し下さい。
宗祖が弟子に伝えたかった世界に触れるには、徹底的な真実の検証行為と、
弟子に示された教えの実践しかないと思っております。

どちらか片方だけでは到達できない何かがあるような気がして仕方ないのです。

2335蓮華:2006/11/03(金) 15:29:03


>私など駆け出しの者には両者共おっしゃる通りと思います。
私の方こそ駆け出しであり、無学の極みであると認識しております。
故に、皆様のレスで学習させていただいております。

>日蓮上人は他宗はほうぼう?
私見でしかご返信できない無礼をお許し下さい。

宗祖は「妙法蓮華経」こそが唯一真実の教えであると説かれました。
故にそれ以外の教えは悉く邪義であると喝破されております。

しかし、その宗祖の言葉にも深い大意があると思っております。
当時と現代社会を比較するば、宗教的影響力、行政との関係性、常識的な仏教解釈が現代とは大きく異なっております。
現代のように、沢山の情報が当たり前のように取得できると言う、ある意味特殊な状況下では、
宗祖の言葉とは言え、文言を取捨択一し、言葉の裏側に内在する心をつかむ事が要であると信じております。

その上で申しますならば、私にとっては、「南無妙法蓮華経」の本尊であれば、
宗祖の弟子が修行を実践するにあたって、充分に事足りるものであると思うのです。
形式や作法も大切だと思いますが、宗祖が何故その本尊を顕されたのか、
また、何ゆえに弟子に修行を明示されたのか。その本質に肉薄できるよう修行するのみです。
回答になっておりませんね。失礼致しました。

>正確な複製の出来る今どきが時代相応なんでしょうかね...
私も個人的には、宗祖の漫荼羅の方が大切に感じます。

>唱題はいいですね....
はい。私も唱題行を大切にしております。

長々と失礼いたしました。

2336ボヤッキー:2006/11/03(金) 16:03:19
ちょっと前の書き込みにて、日蓮さんの「真意」をくみ取り、
現在に伝えている宗派は皆無、と書かれていましたが、
そうなれば、今は誰も「本当の修行」は出来ていない事になりますね。
みんなどうやって修行しているのだろう?

南無妙法蓮華経の本尊ならば、どれでも良いなんて言うのも、
なんじゃそりゃ・・・という感じです。

2337しゅんかん:2006/11/03(金) 18:54:42
蓮華さん早速のご返信有難うございます。
2336のボヤッキーさんと同感なんですが。他宗派なら
これもいいじゃない、あれもまぁ許そうかって言うなら
なんとなく納得出来るのですが。親兄弟やネット上での皆さん達、
日蓮上人門下の方々のご意見を見させてもらいますと。
やはり何処に蓮師の正当な教えがあるのかと追及されています。
その追求されているところが詰り蓮師の教えを守っておられる
様な気がするのです、蓮師に六老僧がおり孫弟子がおり又、弟子が
と・・・人それぞれ捉え方が違いますからええやろとは蓮師の
教えからは逸脱しているように感じられてしまうのです。
すいません信仰もしていない者が。

2338再挑戦者:2006/11/03(金) 19:30:30
ボヤッキーさん、、。
 ウムッム、、!!!、、です。  ホンまに難儀なことでございます。 
 今、、今後、一体、、ドナイしたらエエンでしょうね、?? トホホ、、。

2339犀角独歩:2006/11/04(土) 08:34:35

ここは、つぶやきなので、レスト言うことではないのですが…。

日蓮の真意を汲み取り、いまに伝える‘宗派’は皆無でしょう。ただ、わたしが多くの方々との出会いから思うことは、日蓮の精神を伝える人は、しかし、決して皆無ではないと言うことです。では、仮にその精神を伝える人は、すべてを伝えるかといえば、また、そうではないわけです。それぞれが善いところがあり、また、欠点もあります。善いところは大いに参考にし、敬意もはらい、欠点は批判すると言うより、改善案を考え進歩させる、そんな人の集まりを、わたしはサンガというのだと思います。そこには、文字や形式を超えた生きた人間同士の‘修行’があります。

2340絵空事:2006/11/04(土) 14:29:33
百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
サンガ (曖昧さ回避)。「集団」を意味するサンスクリット語で、仏教では修行者の集団を指し、「僧伽(そうぎゃ)」と漢訳される
僧伽 (そうぎゃ、saMgha、संघ (sanskrit))はサンスクリット語の音写であり、「衆」(しゅ)「和合衆」(わごうしゅ)と漢訳される。
もとの意味は「集団」「集会」などであり、古代インドでは、自治組織をもつ同業者組合、共和政体のことをサンガと呼んだ。
これが仏教に採用されて修行者の集まりや、教団のことを指した。
略して僧と呼び、仏・法・僧の三宝の一つとして尊重され、三帰依の対象となっている。僧は仏陀の教えを実行し、
その教えの真実であることを世間に示し、あわせて弟子を教育し、教法を次代に伝える。

犀角独歩様の思慮深さには感心する事が多いです
その都度、私の想いは右に左に、吊り下げられた曼荼羅に風が吹き付けて揺れ動いたかのように
本当に揺らしていないでしょうねぇ

2341名無しさん:2006/11/04(土) 17:50:20
私は、「日蓮の精神を伝える人」とは、犀角独歩さんじゃないかと、
思ったりしています。真実を探求されている姿は、素晴らしいですね。

2342しゅんかん:2006/11/05(日) 23:32:14
今日、娘の大学の行事で京都に行って時間が余ったので。
本圀寺へ参拝に行ってまいりました。黄金の大梵鐘の下にあった一室
(仏像が沢山祀ってありました)に奉安してあった曼荼羅は平成に
書写された物の様でしたが、釈堤桓因大王ではなく正宗の寺院や
下付曼荼羅の様に帝釈天王だった正宗以外で初めて見たのでへ〜〜っと思いました。
クッソー腹立つなあーーー。
寺院案内のパンフが見当らず見物をしていました。
ある建物内でお経をあげておられ(本師堂でした)信者らしき方が2・30人
おられましたが構わず入って行き座りました。
直ぐにお経が終わり御僧侶さんのお言葉で法要だと判明しました。
(私はアロハシャツを着ていたので信者らしき方から何やこいつ、
といった目でにらまれた、皆さんすいませんでした、そう言やぁ
皆さん黒い服ばっかりやったなぁー)
本堂も拝観させてもらいました。南妙法蓮華経とだけ彫ってある本尊、
その前に釈迦像そしてその前が日蓮上人の座像でした。
寺院で南妙法蓮華経とだけ彫ってある本尊を見たのは初めてでした。
帰る前に寺院関係者の方に尋ねパンフをもらいました。
帰路の車中でパンフを読み、法要を行っていたいた所が本師堂としりました。
そしてそこに大聖人が片時も離さず・・・の釈迦像をお祀りしている事も
初めて知ったのです。(目に止まらんかった。クッソーーー、本圀寺ってこんな
お寺やったん。もう一回行こ〜っと)

2343再挑戦者:2006/11/07(火) 18:51:08
しゅんかんサン、 >、、、、。
 御検足は、、、ご苦労様です、。 日蓮様の御真筆所要のベスト3に名を連ねる「本国寺様」でさえ、、「、、ガタガタ(日蓮的に、)、、」、、のようでしたか、?
 真筆の曼荼羅を所有されていましても「、そのアリガタさを理解不能な方」、、にはムベなるかナ、、?  と、、。
 小生は過去、二度ばかり「真筆さま」をご拝見しました。 一回目は「、、ヤット、、周り道しましたが、遅くなってゴメンなさい、日蓮様、、!!」、、と泣きました、。
 二回目は「、、一寸待てヨ、、ドーモ、、オカシイーぜヨ、、?」、、多少の余裕も出来たので、周りの雰囲気を見渡す度胸も得たのです、、。
 それは、一般の観覧者が美術館、、博物館などでの「古代・中世の文物」を「見る視線」と全く同じに実感しました、、。
 形式上の本物をうわべだけで拝んでも「日蓮様」の「お心」を体得して・体感・体現するのは、、「、、至難、、の難儀、、!!」、、のようです、、? えらそうに御託を述べて、ゴメン下さい、、。

2344天蓋真鏡:2006/11/08(水) 20:16:31
変遷【シャカ如来、法華等持院】【妙法華院、日蓮、仏彫像&漫荼羅&法華経、成仏得道、法華一乗、立正安国】【垂ジャク堂・御影堂・本堂、日興・石川】【日目・南ジョウ】皆成仏道

2345とんび:2006/11/09(木) 00:17:37
 先の発言の付随しての発言です。
 太陽の光に感謝する人は、多いでしょうが、地球の重力に感謝する人は、少ないだろうな...
とも感じたり。人類は、大気のオゾン層などによって守られないと、生きていけないと思います。
また、大地があるから、守られてもいます。

 地球は、自転しているので、重力がないと、大気圏外に、飛ばされてしまうのだろうと...。
確か、かなりなスピードだったと、思います。われわれ人類の動いているスピードは。
それに、地球は、公転しているし、きっと銀河も回転しているでしょう。

 海抜0メートルに住んでいる人より、海抜2000メートルに住んでいる人の方が、より光速に
近いので、老化が遅れる・長生きする...という理論があったと思います。
 余談でしたが、私たちは、様々なものに助けられて生きているのだなと感じます。

2346再挑戦者:2006/11/11(土) 18:29:25
  失礼します。
  私事ですが、今般、実母が88歳で永眠しました。 
 小生の希望の「星」、、でした。 苦しい時、悲しい時、、「、、それなりに元気を」、、モライました。
  ただ、残念は、、晩年の認知症ぎみからの救済が出来なかった事。
 幾度かは「、S会の欺瞞性」を説得しましたが、日ごろの「聖教」に洗脳され他者の意見を聞きませんでした。
  逆に、小生のオチコボレ人生ぶりを小バカにしていました。
 ここで一句、、「、、涙拭く、青いハンカチ、、出しずらい、、。」、、「、、意地だけは、維持したいが、トホホ、、なり、」、、。
 、、、トホほ、、かな、、。 アホのツブヤキ、、でした、、。

2347再挑戦者:2006/11/11(土) 18:49:59
続、、、。
  実母は実妹と同居していたので一番イヤラシー、、「、、友人葬、?、」、、とかの僧侶不在の葬儀でした、。
 小生は、とてもとても参加・出席する気持ちがもてず「、欠席中、、」、、しました、、。
 これは、「、、家庭内の宗教の戦争、、」、、が勃発した、と思います、。 悲しいが、現実です、。 トホホ、、。

2348犀角独歩:2006/11/11(土) 23:11:49

再挑戦者さん

謹んで、御母堂様のご逝去を悼み、お悔やみ申し上げると共に、ご冥福をお祈り申し上げます。

2349しゅんかん:2006/11/13(月) 00:33:44
再挑戦者さん、はじめまして。
お母様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

2350再挑戦者:2006/11/13(月) 19:27:38
、、、面目ありません、、お心遣いに深謝致します、、。 悔しいですが、これも厳しい現実のようですか、、。
 諦めずにジリジリ進むことが、アノ化け者某会への打撃になると信じたい、、です、、。 ゴメン下さい。

2351再挑戦者:2006/11/25(土) 21:40:25
、、、失礼します。 今般得ました資料ですが。 「経のうちの肝心は題目におさまられり、、」に関しての考察です。
 「、、日興門流の唱える題目は”旧来の法華経の題目”ではなく、本門かつ本因妙の”久遠初自受報身の所持するところの久遠名字の妙法”である、、とか、??、、この題目こそが、末法の荒凡夫である
我我衆生衆生を成仏”せしめる大法である、本門の題目として示されたのである、、。」、、、
、、皆様、諸賢さまはいかが御考察・検察でしょうか、、?
 自愚考では、オイオイ、、!!、、、一寸、、お待ち、、お待ち下さいませ、、。、です、、。 題目には「格差問題と差別問題」、が存在だったのでしょうか、、?
 本当に難儀で御座います、、。。。。。

2352再挑戦者:2006/12/09(土) 20:00:50
  愚考ですが、家庭内宗教戦争継続の中、母の葬儀の写真が送付されて来ました。 驚きました。 位牌は紙にワープロ印刷して木製の位牌に貼り付けてある様でした。
 棺の右側はガラス扉が有るとうでした。 奉掲本尊は紙にて遮断されていました。 これが「家族葬・友人葬」なる実態のようです。 また、墓地埋葬は12月〜4月の間は冬の期間で一切の参拝・墓参は不可(北海道・厚田墓苑関係、)との事でした。 
  紙を貼り付けた「位牌」、冬は墓参をさせない、、とは、、正しく、、信者を無視・軽視した一点が際立つ「、ボッタクリ宗教の闇事情、?、、」、、でしょうか、?  トホホ、、。

2353しゅんかん:2006/12/18(月) 19:47:26
再挑戦者さん、お久しぶりです。
少しは落ち着かれましたか?

ここよりつぶやき。
私の家族{(認知症の母)姉二人、兄一人}は私以外、全てS会員です。
私、以外の親兄弟が無くなった時の葬儀様式の未来像。
{私は今のところ宗教をしておりません!ひょっとすると私の葬儀様式も?
あら!恐ろしや}
私は宗教に学がありませんから家庭内宗教戦争には至らない(願望)とは
思っています。(姉兄に相手にされなし、私自身、反論が出来ない)
ですが法華経を読誦し僧侶不在の葬儀は経験がないので違和感が有りますね。
自我が不安定になります。
何でも有って感じですね。
真さに人間です、人間の成せる技ですね。

2354再挑戦者:2006/12/21(木) 18:45:08
 しゅんかんサン、ご機嫌のほど、御麗しゅうございます、、。
  人生、、人の間の生活には、、トホホ、、が多いような昨今でございます、、。
 小生も、寄る年波には負けます、。 昨日も今日も、、、、自分の「死」、、にかんして思う時間が多くなりました、、。       決して、自らが希望して、望んでの”生”ではないが、一概に親をを攻めることはには抵抗を感じました、、。
 思うに「、、頼みもしないのに、生みやがって、、!!」と反抗したりもしましたが、、今は「、、頼みもしないの、、”虫(昆虫)、、牛・ブタ・鶏などの被肉食家畜動物”」にも生誕可能は否定は出来ませんようです、、??     しかるに、現生の我らの死亡率は999.999%のようです、、。   今後、自分なりの「、、生、、死、、」、をどのように捕らえ、マットウするのかは、、??? です、、。  各自の現生の、一応の死後は、一体どんな世界に追誕してドンナ動・植物にに連続・生誕、、するのでしょうか、、?? 心配でもあります、、。 愚考でした。

2355しゅんかん:2006/12/23(土) 00:17:27
人生は人が創生したようですね。(私は肯定派です、仏法で言う末法は?)
人が作った世ですがこの世は人に住み難いようです。
(なんだか漱石の草枕の文頭のようですが)
此れも人は現実を現実と見ることが出来ず現実と密着していないからでは
ないでしょうか。
人が言うところの高等動物(よりホモサピエンスに近い)と定義しているもの程ど
現実から乖離していて、人が言うところの下等動物と定義されているもの程ど現実と
密着している様に思われます。下等動物と定義されている彼らは(彼らと会話をした
事が無いが)本能のまま生きている様に思われるからです。
人には自我と言う物が存在します(人の驕り昂ぶりにより)
より人から見て下等と言われている動物の程、本能のまま生きている様に思われます。
本能と現実は密着していると思われます。
人は未熟児として生まれ(此処で言う未熟児とは一般に言われる未熟児ではなく
全ての人をとらえています)本能が壊れているのだと考えられます。
下等動物な程、生を受けて直ぐ地球上の環境に適応出来るが、人は人生の先輩の
手助けなしには、多く見積もっても一週間と生きられないのではないでしょうか。

2356再挑戦者:2006/12/23(土) 20:00:49
 しゅんかん様。
 誠に示唆に溢れる御指摘はとても勉強になりました。
 先々のことは99%ほど意味・不明の一愚者ではあります、、。 ただ、「法華経・如来寿量品第十六の中で、、」、、「、、諸善男子 如来見衆生 楽於小法 徳薄苦垢重者 為是人説 我少出家、、、」、の聖文からも伺えるますのは、、ヒトは「難儀な苦労はしたくない、、少しでも楽をしたい」、という本音が存在のようでしょうか、?
 その一点から、・、各方面の利害関係者らが、ウブな、?、、信者を、? 獲得しようと画策・欲望のダマシの入り口に、、??、、なるようでしょうか、、? 無防備の我々などは、レベルの低い、マヤカシの「、、小法、」、にさえいとも簡単に執着してもその意識すらも不感症の症候群にドップリでは御座います、でしょうか、、? 難儀な、、世の中ではございまするが、、?? 愚考で失礼、。

2357ワラシナ:2006/12/29(金) 10:10:57
「思い出すア先生指導」


0、ア先生の指導で忘れられないのは、1993年国連ボランティアだった中田厚志さんがカンボジアで殉死された事に触れた時のものだ。

1、「ボランティアなんかやっても無駄」といったア先生がはなからカンボジアを見下していた事は、その教義解説書に明らかであった。そこには御自身の小乗仏教観から東南アジア諸国の国民性を一様に「、、その無気力」などと精神的廃疾者のように決め付けた上で「それらは小乗仏教の害毒を如実に示すものである」などと書いてあったからだ。
 
 だが、見た感じで言う。新宿周辺のパチンコ屋で早朝から行列待ちしていた人々のかなりが賭け事熱中体質のやる気満々の東南アジア系と言われていてとても無気力には見えなかったのである。
 反対に、その新宿駅を西に六箇所ほどずらした駅あたりで線路に飛び込む邦人がいたりして大変お気の毒なのであるが、うわさでは株で失敗してしまった人が多い、と聞いた事がある。これなどもしア先生の言う通りなら「大乗仏教の害毒を如実に示すもの」と言えようか(!?)。

2、ところで、国連から明石さんが行ってそこそこの使命を全うされたのだったが、ア先生は根底が見下しているから否定的にしか見ていないのも明らかだった。和平が実現したことを素直に喜ばなかった。自分が期待する見通しの正しさを実証する為に内戦の再発を期待しているかのようだった。
 その本音を意地悪く推量すると、「カンボジアに平和なんか生意気、早すぎだ、もっと殺し合っててくんなきゃこっちは困るんだ、何故かと言えば、もっと殺し合いが続いてくれれば言えた筈のお好きなセリフ「いずれ日本もあーなる」が言えなくなってしまった悔しさ」から来ている気持ち、、に見えた。

「第一、立正安国抜きの平和が実現してもらっては正宗信者の立つ瀬がない」とでも思っているようなそれにも見えた。確かに東洋の民の平和と幸福の実現を願わないわけではないけれども日蓮正宗信仰抜きのそれが実現されてしまっては(繰り返すが日蓮正宗信仰流布の暁にこそ真の平和が招来されると標榜している我々信者の)立つ瀬がない、との思い込みからきているのも明らかだった。
 
この思い込みの強さを見せ付けられると、信者にとっては信者以外の世界の平和と繁栄は忌むべき対象らしく、輝かしくも奇蹟的に招来されるべき立正安国実現のその日に至る迄は、世界は一層の不幸と悲惨で覆われるべき、とでも願っているかのように見えた。

3、確かに、多くの真面目な信者は世界の惨さに対して素直な同悲苦感情から布教による救済を志しているのだが、素直な同悲苦感情におぼれるだけではなく、このような或る懲罰感情めいたもの(一凶的罰論?)も同時に働いていると思うのである。
 きっとその感情が強度になって、世界中が日蓮正宗信仰(むしろ顕正会信仰と言うべきか?)流布の国々になる迄は、世界では暗黒と悲惨だけがふさわしく思われてくるのであろう。決して偶然の不幸発生を認めず、万事に信仰中心の因果付けをしなければ気がすまない心理になってくるのであろう。

4、だが、上で触れたア先生のように自ら依拠する信仰基準から他人の幸福にけちをつけたがる心情は自分にもあるし、これをもってア先生をどうこう言うつもりはない。

「悲惨ですねええ、だがこれらはいまだ序分、みててごらんなさい、いずれ、日本も、あーなるとわたくしは思っております。」式のア先生指導が苦々しく思い出されただけなのだ。、、同時に、今も題目三唱の二回唱えをやってるのかなああ、と言う事も。(h18/12/29)

2358再挑戦者:2006/12/30(土) 21:38:29
 ワラシナさん、、。
 示唆に富むご意見と思います。  ヒトが沈黙することは、結局は、何回でも誤り、失敗を繰り返すと遠因になるようです。
 今、IT時代、一人一人が自由に発言==言いたい事を遠慮もせずに「言える」、、アリガタさを実感します。
  今、格差の拡大が心配です。 時に、貧しい子供や大人も世界中に増加しています。 
  貧しい方に「、食べ物、衣服などの提供、、??」、は本当の援助?では無いようです。
 「ヒトは勉強を通じて、人生を切り開いて行く」ようです。 その為、途上国に50学校もの寄贈した方もいます(日経12月28日夕刊)。 レノンの奥方のオノ・ヨーコ氏です。
 与えるどころか「貰う、、欲しい、、」、ばかりの御方と比較しましてもドヒャッ、と感じます一件、かと思います。 愚思でした。

2359パンナコッタ:2007/01/05(金) 15:20:42
”正月の一日は日のはじめ、月の始め、としのはじめ、春の始め。此れをもてなす人は
月の西より東をさしてみつがごとく、日の東より西へわたりてあきらかなるがごとく、
徳もまさり人にもあいせられ候なり”

以前、彰往考来さんが過去スレで幻日について紹介して下さりましたが、この正月にも
結構見られたようですね。
 http://www.gifu-np.co.jp/photonews/?p=07010501
 http://www.topics.or.jp/News/news2007010304.html
 http://www.shinmai.co.jp/news/20070101/KT061231FTI090003000022.htm

2360犀角独歩:2007/01/05(金) 17:18:36

『立正安国論』の「仁王経云…其国土中有七可畏難…日月失度時節返逆或赤日出黒日出二三四五日出或日蝕無光或日輪一重二三四五重輪現為一難也…」辺りを引いて、浅井さんが、はしゃぎそうでいやですね、せっかく、きれいな自然現象なのに。

2361しゅんかん:2007/01/10(水) 22:56:58
は宗教学、私宗門学はまずもって理解を致しておりません(難し過ぎます^^;)
が、家庭の事情及び指摘見解上。石山並びにS会に再接触を(主に石山。学会はメディアのみ)
致しております。(学会二世ですが活動だ一切経験無しで、約30数年一切接触無し)
此処、数ヶ月こちらにお世話になって確信に至った事は、石山は他の日蓮宗とやはり違うな、
と言うことです。何時頃?何処から?誰が?何を?は多く議論されていますね。
大変欺瞞に満ち溢れている事でしょう。(今般の情報社会の賜物によるものかもしれませんが)
ですが、上古より石山も他門と接触をもた無ければならなかったはずです。
どうしてすぐばれるような嘘を言い始めたのでしょう。
何故このようなつじつまの合わない、事を起こすに至ったのでしょうか?精師、寛師ともあろう御人が?
私は此処に引っかかります。
地球上における(資本主義国家が指すところの)危険因子。
国家(自治体、団体)における危険因子。
家族内における危険因子。これらはこの存在が在る事によりそれら国家及び個が維持出来ているの
だと言う学説がありますね、バランスがとれているのだと。{俺ら(善良団体、人)だって何時も何時も
良い子ちゃんでいたくはない、爆発もしたい。(これは無意識の領域のことです)}
彼ら危険因子がわれわれの鬱積している物(欲求不満)を開放していてくれているのだと。
彼らを生み出したのは彼らを批判しているところの者だと。
必要悪なのだ、彼らが居なければ成り立たないのだと言う論理です。

2362しゅんかん:2007/01/10(水) 23:06:23
訂正

誤、は宗教学、私宗門学
正、私は宗教学、宗門学

誤、指摘見解上
正、私的見解上

2363顕正居士:2007/01/11(木) 05:06:07
大石寺のカルト化は直接的には大石日応からです。明治の終わり頃ですね。
「すぐばれるような嘘」は、相手が要法寺や北山で、すぐばれる嘘仲間だからです。
つまり今と同んなじなんです。
国会図書館のデジタルアーカイブにその頃の基本資料があります。
独学徒さんのサイトから行けますよ。

2364再挑戦者:2007/01/11(木) 21:19:08
 横から失礼致します。
 ウッム、と感じましたが、奥行きの深い御提言と思います。
 要法寺、北山様の件につきましても示唆が深いようです、。
 小生の独断をお許し戴ければ、、、。
  日蓮さま在世の時に、京都界隈に御信者がどのくらいおられたのでしょうか、、?、、。
 と、申しますのは、真筆本尊の現存在の数ですが、京都周辺の日蓮宗寺院関連が多いようです。
  信者の数と供養者数に比例されての「下付」を日蓮さまは実行されたでしょう、。 ならば、富士山周辺〜千葉周辺などの信者への真筆下付が中心でしたでしょうか、?
 それらの下付された方方がお亡くなりなりました後は、?  
 それなりの関連の重い方向の寺院に返納された、でしょうか、?
 その後は、京都方面に数十回も意見具申したと??讃えられています方もいますようです、。
 現今、大阪の堺=妙国寺さまが真筆さまを非公開ながら「 売り、、」、に出されて、身延本部がアワテ・フタメイタ噂も御座いました、。 話半分に致しましても、、寺院の経営に苦慮・苦闘が押し寄せれば、キレイ事ばかりでは座して餓死しか無いようです、。
 宗教と言えど、これを支える誰かさんが存在せねば経営不振になるのは道理でしょう、。 メシの種に???、、かが存在は??しませんでしたでしょうか、? 愚問でした、。

2365再挑戦者:2007/01/15(月) 18:06:56
、、、、、懸念を捨てられないのは???  何か?? を思いたいですが、、。
 保田の真筆本尊さまが、北山様から、何らかの策略、、??で 回りまわって、、千葉のド田舎に到達とは、、????
 是に類推いたしますと、、旧信者からの返却真筆本尊は、、どのような経過を辿ったのでしょうか? ? 
 マサカのマサカ、、??  日目様の「天奉」と言う、数十回の京都詣でが、、俄然、、疑問視が、、??  有るかも、?

2366再挑戦者:2007/01/15(月) 19:39:10
、、、うそ仲間の中心は、、???  どこの、、??  どなた様、、でしょうか、、???

2367再挑戦者:2007/01/22(月) 19:17:34
 悲しい 、、 厳しい 、、 はかない 、、 当時 の醜い 欲望 、 と継続 ??  の シガラミ 、、
などが、、 存在 したので 、、 しょうか ,、、、??

2368しゅんかん:2007/01/27(土) 17:50:09
〇富士宗学要集、堀日亨編纂を手にしたく現在の発行元である聖教新聞社に問い合わせました所
絶版で現在の在庫のみの供給に成りますとの事で(聖教新聞社版4.5.7.8.9巻)を入手しました。
ここで?と思った事なのですが、この様に歯抜けで無くなるものか?1.2.3.6.10巻に
(勿論、単巻売りなのでありえるのですが)
記されている内容は如何ほどの物なのか?私が手にした全5巻は上記巻よりも見劣りするので在庫
があったのかと思っていたのです。こちらの掲示板で情報を頂き現在の未入手は3巻のみとなりました。
そこで1.2.3.6.10巻は本当に出荷されて在庫無しとなったのでしょうか?
1.2.6.10は古書で学会版です(10は実家にあり、他はネット古書店で入手)
まだこの書を実際に読んではおりません(他のメディアから得た情報です)が、
出版社の故意によるものとは考えられないでしょうか?私の感じた事を以下に記します。

●1巻、2巻本尊写は貫主のみの的な文面
●6巻、仙代問答の方便品読不読
以上なんですが1.2.3.6.10巻は出版社にとって不都合とは私の考えすぎで
しょうか?(3.10巻は未確認です)私の考えすぎですかね。
説得力不足も否めません、独り言です。すいませんでした。

2369れん:2007/01/27(土) 19:13:11
しゅんかんさん、取り敢えずは、別に現在の出版元には意図はないと思いますよ。
私も、かつて学会に所属していたとき、(平成10年ごろに)富士宗学要集を購入しましたが、当時すでに売れきれ(在庫切れ)があって、聖教新聞社版で購入出来たのは2・3・4・5・6・7・8・10巻で、あとは東陽堂書店あたりで出るのを気長に待って、欠巻を補いました。

2370独学徒:2007/01/28(日) 02:15:10

しゅんかんさん、はじめまして。
当方HPをご覧いただいていますこと、厚く御礼申し上げます。
ありがとう御座います。
どうぞ談議所の方にもお越し下さいませ。

富士宗学要集の絶版に関しては、私もれんさん同様で、特に深い意味は無いと思っています。

残すところ3巻のみとの事ですが、古い昭和30年代の富士宗学要集刊行会編のものでよければ、余分にありますので差し上げます。
箱なしで、鉛筆・赤鉛筆での書き込みなどもあり、状態は良くありませんが、読むには差し支えないと思います。
よろしければメールにてご連絡下さい。
http://fujikyougaku.fc2web.com/renraku.html

ともに冨士教学の再点検をできれば幸です。

2371しゅんかん:2007/01/28(日) 15:44:13
れんさん、独学徒さん、有難うございます。
浅学者の愚考でした。

2372しゅんかん:2007/01/28(日) 16:03:30
独学徒さん、お気遣い有難うございます。
まだ購入に要した期間が約二ヶ月ほどです、もう数ヶ月頑張ってみます。
それでも無理な時はご連絡いたします、その折にはよろしくお願い致します。

2373犀角独歩:2007/01/28(日) 16:10:57

れんさんの仰るとおり、意図はないでしょうが、しかし、富要の内容は、それはたしかに創価学会にとって、都合のいいものなど、何もありませんよね。大石寺とそこの本尊、坊さんがいちばん正しいという内容ですから。

松岡さん辺りは、日寛で完成する一切が日亨氏によって公開されたから、万人に開かれたと言った調子ですが、結局のところ、石山の相伝というのは以上のような性質のものです。他人の財産目録をいくら眺めても、金持ちになりません。石山の相伝を分で読んだからといっても、それは他宗の話です。創価学会とは何の関係もありません。単に勝手に石山・日寛本尊と教義を使っているだけです。

やるわけはありませんが、石山が牧口さんの『価値論』とか、戸田さんの『生命論』を勝手に出版して、正統はこちらにありと言うのと、何ら異なりません。やるのは勝手ですが、意味をなしません。石山本尊と教義と坊さんと何の関係もない創価学会が、そこの本尊と教義を使うことは結局他家の財宝を数えるのことならないでしょう。

日寛以降の本尊と教義は、「戒壇本尊」と、唯授一人の絶対性を強調することがすべてです。この戒壇の本尊とも、唯授一人とも何の関係もない創価学会にとって、これを説明する富要の記述はしかし、まったく不都合でしょう。
不都合というより、富要は「不要」でしょう。
よって、増刷、再版の必要なし、消えるに任せるという、『折伏教典』『創価学会入門』『人間革命』などと同様の扱いになるのでしょう。

日寛の記述が石山の絶対性を鼓舞している部分を捨て去って、都合のいいところだけ切り張りし、それを学問の世界でやるとすれば、まさに語るに落ちる愚挙というほかありません。
『創価学会の神話』と言ったところです。
いきおい「不要」からはみ出ました。

2374独学徒:2007/01/28(日) 21:55:05

しゅんかんさん、

>もう数ヶ月頑張ってみます。

わかりました。
先にご案内したとおりの状態ですので、きれいなものが入手できるならその方がいいと思います。
もしもの時は、どうぞご連絡下さいませ。

2375再挑戦者:2007/01/29(月) 19:43:03
 横から失礼ですが、、。
 諸賢様の御検察には御憧憬のいたりで御座います、。
 今、 残念、、、かつ 遺憾 に思いますのは、夏季の二点です。
 1: 日蓮真筆本尊の釈提桓因大王を帝釈などと間違うような方もも居ました。
 2: 戒壇を特に開秘を許すともったいぶっての、登山を企画・運営した中心者もいます、、。
 、、、このような方が、 はたして 999% 以上の確率 でもって マトモ  まとも MATOMO な方 と言える ので しょうか、、。 トホホ、、。

2376ラキ:2007/01/31(水) 02:42:50
妙観講の樋田昌志さんのHPにて「犀角独歩 氏の邪難を粉砕す」と言うページがありました。

http://toyoda.tv/saikaku.hasyaku.htm

「TOPページ」
http://toyoda.tv/

2377犀角独歩:2007/01/31(水) 08:34:14

らきさん

読みました。ぜんぜん、破折になっていないですね(笑)
まあ、何を言うのも勝手ですが、肝心の図形鑑別部分については、何も言えずじまいになっていますね。
「本門戒壇の大御本尊は本物だ」と拳を振り上げた手前、いつまでの模造品を本物だと言い続けなければならないのはかわいそうですね。
贋作を掴ませるというのはこういうことです。

近代、日禅授与を原本にして造った模造品を、「日蓮大聖人が」と言っても始まらないでしょう(笑)

なお、細井さんの言動については、ちょうど、昨日から書いていたところでした。ブログにアップしました。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/?blog_id=469468

浅井さんもそうですが、他人の前では威勢がいいんですが、何故かわたしには直接、何も言ってきません。
大石寺彫刻本尊については、日教研の発表の折、大石寺からも数人が来、その中で高橋粛道さんも聞いてくださり、何ら反論もなかった。その後、特に何も書いていないようなので、大石寺としては、これを認めたと、わたしは判断しています。

妙観講は、その大石寺の一在家団体に過ぎず、樋田さんというのは、そこの一部員…、この人、妙観講ですか? ともかく、信者の一人に過ぎません。わたしに文句があるのであれば、自分の指導教師の許可を取って、大石寺の代理人として、彫刻本尊と大石寺蔵の日禅授与漫荼羅の写真をもってくればいいだけのことです。
いずれにしても、一信者がどうこう段階はとっくに過ぎています。
大石寺が公式見解として、「本門戒壇の大御本尊」の原本の真偽考証、さらに彫刻造立課程、さらに!、大石寺持仏堂本尊の贋作であった点に関して、弁明をする段階です。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50865483.html

信者として、信じたい気持ちがあり、自分の信じているものを養護したい気持ちはわかりますが、気の毒というほかありません。
なお、ブログでも引用しましたが、細井さんは以下のようにいっています。引用の方は、この細井さんの教えに違反していますね。

「本書(板本尊偽作論)が既に公明なる求道心から出発したものではなく、全くの感情的な悪意によるものであるからである。かかる悪言は修羅界の徒の致すところであって、真摯(しんし)なる仏教者の口にすべからざるところであるからである。
 凡そ宗門間の論争は飽迄(あくまで)清浄なる道念に立脚して教義の邪正を決し、仏教界の進展に寄与せしむるものでなくてはならない」(P2)


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