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486
:
応援団
:2006/08/12(土) 18:30:34
↑ 一見四水って言葉しってるだろうに・・・。
さあ、そこで問題です。
空手馬鹿一代⇒大山さんは馬鹿だったのでしょうか?
論証できるや否や ぷっ (息抜きっつー事で・・・笑)
488
:
犀角独歩
:2006/08/14(月) 09:55:32
学会を含む石山系に誣いられた人々は、自分と異見の人を笑いものにして優位を誇るという習性が身に付くことをしばしば散見します。486の揶揄もそんな一つであると読みました。わたし自身、アイロニカルな書き様をすることもあり、人の様を見て、我が身を直す反面教師として読むことといたしました。しかし、あまり、このようなことを繰り返さないほうが、自身と所存信念体系の品位を疑われない賢明な判断であり、かつ、貴掲示板の趣旨にも添うところでしょう。
小説『人間革命』の「戸田城聖」と『折伏鬼』の「多田晧聖」と、どちらがリアリティがあるのか。創価学会内で前者でしょうし、一般では後者となるのでしょう。
オビに「戸田城聖をモデルに“学会”の栄光と悲惨を描く青春小説」とあり、裏表紙には「『いつか信心をすることになる』とむりやり連れていかれた新興宗教団体の集会で、壇上の会長は中学一年のわたしに予言し、哄笑した。十年の後、まさにわたしは巨大な組織の中にいた。が、数年の激しい活動の末、わたしを捉えたのは大きな疑惑であった。傷つき絶望して、わたしはそこを去った。直木賞作家の自伝的青春小説」とあります。この文言に、小説『人間革命』以上に、創価学会とその指導者に不信を懐いて去った経験者には、リアリティがあります。
491
:
アリャん
:2006/08/22(火) 00:16:29
>学会を含む石山系に誣いられた人々は、自分と異見の人を笑いものにして優位を誇るという習性が身に付くことをしばしば散見します。
ここの掲示板もそうだと思うのは、アチキだけでしょうか?
492
:
犀角独歩
:2006/08/22(火) 09:57:19
> 491
そう思うのであれば、具体的に、その事例を示し、その点を改善しようとしなければ、単なる、アラシ投稿としか映じないでしょう。
494
:
とんび
:2006/08/24(木) 01:58:15
みなさん、こんばんは。
私が、高校生時代に夢中で読んだ、「幻魔大戦」の作者平井和正の言葉です。
http://www.ebunko.ne.jp/naze.htm
どちらかというと、聖書よりですが、私は仏教よりに読み取り、特に「原因と因果」
の法則...などというものを、心に染みこませたものです。
平井和正氏は、かつて新興宗教に所属し、そして幻滅し傷つきこの書を顕しました。
仮に、成仏なるものが、ジャンプであるなら、仏教系の人にも「ホップ」(ステップまではいかないでしょう)
ぐらいの、インパクトはあるかもしれません。
このなかで、作者は、ハルマゲドンとか称していますが、私は、必ずしもその部分については平井氏と
意見は、異にするでしょう。
特に、カリスマの存在、一神教絶対主義などへの、警笛などには、賛同する部分が多くあり
ます。
日連系のページ紹介でなくも申し訳なく思いますし、また、別スレッドに投稿した方が
良かったかもしれません。
ご容赦願えれば幸いです。
495
:
とんび
:2006/08/25(金) 23:05:09
少し訂正させていただきます。
「原因と因果」の法則...ではなく、「原因と結果の法則」「因果の法則」の
打ち間違えです。書の中では、多く、人の心のありようが表現されています。
また、仮に、成仏なるものが、ジャンプであるなら..ではなく、
仮に、「成仏?なるもの自体」が(あるとしたら)、ジャンプであるなら...。
の意味合いです。
平井氏自身の、善悪の闘いの意味はわかりませんが、善人と悪人の闘い..と解釈するのでは
なく、己心の中の「善心」と「悪心」の闘い...と解釈した方が良いかと思います。
あえて11界論でいうなら、地獄界から天上界の六道は「悪心」寄りでしょうか。
声聞界から諸仏界までの五界が「善心」でしょうか。
開目抄に曰く、「又習学すべき物三つあり。所謂、儒・外・内これなり」
ということで、リンクのご紹介にご理解の程よろしくお願いします。
http://www.ebunko.ne.jp/naze.htm
平井和正氏の、発言には、共感すべきことがおおくありますので。
496
:
ハンドル未定考え中
:2006/09/03(日) 16:23:08
とんびさん
平井氏は「狼からの手紙」(徳間新書、のち「ウルフレター」として徳間文庫)で学会員と思われる女性との往復書簡を公開しています。
また、「幻魔大戦」では「某学会」であったか「○○学会」であったかの表記で、数ヶ所で論及していますね。
「幻魔大戦」はカルト教団やそれに傾斜していく心理を理解するには最適のものだと思います。
497
:
パンナコッタ
:2006/09/24(日) 18:38:16
宇治の平等院鳳凰堂の天蓋が修理の為下ろされ、公開になりましたね。
阿弥陀にアレルギーのある方は別として、一見の価値はあろうかと思います。
http://www.asahi.com/culture/update/0922/016.html
『京都府宇治市の世界遺産、平等院鳳凰(ほうおう)堂の本尊の頭上を飾る国宝「天蓋(てんがい)」が
22日、境内の鳳翔(ほうしょう)館内で初めて一般公開された。金箔(きんぱく)を押した荘厳な飾り板に
ジグソーパズルのような透かし彫りの唐草模様が鮮やかだ。普段は約6メートルの高さにあって間近で
見ることは難しいが、04〜07年の「平成の大修理」で下ろされた。一般公開は12月11日まで』
(更新してリンクが切れる事があります)
498
:
藤川一郎
:2006/09/25(月) 14:08:13
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4103014512/ref=sr_11_1/250-3726603-5636235?ie=UTF8
伝説と真実と言う意味ではこの書籍は面白い
「大山倍達正伝」
伝説の大山の真実を描いた書籍です。
大山と裏の関係、暴力団、右翼との関係、笹川良一や文鮮明さらに佐藤栄作との関係などかなり詳細にえぐっております。
499
:
パンナコッタ
:2006/10/04(水) 11:37:31
鎌倉期の山王曼羅図が大量に発見され、大津市歴史博物館で公開になるようですね。
http://www3.nhk.or.jp/news/2006/10/04/d20061004000039.html
http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/060911.html
500
:
パンナコッタ
:2006/10/04(水) 11:44:16
失礼。
>山王曼茶羅図 ですね。
501
:
犀角独歩
:2006/10/04(水) 14:09:29
パンナコッタさん、興味深いご紹介、有り難うございます。
過日、山王信仰に関する展示を見てきたのですが、真言、阿弥陀などの仏教と習合しており、神仏分離令以降の我々には、なかなかわかりづらいものだと思いました。大津のものは天台系、日吉との習合の様ですね。
この中の猿の顔はリアルですね。これまた、昨年、アンコールワットに係る展示を見たのですが、守護の猿神・ハヌマット(Hanuman)が印象に残っています。この関係などは、どうなんでしょうか。ヒンドゥー ― 密教 ― 法華・日本天台の守護神という輸入関係があってもおかしくないように思えますが、ここら辺のところは、よくわかりません。
502
:
パンナコッタ
:2006/10/05(木) 12:17:24
とりあえず山王信仰の参考として、
http://www.din.or.jp/~a-kotaro/gods/kamigami/ooyamakui.html
http://www.niigata-u.com/files/ngt2003/hie1.html
http://www.city.yamato.kanagawa.jp/soumu/shishi/2_sisi_kenkyu/f_sike_02.htm
直接蓮祖との関連はなさそうですが、その前後の時代の天台の流れという意味では、
法華懴法なども含めて蓮祖漫茶羅や思想への影響は少なからずあったように思えます。
503
:
パンナコッタ
:2006/10/09(月) 19:19:04
またまた蓮祖とは直接関係は在りませんが、興福寺で国宝特別公開が始まったようですね。
http://www.asahi.com/culture/update/1009/009.html
『奈良・興福寺(同市登大路町)で8日、運慶の仏像を安置するお堂などを開く「国宝特別公開2006」
(同寺、朝日新聞社、朝日放送主催)が始まった。国宝館では5年ぶりに板彫十二神将立像(平安時代)が
一挙に公開されるなど、奈良〜江戸時代の多様な国宝・重文仏像を見て回ることができ、初日から大勢の
参拝者でにぎわった。11月13日まで。 公開は北円堂、仮金堂、三重塔、国宝館の4カ所。北円堂(国宝)には、
運慶作の本尊の弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)と無著(むじゃく)・世親(せしん)両菩薩(ぼさつ)像、
四天王像の国宝計7体がある。通常公開しない仮金堂は、薬王・薬上両菩薩立像(重文)などが安置されている。
午前9時〜午後5時で期間中は無休。料金は4カ所共通で、大人1300円、中学・高校生900円、小学生500円』
(更新してリンクが切れる事があります)
504
:
独学徒
:2006/10/09(月) 23:42:47
池上のお会式ですが、一部インターネットでライブ中継がされるそうです。
http://www.honmonji.or.jp/05topic/05event/oeshiki/2006/oeshiki2006.html
505
:
犀角独歩
:2006/10/16(月) 07:56:08
お誘いを受けて、国立博物館で開催されている仏像展を観てきました。
意外だったことが二つ。一つは、背光が外されて展示されていたこと。もう一つは、かなり痛んだままであること。蓮台の花びらがとれてしまったり、欠損した部分が何ら修繕されていない像が多かったことには驚きました。
眼の部分に、明らかに瞳を墨で書き込んだ形跡が、多くの仏像で確認でき、開眼の原景色を見た思いがしました。
鉈彫像については、「本当は制作途中では?」と思うものもありました。
それにしても、円空の迫力には、ただ驚き、アルカイックスマイルというより、まさに円空仏の微笑みといったほうが相応しい表情にはため息が出ました。
この笑いという点で言えば、木喰の仏像は独走していました。笑う尊像が心を癒すという発見は新鮮でした。若いときであれば、「こんなものは仏像ではない」と切り捨ててしまったかもしれませんが、いまはこの悠久の笑いに惹かれます。日本の18世紀から19世紀初頭にウインクをする造形が刻まれたことには、これまた驚きを禁じ得ませんでした。
この展示をお薦めします。
仏像 一木にこめられた祈り
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=3460
あと、科学博物館では「大英博物館 ミイラと古代エジプト展」が開催されています。3Dシアターで、非破壊調査と見事な立体映像は必見です。
http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/ueno/special/2006/mummy/index.html
506
:
犀角独歩
:2006/10/16(月) 08:09:36
一つ書き忘れました。科博では現在、南方熊楠の展示が無料で見られます。
こちらもお薦めです。
日本科学者技術者展シリーズ4
南方熊楠 ― 森羅万象の探求者 ―
http://www.kahaku.go.jp/event/2006/10minakata/index.html
507
:
曾鶉
:2006/10/26(木) 15:42:39
昭和30年に日蓮宗宗務院から刊行された『創価学会批判』が『創価学会批判 復刻版』として、再び日蓮宗宗務院から刊行されました。
「復刻版について」という文の中では「原本のまま」とありましたが、「言葉に偽りあり」。
「誤字脱字誤植などを修正し、旧仮名づかいを新仮名づかいに改め、サイズをひとまわり大きいA5版にしたほかは、原本のままであるので、「復刻」扱いとした。」
「A5版」というのは「A5判」の誤りですね。
同書の「復刻版修正箇所一覧」を見ても、
「誤字脱字誤植などを修正し、旧仮名づかいを新仮名づかいに改め、サイズをひとまわり大きいA5版にしたほかは、原本のまま」
ではないことは明らかです。
○ 執筆者たちの用字法まで、勝手に改変。
○ 漢字を勝手に平仮名に改変。
さらに「復刻版凡例」では、
○ 「「日興聖人」は「日興上人」に統一した。」
とあり、原著者の考えを無視した改変もあります。
また、原著と比較すると、句読点がかなり付加されてもいます。
執筆者は皆さん既に亡くなられており、ご遺族が著作権を継承されているわけですが、ご遺族には事前に相談していないし、ご遺族もその事実を知らされていないとのことです。
おくづけを見ると、
「編 集 日蓮宗現代宗教研究所
発行者 日蓮宗宗務総長 小松浄愼
発行所 日蓮宗宗務院」
とあります。
明らかに著作権に法違反した、今回の『創価学会批判 復刻版』刊行は、日蓮宗現代宗教研究所所長と日蓮宗宗務総長の責任問題に値するでしょう。
これで処分なしなどとなったら、日蓮宗は非常識だ、ということになってしまいます。
膨大な改変箇所がありますから、参照文献とか引用文献には使えるものではありません。
もっとも、字句が改変されてはいますが、原著は内容的には良いものでしたので、今回の自称「復刻版」も、読書する価値は大いにあるとは思います。
ほんとうに、もったいないことです。
508
:
彰往考来
:2006/11/04(土) 09:24:23
犀角独歩さん
亀レスですが、
>505 鉈彫像については、「本当は制作途中では?」と思うものもありました
に関しまして、鉈彫についての解説がありましたので、
富士教学研究会の掲示板
http://bbs6.fc2.com/php/e.php/fujikyougaku/
に紹介しました。参考にしてください。なお、富士教学研究会のHPアドレスは、
http://fujikyougaku.fc2web.com/index.html
です。
彰往考来
509
:
犀角独歩
:2006/11/04(土) 10:14:25
508 彰往考来さん
有り難うございます。
学者の説はわからないでもないのですが、わたしは、天台寺蔵の聖観音立像(鉈彫)が鉈彫であるということには、いまだに懐疑的です。
現物は見ました。写真をみれば、すぐにわかるのですが、右腕は比較的きれいに削られ、鉈彫になっていません。準じて、足の甲、顔もそうです。全体の統一感がありません。これが、いかにも未完成であるという印象を与えるわけです。
ただし、このような未完成なものを完成品と目すところから、彫刻スタイルができることはあり得るわけで、それが鉈彫という技法になったと考えることはできるかもしれません。
ついでながら、申し上げれば、鉈彫の次のスレッドにある板彫法華経曼荼羅が日蓮漫荼羅の原形ではないかという議論は、顕正居士さんであったか、一字三礼さんであったかとしたことがありました。これも現物は見ましたが、思いの外、小さなものですよね。
もう一点。大縫薫さんが投稿されている妙蓮寺の板本尊、15年以上前にこれまた、現物を見ているのですが、よく覚えていません。
たしかに弘安3年3月から4月頃の特徴が混在しているようですが、この經の字の旁の特徴は安第79、80のようでしょうか。それとも、安第82のようなのでしょうか。
議論に参加したかったのですが、独学徒さんの掲示板の投稿の仕方がわかりませんでした。レスいただければ有り難く存じます。
510
:
独学徒
:2006/11/04(土) 12:22:07
犀角独歩さん、横レスにて失礼致します。
当方掲示板の投稿方法ですが、新規投稿の場合、画面最上部の投稿フォームよりご投稿いただけます。
既存の投稿記事に対する返信は、トピック(最初の投稿記事・親記事)の右下に「返信」ボタンがあります。そこを押していただきますと返信投稿フォームが、画面上に出てくるシステムになっております。
なお、一つのトピックに対する返信投稿は、20件が上限となっておりまして、長期の議論や多人数での意見交換には少々不向きな掲示板であります。
現に大縫さんご投稿のトピック「下条妙蓮寺板御本尊」は、返信限度の20件に達しており、既に返信のでききない状態となっています。
以上の点、御理解下さいませ。
主として画像投稿機能を活用し、「富士門流信徒の掲示板」での議論をサポートできるような御利用をいただけますと幸です。
511
:
犀角独歩
:2006/11/04(土) 14:29:01
独学徒さん、有り難うございます。
追って参加させていただく所存です。
512
:
パンナコッタ
:2006/11/12(日) 22:19:20
バーミヤンで破壊された大仏の中から、玄奘訳「縁起経」の原点にあたる物が発見れたようですね。
http://www.chunichi.co.jp/00/kok/20061112/mng_____kok_____002.shtml
『【カブール=共同】アフガニスタン中部の世界遺産、バーミヤン遺跡で旧タリバン政権が破壊した東西2体の大仏立像のうち、
東大仏の残骸(ざんがい)の中から6−7世紀の文字で書かれた「胎内経」とみられる経典の一部の経文が見つかった。
専門家の解読から、7世紀にバーミヤンを訪れた中国の僧、玄奘三蔵が漢訳、日本にも伝わった「縁起経」の梵語
(ぼんご=サンスクリット)原典に相当するものと判明。建立時に大仏内部に納められた可能性が高く、謎に包まれた大仏建立の
経緯解明にもつながる第一級の発見だ。
経文は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の協力機関、国際記念物遺跡会議(ICOMOS)のドイツ調査隊が発見。
関係者を通じて仏教大の松田和信教授が解読した。仏像に納められた経文は日本などでも例があるが、アフガンで見つかったのは初めてという。
経文の解析が進めば、バーミヤン研究の飛躍的な発展につながりそうだ。
松田教授によると、経文は北インドからパキスタン、アフガンにまたがる地域で6−7世紀に使われた「ギルギット・バーミヤン第一型文字」
で書かれていた。縁起経は、万物は永遠不滅ではないことを説く代表的な経典。仏教思想の根幹を表し、これを「縁起」という言葉で表現する。
経文の内容は、ブッダが修行僧に対し「あなた方に縁起(の要点と詳細)を説明しよう。(それを聞いてしっかり)正しく(考えなさい)」
などと説く冒頭部分だった。
調査隊のエドムント・メルツル氏によると、経文は短冊状の樺の樹皮に書かれ、仏舎利(ブッダの遺骨)に見立てたと考えられる泥玉とともに、
布に包まれた状態で見つかった。花の模様をあしらった円形の金属板も一緒に見つかったため、筒状の容器に入っていたとみられる。
直径約1センチの指輪型の土でできた印章も見つかり、蛇と、耳のある鳥のような動物の彫刻が施されていた。特定の集団が使用していた図柄とも推測され、
大仏を建立した寄進者を特定する手掛かりとなる可能性もある。
経文は、東大仏の破壊で崩れ落ちた土砂の回収作業をしていた今年7月に見つかった。地面に積もった大仏の残骸の中に埋もれていたため、
調査隊や専門家は大仏立像の内部に納められていたとみている。
バーミヤン州当局によると、経文は現在、同州にあるアフガン政府の施設に保管されている。
【経文の内容の一部】 発見された断片を基に、松田和信・仏教大教授が解読した経文の内容の一部は次の通り。(かっこ内は同教授による用語説明と欠落部分の補足)
(このようにわたしは聞いた。)ある時、世尊(ブッダの尊称)は園(祇園精舎のこと)に(滞在していた)。その時、世尊は(修行僧たちに告げた。「修行僧たちよ、)
あなた方に縁起(の要点と詳細)を説明しよう。(それを聞いてしっかり)正しく(考えなさい」)。世尊は… (共同)
<胎内経> 仏像の内部(胎内)に納められた経文。日本では仏像に魂を入れる意味合いがあり、小仏像(胎内仏)のほか、建立の経緯、
建立に込めた願いを記した文書(胎内文書)などを納めることがある。東大寺(奈良市)の南大門にある国宝・金剛力士像の「阿形(あぎょう)像」「吽形(うんぎょう)像」の
胎内からも経典などが見つかっている』 (共同)より引用
(更新されてリンクが消えることがあります)
513
:
みかん
:2006/11/19(日) 03:37:29
>>507
名前:曾鶉さん
それでは「復刻」ではなくて、「復刊」ですね。
著作権問題については事情を存じませんが、
現在の出版業界は、復刊を復刻といい間違える
傾向があって困ったものです。
復刻は、元になる本を写真製版するなどして、
一切手を加えることなく、造本、装丁なども
できるだけ同様につくることです。
たとえば講談社の「のらくろ」は戦前の復刻版でした。
岩波文庫などでの、写真製版での復刊も復刻ですね。
体裁が変わる、あらたに一から版を起こしなおす。
校閲を加えるなどは復刊であって、決して復刻とは呼べませんね。
まあ、宗務院は出版社ではないので、そこらへんの
無知は仕方がありませんが。
514
:
独学徒
:2006/11/25(土) 22:17:32
身延山久遠寺のHPに、「円師会」の模様が画像で出ていました。
後半部分では、波木井実長日円の御影も出てきます。
http://www.kuonji.jp/30_virtu/31_gyoji/31_07301.htm
515
:
犀角独歩
:2006/11/26(日) 11:00:33
秋季合宿で、彰往考来さんが紹介されていた以下の本は、面白そうですね。
『「お札」にみる日本仏教』ベルナール・フランク (著) 仏蘭久淳子
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4894345323/ref=pd_ecc_rvi_1/503-3513474-2829531
516
:
れん
:2006/11/26(日) 11:25:11
大明寺貫主楠山上人様、貫名上人様、犀角独歩様、御参集の諸賢の皆様。この度は、私如き弱輩をも、秋季合宿に参加させて戴き、誠に有難うございました。
蓮師の御真蹟の拝観、また貴重な霊宝を拝観し感激いたしました。貫名上人・楠山上人の初日の御講演は、大変すばらしく拝聴いたしました。彰往考来さん、一字三礼さん、藤川一郎さんの二日目の研究発表、何れも、日頃からの御研鑚の深さが伺われ、大変勉強になりました。また、初めて日蓮宗寺院の朝勤にも参加させて頂き、貴重な経験をさせて戴きました。本当に有難うございました。
短文ではございますが、これをもってお礼に替えさせて戴きます。
517
:
れん
:2006/11/26(日) 11:31:05
>516
オフ会のスレッドに投稿したつもりが、こちらに誤って投稿してしまいました。まだ寝不足の影響が多少残っているようです。失礼の段平に御海容下さい。
518
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 11:42:35
今回、『御伝土代』を読み直して、改めて吃驚したのですが、「脇士なき一体の仏を本尊と崇るは謗法」だというのです。
『素朴な疑問』
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2933
にも書きましたが、このような考えに、富士門下は、一種の麻痺が生じているのではないでしょうか。
一体仏を終生拝んでいたのは日蓮その人です。その有様を土代作者は謗法だというわけです。日蓮を祖師に仰ぎながら、よくもまあ、こんなことが言えるものだと呆れざるを得ませんが、このような記述自体、『御伝土代』が日蓮を去ること遠い人によって綴られたことを意味するのかもしれません。
要するに、この作者は、日蓮が随身仏を拝んでいたという事実を実感しておらず、一尊四士正義という学風にひたすら染まった人であったことを意味するのかもしれません。「三師御伝」とするわけですから、日蓮を蔑視する目的があったとは思えないわけです。となれば、日蓮の一代に関する誤謬がそこにあったと考えられます。
「弘長元年かのとのとり五月十二日聖人伊豆の国伊東配流。
同三年みづのとのい二月二十二日御赦免。」
という記述は見られますが、ここに一体仏に係る記載はありません。
つまり、土代作者は、日蓮が一体仏崇敬者であったことに疎い、一尊四士義を正当とする、かつ、仏像廃棄漫荼羅正意への変遷過渡期にある、一塔二尊四士を知らない人によって編まれたものであることが想像できます。
その後、石山は仏像廃棄へと傾いてしまうのでしょうが、しかし、日精が「日興御さくの釈迦一そん一ふく」と書き記すような宝物が格護されていたことが知られます。
この“釈迦”が日興作であるか・否かというより、このころの石山は、このような記述が許される風土があったことを意味するのでしょう。はたして、この仏像画、一尊四士であったかどうか、興味が惹かれるところがあります。
また、このような点をやや枠を広げて考えれば、南条日住の日有の言として
「一、日興上人の時、八幡の社壇を重須に建立あり内には本尊を懸けらる」
とあることは夙に有名なところです。日有の時代、既に八幡社は廃れていたようですが、しかし、日興は、このようにしていたというわけです。
ここで、少し考えてみます。建物を造り、その中に本尊を懸ける。この本尊が漫荼羅であったとしたら、この建物が八幡社といえるでしょうか。これは富士門下一般の本堂と同じになります。では、八幡社たり得るためには、どうなるのか。日有が言うところの「本尊」が八幡神(大菩薩)であるか、あるいは、漫荼羅と共に、八幡像を置いていたことを意味するのではないでしょうか。この点は、天王堂、垂迹堂でも一緒です。こちらでも、相応の尊像がなければ、それらの堂名と一致しないからです。つまり、日興を去ること漸々くとして、仏像撤廃は為されていったのであって、その落着は、日精以降のことであり、しかし、その後も、たとえば、『明細誌』などからわかるとおり、依然として、漫荼羅以外の、尊像も板に刻まれて堂宇に祀られていたのでしょう。
「天王堂本堂前東方西向向拝唐破風檜皮葺、四間四面、日天月天を勧請す神躰は板本尊。
垂迹堂本堂前東方西向宮造一間四方、天照八幡を勧請す神躰は板本尊。」
「板本尊」とあるから、板漫荼羅であるというのは、漫荼羅正意からの観測でしょう。ここに「神体」とある以上、御神体=日天月天・日天月天を本尊とした板であるという意味にほかなりません。
当掲示板参集の人々、殊に日蓮正宗創価学会を経験した人は、近代以降の極端な漫荼羅偏向で教育された人々ですから、仏像に対して、極端な忌避を示します。しかし、実際のところ、日蓮、日興が仏像を賞翫し、その後、石山に置いても、近代に至るまで、そのような形跡があったことを認めたうえで、歴史上の文献を読み直すと、まったく、違う風景が見えてきます。
漫荼羅偏向の色眼鏡を外すこと。わたしは、これをお薦めしておくことにします。
519
:
天蓋真鏡
:2006/11/29(水) 13:41:29
犀角独歩さん、こんにちは。 ■シャクソン像・漫荼羅図・法華経経典は鎌倉時代の三種神器なのでしょうか。 ■何方か、遺文御書の真筆偽筆真偽未決の一覧表があるサイトHPをご存じ無いですか。
520
:
山下毅
:2006/11/29(水) 13:53:05
前略、初めまして、京都の大石寺研究家です。アマゾンに『日蓮正宗の神話』(松岡幹夫著、論創社刊)の書評を載せましたので、ご一読下さい。
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日蓮正宗の血脈神話の全貌を解明, 2006/11/29
レビュアー: 山下毅 (京都市) - レビューをすべて見る
一読して久しぶりに興奮を覚えた。何百、何千回と繰り返されてきた創価学会と日蓮正宗の間の血脈論争――それに学問的な立場から決着をつけた大著の出現である。
日蓮正宗の「血脈」は、いかにして形成され、そして解体されていったのか。本書の白眉は、その歴史的な過程を事細かに説明したことであろう。著者によると、日蓮正宗史における血脈神話は次のようにして生まれ、やがて解体されたのだという。
1日蓮大聖人から日興上人へ三大秘法の教義を伝授(13世紀後半)
2宗門上代の学僧が、中古天台の血脈思想と接触( 14世紀〜)
3日有上人が本因妙思想・信心無二の立場から歴代法主の血脈を強調し始める(15世紀前半)
4左京阿闍梨・日教が大石寺門流に「唯授一人血脈相承」の思想を持ち込む(15世紀後半)
5要法寺門流との交流等を通じて「唯授一人血脈相承」の思想が宗門内に定着(16世紀後半〜17世紀前半)
6日寛上人によって「唯授一人血脈相承」の教義が理論的に開示される(18世紀初頭)
7日亨上人が、日寛上人の『六巻抄』『文段集』や相伝書類を出版公開する(20世紀前半)
8創価学会の民衆教学運動によって日寛教学が広く普及。大石寺の相承法門の核心部分は、全て公開される(20世紀後半〜現在)
こうしてみると、現在の創価学会は、途中の「唯授一人血脈相承」思想による教義の神秘化から自由になり、日蓮大聖人・日興上人の時代の三大秘法の信心に立ち返ったのだ、という点が明らかになってくる。著者は、左京日教に端を発する唯授一人の血脈神話が、本来の大石寺教学からみて「一種の外来思想」にすぎないと指弾している。
他にも、本書は、日蓮正宗関係の未公開史料を多数収録している点が注目される。主だったものを挙げれば、
1大石寺・寂日坊の住職が江戸時代に書写し、大石寺近くの神社に安置した曼荼羅本尊の実物写真。
237世・日が脇書きに「氏神本尊也」「山の神の本尊」と認めた神仏混交の曼荼羅本尊の実物写真(2体分)。
3近代の大石寺法主が認めた本尊脇書きにかんする資料。「日露戦争に勝つために」(56世・日応)「宗債整理のために」(57世・日正)。
4墓石に彫り込まれ、道端に放置された26世・日寛の「石本尊」(江戸時代に造立)の実物写真。
5骨壷に四つ折にして入れられ、破損した未来本尊の実物写真。
6常住本尊を数十体も所持している大石寺の根檀家の御本尊箱の中身(写真)。
7昭和30年代に正宗の末寺住職が書写した棟札本尊の実物写真。
8堀日亨師の未発表発言(戒壇・出世の本懐・本尊書写について)の紹介。
917世・日精の未公開文書「舜師矛盾の書付」の全文を収録(この書付の中では、日精が日舜に血脈相承することを拒んで「他家の血脈」を渡したことが、日精本人の筆でつづられている)
注目すべき点は、他にも多々あるが、残りは実際に手に取ってじっくりと読まれた方がよい。本書は、客観的で論証的な研究なので、少し難解な部分もあろう。しかし、その分だけ、深く、スキのない議論が展開されている。日蓮正宗という教団の本質を知るためには、本書のような20年がかりの労作を丹念に読んでみることも必要なのではあるまいか。
関係者以外の一般読者にとっても、創価学会や顕正会を生み出した日蓮正宗という宗派の特異な信仰について理解を深めるには、格好の一書であると思う。
521
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 15:23:51
天蓋真鏡さん
一覧表の載るサイトは、わたしは存じ上げません。
ただ、現宗研の資料は真蹟と写本を分けています。
あとは、全集の目録を見たほうが早いように思いますが。
日蓮宗 現代宗教研究所 文献資料
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/bunken.htm
522
:
犀角独歩
:2006/11/29(水) 15:38:04
山下さん、初めまして。
ご投稿、拝見する限り、従来の松岡さんの主張と、あまり進歩がないようですね。まあ、未公開資料は、興味はあります。
1〜8の分類、何ともはや、まだ、こんなことを言っているのか、という感じがしました。とても学術的とは思えません。日興が三大秘法を受け継ぐなら、他の五老もまた受け継いだでしょう。実際、日像は帝都弘教を果たし菩薩号を得、日蓮もここに大菩薩号を下賜されているわけですから。
要するに日寛によって大成された相承法門は日亨師の発刊ですべて明らかになって、それを受け継ぐのは創価学会であるという為にする文章だと言うことでしょ。日寛教学は、読むには面白いですが、事実だと思う他門下はいないわけで、こんなものが明らかになったからといって、一体、どうだというんだ?としか思われないでしょうね。
まあ、細かい点で、とやかく言うのはやめにしておきます。
読んでからといたしましょう。ただ、一つ言えること。日蓮正宗の神話とは、その集団が生み出した創価学会そのものも有する神話だと言うことでしょう。いまだに日寛教学を最高だと言い、その印刷漫荼羅を拝む創価学会は、その神話の住人だと言うことではないでしょうか。まるで自由になどなっていませんよね。
523
:
れん
:2006/11/29(水) 19:23:09
山下さん、初めまして。ご紹介の書籍、“未公開の資料”というのに興味を引かれて一冊注文致しました。松岡氏は蓮師から興師への三大秘法伝授を主張してますが、石山系では、あきらかに目師直授説が先行してますね(雑雑聞書)。日有の言によれば“門徒の首長”のみが伝えるべき三箇秘法(三口一徹相伝?)や本門の本尊の大事(金口相承?)は日有の先師が書いたとあり、聞書拾遺の記述から日時の作であると思われます。もっとも、目師学法・直授については郷師門流の方の主張(郷師「法系図」薩摩日叡師「類聚記」)が先行しており、日時の石山貫首直伝の相伝書作成の下敷きは、日郷師門下の伝承と主張のパクリと言えなくもなさそうですね。問答さんと独歩さんとの対話の中で触れられている“三師伝”も石山日精の段階までは日時著述の伝承であり、現代の研究者の筆跡鑑別から、やはり日時筆の可能性が高いことが提示されていますから、三師伝の著者も日時である可能性は高いでしょうね。こうして俯瞰してみますと、道師門による石山全域の管領・支配を確立したのが日時であり、こんにちに至る、石山相伝・史伝の原型を纏めたのは日時その人であるというのが理解できるのですから、今後の石山系の専門的研究者には、初期石山の基礎を築いた石山日時の研究をしっかりやってもらいたいものですね。
524
:
天蓋真鏡
:2006/11/29(水) 21:55:03
犀角独歩さん、ありがとうございます。
525
:
れん
:2006/12/06(水) 00:14:07
松岡氏の本、読みました。この本はやはり、氏の所属する団体の立場の正当化が前提となっているため、蓮師御遺文の引用も、それに準じて真蹟遺文と存偽の写本遺文とを区別せず全部蓮師の真撰として引用するなど、詰めの甘さも感じました。まあ、これも氏の所属する団体の内部向けの書籍と理解いたしました。日有の聞書拾遺やそれに関連する雑雑聞書の記述から、私は石山における非公開の相伝書の作者は石山六世日時と考えております。そのネタ元は、郷師や尊師ばかりではなく道師や民部盛師(日時は盛師とも師弟関係があったことが、盛師の書写の文献の日時相伝之等の書き入れから推定できる)にも伝えられたであろう興師や目師等が蓮師在世の身延において習学した法門や、日行や日時が仙波にて摂取したであろう関東の中古天台学にあることは想像に難くないですね。日時が郷師門を退けて石山の全権を掌握し、道門による石山門徒支配を確立し、その最終作業として日時が作成した相伝書そのものは日時の後継者のみの秘密相伝として扱われたため、石山では目師の学法は秘密相伝に組み込まれた結果、門流僧俗一般には忘れ去られ、時代が下るほど他山の相伝書である二箇相承等を用いた日興正嫡論が台頭していったと観察しております。なお日有の時点ですでに石山義として宗祖冥益・当住顕益の思想が見られますから、左京日教が当住本仏論を初めていったのではなく、日教は日有のそれを更に敷延したに過ぎないと考えています。まあ、読後感としてはこんなところでした。
526
:
佐藤
:2006/12/06(水) 10:38:07
いつも時々、この掲示板をのぞく者です。れん氏にお伺いします。雑雑聞書が日有談であることをどうやって立証されますか。私は、写本がかなり下ることや、内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できないと思いますが。さらに、耳引法門が入った条目には「日有云く」とありません。「大石寺は」から始まるあたり、かえって他寺の者の説であることを匂わせ、日要か他の論者の可能性もあると思いますが、いかがですか。
527
:
佐藤
:2006/12/06(水) 10:46:59
>日有の時点ですでに石山義として宗祖冥益・当住顕益の思想が見られますから
追加ですが、この文についても具体的に明示していただけませんか。私の記憶では思い当たらないものですから。
528
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 11:23:11
横レス、失礼いたします。
れんさんが仰っているのは
「弁阿闍梨の筆録したる『日有御談』には
「上行菩薩の後身日蓮大師は九界の頂上たる本果の仏界と顕れ、無辺行菩薩の再誕日興は本困妙の九界と顕れ畢りぬ」
といって、暗に宗祖脱仏、派祖本仏の思想を洩らしている。なお日要述日我記の「顕仏未来記聞書」によれば、日要上人当時、大石寺には「大聖冥益・当住顕益」の思想があったものゝようである」(執行海秀師著『初期の興門教学に於ける本尊意識の展開』)
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_003.html
という点でしょうか。
529
:
れん
:2006/12/06(水) 11:43:19
佐藤さん、初めまして。
雑雑聞書はほぼ、日要師の仰せを中心としたもので、大石云々の項は要師の発言の可能性もありますが、要師は有師と交流があったことが要師の著述からわかりますから、教師文書云々よりも有師からの直接の伝聞の可能性があるでしょう。大石…四帖聖教も、他の日有聞書である「聞書拾遺」により石山日時の著述であることが比定できるのですから、耳引きを左京日教を初出と断定するのはやや早計に属しましょう。
犀角独歩さん、派祖本仏・当住本仏についての記述はご指摘の通りです。
何れにしても、この手の書籍はすべてを鵜呑みにせず、自分で調べて、確かめていくことが必要ですね。
530
:
佐藤
:2006/12/06(水) 11:44:06
独歩さま、初めまして。横レスありがとうございました(笑)。なるほど、そうでしたか。しかし、失礼な言い方ですが、これでは推測の域を出ない感じがします。執行氏の解釈も相当に強引ですね。「暗に」という言葉は、執行氏自身、かなりの論の飛躍を感じていたからだと思います。無辺行菩薩の後身としての日興を「派祖本仏」とするのは、むしろ興門教学に疎い者の発想ではないですか。私は、寛師のごとく、宗祖を本因妙家の果分に主づける考えの方が納得でき、そこからは開山―石山貫主を本仏とする論理は出てきません。いずれにしても、執行氏の論は、まさに学者として「詰めが甘い」ものであり、せめて「これは筆者の憶測にすぎない」と明記してこそ、研究者の良心に恥じないと言えましょう。
531
:
佐藤
:2006/12/06(水) 11:53:27
れんさま、さっそくのお応え、感謝いたします。ご回答の主旨、私としても理解できました。ただ一点、「四帖聖教も、他の日有聞書である「聞書拾遺」により石山日時の著述であることが比定できる」とのお話は、私の勉強不足のため、即座に想起できませんでした。宜しければ、歴代法主全書のページで教えていただけないでしょうか。重ね重ねすみません。
532
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 11:57:41
佐藤さん、初めまして。
何故(笑)なのか、理解できませんが、別に失礼なことはありません。
執行師の例で言えば、たとえば『五人所破抄見聞』について、祖滅99年説を、いちおう、採用しながら、一方で、再考を促すということもありました。学説は、新たな発見で次々と書き換えられていくものですから、斯くあって然るべきです。仰るような、常に挙証をもってする臨み方には賛同します。
以上の点から、ついでながらお伺いしますが、
> 雑雑聞書が日有談…内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できない
とは、どのような根拠によるのでしょうか。
533
:
佐藤
:2006/12/06(水) 12:13:35
独歩さま、
>ついでながらお伺いしますが、
> 雑雑聞書が日有談…内容面から見ても、日教文書の影響下に後世の徒が作成した可能性も否定できない
>とは、どのような根拠によるのでしょうか。
恥ずかしながら、これこそ私の「憶測」でした。一応、申し上げると、例えば「本門の本尊」を教主の「依用」とする点、これは本尊を法主の内証の用とする日教師の論を想起させます。また本尊書写を貫主一人とするのも、日有師の化儀抄の論と矛盾しており、むしろ左京師の主張に通ずるところがあると考える次第です。
534
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 13:00:01
佐藤さん
当掲示板は、過去の取り決めで「さん」付けが慣例となっています。
わたしもそういたしますので、お気軽にお願いいたします。
仰るとおりで、指摘申し上げた箇所は、佐藤さんの「憶測」でしょう。しかし、わたしはこの憶測に頷けるところもあります。これはつまり、他の文献などを渉猟すれば、挙証に至れぬも、そのような思い当たるという意味です。この点は、執行師も同様でしょうから、別段、「憶測」と明示しなくても、文章を断定せず、「…ものゝようである」とか「ではないか」「だろう」といった表現は、既に憶測、推測、検討中を意味した文章といえるでしょう。ですから、「研究者の良心に恥じ」る恥じないなどといった批判に当たるとは思えません。
むしろ、日寛の如き、「宗祖を本因妙家の果分に主づける」ことや、六秘、種脱論、彫刻本尊の喧伝は、論理の飛躍と独断の臭みがあります。批判されて然るべきです。なお、
> 無辺行菩薩の後身としての日興を「派祖本仏」とするのは、むしろ興門教学に疎い者の発想
という点ですが、『百六箇抄』に以下のような記述と、それを「疑義ある所」として、二重線で消した日亨氏の編集が遺ります。
画像は『富士宗学要集 相伝・信条部』(昭和十一年十二月廿四日発行/編輯兼発行者 堀日亨/発行所 雪山書房)です。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/hyakurokka_nikko_muhengyo.html
「編者曰く日辰上人、日我上人等古冩本…依て之を冩し…疑義ある所に二重線」(P41)と記しています。
となれば、日興を無辺行菩薩と写したのは、日辰、日我などとなりますか。驚いたことに、石山の歴代名、また、蔵書を上げていません。しかし、両血脉抄は日寛も引用します。さて、日寛が見ていた本ではどうなっていたのか。それはともかくとして、日興=無辺行の記述はあり、これを消したのは、日亨氏である経緯を、この本は物語っています。となれば、日興=無辺行とい相伝は消したのは日亨氏であるわけですね。つまり、それ以前の「発想」は「興門教学に疎い者」どころか、相伝に預かるものの発想であることが知られます。
また、日興に代表される派祖本仏という「発想」は、『御本尊七箇相承』の「日蓮在御判と嫡々代々と書くべしとの給ふ事如何、師の曰く深秘なり代々の聖人悉く日蓮なりと申す意なり」という相承と、日寛のいう日蓮本仏論との結合によって帰結されるところであり、疎いどころか、事態はまったく逆ではないでしょうか。
535
:
犀角独歩
:2006/12/06(水) 13:10:33
失礼、打ち間違えました。
誤)日興=無辺行とい相伝は消したのは日亨氏であるわけですね
正)日興=無辺行という相伝を消したのは日亨氏であるわけですね
536
:
佐藤
:2006/12/06(水) 15:58:59
独歩さん、
お説はごもっともで、大変に勉強になりました。独歩さんの見解は、非常に納得がいきます。じつは私が問題視したのは、日興=無辺行の説そのものではなく、無辺行の後身を本仏とする発想が富士門としていかがなものか、という点にありました。だが、独歩さんの創造的誤解が、さらに実りある議論を引き出したと思います。私もまだまだ諸先輩方に学ぶ必要を感じます。これからは、ちょくちょく投稿を差し上げたいと思いますので、れん氏さんと独歩さんとには、御教示を宜しくお願いいたします。
537
:
顕正居士
:2006/12/06(水) 17:21:35
ところで執行師などの説ですが、
釈尊脱仏、宗祖下種仏 と 宗祖冥益、当住顕益 は別のこととおもいます。
脱仏というのは引退した仏という意味ではないんで、完成教育する仏の意味です。
冥益、顕益をいうなら下種冥益、熟脱顕益、つまり宗祖冥益、釈尊顕益です。
当住も熟脱の一分ですから顕益です。
末法は釈尊の未来ではなく、釈尊の過去であると日寛師は述べていますね。
538
:
れん
:2006/12/06(水) 18:48:42
佐藤さん、お尋ねの「聞書拾遺」の件の歴全におけるページですが、426ページに日時師の著作として四帖見聞と言う名称で挙げています。
但し、耳引き伝説は日時の作文の可能性がありますが、郷師の弟子の一人である薩摩日叡師の類集記には「大上人御出世御本懐御法門日目上人御相承ハ弘安五年正月一日也」とあり、この中“御相承”の語句は大げさな気もしますが、目師が“学法”の一環として、蓮師より、“御出世御本懐御法門”(同じく日叡師著述の後信抄には「本仏・本戒・本尊の大事」なる名目を挙げます)の法義の指導を受けたというのは、その可能性はあると思います。かくのごとく耳引き伝説の下地ともいうべき目師の学法の所伝は文献上は郷師門流が先行しますから、石山日時のそれは、直接的には郷師門の所伝や主張のパクリの可能性もありえましょう。ただ問題の日教文献では目師が蓮師より法門を聴聞した時と場所を弘安五年夏・武州池上と設定してますから、この辺りは道門においての潤色がありましょうね。
卑見はこんなものですが、私はここに集われた他の諸賢に較べれば、全然足元にも及ばない人間ですので、お気を使わずに結構です。
539
:
独学徒
:2006/12/06(水) 19:48:59
興風談所の興風18号と興風叢書10が出ました。
興風18号は、設立25周年記念号ということで、川添昭二師や都守基一師の論考も収録されています。
また、これまでベールに包まれていた、保田妙本寺蔵「日叡類聚記」が翻刻され収録されています。
興風叢書10号は、等覚院日全の「法華問答正義抄」です。
資料的価値は十分にあると思い、ここにお薦めさせていただきます。
540
:
佐藤
:2006/12/06(水) 20:18:07
れん氏さん、
御教示ありがとうございました。早速、歴法全にて確認いたしました。たしかに、ここにある日時「四帖見聞」と、雑雑聞書の「四帖の聖教」が同一のものと推測することもできますね。とすると、もう一点、お伺いしたいのですが、「四帖の聖教」が唯授一人の相承書であるという推理は、どこから出てくるのでしょうか。
541
:
佐藤
:2006/12/06(水) 21:10:26
補足的な質問があります。この際、浅学をかえりみず、恥を恐れず教えを乞いたいと思います。「四帖見聞」というのは、四帖分書かれた何かの法義書に関する日時の見聞、という意味にとれないでしょうか。隆師の「四帖抄」は15世紀ですから、日時の時代のものではありませんが、四帖にまとめられた仏書というのは色々とあったように記憶します。そう考えた場合、「雑雑聞書」の「四帖の聖教」は、字の通り「四帖分の(先師の)聖なる教え」との意でしょうから、「四帖(に分けて書かれた何か、恐らく宗開両祖の教示?)に関する見聞」とは自ずと異なるのではないでしょうか。
542
:
犀角独歩
:2006/12/07(木) 13:06:55
佐藤さん
顕正居士さん
ご指摘いただいた点は、わたしは十分に理解しているつもりです。
中世の脱仏思想というのは、現代のように、廃棄され、もはや役に立たなくなった仏のように釈迦仏を扱うものでありませんでした。いまでいえば、「隠居」のような位置づけですね。
先にも指摘し、最近では藤川さんもたしか指摘されていましたが、そもそも「本仏」という用語は、真蹟遺文には一度しか見られず、日蓮が仏を考える必須項目とは言い難い面があります。また、これが日寛の時代までに広げると、その意味は雑多多岐に亘ります。
本地仏/垂迹仏、本門仏/迹門仏、下種仏/脱益仏、最近の誤用では本物仏/偽物仏といった意味にまで拡散しています。
そのなかで脱仏とは、下種仏の相対語でしょうから、本来、これを本仏と対に論じるのは、おかしなことであると思えます。故に顕冥二益から論じる顕正居士さんのご指摘はまことにそのとおりであろうと存じます。
佐藤さんが「日興=無辺行の説そのものではなく、無辺行の後身を本仏とする発想」であるというご主張であったことは理解していました。
わたしが敢えて日興=無辺行を論ったのは、いまの学会を含む石山圏では、信徒会員が手にする頒布資料(御書全集という代物)から、この件が削除されているからです。つまり、議論を日亨氏の削除以前に戻すためです。
戻したうえで、無辺行・後身=本仏という論が本当に富士の所説にないかという構造を探ろうとしたためです。つまり、富士においては、日興を無辺行と言っていた、さらに日興を本仏としたかという2点に分けて、わたしは書いたつもりでした。前者については、かくのごとしですが、では、日興本仏という見解はどうか。結局のところ、顕正居士さんが仰るよう顕益という視点が本仏と見なすところまで転がっていないかどうかということでしょう。本尊相伝を見る限り、ここまで‘逸脱’していたと見るほかありません。近代でも石山の能化文書で「法主上人猊下は戒壇の大御本尊と不二の尊体」とやって、学会の突っ込みを受けました。これは当住が日蓮以上の存在であるというのではなく、日蓮である(代々の聖人悉く日蓮)という意です。
つまり、日興本仏という見解が、富士の所説にあったとすれば、それ派、この本尊相伝を基礎にしたものであることになります。日興が本仏になった段階で、日蓮が脱仏になるという意味ではなく、本仏=日蓮=日興=代々という等式に基づくものでしょう。ただし、本住顕益はもっと悪辣で、当住が一番といった類の論調と同じカリスマ信仰による信徒支配ということです。
つまり、佐藤さんが指摘されるように日興=無辺行=本仏という安直な視点は、もちろん、富士方には闡明ではない。しかし、執行師は、そんなことは、もちろん、言っていないという点も指摘しておかなければなりません。
543
:
れん
:2006/12/07(木) 13:57:00
佐藤さん、仰るところはよく理解できます。同じような質問は犀角さんからも、受けましたが、石山日時の四帖は現物に当たれないので、全て推測になりますが、聞書拾遺と雑雑聞書からの状況証拠からは、何れも“石山の先師の作”・“四帖”というキーワードからみれば、現時点に於いては石山日時の著作と推定できますから、四帖見聞(石山における名称)=四帖聖教(房山で使われた通称)と理解するほうが無難と思います。松岡氏は三大秘法義が日寛により公開されたと言いますが、私はそうは思って居りません。文段や六巻抄に引用の諸文献は殆ど条条事以外、他山成立の相伝書からの引用で、自山分の相伝書である本尊秘伝や三口一徹相伝・十二箇条法門・妙法蓮華経色心実相境智根源口決・鏡像円融本尊口決(何れも石山において日道以降おいおい成立したものでしょう)などからは一度も引用してないことをみれば、自山分のものは、唯授一人の秘密相伝として公開しなかったとみるのが至当で、これらは現在も一般に公開されてないですから、この不文律は石山でいまも守られているのでしょう。
544
:
れん
:2006/12/07(木) 20:45:12
>543
自己レスです。石山日寛が文段や六巻抄に引用しなかった自山成立分の相伝書のなかには当然石山日時作と推定される四帖も入るでしょうね。
545
:
佐藤
:2006/12/07(木) 20:50:08
独歩さん、れん氏さん、
丁寧なご回答、誠にありがとうございました。今、仕事が立て込んでいて、十分な返事が差し上げられません。後でまた、カキコさせていただきます。取り急ぎ御礼まで。
546
:
独学徒
:2006/12/09(土) 16:55:49
伝教大師全集全5巻がテキスト化され、以下のHPよりダウンロードできます。
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/txt/txt.htm
なお、検索にはシェアソフト「秀丸」が必要です。
伝教大師全集の画像は、国立国会図書館のHPよりダウンロード可能です。
第1巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00001&KOMA=1&ITYPE=0
第2巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00002&KOMA=1&ITYPE=0
第3巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00003&KOMA=1&ITYPE=0
第4巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00004&KOMA=1&ITYPE=0
第5巻
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40046293&VOL_NUM=00005&KOMA=1&ITYPE=0
以上、テキスト・画像ともお薦めです。
※ただし、真偽に問題のある著作も含まれています。
547
:
犀角独歩
:2006/12/10(日) 19:31:55
独学徒さん、ご紹介、有り難うございました。
早速、参考にさせていただきました。
548
:
犀角独歩
:2006/12/20(水) 10:07:28
ブログを再開しました。
ご高覧いただければ、有り難く存じます。
犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
549
:
独学徒
:2006/12/21(木) 23:05:38
犀角独歩さん、「日蓮と梵字」(4)まで拝読させていただきました。
これはまたすごい発見ですね。
北林某のギャグめいた論はともかく、既存の認識に一石を投じる内容だと思います。
当方の知識及ばず、議論にはなりませんが、つづきが楽しみです。
550
:
れん
:2006/12/22(金) 10:00:04
犀角独歩さん、私も、犀角独歩さんのブログにおける、蓮師と梵字の関係についての御論考を興味深く閲覧させて戴いております。
蓮師と梵字の関連では、すでに独歩さんはご存じかもしれませんが、日蓮聖人真蹟集成第六巻に、同書同巻掲載の五輪九字秘釈のほかに「秘書要文」にメモ書き風に梵字が筆写されております。秘書要文には不動・愛染の梵字が筆写されてますが、形としては蓮師が文永八年十月九日書の題目に記された梵字に大同の感じです。
以上、ご参考迄。
551
:
犀角独歩
:2006/12/22(金) 12:30:52
独学徒さん、恐れ入ります。
れんさん、その梵字について、それが不動・愛染であることを明記してありましたか。
恥ずかしながら、真蹟集成が手元にありません。ご教示いただければ、有り難く存じます。
552
:
れん
:2006/12/22(金) 13:53:19
犀角独歩さん。
お尋ねの件ですが、確かに、「秘書要文」に書かれていました不動・愛染と思われる梵字の下には、不動、愛染と蓮師の御筆で記されていました。
断定は避けますが、蓮師御筆漫荼羅の左右に記された梵字につきましては「秘書要文」にしるされた梵字の形とそれに対する蓮師の書き入れから、現時点では、従来の所伝の如く、不動・愛染の可能性もあるかと思います。この点からは、日蓮門下において比較的早い時期に成立したとみられる本尊五大口伝・合掌口伝・本尊聞書・本尊相伝(石山でいう本尊三度相伝)の中の漫荼羅左右の梵字についての記述は一応、参考にしてよいかもしれません。
553
:
犀角独歩
:2006/12/22(金) 14:01:09
れんさん、ご教示、まことに有り難うございます。
ご指摘の点、頷けました。追ってブログにおいて、訂正いたします。
学恩、深く感謝申し上げます。
555
:
犀角独歩
:2006/12/27(水) 17:01:21
手前味噌で恐縮ですが、島田裕巳師が『寺門興隆』の連載36 今にして創価学会とは何か『信じてきた本尊は偽物として知ったら信者は』に5頁に亘って、拙書をご紹介くださいました。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/jimonkoryu.html
556
:
再挑戦者
:2007/01/02(火) 22:23:10
、、誠に難儀でしょうか、、。
御開秘と言いくるめて、とんでもないマヤカシ=ニセ・ボロをまんまと拝ませた方側は一体どこの、どなた様でしたでしょう、?
某団体の経営優先の為、の独断としてはいけません、でしょう、? もし、良心=コンプライアンスの保持こそが現実に求められていますならば、。
長年に渡り「偽者を拝ませられた我々は、(知っただけでも感謝だが、)”涙が暇なし、心臓が高鳴る慟哭”に打ち震える毎日」、、でございますです、、!!!
本当に、悔しい限りです。 今は、誰か、どこの団体さまが御書に照らして、「、正しい信・行・学、、」を、、実践をしているのでしょうか、? 一番近いのは「北山様」でしょうか、? 愚考でした。
世も末、、のようです、。 大地震と津波と原発溶解(第二のチエルノブイリ事件)などの次期災害が心配になりました、、。
557
:
犀角独歩
:2007/01/02(火) 22:26:39
再挑戦者さん、本年もよろしく。
北山 ということはないでしょうね。
どこぞの団体が、というより、どのような形が、と考えたほうがよいのではないでしょうか。
558
:
再挑戦者
:2007/01/06(土) 21:43:31
、、>どのような形が、と考えたほうが良いのでは、、、、。
誠に、仰るとおりで御座います。
亥年の過去は1923年の関東大震災、1995年の阪神淡路震災が代表例です、。 一番の懸念は東海地震による御前崎の浜岡原発の被害(週間現代H18年四月の誌、)です。
稼動中の原発が地震で破壊されたなら、電気制御不可能になり炉心溶解まで一本道のようです、、。 その放射能は北西の西高東低の風により、伊豆〜神奈川〜東京〜千葉〜茨城、、などへ流入します、、。
正しく、第2のチエルノブイリの再現が予想されます、?? 心配ですが、。
559
:
パンナコッタ
:2007/01/13(土) 17:53:51
2〜3世紀に書かれた世界最古の大乗経典"賢劫経"が、バーミヤンで発見された との事ですね。
http://www.sankei.co.jp/culture/bunka/070113/bnk070113004.htm
『アフガニスタン・バーミヤン渓谷(バーミヤン州)の石窟寺院跡から1990年代に見つかったとされる仏教経典の写本の中に、
2〜3世紀に書写された賢劫経(けんごうきょう)と呼ばれる大乗仏教の経典のひとつがあることが、佛教大学(京都市)の松田和信教授(仏教学)の
調査で分かった。大乗仏教は中央アジアを経由し中国や日本などに伝わった仏教で、中国・新疆ウイグル自治区のホータン近くの
仏教遺跡からは5〜6世紀の写本が発見されているが、今回の写本はこれより約300年古く世界最古。大乗仏教の成立などを研究する貴重な資料という。
見つかった賢劫経の写本はヤシの葉に書かれた断片計約30点。大きいものは長さ約10センチ。現在は使われていないガンダーラ語で、
古代インドのカローシュティー文字を使って書かれていた。詳しい分析は行われていないものの、経典の後半部分などが残っているとみられる。
賢劫経は、6世紀ごろ西晋(中国)の僧によって漢訳されたとされ、漢訳は全8巻。「1つの時代には1人のブッダが現れ、計1000人のブッダが出現する」と説き、
六波羅蜜(ろくはらみつ)(仏教における6つの修行)についても詳しく説明している。見つかった賢劫経では六波羅蜜の文字が複数確認された。
カニシカ王を輩出し、北インドを中心に栄えたクシャーナ朝(1〜3世紀)は仏教を保護、ガンダーラでは仏教文化が開花した。バーミヤンでもこの時期、多くの寺院がつくられ、
今回、見つかった写本もこの時期に書写されたようだ。
しかし、インドではヒンズー教の普及などで仏教は廃れた。賢劫経を含め、どれぐらいの経典がどのように誕生し、当初の経典が何語で書かれていたのかなど、
大乗仏教成立を伝える資料はほとんどない。このため、見つかった写本は、初期の大乗仏教を考える貴重な資料で、仏教の伝播を研究する上でも重要とみられている。
賢劫経の断片は、ノルウェーの収集家が他の多数の経典の断片(1万点以上)とともに保管。1990年代にバーミヤン遺跡の石窟寺院跡から出土、ロンドンの市場で売りに出され、
この収集家が購入したという。
松田教授は「経典は日常的に読まれたり、写経されたりしていた。漢訳されている経典の中には原典がガンダーラ語ではないか、と想像していたものもあったが、
今回そのような例が初めて見つかった。成立当初からガンダーラ語で書かれた経典があった可能性があり、極めて重要な資料と思う」と話している』
以下略 (更新されてリンクが切れることがあります)
560
:
顕正居士
:2007/01/15(月) 12:38:40
このクシャン朝というのはインドの王朝ということになっていますが、今のインドとは版図が
全く違います。中央アジアの勢力がインド北部を占領して建てた王朝なのです。
大乗仏教は実はインドではなく、中央アジアと関係が深かったことが想像されます。
そしてその背景にあるのはゾロアスター教でしょう。キリスト教もゾロアスター教が土台に
なっています。ゾロアスター教は世界宗教の母胎といえます。
* ただし般若系の大乗仏教は伝説のように南インドと関係がある可能性があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E6%9C%9D
561
:
犀角独歩
:2007/01/15(月) 23:03:30
以前、以下のようなことを記したことがありました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194744.html
562
:
犀角独歩
:2007/01/18(木) 20:06:12
とある方から、メールで教えていただきました。
わたしの鑑別を確認してくださったようです。
たぶん、まったく面識のない方で、独歩の会にも参加されたこともなく、さらにブログもお読みいただいてはないようですが、まず第一段階、わたしの主張を傍証してくれる形になっています。
価値[再]創造
http://blog.drecom.jp/renoir/
563
:
天蓋真鏡
:2007/01/21(日) 10:15:35
何方か、風水霊障等の家相を見られる能力者の方を御存じないでしょうか。
564
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/01/22(月) 13:02:06
>563
風水ならば鮑黎明(ほう れいめい)さん、日蓮にも造詣の深いかたです。
気学ならば平山喜道(ひらやま きどう)さん、ス神系の淨霊にも詳しいかたです。
お二方とも、信行学兼備、信頼できると思います。
KパとかF木といった人たちとはレベルがちがいます。
565
:
藤川一郎
:2007/01/22(月) 16:31:36
家相については、私の知人で
九門家相術の安藤昇氏(元安藤組組長)はなかなか研究されてます。
愚連隊時代から研究されていて、「事務所の家相を変えたら殴り込みが無くなった(笑)」
と言う逸話もあります。
566
:
天蓋真鏡
:2007/01/22(月) 22:53:57
偶ロム偶ログさん、藤川一郎さん、ありがとうございます。方々で「家の水周り」の相談にのって下さる方はいらっしゃいませんでしょうか。
567
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/01/23(火) 14:58:01
>566
とりあえず鮑黎明さんの書かれた本を読まれてはいかがでしょうか。
『風水宅相のすべて』主婦と生活社
『実用正統風水百科』PHP研究所
『風水で運を呼び込む大事典』東洋経済新報社
「家の水周り」とのことですが、厳密には居住されている人と、キッチン、洗面、風呂、トイレ、などの位置それぞれの鑑定をし、さらに全体を観るのが風水とか気学です。
一人暮らしと家族で暮らしている場合は鑑定結果や対処法も異なっています。
まず上記の本を読んで、ご自分で試されてはどうでしょう。
鮑黎明さんはHPがあったと思います。
568
:
犀角独歩
:2007/01/23(火) 19:22:53
明朝、アップしようとしましたが、いまいたしました。
「大石寺持仏堂本尊」、真光寺に伝わる板本尊は、<35><119>の二つの日興本尊を使ったパッチワークでした。大石寺六壺、品川妙光寺の板本尊も同一のものであれば、同じくということです。贋作です。
大石寺の日蓮のものとする所謂「本門戒壇の大御本尊」も贋作なら、日興のものとする大石寺持仏堂本尊も贋作でした。
これが大石寺の偽らざる実態であることを哀しく思います。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50867457.html
569
:
天蓋真鏡
:2007/01/24(水) 11:38:14
偶ロム偶ログさん、其れもそうですね。探してみます。ありがとうございます。
570
:
犀角独歩
:2007/02/08(木) 23:50:45
独学徒さんがご報告くださった文章に対して反論を記しました。
ご高覧のうえ、ご批正をお願い申し上げます。
『風塵舎/本門戒壇大御本尊に対する邪妄を破す』に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50883764.html
571
:
犀角独歩
:2007/02/08(木) 23:54:30
なお、以上のブログのアップについては、当人にもメールで通知しました。
572
:
犀角独歩
:2007/02/16(金) 09:13:58
「風塵舎/犀角独歩と称する妄乱を憐れむ」に反証する
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50891234.html
以上、アップしました。ご高覧ください。
573
:
偶ロム偶ログ(別HN御免)
:2007/02/16(金) 14:25:47
>572
読ませて頂きました。
つぶやきスレの2405では余計な心配をしてしまったようで、申し訳ありません、お恥ずかしい。
でも、ひとことだけ。
かの御仁は順序を間違えていますね。
独歩さんに難癖をつける前に、日蓮正宗宗務当局へ信徒として尋ねればいいこと。
そうすれば、きっと鮮明な写真を見せて「ご指導」してくれるか、もしかしたら板を直接間近で見せてくれて「ご教示」してくれるかも。
もし、そういったことをしないのであれば、それは日蓮正宗の怠慢、信徒教化を放棄したことになるでしょうね。無慈悲ってやつですか。
偶にはエンタテインメントとして、こういったこともあっていいとも思いますが、いずれにせよ、これ以上の再々は時間の無駄ですね。
お疲れさまでした。
574
:
犀角独歩
:2007/02/16(金) 15:13:27
偶ロム偶ログさん
ご高覧並びにご心配を賜り、有り難うございました。
深く御礼申し上げます。
575
:
ラキ
:2007/03/03(土) 08:08:23
寺院別の御本尊集を見つけました。
皆様ご存知かもしれませんが参考までに。
「日蓮聖人御本尊集」
http://www.lbis.jp/gohonzon/
576
:
犀角独歩
:2007/03/03(土) 16:52:41
昨日、藤川さんから、「ヨウカンからおしるこを作る」話を聞き、早速、やってみました。
実際のおしるこよりは、ずっとなめらかな仕上がりになりますが、これはこれでなかなか美味でした。
作り方。ヨウカンを適量の水に入れ、弱火で煮溶かす。
577
:
藤川一郎
:2007/03/05(月) 09:49:50
>>576
おいしかったですか?
これなら、極端に甘いものが嫌いな方でも、水の加減でおいしくなると思います。
しかし、1つだけ欠点は、食べ残しを冷やしておくと「羊羹に戻る?」事もあることです。
「羊羹をおしるこにしておいたのに、また形が歪な羊羹になった」
なんていうこともありますので御注意下さい(じゃんじゃん)。
578
:
パンナコッタ
:2007/03/05(月) 13:15:23
国会図書館の方は、みなさんご活用になっていると思いますが、
国文学研究資料館のデータベースも、非常に魅力的ですね。
http://www.nijl.ac.jp/
579
:
犀角独歩
:2007/03/05(月) 14:10:22
藤川さん
この葛湯とお汁粉を足して2で割ったような新食感は気に入りました。
鍋に遺したら固まったものも、水羊羹のようで美味でした。
580
:
犀角独歩
:2007/03/05(月) 14:10:45
以下、わたしの彫刻本尊鑑別を追検証してくださっているサイトです。
価値[再]創造
http://blog.drecom.jp/renoir/
板本尊に関する考察
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/317
板本尊に関する再考察
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/322
581
:
独学徒
:2007/03/05(月) 21:23:21
新刊書籍です。
当分、手元には届きませんが、間違いなくおススメの一書であることでしょう。
『必携 図形鑑別 / 大石寺所蔵二つの彫刻本尊の鑑別』
大石寺所蔵の、日蓮作という「本門戒壇の大御本尊」と、日蓮作という「持仏堂安置本尊」の、両彫刻の真偽を検証する決定版。
http://cart02.lolipop.jp/LA11156772/?mode=ITEM2&p_id=PR00101098357
今なら予約注文で、定価2500円のところを、1800円で購入可能です。
582
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 08:00:06
独学徒さん、恐縮です。
583
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 10:24:31
アロエさんが、さらに再検証してくれました。
http://blog.drecom.jp/renoir/archive/322
584
:
まさ
:2007/03/06(火) 14:46:32
こんにちわ
お尋ねしたいことがあります。
独歩さんの新刊は既に出版されている「必携/図解 大石寺彫刻本尊の鑑別」とは違いものでしょうか?
購入を考えておりまして、2冊とも買うべきか迷っています。
よろしくお願いいたします
585
:
犀角独歩
:2007/03/06(火) 18:21:12
まささん、はじめまして。
この2冊は、内容が違います。
特に違う点は二つあり、前書は相似形鑑別を基礎にしましたが、今回は実寸比較を基礎にしました。
また、前書では体制時事仏道安置本尊については触れていません。
どちらか1冊であれば、やはり、新刊ということになります。
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