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お薦めスレッド

386今川元真:2006/03/26(日) 17:27:10
其れと、フィクション物では「(高橋克彦)時宗」大河ドラマの原作本を読むと出来事の見方考え方が、すっきりするかもしれません。

387井戸端会議:2006/03/27(月) 00:35:27
「わたしの推薦するホームページ」→「法華行者の会」
http://www5c.biglobe.ne.jp/~lotus/

388井戸端会議:2006/03/27(月) 00:47:49
日蓮聖人が説かれた本仏釈尊と実際の釈尊の関係が疎通できなければ、法華経や日蓮聖人の教学に無意味な批判がなされるばかりです。

389今川元真:2006/03/27(月) 10:50:39
井戸端会議さん、はじめまして。私は牧口常三郎価値論・創価教育学等に感銘を受けて創価学会を脱会せずに居ます。創価学会は日蓮本仏論に世界の思想哲学を足して(シャカ仏教含め)皆成仏道のルートを造ろうとしています。其の割りに日本創価学会は四分五裂ですけど。日本仏教界が観光だけで無く、学術(仏教伝播を鑑み)に力を入れるのは喜ばしく考えています。仏教を辿れば、シャカ仏教の八正道に帰るのでしょうか。随方毘尼の環境変化型仏教に帰るのでしょうか。日蓮宗派ではインド型仏塔を建てる事が増えると想うのですが、どうでしょう。

390井戸端会議:2006/03/27(月) 21:42:43
日蓮聖人の高い哲学性を理解できないのが今の多くの日蓮門下でしょう。その哲学は天台大師による止観の到達点を踏襲しながら、より現実的実践的になっているものと思います。教主釈尊を理解すれば、日蓮本仏論は出て来ようがないと思います。お勧めスレッドのなので、これ以上は削除の対象になると思います。

391小森霧:2006/03/27(月) 23:12:08
れんさん、今川元真さん

所用でPCを開けない状況にあり、返事が遅れました。レスありがとうございます。


私自身の信念は揺らぎませんが、それを表現するにあたっては、
本尊と曼荼羅スレ538のhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1017873018/538
顕正居士さんのご意見が大変参考になっています。以下、引用させていただきます。


>大乗経についてはインド以来、これを報身仏(毘盧遮那仏)の説とする。それらが現実の経典
として存在する理由は、応身仏(釈迦仏)の説法中にも高位の菩薩(法身の大士)は大乗経の
内容を感見し、別に結集し竜宮などに埋蔵し、後に竜樹などがこれを見出したとするのである。
歴史的仏陀(応身)と神格的仏陀(報身)は区別されており、大乗経は神格的仏陀の説とする。
そして歴史的仏陀の説は当時の仏弟子(声聞)の機根に応じた厭世教であるとして中国人や
日本人はこれを重んじなかった。すなわち古代、中世の仏教徒は近世以後の仏教徒のように
経典成立史を解明するには至らなかったが、今、仏教の知識が少ない人々が大乗経も釈迦仏
の説とおもっているのとは全くちがうのであります。(引用終わり)

ありがとうございました。

392犀角独歩:2006/04/02(日) 13:46:44

昨日、天台宗開宗1200年記念『最澄と天台の国宝』展を観てきました。
(東京国立博物館平成館 2006.3.28〜5.7)

詳しくは、改めて拙ブログに載せますが、日本天台宗と最澄に係るこれだけの展示は今後、そうそうは行われないであろうと思われます。パンフレットに「春爛漫、上野。百年に一度の大展覧会」とありますが、「看板に偽りなし」という感を懐いたものです。

「國寶何物寶道心也有道心人名為國寶…」(天台法華宗年分縁起)という著名な一節の最澄真筆は、特に印象に残りました。最澄の‘最’の字が自著ではウ冠に取[ウ/取]であることも、複数の文献で拝観できました。最澄の名筆に触れることが出来ると共に、小野道風の筆跡も展示されていました。
もちろん、書ばかりではなく、絵像木造、宝物類、国宝、重文があまた展示されています。聖観音菩薩像の優美さ、彫刻表面の見事な仕上がりにしばし見とれました。大日如来像(岐阜・横蔵寺所蔵)の表情、絵像では普賢菩薩像(東京国立博物館蔵)なども美しい…、語り出したら尽きないほど、国宝・重文が惜しみなく展示されています。

人気があったのは、『六道絵』(滋賀県・聖衆来迎寺所蔵)で、特に地獄変に人垣が出来ていました。

展示全体の構成も勝れており、天台宗の神仏、念仏、密教、神道との関連を実に整理されてあり、参考になりました。

あと、法隆寺宝物館では、国宝の天寿国繍帳と聖徳太子像(重文・七歳像)が展示されています。(4月9日まで)
こちらは聖徳太子遠忌日記念ということでした。

『国宝 天寿国繍帳』という会場で販売されていたパンフレットを開くと、以下のような記述がありました。

「…『天寿国』とは、そもそも経典に例がない特殊な用語として関心が持たれて来たが、東京三井文庫所蔵の敦煌経(北魏時代写本華厳経)に加えられた随開皇3年(583)の奥書に、『西方天寿国』とあるので、天寿国とは西方極楽浄土を意味する仏教用語であることが判明した。しかもこれが随仏教の用語であることも合わせて知られるようになった。
 現存の国宝・天寿国繍帳に西方極楽浄土のモチーフである蓮池や蓮華化生の図像がしきりに表されていることから、天寿国が阿弥陀仏の極楽浄土であることはすでに鎌倉時代に指摘されて来たのであるが、銘文の『天寿国』が随仏教の用語であることが判明すると、聖徳太子の極楽往生思想と随仏教との関係があらためて注目され、飛鳥仏教の解明に向けて新たな視点が加わることになるのである」(東京国立博物館研究員・松浦正昭 P14)

この天寿国繍帳の存在は、日蓮門下の法華解釈でスポイル忌避される阿弥陀と極楽浄土が、法華経、また、随仏教、飛鳥仏教では受容されていたことを意味するのだと思われます。

「後生善処」という一節がありますが、日蓮以前の日本仏教では、この善処は、阿弥陀の極楽浄土往生を意味にしたのかも知れません。

『感見記』真偽論で、「真言亡国」に惑わされる学会を含む石山信念体系下ですが、「念仏無間」からも、以上のような背景を読み違えてきたのだと思った次第です。

393独学徒:2006/04/02(日) 20:25:05

ご無沙汰しております。

犀角独歩さん、私も3月29日に「最澄と天台の国宝」に行ってきました。
ここのところの多忙な日々の中で、久しぶりに有意義な時間を過ごせました。

犀角独歩さん仰せの通り、ご閲覧の皆様にも是非ともお薦めしたい内容です。
なお下記HPより割引券をプリントアウトしてお持ちになると、少しでも安くなると思います。

http://event.yomiuri.co.jp/2006/tendai/ticket.htm

私も近く、自分のブログで報告する予定です。

394犀角独歩:2006/04/03(月) 00:06:29

独学徒さん、お久しぶりです。
やはり、お出でになりましたか。
ネットで割引があったのですね。気が付きませんでした。

今回の展示を拝観して、不動信仰がそこに見られるものの、愛染を見ないことに気付きました。日蓮における不動・愛染のセット化は、やはり、真言密教の影響なのだろうと思えました。

395パンナコッタ:2006/04/03(月) 19:59:04
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの閲覧可能図書が、大幅に増えるみたいですね。
 http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2006040300152&genre=O1&area=K20

396顕正居士:2006/04/04(火) 05:51:46
>>395
日蓮関係書籍もだいぶ増加しました。ちょっと挙げると。

驥尾日守 『末法観心論』その他数編
近藤勇道 『興門正義』、『大石寺分離独立理由書弁妄』
優陀那日輝 『本迹帰宗論』
田辺善知 『肉食妻帯論』

石上敬虔述、高桑慶予『日蓮宗非仏教論』 深密伝系の内容だが一般的に論述
広瀬義造 『邪徒退治篇』 上書への反論

以下の書は以前から閲覧できました。
大石日応 『弁惑観心抄』、『法之道』 富士本智境 『宗内通俗問答大意』
田中智学 『本化摂折論』 清水梁山 『王仏一乗論』 一妙日導 『祖書綱要』

397パンナコッタ:2006/04/19(水) 12:31:51
今月は池上本門寺の霊宝殿で、102番真筆漫陀羅や「兄弟抄」「報恩抄」「妙法尼御前御返事」
等が展示されていますね。 日曜日にお時間のある方は、是非見学されると良いと思います。
 http://www.honmonji.or.jp/05topic/06info/reihoden/reihoden.html

398いちりん:2006/04/24(月) 12:56:15
ものすごく久しぶりに掲示板を拝見して、この情報を知りました。ごぶさたしております。

で、昨日、池上に用事があってので池上本門寺の霊寶殿に立ち寄ってみました。
「報恩抄」「兄弟抄」その他数編の日蓮さんの真筆、弘安四年に表した漫荼羅、さらには念珠が展示されていました。四月いっぱいの展示だそうです。

まあ「報恩抄」「兄弟抄」などを拝見しますと、あまりに闊達すぎる筆の運びで、これじゃあ、受け取った人がちゃんと読めただろうかとも思いましたね。
漢字にふりがなが振られていましたが、あれは後世の上人が筆を加えたのでしょうかね。日蓮さんのあの闊達な筆運びから、まさかそこまで細やかにふりがなふるとは考えられないです。

日曜日でしたが、館内にはわたししかおりませんでした。会場内には、警備の人もいないんですね。受け付けのおじさんは外ですし、ちとセキュリティ、不安ですね。もちろん展示品は、厚いガラスで仕切られていますが。

本門寺では、ご祈祷を受けている人がいて、白衣の僧侶が呪文のようなお経、九字を斬るようにしてカスタネットのように、カンカンカンと木剣を打ち鳴らしておりました。
それを見ますと、「日蓮宗って、加持祈祷っぽくて、真言密教みたいだなあ」と感じた。
また、そのお堂の上には、神道の切紙(御幣というんでしょうか)がたくさん吊るされていて、袈裟が白衣ということもあり、「日蓮宗って神道っぽいなあ」と感じた。

さらには、本門寺の入り口のところにあるお寺さんに三倍。入り口には鳥居、左右にはキツネの置き物。中に入りますと、本尊はなにかわかりませんでしたが、向かって右には大黒さんがお祭りされていました。大威徳天とかいう旗がありましたから、天部の神さまが本尊なのかもしれませんね。これをみると、「日蓮宗ってヒンドゥー教っぽいなあ」と感じた次第。

大坊の日蓮さん臨終の間にも寄りました。日蓮さんが寄り掛かっておられて柱が、本尊の余にして中央に安置されていました。

また、新緑にそびえる五重の塔、さらには紅色の宝塔など、なかなか見ごたえがありましたよ。

399パンナコッタ:2006/04/24(月) 20:21:30
いちりんさん、どうも。
あの振り仮名は、興師のものだそうです。

400いちりん:2006/04/25(火) 22:32:57
パンナコッタさん
ふりがなは、興師でしたか。なにか、几帳面な字体でありました。
日蓮さんが池上兄弟に手紙を書いたのを、日興さんがふりがなを振り、それが池上兄弟に届いて保管されていたんでしょうね。
それとも、池上邸にあったのを、日興さんが収集して、整理の過程で後世のためにふりがなを振ったのでしょうか。

401ワラシナ:2006/04/25(火) 22:44:05
いちりんさん。私も日曜に行って見てきました。

402パンナコッタ:2006/04/26(水) 01:08:49
いちりんさん、
それぞれの女房宛の文面(断簡欠損部分ですが)があることですし、その配慮が送る以前にあった
という事が考えられますね。 
又、下山抄の仮名も興師の筆だそうですので、後代整理の時(写本制作の時もあるでしょう)に
書き加えた事も十分考えられます。 
断定は、ちと難しいですが、仮名その物は明らかに後から書かれたものでしたね。

しかし、何れも後世に分割され、欠損部分があるというのは非常に惜しい所ですが、
それでも今現在、我々が拝観出来る事は非常に幸運なのかもしれませんね。

この次は千部会で混みそうですが、興味を持たれた方は是非、足を運ぶ事をお薦めします。

403顕正居士:2006/04/26(水) 13:52:36
大日本仏教全書 第18冊 文句略大綱私見聞 天台名匠口決抄
http://www.bk1.co.jp/product/875829
必携の文献です。今、分売しているようです。

404藤川一郎:2006/04/27(木) 13:04:14
他スレに、アウシュウビッツについての記述がありましたが、ホロコーストが無かったような可能性もあります
下記書籍に細かく書いております。
最も著者はかなり批判されておりますが。。。
言論統制は良くありませんね。

アウシュウィッツ「ガス室」の真実 本当の悲劇は何だったのか?
(西岡昌紀 日新報道 1997)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4817403934/250-2038299-7814658

405維摩:2006/04/29(土) 14:15:37
はじめまして。
自分は 犀角独歩さんのHPに興味を持ち、掲示板をいろいろと読んでおりました。
自分は かつて石山の信徒(といっても妙○講ですが)でした。
今は 石山系教学に疑問を持ち、これまで石山教学を刷り込まれた脳に悩まされております。
少しでも 石山教学を自分の脳から排出させるために、判りやすい一般仏教書を少しずつではありますが 読んでいる毎日です。

自分が これまで読んだ仏教書でも とりわけ 遠藤誠弁護士の仏教書がわかりやすかったです。
ただし、遠藤誠弁護士は すでに他界されていまして、非常に悲しかったです。
遠藤弁護士の書物の中でも、

「今のお寺に仏教はない」 現代書館

は 石山系は「創価学会を斬る」と題されていますが、ここには創価学会に石山をプラスして石山系教学に対して あまり細かい知識が無い方にもわかりやすく斬られておちますのでご参考までに個人的に推薦いたしたく書き込みいたしました。
石山系だけではなく、諸宗全てを斬っておられます。

406犀角独歩:2006/05/05(金) 13:02:31

手前味噌で恐縮ですが、『犀の角のように独り歩め』ブログを再開しました。
ご高覧を賜れれば、有り難く存じます。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50541865.html

407ラキ:2006/05/08(月) 21:53:23
顕正会系の掲示板ですが、今までの顕正会掲示板と少し違う珍しい掲示板なのでご紹介させていただきます。


「自由な茶寮掲示板1F」
http://mt.advenbbs.net/bbs/kensho.htm

410パンナコッタ:2006/05/12(金) 20:27:48
市川市立歴史博物館には、複製ですが立正安国論と本尊抄が展示されています。
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/siryou/index.htm

また、現在企画展で紙背文書(これも複製ですが)も数点展示され、非常に興味深いです。
何れも、法華経寺からの寄贈との事です。 他に定光院所蔵の身影の複製もありました。


七月には、中尾教授の「日蓮と市川の地 史実と伝説をめぐって」との講演があるとのこと。
博物館の方も「宣伝になりますので」という事で、紹介させていただきます。
 http://www.city.ichikawa.chiba.jp/net/kyouiku/rekisi/rekihaku/rekihakugyouzi2005htm.htm

411パンナコッタ:2006/05/12(金) 21:15:48
書き間違えました、すみません。
 定光院→浄光院 です。

412ラキ:2006/05/16(火) 00:26:37
「冨士大石寺顕正会 向上委員会」櫻川氏のプログがありましたので、ご紹介させていただきます。

http://blog.goo.ne.jp/kensho_kai/c/add1663a4a6ff91f5f0eb12cb9d8e5e4

413犀角独歩:2006/05/16(火) 13:18:51

> 412

この中でコメントもされていますが、妙観講歌集として紹介されている『東洋広布の歌』は学会歌ですね。

また、『武田節』も池田さんが大好きな歌で、創価学会の定番でした。しかし、この歌について、石山からクレームが付いた。その理由は二箇相承紛失にまつわる騒動に関係していました。つまり、北山から暴力をもって宝物を盗み取り、そのあげくに二箇相承を紛失したのが武田の勢であったからです。富士門下にとって、武田は、決して許すことができない連中であるという判断です。そんな経緯から、52度問題以降、日顕さんが、日達さんが降ろした法華講総講頭に池田さんを返り咲かせた以降、学会では、この歌を自粛していた記憶があります。いまは、どうなっているんでしょうか。

学会歌の他団体の活用といったことでは、かつて、妙観講の総会に参加したとき、『同志の歌』をバックグラウンドにして、講旗を大草さんほか幹部が入場してきて、驚いたことがあります。また、このメロディーは、たしか他曲の転用であったと聞いたことがありますが、いまは思い出せません。

414ラキ:2006/05/16(火) 15:31:57
『武田節』ですが、平成2年頃までは良く歌っていました。

415彰往考来(しょうおうこうらい):2006/05/16(火) 15:48:42

>413 『同志の歌』・・・このメロディーは、たしか他曲の転用

曲は三高寮歌です。

http://www.manyoukai.jp/gakkaika.html

416藤川一郎:2006/05/16(火) 16:28:06
武田節は「武田信玄時代」の武田をうたったものです。
それに対して、二箇相承関係文書を奪ったのは「武田勝頼時代」なのです。
通常、勝頼は信玄の正当継承者とはされておりません。勝頼のさらに子供が後継者で、勝頼はその後見人となっていた訳です。
武田信玄の本来の嫡男は今川の姫を嫁に貰っていた関係上、桶狭間の報復に立ち上がらない信玄に批判的で、最後は切腹に追い込まれ、二男は元からの盲目で、さらに三男は母の身分が低く、そのため諏訪衆の後押しのある四男勝頼が立てられますが、正嫡では無いため、家臣からなめられまくる訳です。そして最後は、家臣に裏切られ、武田家は滅亡します。もっとも武田を裏切った穴山梅雪は、後に本能寺の変の時のどさくさに野党に殺される訳ですから、余り悪いことは出来ないんですが、いずれにしても武田節でうたわれる「人は石垣、人は城」は崩れております。

甲斐では未だに武田信玄と武田家滅亡の立役者勝頼は切って考える傾向があり、それで歌を自粛する必要性は本来無いんですがね。

417犀角独歩:2006/05/16(火) 16:42:27

藤川さん、蘊蓄溢れる解説、有り難うございます。

なるほど。そうですか。そうなると、石山(の一部僧侶、もしくは法華講?)は、つまらぬ、言いがかりを学会につけたことになりますね。
これまた、数十年来の勘違いが改まりました。

418顕正居士:2006/05/18(木) 23:28:36
>>415

三高寮歌 人を恋ふる歌 ですね。

http://www15.plala.or.jp/hiroiosa/index-ikinuki-mysong-hitowokouruuta.htm

419彰往考来(しょうおうこうらい):2006/05/19(金) 07:54:27

>418 三高寮歌はさすが与謝野鉄幹の作詞ですからよい詩ですね。

人を恋ふる歌(三高寮歌)(明治30年)
作詞 与謝野鉄幹・作曲 不詳

妻をめとらば才たけて みめ美わしく情ある 
友をえらばば書を読みて 六分の侠気四分の熱

恋の命をたずぬれば 名を惜しむかな男ゆえ 
友のなさけをたずぬれば 義のあるところ火をも踏む

汲めや美酒うたひめに 乙女の知らぬ意気地あり 
簿記の筆とる若者に まことの男君を見る


学会歌の「嗚呼黎明は近づけり」は大阪高等学校(現・大阪市立大学)全寮歌そのものです。
この歌は1番の前にサビがありまして、(学会歌ではこの箇所は「武田節」のサビの箇所と同じように唄いません)

東天紅(トウテンクレナイ)を染める金剛の峰にこれを嘯(ウソブ)かば
天下の堕眠一時に破れ夕日沈む茅渟(チヌ)の海に
これを呼ばば魑魅魍魎も影を潜めん
いざ歌わんかな大阪高等学校全寮歌

http://www.eonet.ne.jp/~ougc117/others/Zenryouka.html

とあります。
この歌を歌えば“魑魅魍魎”も退散してしまうということなんですね。顕正会さん、この歌を採用されてはいかがですか。(笑)

420犀角独歩:2006/05/19(金) 08:38:47

彰往考来さん

『同志の歌』の元歌『三高寮歌』のご紹介有り難うございました。この歌詞で「魑魅魍魎」が出てくるとは知りませんでした。
でも、わたしは退散しませんよ(笑)

421彰往考来(しょうおうこうらい):2006/05/19(金) 08:45:54

>420 犀角独歩さん

「魑魅魍魎」が出てくるのは『同志の歌』の元歌『三高寮歌』ではなく『嗚呼黎明は近づけり』です。お間違えのないようにお願いします。

422犀角独歩:2006/05/19(金) 08:48:40

> 421

失礼、早とちりしました。ご訂正、有り難うございます。

423犀角独歩:2006/05/20(土) 00:46:37

ブログにやや記しましたが『福神』第11号に掲載されている島田裕巳師『日蓮の書誌学』は一読に値します。
推薦します。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50564915.html

424独学徒:2006/06/01(木) 21:05:18

学会系の画像付き掲示板に、「大石寺正御影」という画像がありました。

http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs

これはまさしく保田妙本寺の御影だと思われます。

もし現在の大石寺の御影が、この写真の通りだとしますと、大仏師越前法橋快恵(えちぜんほっきょうかいえ)は、保田の御影を真似て彫刻を行ったことになります。
さらに保田の御影が、郷師遷座の時以来の姿を保っていることにもなろうかと存じます。

425通り須賀:2006/06/02(金) 09:17:44
石山の御影とは全く違います。別物ですね。

426犀角独歩:2006/06/02(金) 09:42:44


独学徒さん

わたしは、石山御影像は数度しか見たことがないので、確かなことは言えませんが、保田御影と似ているかどうか。もう少し顔がふっくらとしており、縦に高かったように思えます。また、もうすこし伏し目がちであったような記憶もあります。北山の御影とも似ていませんし、池上本門寺の御影とも似ていません。

では、何に似ているかと、問われると、これは飽くまでわたしの印象ですが、鏡の御影と言われる図画が近いように思えます。


それにしても、すさまじい掲示板があるものですね。
驚きました。

427独学徒:2006/06/02(金) 20:39:06

通り須賀さん、犀角独歩さん、今晩は。

私もこの御影は、どうみても保田妙本寺の御影だと思います。
武士の着物のように肩の角ばったところといい、仏像のような眉間といい、保田の御影の印象的なところが完全に網羅されています。
写真の色合いが悪ようで、実際の袈裟の色はグレーで、肌の色は日焼けした皮膚のような色をしていますが、それでも保田の御影にそっくりです。

写真家原進氏の「正法の日々」には、大石寺御影堂の御影が若干写っているところがあり、それを見る限りでは少なくとも肩は角ばっていなかったと思いました。

保田の御影でなかったとしても、おそらく皆様の御教示の通り、大石寺の御影でもないだろうと思います。

428大縫薫:2006/06/03(土) 00:03:49
 独学徒さん、独歩さん今晩は。
確かにあの御影様は、保田妙本寺の御影様です。
読経の巻物は現在のとは違いますが、間違いなく保田妙本寺に伝わる所の
大石寺御影と言われる尊像です。写真の縮尺で見方が大分変わってきますから
戸惑いを感じるのは仕方がないと思います。
正信会主催の日蓮聖人の世界展には、同じ正御影がパネルで展示されていましたね。
日蓮聖人の世界展のビデオには、同様の写真が一瞬ですが写っていますので、確認
してみるといいですよ!
http://www.fujimon.or.jp/knp.html

429犀角独歩:2006/06/03(土) 00:37:56

大縫さん、有り難うございます。
この保田御影は「大石寺御影」というわけですか、なるほど。

430独学徒:2006/06/03(土) 09:26:32

大縫薫さん、御教示ありがとう御座います。

私も正信会主催の「日蓮聖人の世界展」は、横浜で参加させていただきましたが、全く気がつきませんでした。
確かに読経の巻物は現在と違いますね。
現在のはたしか、手に持ているものと巻物と合計で、8巻か10巻で数が合っていたと記憶しています。
定かではありませんが、段も一段ではなく、数段重なっていたように思います。

重ねて御教示いただきたいのですが、大仏師:越前法橋快恵(えちぜんほっきょうかいえ)の作品(宗祖御影以外の彫刻も含む)は、大石寺御影堂安置の御影様以外になにかご存知でしょうか?

431大縫薫:2006/06/03(土) 10:45:28
 独学徒さん、越前法橋快恵の彫像した作品は他にもあると思いますが残念な事
に私はその辺りはよく知りません。ただ越前の仏師が彫像したと考える宗祖の御影
は横浜市の南区史(上製本、県内の図書館に収蔵)の寺院の欄で紹介されてる中に
確か越前の仏師が彫像した作品が写真で公開されています。
 その御影も読経型で、富士門流独特の端正な顔立をされているので図書館に行って
閲覧をしてみるといいと思いますよ!!
 薄墨色の法衣ではないですけど、優しい顔立ちをされているのを思い出します。

432独学徒:2006/06/03(土) 14:12:18

大縫薫さん、重ねての御教示ありがとう御座います。

「快恵」よるものか否かは不明ながらも、越前の法橋(仏師)による彫刻と伝わる御影が、横浜市内にあるとのこと、実に興味深く拝察しました。
早速、心当たりの図書館に調べに行ってみます。

433独学徒:2006/06/08(木) 23:07:43

下山御消息の真蹟断簡に関するニュースです。

http://www.sannichi.co.jp/DAILY/news/2006/06/08/5.html


2006年06月08日(木)
日蓮聖人の直筆書簡断片を発見
富士河口湖の常在寺、迫害の事実裏付け

 富士河口湖町小立の常在寺(森智洪住職)から、七日までに、日蓮宗開祖・日蓮聖人(一二二二−八二年)が鎌倉での布教中に受けた迫害についてつづった直筆書簡の断片(断簡)が見つかった。
 断簡は、縦二十八・八センチ、横二十センチ。七行分の断片が、掛け軸に仕立てられている。立正大名誉教授の中尾堯さんが同寺の依頼で鑑定し、紙質と独特の筆跡から、日蓮の真筆と確認した。
 中尾さんによると、鎌倉時代の一二七七(建治三)年、五十五歳の日蓮が身延山から下山郷(現身延町下山)の豪族・下山兵庫五郎にあてた手紙「下山御消息」の一部。自分の体験を交えて法華経の教えを説いたもので、弟子による写本が残っている。直筆書簡は聖なるものとしてお守りなどにするため切り分けられ、増穂・妙法寺など全国数十カ所に散在しているという。
 今回確認された断簡には、鎌倉で布教活動をしていた日蓮が「立正安国論」を幕府に進言して他宗徒から反感を買い、迫害を受けた「松葉ケ谷法難」について、夜中に日蓮の庵に数千人が押し寄せ、殺害されそうになったことなどが生々しくつづられている。その後、幕府によって伊豆に流されたことも記している。
 中尾さんは「日蓮の法難については不明な点も多いので、確かにあった理由付けにもなる貴重な資料」と評価。森住職は「大切に伝えていきたい」と話している。

434犀角独歩:2006/06/09(金) 05:17:29

独学徒さん

最新のニュースのご紹介、有り難うございました。

定本番号:247
祖寿:56
系年:建治3(1277)
対告衆:
著作地:身延
真蹟:小湊 誕生寺外29ヶ所
写本:日法筆 岡宮光長寺蔵
日澄筆 北山本門寺蔵
分類:その他

これで30箇所目の発見となるのでしょうか。

435独学徒:2006/06/10(土) 16:48:46

犀角独歩さん、返レス遅くなり恐縮です。

>これで30箇所目の発見となるのでしょうか。

どうもそのようです。

それにしても『直筆書簡は聖なるものとしてお守りなどにするため切り分けられ、増穂・妙法寺など全国数十カ所に散在しているという。』とのことですが、宗祖遺文を切り分け御守りにするとは、私は初耳でした。
断簡類はみなそのような意味から数行ごと点在しているのでしょうか?

宗祖の守り(サイズの小さな漫荼羅)は、数に限りがあり、しかもこちらは切り分けるのはさすがに不敬と感じたのでしょうか。
また遺文を切り分けてまで守りとしたことが事実であれば、救済の主はどこまでも宗祖であって、歴代の書写では事足りなかったということでしょうか。

色々と考えさせられる記事でした。

436犀角独歩:2006/06/10(土) 18:08:00

独学徒さん

たぶん、遺文の切り分けはお守りという意味と少し違うのではないのか、要は財産分与のような意味合いのほうが強いのではないかと思います。
実際、所蔵している寺院の感覚はそのようです。

あと、日蓮遺文でもっとも特異なことは、‘文字を飲むこと’で、所謂、護符というのは、このような秘儀にあるようですよ。
よく遺文で□□などとなっている所がありますが、あれが虫食いの場合と、そうでなければ、意図的に何文字か切り取ったもののようです、もちろん不都合な故の削損もあるでしょうが。

日蓮宗の、とある高僧と話したとき、「そりゃ、いよいよ体の具合が悪くなったり、即身成仏を期そうと思えば、真蹟の文字を飲むよ」とのことでした。

437独学徒:2006/06/10(土) 18:45:44

犀角独歩さん、御教示ありがとうございます。

文字を飲むとのこと、これは遺文守り説にも相通じるところがあるような気がします。
遺文も含め、日蓮の書いた文字には、何らかの威力があると考えられていたということでしょうか。

しかし、一寸、私には真似のできないことです。
たとえ日蓮真筆であったとしても、何百年も昔の紙を飲んで、体を悪くすることはあっても、良くなることはありえないと思います。

438パンナコッタ:2006/06/10(土) 19:48:56
横レス失礼します。
下山抄は御書システムによると、26ヶ所分蔵・34片のようですね。それぞれプラス1ということでしょうか。
日蓮遺文の断片の多さは、後代に偽書を作り出す下地の一因に案外なっていたかもしれませんね。

しかし、聖遺物信仰として断片を飲むような行為は、カルト的と言えますね。

439犀角独歩:2006/06/10(土) 21:35:49

独学徒さん

> 日蓮の書いた文字には、何らかの威力があると考えられていたということでしょうか

これは、そうだと思います。その至極こそ、漫荼羅本尊信仰となるのではないでしょうか。しかし、曼荼羅を切り刻んで飲む話はありませんから、これはまた別のことと言えるのでしょうか。

わたしは、中学生の頃、鎖骨を折ったことがあり、このとき、末寺を通じて、御秘符をもらったことがあります。
彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。ところが、実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。

この頃、学会では護符というものを出していました。こちらは学会常住の模刻本尊を上述と同じ要領で拭いた紙を切ったものだということでした。ところが、これが石山の許可を取っていなかったとか何とか、一悶着あったことを記憶しています。
これらの起源は、たぶん、ご承知の所と存じますが、以下の写本遺文だろうと思います。

伯耆公御房消息「〔御布施御馬一疋鹿毛、御見参に入らしめ候了ぬ〕。兼て又此御経は廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。しかるに聖人の御乳母のひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給い候て、やがて死なせ給いて候し時、この経文をあそばし候て、浄水をもつてまいらせさせ給いて候しかば、時をかへずいきかへらせ給いて候経文也。なんでうの七郎次郎時光は、身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきもの也。たとい定業(じようごう)なりとも、今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰の刻に、しやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給い候て、このきやうもん(経文)をはい(灰)にやきて、水一合に入れてまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言」(弘安5年2月25日)

わたしはこんな経緯があるので、実はあまり抵抗がないのですが、しかし、たった1枚しかない真蹟を飲んでしまうのは如何にも勿体ないという気持ちが先に立ちます。


パンナコッタさん、有り難うございます。
御書システムはすばらしいですね。

しかし、これだけの情報収集と研鑽が、教義と本尊の見直しにまるで役に立っていないというのはいったい、どういうことなのか、これは日蓮門下のミステリーの一つに数えられますね。
まあ、こう書くと「挑発だ」なんて言われかねませんが、正信会というのは日達氏が創った団体でした。氏は僧侶をして「上求菩提下化衆生」といったものでしたね。まあ、四弘誓願を唱えない石山とその破門僧侶には関係のないことなのでしょうか。甚だ疑問です。

440独学徒:2006/06/11(日) 00:15:42

犀角独歩さん、度重なる御教示、誠に恐縮です。

>実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。

やはり、色々なことをご経験されていますね。

しかし、『彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。』とのことですが、学会も宗門も、ようは彫刻の拭き掃除に使った紙くずを、さもありがたそうに信徒に売っていたのですね。
どのくらいの金額なのか想像もつきませんが、この口上が嘘にせよ、あまりにも人を馬鹿にしたような口上だと感じました。

拭き掃除に使った紙くずで一儲けなど、人の信仰心につけ込んだ、とんでもない悪徳商売としか言いようがありません。

441ラキ:2006/06/11(日) 00:53:18
横レス失礼します。
>彫刻本尊を年1回煤払いするわけですが、この時に拭き取りに使った紙を小さく切ったものであるという口上でした。ところが、実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。

私が聞いたことがあるのは、「お守り本尊を飲む」と聞いたことがあります。(破門前の学会)
私の折伏親が末期癌で頂いたのですが、実物は見た事がありません。

>実際に受け取ってみると、何かビニールのようなもに食紅を塗ったような体裁で、それを盃一杯の水で溶かして飲むというものでした。
ビニール見たいな物て「オブラート」ではないでしょうか?
それにしても、呪いみたいなことを昔からしていたんですね。

442れん:2006/06/11(日) 01:22:41
横レス失礼します。
>439
独歩さんご教示の「伯耆公消息」は、日朗上人による代筆書状で、真蹟は確かに石山にあり、大正時代でしたか、堀日亨師が出版した石山所蔵の蓮祖御真蹟御遺文の写真帖において写真が公開されています。
しかし、蓮祖の時点では、“薬王品の経文を書いた紙”を焼いた灰だったのに、現在のは彫刻の煤払いに使用した紙とは、この“違い”はなんでしょうね。
現代で云えばプラシーボ効果か?といったところでしょうが、前近代の時点では、現代レベルの科学的知識など一切ありませんから、このような一種の呪術でもプラシーボ的に、一種の効果があったのでしょうか?

443犀角独歩:2006/06/11(日) 08:54:17

独学徒さん

お人柄がよく表れたご投稿であると思いました。
仰るとおりであろうかと存じます。
以下の点は、『攝受と折伏について』では為政と関連して書こうと思っていたことで、こちらでは医学と関連して少し記します。

保田御影が投稿されていたサイトでも紹介されていましたが、石山では秘薬を売っていたようですね。あそこでの紹介では目薬でした。あと、なにかほかにもそんなものがあったと記憶します。西洋医学が輸入される以前の日本という社会では、医学というものはいまでいうおまじないの類と指して変わらず、そこに漢方薬の知識や、民間療法の知識が取り込まれて、その知識とノウハウは、主に僧侶寺院が独占していたのだろうと思われます。東大寺に行って、わたしがいちばん驚いたのは風呂場の跡で、それが活用されていた頃、入浴は医療であり、かつ仏道に属していたことを物語っていたからでした。行基、空海の土木業績は夙に有名ですが、このような技術と知識も仏教経典とともに伝えられからでした。天台が涅槃經を採って往訪折伏をいい、それを伝教も採用し、日蓮が『立正安国論』を記したのは、為政が仏教と未分離であったからに他なりません。
当時の仏教というのは総合的な学問で、寺院はいまでいう大学のような場所だったわけですね。こんなことは独学徒さんに記すまでもないことだと思います。

以上のような歴史的な推移があり、御秘符というのは、万能的な、いまでいう頓服として最後の秘薬だったのかも知れません。器物信仰からすれば、そこに付着した埃ですら神秘的な霊力を発揮するという感覚も生じたのでしょうか。
オウム真理教で、イニシエーションと称して、麻原が入った風呂の水を飲むなどということが取り沙汰されましたが、本願寺の貫主が入った風呂の水をアリが立って飲んだというエピソードを読んだことがあります。

結局のところ、以上のような非科学的な、まやかしと変わらないことが、信仰として受け入れられていた背景があった。しかし、明治維新と科学文明の摂取は、この中世の無知を次々に克服していった。石山でも、薬は売らなくなったわけですが、依然として御秘符はやっているのでしょう。つい数十年前まで創価学会もそれを受け、されに物真似もしていたというのが、実は学会を含む石山圏の偽らざる実態なのだという認識は間違ったものではないわけです。

しかしながら、今回の独学徒さんほか皆さんのご投稿を拝読し、このようなものを不快感を懐く健全な信仰が育まれていることを拝見し、救われた気持ちになりました。


ラキさん

> お守り本尊を飲む

これは飲めるほど小さなものということでしょうか。

> オブラート

いえ。これは台紙というそのようなもので、それ自体は溶けないのです。


れんさん

『伯耆公消息』に関するご教示、有り難うございました。
そうですか。この書は確実なものなのですか。参考になりました。

> 灰…紙

この差はたしかに不審です。

> プラシーボ効果か

詰まるところ、結局、この説明がしっくりしますね。

444犀角独歩:2006/06/11(日) 09:05:14

【443の訂正】

誤)知識も仏教経典とともに伝えられからでした。天台が涅槃經を採って往訪折伏
正)知識も仏教経典とともに伝えられたからでした。天台が涅槃經を採って王法折伏

445独学徒:2006/06/11(日) 11:20:24

犀角独歩さん、そういえば「お茶」も種々効能が聞かれるものですが、確か「禅」とともに日本へやってきた、当時としては秘薬のようなものであったと記憶しています。

また、先般オフ会で参集しました、池上本門寺にも日朝堂にて目薬が売られていました。
これらは中身が「茶」や、れっきとした「目薬」である点で、まあまだ許せる範囲かと思います。

また、れんさん御教示の通り、科学技術未発展の時代においては、『御秘符』のような秘法が信じられていても仕方のないことかもしれません。
しかし現代において、拭き掃除に使った紙くずを、最後の秘薬として売るのは、信仰心と、わらをもつかむおもいで「助かりたい」と願う人の心を逆手に取った、悪徳商法のような感じすら受けます。
これは、前者のお茶や目薬の類とは違い、麻原の入った風呂の湯に匹敵するものとおもいます。

ましてや、拭き掃除を行った彫刻が偽物ではお話になりません。

ところで『御秘符』をもらうには、どのくらいの金額が必要なのでしょうか?

446犀角独歩:2006/06/11(日) 12:22:52

445 独学徒さん

素朴な疑問に移動しました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/2726

447ラキ:2006/06/11(日) 20:38:03
独歩さん
> お守り本尊を飲む
>>これは飲めるほど小さなものということでしょうか。
記憶が定かではないのですが、丸めて飲める程度の大きさだったと記憶しています。

448犀角独歩:2006/06/12(月) 10:52:52

【443の訂正】

誤)指して変わらず
正)さしてかわらず


447 ラキさん

有り難うございました。
現物を見たことがないので、少し調べてみようと思います。

449藤川一郎:2006/06/12(月) 16:44:29
>>445
大石寺にも、日忍上人の「大石寺目薬」の伝説がありますね。

450大縫薫:2006/06/12(月) 23:40:58
http://6001.teacup.com/qwertyui/bbs?OF=100&BD=13&CH=5に御目薬の図
が出ていましたね(^^)//

451犀角独歩:2006/06/20(火) 09:41:20

島田裕巳師が『オウムと9・11』を発刊します。
推薦します。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50611148.html

452独学徒:2006/07/01(土) 16:26:14

日蓮正宗本山日知屋山定善寺のHPで、昭和52年に境内に移転した本建寺についての紹介がありました。

http://www16.ocn.ne.jp/~jouzenji/K-honkenji/honkenji.htm

453独学徒:2006/07/01(土) 18:18:52

こちらは学会員の方にはお薦めかもしれません。
牧口常三郎著「人生地理学」です。

http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=58005659&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0

454犀角独歩:2006/07/09(日) 09:53:46

今回の顕正会事件については、明日、発表の『週刊朝日』に、記事が載る予定ですが、概ね、被害者、加害者について、情報を訊きましたが、何ともはや。詳しくは、紹介誌をご一読いただければと思います。

455独学徒:2006/07/09(日) 13:46:37

本日は池上の霊宝殿に行ってきました。
今月は板碑関係の展示との事でした。

今回も伝・日蓮曼荼羅が展示されており、弘安五年の図顕となっています。
全体的に輪郭と墨ののり方に肉筆らしさが感じられませんで、一見御形木を思わせるような感じでした。

前回オフで訪れた時、きゃからばあさんが、本門寺蕎麦をおいしそうに召し上がっていましたので、今回私も食べてみました。
値段は一寸高めですが、天ぷらそばと山菜蕎麦をあわせたような感じで、なかなか良かったと思います。

ということで、今月の霊宝殿と、本門寺蕎麦、お薦め致します。

(なお7月25日は「御風入れ」のため、23日以降は展示内容が変わっていますと思います。)

456独学徒:2006/07/09(日) 16:27:34

すみません訂正です。

誤:前回オフで訪れた時
正:前回オフ会で訪れた時

457きゃからばあ:2006/07/09(日) 20:13:51

独学徒さんへ

本門寺蕎麦はおいしいですよね!
実はこのとき、何を注文していいのかわからず、店員さんに「オススメは?」と尋ねたら、この本門寺蕎麦を勧めたので、そのまま注文してしまいました。
またこの蕎麦を食べながら、日本に来日していたマイケルジャクソンが、ひょっとして今、本門寺にいるのじゃないかとドキドキしていたのは、やはり私だけでしょうか?
田舎から上京すると、有名人に会えるなんてすぐ想像しちゃうのです。

次回に訪れたときも、またこの本門寺蕎麦を注文します。

458独学徒:2006/07/09(日) 21:39:52

きゃからばあさん、

>次回に訪れたときも、またこの本門寺蕎麦を注文します。

私もそうしたいと思います。

本門寺の霊宝殿は、毎月展示替えをしているようなので、これからは可能な限り月に1回は行ってみようと思っています。

この夏は、久遠寺や誕生寺の宝物館にも行ってみたいと思ってます。

それにしても、これらの本山のように、博物館形式で宝物を拝観できるところは、結構あちこちにあるのでしょうかね。
博物館形式は「虫払」と違って、気を使わなくて良いですよね。

459パンナコッタ:2006/07/10(月) 00:24:05
蕎麦なら、題目塔の脇のお蕎麦屋さんも美味しいですよ。

本能寺の宝物館は、有名ですね。
 http://www.joho-kyoto.or.jp/~f-machi/100/dekakeyo/237/index.html

460独学徒:2006/07/10(月) 23:01:52

パンナコッタさん、今晩は。

京都はいつか行ってみたいです。
要法寺もありますしね。

題目塔の脇のお蕎麦屋さんは、橋の手前のところですよね。
何かお薦めメニューはありますか?

461パンナコッタ:2006/07/11(火) 00:42:40
独学徒さん、どうもです。

自分はシンプルに”もり蕎麦”が好きなのですが、ソバ湯が美味しかったので
どれでもイケると思いますよ。

以前独歩さんにお聞きした清澄寺の霊宝殿は、蓮祖関係と真言密教関係が分かれて
展示されているとの事で、これも非常に興味深い物がありますね。

462犀角独歩:2006/07/11(火) 04:51:11

パンナコッタさん
独学徒さん

清澄寺は、元真言宗であったわけですが、「日蓮聖人人に由緒ある所」ということで、同宗から日蓮宗に寄進された寺院であるわけですね。そんなことから、霊宝殿は1階が日蓮宗、2階が真言宗の展示と分かれていたと記憶します。

誕生寺も間近で、さらに鯛ノ浦の遊覧船でみられる鯛の群れは圧巻です。

463独学徒:2006/07/11(火) 06:55:02

パンナコッタさん、犀角独歩さん、おはようございます。

題目塔脇のお蕎麦屋、清澄寺霊宝殿・誕生寺宝物館・鯛ノ浦の遊覧船、この夏に体験したいと思います。

非常に良い情報を戴きました。
有難う御座います。

464犀角独歩:2006/07/11(火) 11:42:17

独学徒さん

誕生寺は宝物館はなかったと思います。
ただ、今、公式サイトを見たところ、8月10日に灯籠流しがあること、また本堂が一般公開されるようになったことが、記されてありました。

http://www.tanjoh-ji.jp/

465れん:2006/07/11(火) 17:29:53
独学徒さん                              

私は、高校生の時、家族で誕生寺・清澄寺に旅行で行きました。誕生寺
には、私の行きました時には、宝物館はありました。その時の展示品には
所蔵の伝・日蓮聖人筆の曼荼羅・聖人御真蹟の御消息等がありました。
清澄寺の宝物館でも、日蓮聖人に関わる宝物・真言宗に関わる宝物の展示
がありました。
取り敢えずご参考になれば幸いです。

466独学徒:2006/07/11(火) 20:30:29

犀角独歩さん、
れんさん、

御教示有難うございます。
誕生寺の宝物館は、HPでは「布教殿堂建設期間中、宝物館は仮事務所として使用致します。(2006年8月までを予定)」となっていますね。
出かける前に確認しようと思います。

467真実知求者:2006/07/11(火) 21:05:49
、、横から失礼いたします。
 日蓮様の古い文物こそ、大事です。
 昨今は、どこのウマの骨とも不明なええカゲンな本尊をクルクルと変えて組織防衛に熱心な団体も存在です。
 小生は、あくまで緊急避難的(こだわりはありませんが)すが、日蓮様の真筆本尊をコピーして内得信仰中です。
 どこも、キッチリと謝罪と反省も無いうちは、致し方在りません。
 苦しい選択も難儀では在ります。 早々。

468犀角独歩:2006/07/11(火) 22:24:04

れんさん
独学徒さん

有り難うございます。そうですか、誕生寺にも宝物館があったのですか。2、3度足を運んでいるのに、気づかずじまいでした。参考になりました。

469犀角独歩:2006/07/12(水) 06:59:53

真実知求者さん

> 日蓮様の真筆本尊をコピー

門下一般で行われるところですね。
けっこうなことであると賛同します。

470真実知求者:2006/07/12(水) 16:40:48
、、、恐縮いたします、、。 難儀です。 苦慮中です。

471大縫薫:2006/07/13(木) 00:01:56
日蓮正宗でも、宗祖の真筆御本尊を写真製版から複写した本尊は存在しています。
福島県いわき市妙法寺の本尊は寺史にも複写版と紹介されています。
寺4 1280 宗祖大聖人 弘安3年3月□日 文安二年十一月六日 日有花押
                   冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也
妙法寺・紙幅(複写版)三二×十七

472真実知求者:2006/07/13(木) 17:41:07
>>471さん、 、、、在ります。
 失礼します、。 真筆様が存在するのに、なぜ、それを重大視しなかったのでしょうか、、?
 この一点の軽視、、!!!には、庶民の成仏への願いを無視するような最大の欠陥が存在、のようでしょうか?
 今更の「後出しじゃんけん」の様な実感はいたします、。キッチリト謝罪さえすれば「最出発」も可能です。
 期待は致します、が、、が、、。

473今川元真:2006/07/13(木) 23:37:04
横割失礼します。 大聖人の魂魄が板漫荼羅に宿ると言う信仰。 法主教学の変遷。 創価学会の暴走。 ●久遠寺・漫荼羅道場(題目→本尊→戒壇)⇒天照皇大神・宗祖大聖人・漫荼羅→唱題、漫荼羅本尊、戒壇堂 ●密教(毘盧遮那成仏大日如来)、顕教(法華一乗・成仏得道) ●密教も顕教も時代毎に教学が違うようなのでどこに力点を置くのかは大事でしょう。

474きゃからばあ:2006/07/14(金) 10:19:51

今年も創価大学夏季講座があります。

http://www2.lawsonticket.com/pc/P40/WM80.asp?SI=sok

個人的には講座番号3・菅野博史さんの講座だけが興味あります。
しかし都合が悪く行けそうにありません。
もしどなたかもし参加されましたら、ぜひ内容を教えてください。
勝手なお勧めでした。

475パンナコッタ:2006/07/25(火) 16:59:01
バーミヤンでペルシャの霊獣の絵を確認したそうですね。

 アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で保存・調査活動に当たっている独立行政法人
 文化財研究所のチームが25日までに、石窟(せっくつ)内の7世紀の仏教壁画を覆っていた
 すすの除去に初めて成功、ペルシャ神話の霊獣「シームルグ」とみられる絵柄が描かれている
 のを確認した。同じくペルシャ起源の「グリフィン」とする指摘もある。いずれの絵柄でも
 バーミヤンで鮮明な形が確認されたのは初めて。
  霊獣は1−5世紀に仏教美術が繁栄したガンダーラ風の唐草模様とともに描かれていた。
 同遺跡に詳しい和光大の前田耕作名誉教授(アジア文化史)は「シームルグと唐草模様との
 組み合わせは独自とみられる。シルクロードの要衝として東西の文化が融合し、発展した
 バーミヤン仏教文化を研究する上で極めて重要な発見だ」と話している。(バーミヤン共同)

http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=home&NWID=2006072501001262
 (更新してリンクが切れる場合があります)

476れん:2006/07/25(火) 18:22:47
大縫さん
>471
御提示のいわき妙法寺蔵の御形木について質問なのですが、「文安二年十一月六日 日有花押」ということは、当御形木の原本は現在、石山所蔵の弘安三年三月の宗祖御筆漫荼羅を九世日有師が模写したものということでしょうか?また、「富士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也」の文言は日有師の筆でしょうか?それとも、当御形木が作成された時に、作成者により添書されたものでしょうか?参考のためご教示戴ければ幸甚です。

477大縫 薫:2006/07/27(木) 01:52:41
れん様
妙法寺さんの所蔵曼陀羅は81番の複写版の御本尊様で、同寺の本堂安置の板御本尊
も独歩さんの著者の中で公開された板御本尊と同様です。
複写版といってもカラーではなくコロタイプ印刷に見えます。
版木から写したののではないので、面白いです。

478彰往考来:2006/07/27(木) 12:26:18

大縫 薫さん

横レス失礼。
>471, 477 妙法寺さんの所蔵曼陀羅は81番の複写版

これは82番の複写版ではありませんか?
それと、もし82番の複写版とするなら、
文安二年十一月六日 日有花押 
冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也
との書き入れはどういう状態で入っているのでしょうか?『御本尊集』の写真ではかかる書き入れは確認されませんが? 大石寺蔵の実物を写真撮影されたということでしょうか?

479大縫 薫:2006/07/27(木) 16:57:16
 失礼致しました。81番ではなく82番でした。勘違いをしていました。
文安二年十一月六日 日有花押 
冨士山大石寺重宝紫宸殿御本尊之写也は下部に印刷されており、妙法寺本堂の板
御本尊の凹金文字が墨文字で表現されています。

480れん:2006/07/27(木) 21:01:19
大縫さん・彰往さん
妙法寺さんの本堂の板御本尊が原本でしたか。「富士…写也」が有師の筆ならば、82番の“紫宸殿”の名称は石山九世の有師まで溯ることになりますね。 お二方のやりとりで、御形木の感じが分かりました。有難うございます。

481犀角独歩:2006/08/01(火) 13:49:11

ブッダ会が、独自ドメインを取得し、稼働を始めました。
当面、わたしが管理しています。
ご高覧、ブックマークいただければ幸甚です。

中村行明上人とブッダ会
http://buddhakai.jp/

482大縫 薫:2006/08/02(水) 20:13:27
全くの余談ですが、今年TBSで新春放映された里見八犬伝の撮影地は、西山本門寺
の境内地で撮影され、武田鉄也・綾瀬はるか・押尾学などの俳優さん達が数日間に
わたり芝川町に滞在されたそうです。DVDで販売・レンタルしていますので、興味
があれば確認して下さい。
http://www.filmwork.jp/rokerepo2.htm

483 柊:2006/08/02(水) 21:43:42

西山本門寺、信長の首塚があるってよ。
みのもんたがやってたな。

484犀角独歩:2006/08/05(土) 15:43:29

『文藝春秋』06年8月号に落合博実氏著『国税「創価学会調査記録を入手」』(P326)が載りました。今朝、楠山師から頂戴し、読みましたが、従来の批判記事とは違い、読むに値する内容でした。

485犀角独歩:2006/08/12(土) 12:52:15

創価学会の戸田さんをモデルにした『人間革命』が、事実を題材にした小説として話題になっていますので、同じく戸田さんをモデルにし、事実を題材にした小説である志茂田景樹著『折伏鬼』(文春文庫)を挙げておきましょう。

ここで記述される団体と主人公が、事実と相違しているというのであれば、主人公が悟達した仏ならぬ、鬼ではない無いと論証できるや否や(笑)

志茂田景樹『折伏鬼』文春文庫
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167326019/250-3996527-1240227?v=glance&n=465392


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