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お薦めスレッド
286
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/18(木) 07:48:11
>282,283 犀角独歩さん、パンナコッタさん
「東日流外三郡誌」(つがるそとさんぐんし)の捏造された背景や偽書である考証については安永美典氏の『虚妄の東北王国 ― 歴史を贋造する人たち』(1994年、毎日新聞社)に詳しいです。
「東日流外三郡誌」は発見者の「和田喜三郎氏が書いた偽書」(73頁)とされていて、安永美典氏は「『東日流外三郡誌』を見ると、そこに写真版でかかげられている「古文書」の文字は、和田喜八郎氏じしんの筆跡と一致する」(73頁、“じしん”は原本のママ)と指摘しています。
最近では丘英夫氏が『新ジンギスカンの謎』(叢文社)に文献として「東日流外三郡誌」を引用しています。丘氏の著作は義経がジンギスカンになったと主張されている内容で、「東日流外三郡誌」のような偽書をもとに論理を構成しても自己満足にすぎないといえます。
私たちも考証をする上で偽書をもとに論理を組み立てると、例えその他の部分が正しくとも、その論理全体が否定されかねませんので注意が必要です。
『虚妄の東北王国 ― 歴史を贋造する人たち』から
途方もないウソをつく人があらわれると、善意でそれを信じ、ほんとだと思って、熱心にひろめる人がでてくる。(54頁)
「偽」の歴史を、「真実」の歴史であると主張するのなら、それは、歴史の贋造である。(202頁)
287
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/18(木) 07:50:59
>286
追記です。
丘英夫氏の『新ジンギスカンの謎』(叢文社)は2002年の出版です。
288
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:53:14
彰往考来さん、”安本美典”氏です。
>282 のさらにその後、のリンク先は昭和薬科大で古田武彦教授の下で助手をしており
「三郡史」の真偽論で袂を分かった原田実氏のサイトです。経過についてはそちらを参照ください。
その原田氏が、
『1999年11月に同志社大学で行われた「国際教育学会」で、東京学芸大学教授でこの学会の会長も務める
西村俊一先生による発表がありましたが、その掲載誌です。 この先生は有名な偽書である「東日流外三郡誌」
のことを調べに「三郡誌」の所蔵者である和田喜八郎さんの家まで行って、「間違いない、本物だ」と納得して
帰ってきた人なんです。(会場爆笑)
和田さんが亡くなられたのが99年9月で、学会発表はその2ヶ月後ですから和田さんの霊前に捧げるという内容に
なっています。西村先生によると、そもそも「東日流外三郡誌」偽説論者というのは犯罪者まがいの連中ばかり
なんです(笑い) たとえば安本美典氏については、古田武彦氏との「”九州王朝”をめぐる論争において惨敗
を喫した」から、その腹いせに「現代人和田喜八郎の手になる”偽書”であるとの攻撃」を『東日流外三郡誌』に
加えたというんです。 そして原田実という人物に関しては、和田喜八郎氏が作ったものではありえないことを
しりながら嘘をついていると。(会場爆笑) そしてこういう連中がやっているのは「犯罪心理学の世論操作への
不埒な悪用」なのだそうです(笑い)』
289
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:53:42
続き
『で、この人はあまり調査せずに和田さんらの言い分を鵜呑みにしたのかというとさにあらず、
東北地方の関係機関をけっこう回っているんですね。東奥日報社、五所川原市教育委員会、青森県史編纂委員会、
弘前大学などに取材調査に行くのですが、”東日流外三郡誌”が本物だと言い続けるものだから、結局は
相手にされなくなる。で、こう言っています。
「実は、彼らは”偽書”キャンペーンにひどく怯えていたのである。(中略)この異常さには、さすがに驚きを
禁じ得なかった。当方は、その時、悪霊に取り憑かれた暗黒の村を描いた外国映画があったことを思いだした」
つまり、悪辣な陰謀家集団が西村先生の行く先々で真実の芽をつぶして回っていたと(笑い)。こんなことを
言っているのが東京学芸大学教授で、しかもその発表というのが、同志社大学を会場とするれっきとした学会の場で
その会長自らが行ったものというのですから、学会発表だからといって信用できないいい例ですね』
と学会年鑑2002 原田実 「漢字文化圏の怪しい文化遺産」 より引用
なんだか富士系の信仰に、非常に共通性があるようですね。
290
:
パンナコッタ
:2005/08/18(木) 12:54:05
蛇足ですが義経伝説の経緯は、室町後期の【御曹子島渡り】あたりとされ、
『物語は源頼朝旗揚げ以前のことと想定されたものである。平家が天下を制していた頃、奥州に
赴いた義経は、更に千島とも蝦夷ヶ島とも呼ばれる島に渡り、鬼の大王の秘する「大日の法」という
兵法を盗み出すというものだった。つまりこの物語は「島渡り」あるいは「地獄行き」という冒険を
通して、異界から非日常的な力(この場合は兵法)を持ち帰るという成人儀式説話の類型であり、
それが判官贔屓の心情と結びついてできた、はっきりそれと意識された創作だった』
長山靖生 「義経=ジンギスカン」伝説 『歴史を捏造する人々の「根拠」』 より引用
さらに様々な人の手によって”伝説”が、作り上げられていったようですね。
291
:
犀角独歩
:2005/08/18(木) 21:05:53
> 偽書をもとに論理を組み立てると、例えその他の部分が正しくとも、その論理全体が否定されかねません
されかねないどころか「否定される」でしょう。
どんなに精緻に書けて、人々の喜怒哀楽を喚起してやまない物語も、所詮、物語は物語です。どんなに精緻に書けた教学でも虚構の上に成り立つものは虚構です。
彰往考来さんも、パンナコッタさんも、この当たり前を受け入れた賢人だということですね。
292
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/08/19(金) 07:14:48
>288 パンナコッタさん
ご指摘ありがとうございます。何を血迷ったか著者名を間違えました。
293
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 16:34:10
戦後60年という事で戦史関係の事が、たびたび出てきますね。何れにせよB−29による無差別絨毯爆撃、
原爆は非戦闘員の大量虐殺そのものです。 しかしながら戦勝国ではこの行為に対する免罪符としての
プロパガンダが当然あり、今なおそれを主張し捏造気味に戦禍を拡大させる国があるのが実情です。
この辺の論議はここの板とはかなりズレますのでいたしませんが戦史を読み解き、事実に近づく方法は勉強に
なると思いますので、ご参考までに。
姫路城不死鳥伝説
http://www.sanynet.ne.jp/%7Egino/phoenixs.html
史跡探訪
http://www.ne.jp/asahi/hayashi/love/index.htm
超空の要塞 B−29の追憶
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.b29/b29.html
B−29 本土空襲墜落機調査
http://10.ocn.ne.jp/~kuushuu/mia.html
お時間のある時に、是非チェックしてみてください。
294
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 16:38:21
失礼しました、
B−29 本土空襲墜落機調査はこちらです。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/mia.html
295
:
パンナコッタ
:2005/08/19(金) 22:54:32
劣化ウラン弾については、”小型の核兵器のように誤解をさせるプロパガンダがある”と
いうのが実状ですね、核兵器ではありません。
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20030401d1.html
http://pws.prserv.net/spanglemaker/essays/uran.html
ただ破壊力が大きい為、対人兵器でもありません。何れにしろやっかいなものであるのは事実です。
まあ、この辺の事はフィクションの世界の中だけで楽しむ事にしたいものですね。 放射性物質を
上手く題材にした小説、P・コーンウェル『死因』は おすすめです。
296
:
犀角独歩
:2005/08/19(金) 23:43:58
パンナコッタさん、劣化ウラン弾の被害は数年ではわかりませんよ。
石綿より長いでしょう。被爆後、悪性腫瘍、白血病の発症は数十年のスパンです。
核兵器ではないというほうがプロパガンダではないでしょうか。
また、現地ボランティアに入っている人々からは、明らかに劣化ウラン弾の影響と思える奇形、腫瘍の例が報告されています、いまは、ジャンプが見つかりませんが。
297
:
パンナコッタ
:2005/08/20(土) 01:32:55
劣化ウラン弾は核兵器というより、Dirty Bomb というカテゴライズの方がいいと思います。
これはイペリットやマスタードガス等の化学兵器や放射能汚染だけを拡散させる事を目的とした簡易型の
兵器と近い扱いの方がよいと思ったからです。 やはり一瞬で人間・その他を蒸発させる核兵器とは
区別した方がよいように思いますが。
298
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 06:02:55
分類すればどうなるのかわかりませんが、わたしは一切の核使用に反対の立場ですから、それがウランだろうがプルトニウムだろうが、原爆だろうが、劣化ウラン弾だろうが、原発だろうが、すべて反対です。ですから、世間一般の分類と言うより、それら一切に反対、つまり、放射能汚染を危惧してのことです。
299
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 06:14:21
もとより、パンナコッタさんと言い争う気はありませんが、以下、各サイトでいうところはプロパガンダではないと思います。
また、日本国家、もっと言えば、アメリカ、さらに言えば、ダイヤ、石炭、石油に次ぐ、一部特権階級のビジネス「ウラン」「プルトニウム」が封印し、押さえ込むメディア・報道の一つに、この劣化ウラン弾の問題があり、その実態が恰も一般兵器のように認識されることは危険であると、わたしには思えるわけです。
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=RNWE,RNWE:2005-01,RNWE:ja&q=%E5%8A%A3%E5%8C%96%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%B3%E5%BC%BE%E3%80%80%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E6%B1%9A%E6%9F%93
300
:
パンナコッタ
:2005/08/20(土) 09:36:31
話をかなり脱線させて済みませんね。
自分は一般的に核兵器と呼ばれる物は『核爆発兵器』だと思っています。劣化ウラン弾のような物は、
【被爆汚染残存する(懸念がある)兵器】だと思っています。
広島の「銀行の人影」というやつですか。これを見た時、通常の兵器とは全くの異質・別物という感じを
うけた為なのかもかもしれません。
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/04abom/kiroku/
301
:
犀角独歩
:2005/08/20(土) 15:03:59
最新刊『大白蓮華』を読んだのですが、離れてみた創価学会は、考えさせられるところが多かったですね。
自分のブログをお薦めするというのは手前味噌ですが、ご高覧いただければ有り難く思います。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/30504228.html
302
:
独学徒
:2005/08/25(木) 18:05:11
犀角独歩さん、重ねてのご期待を有難うございます。
我が家では、本日やっと大白蓮華9月号が届きました。
犀角独歩さんのブログを拝見しながら、9月号の大白蓮華を読みました。
活動会員以外には、全く無用の内容が目立ちますね。
資料的価値の無い、宣伝広告としての機能だけの雑誌といったところでしょうか。
活動会員以外でも、購読される方々を納得させるだけの紙面作りを、是非ともお願いしたいものです。
もう少し値段を上げてもいいので、真面目に真偽を追求するものに、資料的価値のある雑誌であってほしいです。
青年僧侶や改革同盟も、「ヨイショ論文」やスキャンダル話でなく、真面目な教学研鑽を期待します。
興風談所と並べるくらいの、努力をお願いしたいものです。
以上は、一学会員として要望致します。
303
:
独学徒
:2005/08/28(日) 13:23:31
5月のオフ会「戸田城聖を聞く会」でお会いしました、てんてんさんのHPらしきものを発見しました。
http://members.at.infoseek.co.jp/n0r1k/index.html?07151200
同HNの別人かもしれませんが、牧口・戸田研究のHPらしいです。
304
:
犀角独歩
:2005/08/30(火) 23:40:42
303 独学徒さん
なかなか充実した資料紹介ですね。
あと、戸頃重基師、大谷栄一師の記述も紹介されるといいですね。
また、牧口さんの禊教時代、戸田さんのキリスト者時代なんかの資料も加えるとさらに充実するでしょうね。
305
:
独学徒
:2005/08/31(水) 19:39:07
犀角独歩さん、皆さん本当にHP作り等パソコン知識がおありです。
私も本当はHPを作ってみたいのですが、どうもうまくいきません。一応現在作成中なので完成した時には、紹介させていただけますと嬉しいです。(けわしき道ですが)
今日は仕事が休みでしたので、1日国立国会図書館にいました。
昨年の「日蓮宗教学研究発表大会」での犀角独歩さんの発表のあとに、大石寺学僧方が質問された中で、熊田氏『日蓮上人』口絵に掲載された所謂「本門戒壇之大御本尊」の写真が、由井氏の著作『日蓮大聖人』に掲載された写真であるという趣旨の質問があったと思います。
そこで今回、国会図書館で由井幸吉(一乗)の『日蓮大聖人』を拝見しました。冊子本ではなく、マイクロフィルムでの閲覧のため、非常に見ずらかったのですが、確かに口絵に奉安殿のような建物の中央に、所謂「本門戒壇之大御本尊」と思われる彫刻が写っていました。
恐らくこの写真の、中央部分を拡大して掲載したのが、熊田氏『日蓮上人』の口絵写真であろうと思われます。
しかし相貌にいたっては、熊田氏が手を加える云々を比較できるような写りではなく、一応コピーをとりましたが、コピーには曼荼羅部分の相貌は全く写らず、外堀から熊田氏『日蓮上人』の口絵との一致を認めさせるにとどまります。
また稲田海素師の『御本尊写真集』も、マイクロフィルムで拝見しました。
ここには本法寺所蔵の、日載授与の御本尊(弘安三年三月日)が写真掲載されています。
大石寺の安82番曼荼羅の模写といわれるものです。こちらもマイクロフィルムということで、コピーはとにかく資料としては成り立たないほどの写りの悪さです。
しかし、もう手に入ることの期待できない、貴重な資料が多数あることは事実で、お薦めだと思いました。
306
:
犀角独歩
:2005/09/01(木) 00:57:05
独学徒さん
貴重なご投稿、有り難うございました。
もし、よろしければ、この次のオフ会で是非とも研究発表をしていただきたいと存じます。
307
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/09/01(木) 07:53:43
>305独学徒さん
>稲田海素師の『御本尊写真集』
私も国会図書館のコピーを持っていますけど確かにマイクロフィルムからのコピーは鮮明ではありません。でも、資料としてそれなりに役にたつと思いますけど。
ご指摘の本法寺所蔵の、日載授与の御本尊(弘安三年三月日)は私も興味があります。なぜ82番と日付が異なるなかなど不明な点が多いですね。
308
:
犀角独歩[TRACKBACK]
:2005/09/01(木) 12:32:33
独学徒さん
お尋ねしますが、
> 『日蓮大聖人』…口絵に奉安殿のような建物
ここで仰る奉安殿とは昭和30年に建立された奉安殿ということでしょうか。
これはたしかコンクリート造りのものなので、ちょっと、ピンと来ないのです。
御宝蔵に奉安されていたのだと思うのですが、こちらではありませんか。
石山の坊さんは「御影堂」といっていたわけです。
「熊田氏の『日蓮上人』にしか大御本尊の写真が出ていないということなんですけれども、熊田氏の写真というのがですね、あの由井一乗居士という方の『日蓮大聖人』という本があるんですけれども、その御影堂全景の写真のなかからの、拡大してあの本に掲載されていまして。しかも修正が加えられているということはご存知でしょうか」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/r1800
わたしはこの発言で「御影堂」というところはよく聞き取れなかったんですが、「写真に修整を加えている」ということで「はい存じております」と答えた経緯があります。
この石山の若い方の発言をそのまま採れば、『日蓮大聖人』発刊当時、彫刻本尊は御影堂にあったことになります。これは、たぶん、「御宝蔵全景」の言い間違い、もしくは故意の言い換えではないのかと思うのです。
宝蔵は以下の写真の如くですが、奉安殿、御影堂、御宝蔵、いずれのものであるか、ご記憶にございますか。
http://www.asahi-net.or.jp/~JE3T-WSI/index09.html
309
:
犀角独歩
:2005/09/10(土) 05:11:31
他スレで紹介しましたが、再度失礼します。
拙HPに以下、ページをアップしました。
ご高覧のうえ、是非ご意見を『本門戒壇の大御本尊様の偽作説について』にお寄せください
『何故わたしが、所謂「本門戒壇の大御本尊」の真偽を論じるのか』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/doki.html
310
:
顕正居士
:2005/09/14(水) 09:06:08
2ちゃんねるは掲示板全滅時代に唯一生き残った大掲示板です。
日本の宗教の関連では次の2つの板が推薦です。毎日、見ていれば
新興宗教にも既成宗教にも、けっこう物知りになれます。
心と宗教@2ch掲示板
http://life7.2ch.net/psy/
神社仏閣@2ch掲示板
http://travel2.2ch.net/kyoto/
311
:
独学徒
:2005/09/22(木) 21:14:17
>「つぶやきスレッド2」1803 パンナコッタさん、
HPへのご期待、有難う御座います。
本日は仕事が休みでしたので、「神奈川県立金沢文庫」に行ってきました。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/kanazawa.htm
私のHPはお薦めできませんが、金沢文庫はお薦めできます。
金沢文庫は本年開館75周年です。
後ほどブログには、本日の感想をアップしたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしく願い致します。
312
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 01:37:01
独学徒さん
貴HPに期待します。
よろしければ、わたしのブログページのリンク集に加えさせてください。
313
:
独学徒
:2005/09/23(金) 12:01:00
犀角独歩さん、有難う御座います。
すみません、私のほうは断りも無しにリンクに加えさせていただいてました。
どうぞよろしくお願い致します。
314
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 12:50:44
独学徒さん
ただいま、リンクさせていただきました。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
犀の角のように独り歩め
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
紹介記事
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50057789.html
315
:
犀角独歩
:2005/09/23(金) 13:00:00
独学徒さん、追伸です。
HPを更新された際はご一報ください。
随時、ブログで紹介させていただきます。
316
:
独学徒
:2005/09/23(金) 23:20:07
犀角独歩さん、リンク戴きました上、過分なお言葉を頂戴し、誠に恐縮です。
まだまだかけ出したばかりのHPであり、わからない事だらけですが、HPの更新も勉強の一つと考え、時間はかかると思いますがしっかりと更新していきたいと思います。
今後ともご指導のほど、よろしくお願い致します。
317
:
独学徒
:2005/09/24(土) 14:33:28
犀角独歩さん、空っぽだったHPの「資料室」に、稲田海素師の「日蓮上人御直筆『圓多羅義集に就いて』」をアップさせていただきました。
お時間をいただき、少しずつ充実させていきたいと思います。
どうぞよろしくお願い致します。
318
:
犀角独歩
:2005/09/24(土) 22:45:00
独学徒さん、楽しみです。
あとで拝読させていただきます。
319
:
犀角独歩
:2005/09/25(日) 12:14:42
独学徒さん、早速、HP更新をわたしのブログでも紹介させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50063042.html
稲田海素師が「圓多羅義集と彼の建長三年の御写本の九字秘釈並びに建長六年不動愛染二ヶ相承の御自筆と比較するに筆跡大に相似たり、此れに由て此集を以て御真蹟なりと決断せる」という一節は、近代真跡鑑別の基を読む思いがしました。
学会系のHPで不動愛染感見記に対する偽書説が取り沙汰されていますが、この稲田師の三つ巴の真跡鑑定を考えると、このうち、一つが偽書となれば、他2書も偽書となるわけですね。師の鑑定は動かないと思えました。
しかし、同文末尾の「此圓多羅義集の吾祖の真蹟がいかにして金沢称名寺へ伝わりたるやと云へば、現今金沢文庫に存在せる理性院血脈関係」という点は、戸頃・高木両師における「二人の日蓮」論争の結末が別人説で決着した点と異なるわけです。(<二人の日蓮>改稿―金沢文庫蔵「理性院血脈」を日蓮伝の資料から除くべき歟のこと―(高木豊著・増補改訂『日蓮―その行動と思想―』(太田出版)P229)
しかし、この点と冒頭の文字鑑別を同等に論じる必要はないとわたしには思えました。
参考になりました。有り難うございました。
320
:
独学徒
:2005/09/25(日) 17:33:27
犀角独歩さん、早々にご紹介いただき誠に恐縮です。
有難う御座います。
今回アップしました、稲田海素師の「日蓮上人御直筆『圓多羅義集に就いて』」ですが、短い論考で尚且つ大半が宗祖遺文の引用に終わっていますので、なにか言葉足らずといった感じを受けました。
まるで文字数の制限でもあったかのようです。
しかし、稲田海素師についてもう少し知りたいと思っています。
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049186&VOL_NUM=00000&KOMA=2&ITYPE=0
特に師が大石寺客殿で見たものは何か、強く興味を引かれるところです。
現在も大石寺では、客殿にて「虫払」を行いますが、その際には「客殿の奥、高いところ」には曼荼羅本尊の類が懸けられます。
http://www.nichirenshoshu.or.jp/jp/indexj.html
稲田海素師が活躍されたころ「禅師授与曼荼羅」は、北山もしくは法道会本部にあったと思われますので、当時の貫首が日応師であったとしても、本山での「虫払」に「禅師授与曼荼羅」が出展する可能性は限りなく低いですが、どうも私はこの点が気になります。
稲田海素師が見たものは「禅師授与曼荼羅」ではないかと。
話はずれますが、今日は保田妙本寺に出向いて参りました。
後ほど感想等を、ブログの方に投稿したいと思います。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
321
:
01
:2005/09/25(日) 20:39:19
日蓮正宗のサイトか。サイトの誠実さを見るのって簡単だよね。
くさいサイトってリターンアドレスが絶対に表示されてないんだよね。
322
:
01
:2005/09/25(日) 21:40:33
圓多羅義集って、当用漢字にすれば円多羅義集じゃないかな?
どこから転載したかも書かないと著作権に抵触するんじゃないの?
323
:
独学徒
:2005/09/25(日) 23:23:29
>322
ご指摘有難う御座います。
早速、転載元を論考の一番下に明記しました。
漢字の直しにつきましては、もう少しお時間を戴くということでご容赦願います。
なお私のHPのご指摘等で、こちらの掲示板に迷惑をかけてしまうのは申し訳ありませんので、今後はメールもしくは以下の掲示板にてご指摘・ご指導を賜れば甚大です。
http://bbs6.fc2.com/cgi-bin/e.cgi/fujikyougaku/
今後ともよろしくお願い致します。
324
:
犀角独歩
:2005/09/26(月) 05:35:30
独学徒さん
> 「客殿の奥、高いところ」
これは虫払法要を指していると。なるほど。となれば、石山虫払法要に堀氏の取り計らいで稲田師は客僧扱いで参列したということになるわけですか。これはなかなか興味深い話ですね。もっとも石山には細井氏が執行海秀師を招いたというのは夙に語られることですし、宮崎英修師も行っているんでしたか。これらの人々は、宝蔵調査、もしくは法要参列もしたということでしょうか。
虫払法要を執り仕切るのは、教学部でしょうから、その関係者であれば、どんな順番に懸かるのかもわかるはずです。いちばん奥中央に懸かるのは、何でしたっけ。いまとなっては記憶が曖昧です。所謂。譲座本尊でしたか。この記憶が正しければ、日蓮真筆を差し置いて、日興書写は中央に懸けることになりますが、こんなばかなことをするのでしょうか。わたしの記憶違いでしょうか。
稲田師が、原本と見たのは、取り敢えず、第82漫荼羅ということになるのでしょうか。
しかし、相貌はぜんぜん違いますから、この漫荼羅と見間違えるというのは考えづらいですね。
> 法道会本部…本山…「虫払」に「禅師授与曼荼羅」が出展
こういうことは法要の性質から有り得ないでしょう。各寺院ごとに所蔵している宝物開帳するのが、虫払の意味ですから。
所蔵している教会寺院の虫払法要以外で懸けられる可能性はないと思います。
325
:
独学徒
:2005/09/26(月) 11:44:02
>324
犀角独歩さん、
平成15年の「大日蓮」5月号の記事(虫払記事)を参考に考えますと、宗祖本尊といわれるものは「内陣中央」から懸けられ、「譲座本尊」を1番に以降の歴代本尊は「外陣中央」から東西交互に24番まで懸けられたとあります。
あくまでも現在の様式ではありますが、参列者側からしますと宗祖本尊の類は、歴代本尊の後ろに懸けられることになりますので、「奥、高いところ」には該当すると思われます。
>所蔵している教会寺院の虫払法要以外で懸けられる可能性はないと思います。
確かに仰せの通りだと思います。
私は「法の道」全巻を見る限り、日応師のころに法道会にて「虫干」が行われた形跡がないことや、日応師が「御真筆大御本尊」を外部に持ち歩き御開帳していたという記事が出ていたため、>320のような推理をしてみました。
あとは、阿部教学部長(当時)の発言と言われる「河辺メモ」の記述よりも、稲田海素師が木下師に語ったとされる内容のほうが、より犀角独歩さんの鑑別に近い分析に感じられます。
「河辺メモ」では「主題と花押」を模写とありますが、稲田海素師の言では花押は別であったと思います。
稲田海素師が、一目みて「これだ」と思うようなものが何であったか、今は他に史料が見当たりませんので、結局は推理・想像の域を出ないのが現状です。
326
:
犀角独歩
:2005/09/27(火) 12:29:51
> 325 独学徒さん
参考になりました。有り難うございます。
327
:
犀角独歩
:2005/09/30(金) 00:42:09
本日発売の『週刊新潮』'05.10.6号に『韓国テレビ局が報じた「池田大作とは何者か」』が掲載されています。
・「池田氏への『名誉教授』は、多額の寄付をもらったので」と告白する大学学長。
・「強引に付けられた『SGI通り』という名前」に激怒する地元住民たち。
「言論妨害」「盗聴」「不正投票」……日本では絶対に放映できない「創価学会の暗部」!
とのことでした。
韓国SGIについては、他でも問い合わせが来るなどしていたのは、このことかと思い当たった次第です。
328
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/10/04(火) 07:27:18
>305 独学徒さん
>稲田海素師の『御本尊写真集』
先日、国会図書館で稲田海素師の『御本尊写真帖』にある日載授与の御本尊(弘安三年三月日)を再度コピーしてみたのですが、いやはや御指摘のとおりヒドイですね。画質が悪くとても使い物になりません。
昔コピーしたときはそうでもなかったのですけどね。
そういうことで、私の307の投稿
>マイクロフィルムからのコピーは鮮明ではありません。でも、資料としてそれなりに役にたつと思います
は訂正します。
彰往考来
329
:
ケン
:2005/10/04(火) 22:16:11
日頃から勉強させていただいています。
例えば、最近では、「末法思想」・「三時」などのご議論を興味深く拝見しています。
さて、昨日、コンビニに寄った際、
「>327
>『週刊新潮』'05.10.6号に『韓国テレビ局が報じた「池田大作と
>は何者か」』が掲載されています。」
を思い出し、買ってみました。(前々から、新潮社は応援しなければと思っていますので、ささやかですが、機会があれば、また応援しようと思います。)
その記事の中に、「オヤッ」と思うことがありましたので、質問させていただきます。
「オヤッ」と思ったのは、
「一説に、韓国SGIは150万人もの信者を抱えているという。人口が日本の3分の1強に過ぎない韓国では驚異的な数字である」
の記事です。
二十数年ほど前(あるいは、それ以上前)の聞きかじりでは、「韓国では、日本人を教祖とする日蓮系の信仰を持つことが禁止されているので、日蓮正宗・創価学会も韓国への進出は困難である」と理解していました。
この聞きかじりの内容が、そもそも誤っていたのでしょうか。
あるいは、何年か前から、「禁止」の事情が変わったのでしょうか。
ご存知の方がいらっしゃれば、宜しくお願いいたします。
330
:
犀角独歩
:2005/10/05(水) 14:51:16
ケンさん、はじめましてで。よろしいのでしょうか。
329は、わたしの投稿に関するレスでしょうから、お応えしなければなりませんが、あまりこの事情には通じておりません。
ただ、段さんと縁戚の高橋公純さんの奥さんが韓国の人で、その関係から石山布教があり、その後、独自になったということですから、創価学会、大石寺、高橋さんと信者はいることになるのでしょうね。
まあ、日蓮宗の人々に聞けば、アジア一帯で、日蓮関連の布教は一定の成果を上げているようで、まあ、そのなかで韓国の創価学会進出は目立っているとのことでした。
あまり、参考にならないと思え、恐縮です。
331
:
独学徒
:2005/10/05(水) 21:09:14
>328
彰往考来さん
今度お会いする機会がございましたら、是非お手持ちのコピーを拝見させてくださいませ。
犀角独歩さん、
HPにて犀角独歩さんの書籍と論考文を紹介させていただきたいと思います。
事後承諾となり恐縮ですが、どうぞ宜しくお願いいたします。
http://fujikyougaku.fc2web.com/index.html
表紙をさらにシンプルに整理しました。
また資料室に『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』を追加しました。
ここのところ、迷惑メールやウイルスメールの処理に追われています。
HPを管理するということがどういうことか、ようやく皆様のご苦労の一端を体験できました。
「日蓮宗教学研究発表大会」の件ですが、以下のページで10月21日・22日となっていました。
http://www.scj.go.jp/gakkai/html/0120.html
この日程ですと、私も今年は拝聴できそうにありません。
来週池上では盛大なお会式が行われると思いますが、大坊の「お会式桜」はこの季節に咲くのでしょうか?
もし開花情報がございましたら、写真を撮りに行きたいので、是非お教えください。
332
:
独学徒
:2005/10/05(水) 21:33:59
自己レスです
>また資料室に『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』を追加しました。
やはり画像のアップがうまくいきませんでした。
何度見ても画像が表示されないので、取りやめました。
日郷系譜は後にブログでアップしたいと思います。
すみませんでした。
333
:
独学徒
:2005/10/06(木) 00:49:43
先ほどは失礼しました。
『大石寺蔵「日郷直筆系譜」』につきましては、「冨士教学研究会―独学徒のブログ」(
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
)の『出世の本懐』の文中「直筆系譜」をクリックすると見れます。
「冨士教学研究会―独学徒のブログ」(
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
)『出世の本懐』では、日叡師の著作「類聚記」の一部もアップしました。
ご高覧戴きますと幸いです。
334
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 11:31:43
独学徒さん、日教研の件、失礼しました。
御会式桜は開花はいかほどでしょうか。近く散歩がてら本行寺の境内をのぞいてみます。貴HPでのご紹介、まことに有り難うございました。早速、当方のブログでも紹介させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50093638.html
郷門系譜、興味深く拝読しました。
アップされた図は興風談所のものですか。わたしはこの図には異論があります。
上古、相承譜は、受法も蓮・目・郷であって、ここに日興は介在しないと、わたしは思います。日興を重視する立場からすれば、これは納得がいかないのでしょうが、この点は、過去に、問答さんと議論をしたことがあります。
過去ログ「大石寺の歴史」の181以降
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm
やや、付加して記せば、富士門的発想では、どうも「唯受一人」というドグマで知らずに考えてしまうところがあります。ところが日蓮にしても、伝教にしても相承が複数であると窺えます。顕正居士さんがでしたか、寺院・相承というのは、いまで言えば、大学・入学許可みたいなものだから、その教義、口伝、また、蔵書などを拝観するためには相承を受けなければならないというのが一般であったのではないでしょうか。
伝教が真言秘密教学を知るために、空海から授かったのは夙に有名なことです。では、空海から授かった段階で、入唐で授かった天台相承は無効になるかといえば、そんなことはないわけです。そんな感覚もないでしょう。
過日の小松師(立正大学教授)の講義でも話題になったことですが、たとえば日蓮、また、本弟子は阿闍梨号を持っているわけですが、この允可は当初、比叡山ということになります。日蓮門下の全員が比叡山遊学したと考える蛮勇はおきませんが、しかし、日昭は日蓮と共にここに学んでいるわけです。そのうえでの阿闍梨号と考えられます。その允可を、まあ相承という言い方でよいのかどうかわかりませんが、しかし、許可があったわけでしょう。
また、感見記が真筆であれば(わたしはそう考えていますが)、日蓮は間違いなく真言相承も受けているわけです。
日興にしても弘安期まで、四十九院の供僧であったわけで、寺院を持たなかった日蓮の弟子僧は天台宗寺院で寄宿していたわけです。寄宿すると言うことは、その寺院の法義典礼に参列し、その行儀を為していたということでしょう。以上の関係で、「唯受」などあったものではありません。
わたしは2001年頃の問答さんとの議論では、興目両派というのは一種の確執があったのではないのかと疑っていたところがありました。しかし、今回のれんさんのご指摘を踏まえて考え直すと、日目を例に採ったとき、日蓮から受法し、その後、日興からも受法したということは考えられると思ったわけです。この場合、日蓮から日目が直接、拝受したことは日興が介在しないことがあっても、おかしなことではないわけです。感見記、また、第16大本尊を日蓮から直接、日目が受けたからと言って、何ら日興に咎められる筋合いのことではありません。日蓮の裁断だからです。また、こんなことで日興が悪心を抱くこともなかったでしょう。当時の師弟、学問というものがそんなものであったからです。ところがここで「唯受一人」という余計な観念が入ると、日目に伝わったことは日興が介在した‘はず’だと考えることになる。受法も蓮興目だとなります。しかし、これは違うと、わたしは思います。
日蓮の弟子たちがそれぞれの器量により、日蓮からそれぞれ受法され、また、他山でも受け、総合的に仏道の深さを加えようとしたというのは、現在で言えば、たとえば、京都大学を卒業して、東京大学の大学院に入る、さらに海外の大学に入る、それぞれのところで指導教授に師事し、学位も取るといったようなことと、まあ、似ていることだと考えればわかりやすいかもしれません。殊に日興は檀所という意識があったわけで、私塾の規模であったにせよ、学校経営ということになります。優秀な学生であれば、京・比叡山にも遊学させた(日順)のでしょう。日蓮もそうしていたわけでしょう。
以上のことから、事実を冷静に考えていくうえでは、あまり、日興門派に拘る固定観念が存する意見に振り回されないようにする注意が必要なのだと思います。
335
:
独学徒
:2005/10/06(木) 13:37:54
犀角独歩さん、ブログのご高覧ありがとうございます。
「日郷直筆系譜」ですが、これは私が勝手にそう呼称しているだけですが、日郷師の直筆が大石寺に現存しているとの事です。
興風談所の坂井師は、このような系譜が南北朝期に書かれていることは稀であり、日郷師の嫡弟意識を物語るものとしています。
「受法」に関しては「唯受一人」の可能性は有りますが、「学法」に関しては複数に対する伝授があったようで、「日蓮聖人御出世御本懐御法門」も日郷師から法灯を次いだ日伝師だけではなく、「類聚記」の記載内容より日叡師への伝授もあったことがわかります。
ここのところから、万が一にも「受法」が「唯受一人」相伝であったとするならば、それは一つしかない「固体」(物質・物体)の相続ではないかと思い、日郷直筆系譜に見える「受法」とは、所謂「万年救護大本尊」ではないのかと類推した次第です。
当然、「受法」それ自体も「唯受一人」であったかどうかは確定する資料は無く、すべては「類聚記」の記述と日郷直筆系譜より推理したものです。
しかも、あくまで「受法」と「学法」を、「受法」=本尊の伝授、「学法」=法門の伝授、とそれぞれを分けて仮定した類推です。
坂井師の論考によれば、保田妙本寺に現存する「類聚記」には、『「上人四重興廃事」「本迹相違時」「迹門方便品読三義」など、相伝の内容が詳細に書き記されており、まさに一級史料と言える文書である。』との事です。
いずれにしましても、私自身、この「類聚記」の原本・写真等を見たわけではなく、前文を読んだわけでもありませんので、類推の源は、すべて坂井師の論考に拠ります。
保田の虫干では、たしか「本尊類」の展示がほとんどで、重要文献などは巻かれた状態での展示であったと記憶します。
出かけた際には、「類聚記」について、関係者に尋ねてみようと思います。
336
:
独学徒
:2005/10/06(木) 13:43:57
訂正です。
誤
>前文を読んだ
正
全文を読んだ
失礼しました。
337
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 14:07:11
独学徒さん
> 「受法」=本尊の伝授、「学法」=法門の伝授
学法が、法門伝授ではないでしょうか。
法=本尊というのは法本尊観という教学がなければ生じない発想です。
日蓮に遡源できない教学の一つであると考えます。日郷にこのような教学があったのでしょうか。
受法という場合、通常は秘密相伝の類ということで分類されるのではないでしょうか。
第16大本尊は、言うまでもなく、この当時、授与者名の記載がなく、この大本尊もそうです。では、文永11年の段階で、日郷宛にこの本尊を図したとはもちろん考えられません。後代、もし、この本尊をもって、相承の具としたとすれば、必ずや、その旨と日付がどこかに、書き込まれて、しかるべきでしょう。
珍重される本尊ですが、門下の常識に惑わされず、これらの点を直視する必要があると思います。重視すべき本尊かは、信仰のフィルターを取り除いて、考証し直しすということです。
余談ながら、「影版を発表しない文献はないもの、もしくは疑わしき資料と見なす」というのが、文献考証では安全策であるとわたしは考えます。また、学術論証では当たり前すぎる前提であるとも考えます。
坂井氏が、受法に、日興を差し挟む理由はどのように述べているのでしょうか。
338
:
独学徒
:2005/10/06(木) 14:50:25
犀角独歩さん、
>坂井氏が、受法に、日興を差し挟む理由はどのように述べているのでしょうか。
これは坂井師の見解ではなく、大石寺に所蔵される日郷師直筆の系譜がそうなっているということです。
図の中に「日昭」を「日照」としているところなど、原文ママでおこしたものと考えられます。
坂井師は「学法」の伝授に関しては、「家中抄」の日目伝を引用し、日目→日寿の学法伝授があったことをあげています。
坂井師はあくまでも、日郷師は目師より法門伝授を受けた者の一人として見解を述べられています。
「受法」に関しては、坂井師の見解は論述されていませんので、あくまでも私が単純に推理してみたに過ぎません。
もちろん「富士門流全体の」とか「日蓮門下全体の」ということではなく、日郷師の直筆系譜に見える「受法」の推理ということです。
いずれにしましても、保田妙本寺や大石寺より文献原本の開示が無い以上、推論の域を出ることは無いのが現状だと思います。
339
:
犀角独歩
:2005/10/06(木) 15:09:43
独学徒さん、有り難うございました。
参考になりました。
340
:
独学徒
:2005/11/02(水) 00:29:48
お久しぶりです。
本年も東京古典会オークションが面白そうです。
これは三鳥派の曼荼羅でしょうか?
http://www.kosho.ne.jp/~kotenkai/tokusen/gazo/gp2184.html
ほか、保田妙本寺中興の日要師の著作なども出品されているようです。
真偽の程わかりませんが、一様宗祖曼荼羅の出品もあるようです。
一般公開の時に見学に行ってきます。
341
:
独学徒
:2005/11/02(水) 01:12:00
もう一点お薦めします。
身延の祖師堂の映像です。
読経像ですが、見る限り「波木井の御影」を元に彫刻されたものと思われます。
http://www.kuonji.jp/30_virtu/31_gyoji/31_04801.htm
342
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 02:43:51
独学徒さん、お久しぶりです。
342の映像、たいへんに面白かった。
仰るとおり、彼の御影画像に似ていますね。
更衣の最中、後ろの漫荼羅がゆらゆら揺れているのが、とても気になりました。
漫荼羅には、やはり、無頓着だなと思った次第です。
それにしても、このように何でも映像、画像で公開するのはけっこうなことだと思いました。
ご紹介、有り難うございました。
343
:
独学徒
:2005/11/03(木) 10:38:34
犀角独歩さん、こんにちは。
>それにしても、このように何でも映像、画像で公開するのはけっこうなことだと思いました。
全く仰せの通りだと思います。
正々堂々としたインターネット上での映像公開には、富士門系諸山も是非影響を受けて戴きたいと願うものです。
344
:
独学徒
:2005/11/03(木) 21:45:32
既にご存知の方が多いと思いますが、池田令道師の「富士門流の信仰と化儀」が公開されています。
全文打ち込まれた、管理者様に敬意を表しつつ、紹介させていただきます。
http://home.att.ne.jp/blue/houmon/ikeda/kegi.htm
345
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 10:57:19
昨日開催された本化ネットワーク学習会『綱脇龍妙の信仰と福祉―身延深敬園の軌跡』(講師・仏教タイムス編集長・工藤信人師)の講義はたいへんに素晴らしいものであり、自分を反省し、また、新たな視座を与えてくれるものでした。一部、資料をブログに転載しましたのでご参考になさってください。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50187266.html
346
:
01
:2005/11/11(金) 20:52:35
綱脇上人、横須賀大明寺の、かつての住職だよね。
紹介の妹尾の話にもあるけれど、仏教徒は軍隊より平和を、殺戮より人助けを語るほうがずっといいね。
信仰と実生活が一致しているものね。
347
:
犀角独歩
:2005/11/11(金) 22:01:42
>346
よくそんなこと、ご存知ですね。
そのとおりです。綱脇上人は、横須賀大明寺の歴代であり、久遠寺の法主代行も務めたということでした。
現住職に、楠山師がなられたことは、この寺院の人道的な在り方と勿論無縁ではありません。先代住職は、楠山師の社会活動を評価したればこそ、後継に指名されたのだと拝察いたします。
348
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/13(日) 10:50:42
橋口候之助著『和本入門』(2005年、平凡社)を読みました。
橋口候之助氏は神田神保町の誠心堂書店店主で、現在の書籍と和本の違いなどが平易に書かれていて非常に参考になりましたので紹介します。
「現在の書籍は、カバーや箱に書かれた表題も、表紙、とくに背にある題名も、本を開いた最初の扉に出てくる題も奥付も、すべて同じだ。しかし和本は今述べたようにところどころにある題名が必ずしも一致しないことが多いのである。」(112頁)とあります。和本での表題の数として、題簽(外題)、見返し題、複数の序題、版心題、巻頭(内題)、尾題と七箇所以上ある例をあげています。題名が必ずしも一致しない理由は色々のようですが、「外題というのは板元の商業的な事情(売らんかなの姿勢)でつけられたものが多い(118頁)」と指摘しています。氏は内題を正式名として採用すべきと主張していますが、「内題ではよくわからず、外題を採用したほうがよい例」(118頁)もたくさんあり、そう単純ではないようです。
また序ですが、「ほんらい序とは人に贈る文章のことである。だから本に載せるものとは限らない。しかし和本では序といえば今の推薦文のようなもので、これを本の先頭に載せるのが習慣だった。そのとき、文を寄せるだけでなく揮毫もした。つまり、序文を自筆で書いたものを贈ったのである。」(109頁)ということで、一冊一冊手造りなのでできることだったのでしょう。「和本の場合は同じ書名の本でも、ひとつとして同じものがない。一回に板元(はんもと)から出す本は、おそらく数十部という程度なので(百部を越えたら多いほうだろう)、今日残存しているものは、刷られた時期が微妙に違う別の本である。」(100頁)なので、同じ内容で異本があるのは和本ではあたりまえなのです。
また「本の先頭に載せる序文は、著者からみて目上の人で、もし同輩、後輩が書くなら後序として巻末に置くのが和本のしきたり」(111頁)だそうです。
「中国では板木に梓(あずさ)の木を用いていたので、それで出版することを今でも上梓という」(47頁)とか「中国の本をもとにして作ることを翻刻(ほんこく)というが、とくに原本をそのまま板木に貼って彫る「かぶせ彫り」で作製した本は覆刻(ふっこく)という」(45頁)など出版用語の語源を知る上で興味深い記載がありました。たしかに“ふっこく”は覆刻と復刻があり、どう違うのかと思っていたので疑問が解消されました。でも「かぶせ彫り」でどうやって左右逆の鏡文字(判子(ハンコ)と同じで刷る際に左右逆の文字でないと正しい字が出ません。)にできたのかちょっと疑問です。なお、日本では板木に丈夫な桜の木を使用しているそうです。
もうひとつ参考になった点は代表者の書き方です。「代表者を決めるルールがある。(中略)巻頭に校訂者三人の名が並んでいるときは中央の人を採用すると述べたが、この法則は巻末になると変わってくる。本の末尾に人名・書店名などが並んで表記されたときは、末行が最高位となる。奥付も巻末だから、最後に代表者がくるのであるのである。(中略)このように本のなかにも上席と末席の決まりがあって、しかも記載される場所によって異なる。序文では先頭、本文中の巻頭などでは中央、奥付などの巻末では末尾が上席である。これは中国の伝統からきているようだ。こういうところにも書物の作法があったのである。」(182頁)とあり、なるほどこれは中国の伝統からきているのかぁと思いました。
349
:
犀角独歩
:2005/11/13(日) 11:58:07
彰往考来さん
ご紹介、たいへんに参考になりました。
先の稲田師の『御本尊写真鑑 巻の一』と『御本尊写真帖 全』が異名同本であったわけも理解できました。
有り難うございました。
350
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:30:11
Pohさん、ご覧になっていますか?
(最近は見てないということでしたね)
過日はご訪問、有り難うございました。
お借りしたNHK特集『ブッダ 大いなる旅路』前5回、一挙に鑑賞しました。インド、ミャンマー、タイ、中国、台湾のそれぞれの仏教。
こうしてみると、わたしにはタイがいちばん納得がいきました。ラーマ4世、なかなかいいですね。それを受けた原点回帰の修行者の姿は凛々しく思えました。ただ、どうもパゴダ、仏像はあまり、興味は惹かれませんでしたが。中国、台湾の近代の観音像は特にどうも好きになれません。しかし、そう思っているところでアーナンダ・マイトレーヤ長老の言葉に、自省するところもありました。
本日から3回に分けて、勝手な感想をブログに載せます。
1回目は以下のとおり。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50194121.html
まずは、御礼まで。
追って、『空海の風景』も見ようと思っています。
有り難うございました。
皆さんにも、この特集はお勧めします。
351
:
れん
:2005/11/19(土) 11:51:07
昨日、国会図書館にいきまして、日蓮宗新聞を読みました。そのなかの中尾師のコラム「ご真蹟にふれる」は大変参考になりました。弘安三年四月の尼日厳授与曼陀羅の裏に蓮師自筆で「持妙之」とあるのが紹介されており、尼日厳=持妙尼であることが分かりました。持妙尼はこれより前、建治二年二月に曼陀羅を授与されており、文永・建治に曼陀羅を授与された信者に、例は少ないものの、このように弘安度に曼陀羅が与えなおされていることは、必ずしも、曼陀羅授与は一人一幅とは限らないのではないかと思いました。
352
:
犀角独歩
:2005/11/19(土) 13:18:55
れんさん、貴重なご指摘有り難うございました。
> 曼陀羅授与は一人一幅
原則一幅というのは、たしか宮崎師だかもお書きになっていたと記憶します。
しかし、原則ですから、理由があれば、複数授与されたこともあったのでしょうね。たしか、六老方全員の授与漫荼羅もそもそも揃っていませんでしたね。
353
:
れん
:2005/11/22(火) 13:38:03
犀角独歩さん
>352
ご教示有難うございました。国会図書館で読んだ「日蓮宗新聞」の記事で目を引いたのが、真間弘法寺(だったと記憶しています)に所蔵されている富木常忍氏と大田乗明氏の持仏の一尊四士像で、記事によれば鎌倉時代後期の作に間違いないそうで、蓮師開眼の伝承があります。この仏像の出自に間違いがなければ、教主は一尊四士(久成釋尊と本化四菩薩)でその教法が大曼陀羅という位置付けも可能かなと思いました。
354
:
藤川一郎
:2005/11/22(火) 15:00:00
浅井氏の著書「阿部日顕管長に最後に申すべき事」への反駁書が「日蓮正宗青年僧侶邪義破折班」から出来しました。浅井氏の著書に一言一句返答している意味において、すごい労力だったろうなとは思いました。
これに対して浅井氏がどうでるかは分かりませんが、「最後に申すべき事」に反論されて、「最後に申すべき事に対する反駁書に最後に申すべき事」なんて書いたら、もはや漫画ですね。
最も浅井氏は過去にも「宗門に申すことはもはや何も無い」「これが最後」と数回言っていた過去があり、それこそ「最後に申すべき事」は何回目の「最後」なのか?等というイヤミが生まれておりますが・・・!
今度は何年後に「最後に申す」のか(何ちゃって)!
355
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 19:04:18
れんさん
> 教法が大曼陀羅
この点、もう少しご説明いただきたくお願い申し上げます。
356
:
れん
:2005/11/22(火) 20:38:08
犀角独歩さん
独歩さんのご教示には、曼陀羅の用途として護符としての用途とともに、日蓮の弟子としての免許状としての意味もあるとのことでしたが、一谷入道百姓女房御書の「又日蓮が弟子となのるとも、日蓮が判を持たざらん者んば御用ひあるべからず」の“日蓮が判”とは、私は具体的には曼陀羅と考えますので、曼陀羅は日蓮の弟子としての証明書としての用途もあるという独歩さんの考えに賛同しています。
これは原殿御返事の「南無妙法蓮華経の教主釈尊久遠実成の如来」からの私の愚推なのですが、久遠実成釈尊の教法=南無妙法蓮華経で、一尊四士とともに曼陀羅を懸けることによって、一尊四士の教法=南無妙法蓮華経を表する用途もあるのではないかと考えてみたのであのような表現になったものです。
日興門流ではありませんが、富木常忍氏=日常師の常修院本尊聖教目録の冒頭に「一、妙法蓮華経曼陀羅 一鋪 一、釈迦立像並ニ四菩薩」と記されるのは、これを傍証するものではないかと考えています。まあ、これは、あくまで私の愚推ですが…。
357
:
犀角独歩
:2005/11/22(火) 21:22:28
れんさん
早々のご教示、痛み入ります。
『一谷入道百姓女房御書』など。とんと、忘れておりました。適切なご引文、拝受いたしました。
先の一尊四士の造立時期について、日蓮在世当時の可能性という点、実に参考になりました。というのは、先にブログでも覚書したのですが、『大崎学報』104号に載った影山堯雄『御本尊造像史』副題「御本尊形式の変遷について」において、やはり、この時期を在世としておられました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50161687.html
わたしは、『四菩薩像立抄』が真偽未決のこともあり、実はこの点を疑っていました。しかし、今回のれんさんのご投稿を通じて、影山師の説は信頼度があるものであることが確認できました。
> 久遠実成釈尊の教法=南無妙法蓮華経
なるほど。このご説明は合点が行きます。
> 一尊四士とともに曼陀羅を懸ける
中尾師が仰ったことですが、絹本の漫荼羅は幡のように用いられた。(どうも絹本への疑いはわたしにはりますが)また、紙幅は板に張られたということでした。しかし、その前は折り畳むなりなんなりして、持ち歩かれたのだろうと思うのです。(もちろん護符としては折り畳んで布袋に入れていたのだと思います)
このように、首題とともにを認めた漫荼羅を、授与された弟子が、道場に奉懸し、日蓮法座の証としたのだろう思います。
以上の類推を、れんさんの今回のご教示は補完して下るものでした。
有り難うございました。
358
:
ラキ
:2005/12/04(日) 19:30:19
学会系のHPでありますが、顕正新聞の記事情報UPが早く、参考になるHPだと思います。
「VERSUS9」
http://versus9.ld.infoseek.co.jp/index.html
359
:
犀角独歩
:2005/12/10(土) 15:52:02
わたしは、昭和天皇の‘人間宣言’につき、母の体験も踏まえて何回か記しました。
しかし、以下の文章を拝読し、やや自分の考えに修正が必要であると思いましたので、ご紹介しておきます。
玉体繁栄
http://blog.livedoor.jp/seigijuku/archives/64956.html
360
:
独学徒
:2005/12/11(日) 16:07:07
犀角独歩さん、お久しぶりです。
ブログの方、拝見させていただきました。
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/
一寸驚きました。
昨日夜半、私も同様のタイトルでブログを更新させていただいております。
http://blog22.fc2.com/fujikyougaku/index.php?style2=pop-k17&index
天気のよい日に外へ出て、周りの景色に眼を向けたとき、心和む光景があるということは素晴しいですね。
361
:
犀角独歩
:2005/12/12(月) 19:20:28
独学徒さん
昨晩から家を空けており、今し方、戻りました。
ご返信、遅くなりました。
「紅葉」のこと、気が合いました(笑)
貴ブログの更新、拙ブログのほうで紹介をさせていただこうと思います。
しばらく前、東京よりはまだ少し高い横須賀に行くと、町はすでに紅葉しており、驚かされました。「東京はまだだろうか」と思っていたところ、一挙に紅葉した感があります。拙ブログの写真は家から程近い多摩川駅前の「田園調布せせらぎ公園」で撮った写真です。
http://www.city.ota.tokyo.jp/ota/nishi/machinami/shisetsuannai.htm
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/50259258.html
また当地では多摩川台公園とか、田園調布の銀杏並木など、紅葉が本当にきれいです。
そんななかで、独学徒さんがお心に留めていらした御会式桜が池上では観られるのだろうかとなどと想っていました。
本日、晴海、勝鬨橋の辺りを散策したのですが、道に鰹節を広げ、一つひとつブラシをかけながら、日干し、風通しをしていました。そこから、築地市場へ行くと、もう年末の賑わい、正月用の玉子焼きなどの予約も始まっていました。昨晩の東京の初雪といい、もう本年も終わり、新年がやってくるのですね。
362
:
独学徒
:2005/12/13(火) 12:17:30
犀角独歩さん、何時も何時もつたない当HPをご紹介下さり、誠に恐縮です。
本当に有難うございます。
我が家では、正月の前にもう一つ行事がございました。
子供たちもピアノでクリスマス関連の曲を練習しています。
私は何のとりえもないので、スプーン曲げでもと思いましたが、やはりだめのようです。(笑)
363
:
犀角独歩
:2005/12/13(火) 18:39:15
独学徒さんのHPを時折拝見しております。
それにしても、お子さんが弾かれるピアノのメロディーが流れている家庭とは何とも羨ましい光景です。
364
:
ラスカル
:2005/12/14(水) 17:37:07
素朴な質問、疑問というのは教学的な事で一杯ですよね。どなたか日蓮聖人真筆の十界漫陀羅を取り扱う書籍かサイトを御存じの方いませんか。日蓮宗の現代宗教研究所で漫陀羅は授与される一人ひとりの立場や相対・興廃などの教学を考えて書きあげると書いてあったような事を思い出したのでなるべく多く書いてある漫陀羅を取り扱う所が良いのですけれども。
365
:
独学徒
:2005/12/14(水) 19:03:34
犀角独歩さん、何時も有難うございます。
僭越ながら私のブログでも、犀角独歩さんのブログを紹介させて戴きました。
子供たちのピアノは今年最大の買い物でした。今までは電子ピアノだったのですが、ピアノの先生より鍵盤の数が足りないからと、かねてよりピアノの購入をすすめられていましたが、なかなか手が届きませんでした。
今回、妻の実家の近くに、中古ピアノを扱う楽器店がオープンし、ようやくもの的にも金額的にも納得いくものが見つかり、思い切って購入したしだいです。
いつの間にか両手で弾けるようになってました。
ラスカルさん、
>日蓮聖人真筆の十界漫陀羅を取り扱う書籍
参考になるかどうかわかりませんが、「興風17号」に山中弘道師が「日蓮大聖人曼荼羅本尊の相貌変化と法義的意義について」という論文をだしています。
良い資料はたくさんあると思いますが、高額であったり、入手困難であったりすることが多いですね。
「興風17号」は出たばかりなので、入手しやすいと思います。
御書システムのページから、問い合わせれば取り次いでもらえると思います。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~goshosys/
366
:
犀角独歩
:2005/12/14(水) 22:51:57
独学徒さん、ご紹介、恐縮です。有り難うございました。
ラスカルさん、パンナコッタさんが先にご紹介くださっていませんでしたか。
Nichiren Shonin Gohonzon Shu
http://nichirenscoffeehouse.net/GohonzonShu/001.html
書籍では
『御本尊集』立正安国会
『御本尊集目録』〃
『日蓮聖人真蹟の世界 上』雄山閣
367
:
ラスカル
:2005/12/14(水) 22:59:46
独学徒さん、犀角独歩さん、ありがとうございます。私の携帯電話の機能では補完備品が無いと全て見る事ができないので範囲を広げて質問した次第です。書きそびれてしまってすみません。
368
:
犀角独歩
:2005/12/14(水) 23:03:33
ラスカルさん
独学徒さんも、記されていましたが、立正佼成会の図書館は会員でなくても閲覧できます。
立正大学も同様です。時間があれば、足を運んでみるといいですよ。
369
:
ラスカル
:2005/12/15(木) 08:53:41
ありがとうございます。
370
:
独学徒
:2005/12/26(月) 01:52:03
日蓮正宗青年僧侶「邪義破折班」のHPが更新されました。
http://jagihashaku.main.jp/
ここに、顕正会浅井会長の「最後に申すべき事」が、全文公開されていました。
私は初めて、顕正会浅井会長の所謂「最後に申すべき事」を読みました。
同著の中で、浅井会長は
「少しく二月七日付の「河辺メモ」に触れるが、これによれば、汝は「日禅授与の本尊云々」「模写の形跡云々」等と述べている。
この大それたたばかりを見たとき、小生は、かの善無畏が「法華経と大日経とは天竺にては一経」といって一行をたばかった故事が胸に浮んだ。汝は河辺の無智につけ込み、己が博識を自慢げに、「日禅授与の本尊」を引き合いに出してたばかったのであろう。
弘安三年五月九日の「比丘日禅」授与の御本尊については、小生は法道院において十余回にわたって眼のあたりに拝観している。そして当時の早瀬道応主管より、この御本尊が北山から流出した状況、同日付の御本尊が北山に現存する理由、また応師が明治四十一年にこれを買い取り法道会に奉蔵されたときの状況等、再三にわたり克明にこれを聞いている。
これを以て判ずるに、汝の「模写の形跡云々」の思わせぶりのたばかりなど、裏の裏まで見透せる。
但しここには、これ以上は言わぬ。もし対面の機会あらば、必ずや一刀両断して大御本尊の御宝前に五体投地の懺悔をさせること、小生の不変の決意である。」
と述べており、「日禅授与曼荼羅」を何度も拝観していることになっています。
一寸驚きましたので、お薦めさせていただきました。
371
:
パンナコッタ
:2006/01/10(火) 20:57:55
広済寺さんのHPが部分更新していますね。
http://www.kosaiji.org/hokke/nichiren/shakubuku.htm
概に議論された部分ですし、開目抄の「常不軽品のごとし」もそのままですが、
折伏という言葉で煽動させられている富士系各教団の方々にとっては、毒を抜く
絶好のテキストとなるでしょう。
常連の方々も是非ご一読を。
372
:
れん
:2006/01/11(水) 17:28:46
パンナコッタさん、広済寺さんのHP拝見しました。ご指摘の通り、折伏の名の下に扇動されている石山系の信者は一読すべきものですね。それこそ開目できるでしょう。
ただ、ご承知の通り開目抄のあの文章は、犀角独歩さんが現代板で明確に指摘されておられた通りですね。蓮師の言われた“不軽菩薩の利益”も、不軽の行を通じて順逆二縁の衆生に結縁していくことでしょうから、摂折二門の範疇で捌くべきではないでしょうね。
373
:
犀角独歩
:2006/01/13(金) 14:55:28
れんさん、遅ればせながら、わたしの摂折論攷に関するご紹介有り難うございま
す。
松山師の講義を待つまでもなく、摂折論の涅槃経、また、法華経にせよ、大集経
にせよ、それらが後世の創作であり、シャキャムニの直説ではないことが明らかになった現在、折伏もあったも
のではないという気分がわたしにはあります。いまだに鎌倉時代の日蓮教説を無謬信仰の対象とする時代錯誤は
、天動説に対し魔女狩りをする異端審問のようなものですね。
374
:
れん
:2006/01/13(金) 21:26:14
犀角独歩さん
確かに仰る通りですね。法華経にしろ、その他の大乗仏典にしろ、ゴーダマ・ブッダの直説ではなかったことが証明された現在、たとえ依拠とした大乗仏典に折伏の語があっても、それはブッダの思想とは直接関係ないですし、現代にそれを持ち込んでも時代錯誤にしかなりませんから、ここは反省して捨て去るべきものでしょうね。もっとも、後世成立であっても法華経に説かれた不軽菩薩の精神には大いに学ぶところがあり、現代においても生かすべきものは素直に生かすべきものですね。
ですから蓮師の教説を無謬として信仰し、そこから摂折を云々するよりも、独歩さんがブログに紹介されていた「但行礼拝の人」綱脇師の如く真っ向から“不軽”に生きる方が、法華精神がどのようなものかを同時代人が理解する近道となるでしょうね。
375
:
犀角独歩
:2006/01/15(日) 16:30:12
れんさん
有り難うございます。ご同意いただいた点こそ、まさに「現代に通用する仏教」というテーマと、抵触する部分であろうかと存じます。
376
:
パンナコッタ
:2006/03/03(金) 14:18:20
岡山大の研究チームが、”聖武天皇の仏教帰依のきっかけは大地震”との、研究を発表するようですね。
http://www.asahi.com/culture/update/0303/001.html
(リンクが切れる場合があります)
文献上の記述を、地学的に検証し裏付けていく方法は蓮祖の時代にも当然応用ができるでしょうから、
結構、期待が出来る研究と言えそうですね。
377
:
犀角独歩
:2006/03/10(金) 17:25:23
昨日、本化ネット学習会で三土修平師による『靖国問題の原点』の講義を聴講しましたが、これは前評判に違わず、たいへんに勉強になりました。
この本を読まず、靖国問題を語るなと言われる以下の書籍、推薦します。
『靖国問題の原点』(日本評論社)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535584532/250-4442974-9420245
以下、参考に
三土修平師『わが家と靖国問題との縁』
「明治以来、戦前の日本では、神道は公的な儀式の際には国民はみな当然従うべき宗教で、信教の自由の対象となる一般の宗教と別格とされていた。靖国神社が戦後60年の今、あらためて物議をかもしてしまうのも、この戦前のあり方が尾を引いているからである。
終戦後の改革で、この靖国神社をはじめとする「国家神道」の施設をどうするかは大きな課題となったが、昭和20年12月のGHQによる「神道指令」と、21年2月の日本側による「宗教法人令」改正の結果、すべて民間の宗教法人として扱われることになった。
この改革について、現在詳しい経緯を知っている人は意外に少なく、日ごろのマスコミ報道や評論家の議題では、その経緯を単純化してとらえているがゆえに、話が上滑りになっている面が、多々見られる。靖国支持派と反対派と、両者ともにである。
靖国神社は、降って涌いたような「神道指令」によって有無を言わせず宗教法人にされたのではない。「神道指令」に先立つ2か月前、水面下で駆け引きがあり、「神道指令」発令後もいろいろあったうえで、昭和21年1月25日の閣議で、最終決定がなされたのだ。時の内務大臣は三土忠造であった。(注:著者の祖父)
そんな縁があって、私はここ20年あまり、靖国神社改革について勉強してきたが、史料の中でもう一人、わが家に縁の深い人物に出会った。当時東大総長であった政治学者南原繁である。南原の故郷は祖父と同じ東かがわ市。祖父の没後も昭和40年代まで健在で、ご交誼をいただいた。
「神道指令」発令に先立ち、GHQの宗教政策担当者の勉強を助けたのは当時東大助教授だった宗教学者岸本秀夫だったが、南原は岸本と密に連絡を取り、改革について意見を言っている。実現しなかったが「皇室の先祖祭りの場と、民間の信仰の場は、同じ神道でもきちんと分けるべきだ」というキリスト教徒らしい提議もしている。
これらの経緯は今年(2006年)8月15日に出版した拙書『靖国問題の原点』(日本評論社)にまとめておいた。時事問題を論ずる以前の知識として、多くの人に共有してもらいたい」
(四國新聞『月曜随想』2005年10月17日3面)
378
:
れん
:2006/03/21(火) 21:06:07
十七日の小松師御講義に先立ち購入させて戴いた「平成新修日蓮聖人遺文集」大変よく出来ておりまして、とても素晴らしい日蓮聖人御遺文集と存じます。
ただ、大変僭越ながら、わたしの要望を申し上げますと、本集に引き続き、続編として、真蹟身延山曽存ながら、現行遺文集に収録されていない、以一察万抄・取要抄・撰時抄(異本)、近年新発見の真蹟、真蹟不現存ながら日春・日法・日興等直弟ないし南北朝初期位までの日蓮門弟による確実な写本が現存する遺文、真蹟集成第六巻等に収録される日蓮による要文集の翻刻を収めたものが発刊されれば、もっと多角的に日蓮聖人の教学研さんに資するのではないかと、ふと、思いました。
こちらでも、独歩さんをはじめ、何度かこの「平成新修日蓮聖人遺文集」を推薦されておられますが、僭越ながら、私もお薦めの文献として、改めて推薦するものです。
379
:
犀角独歩
:2006/03/21(火) 23:19:46
れんさん
378のご提案、賛成です。
次回、わたしは参加できませんが、是非とも小松師にご提案ください。
380
:
残念
:2006/03/23(木) 01:26:45
> ゴーダマ・ブッダの直説ではなかったことが証明された現在、
こういう所で頓挫しているのに、自分がマシだと考えるところの大きな疑問を感じます。
大乗仏教の推進者は、皆大乗仏教をゴータマ在世の教説とは、そもそも考えてはいません。
にもかかわらず、久遠の釈尊、即ち本仏の教説として、これを高く尊重する哲学性を見出すことが出来ないのは、非常に残念なことと思います。
381
:
犀角独歩
:2006/03/23(木) 08:54:30
> 自分がマシ
こんなふうにしかとらえないことが残念なわけです。
少なくとも日蓮は、大乗仏教のなか、法華経は釈尊の直説であると考えていたのは、事実なのであって、この点は動きません。
また、この日蓮の意志は明治近代まで不動の確信として伝えられ、それが日蓮法華信仰であったことは動かしがたい事実です。
つまり、大乗仏教推進者が、大乗仏教を「ゴータマ」在世の教説だと考えていないなどというのは、まったくの虚偽です。
久遠釈尊、本仏の教説性に高い哲学性を有するというのであれば、それがどのようなものであるのかを投稿すればよいわけです。
残念がって、何ら具体的な提示も出来ず、「自分がマシだと考えている」などと人を卑下することしかできないところに、哲学性も人間性も見出せません。
382
:
れん
:2006/03/23(木) 20:32:07
犀角独歩さん
>379
平成新修日蓮聖人遺文集が素晴らしい遺文集ですので、思わず出過ぎたことを言ってしまいましたが、今後続編の刊行を米田師、また米田師のご門弟の方がお考えならば、私の愚かな意見も一つの参考にしてお考え戴ければと存じます。
残念さん、初めまして?よく見ましたら、どうも私の投稿に対するもののようでしたので所感を一応記します。
>自分がマシ
私自身は、ゴーダマブッタや法華経の製作者・龍樹や世親・南岳・天台・伝教、そして日蓮やその門弟に遠く及ぶことのない、宗学的に表現すれば、愚かな煩悩垢重の理即短妄・本未有善の荒凡夫の一人にすぎません。ですから、私は今こちらに集われている諸賢人の方々のご教示を拝聴し、また、機会を戴いて松山先生・小松先生の御講義を拝聴致しまして、勉強させて戴いている最中です。そういうわけでして私自身、自分がマシなどとは全く考えてないので誤解なきようにお願いします。
>ゴーダマ・ブッタの直説ではなかった…
これは、現代諸学問の研究の成果により明らかであり、頓挫云々ではなくて、そもそもの前提でしょう。だからといって、私は決して法華経や日蓮をやみくもに否定するのではなく、むしろその現代(21世紀)における価値を再確認したいと思っています。独歩さんが法華経板で紹介されていた澁澤師の「寿量品での大展開」の御発言には、私も大変興味があります。ここのところは、宗学で云々するより、松山先生の法華経講義を拝聴させて戴くなかで考えていきたいと思っております。早々
383
:
小森霧
:2006/03/24(金) 04:23:05
私は日蓮大聖人を仏と信じている者です。
法華経が「ゴータマ」の直説でないことは事実である。
しかし、仏様(日蓮)は「ゴータマ」の直説であると考えておられた…。
これは一体如何なる事なのか…、と私は考えます。
法華経が「ゴータマ」の直説であると考える事は、考古学なら間違いでしょう。
しかし、仏教とは四苦八苦からの開放を教えるものですから、
法華経を「ゴータマ」の直説であると信じて、それで四苦八苦からの開放されるのなら、
それでいいじゃないかと考えるのです。
・・・、いい考えでしょう(笑)
384
:
れん
:2006/03/25(土) 19:10:32
小森霧さん、はじめまして。383の御投稿拝見しました。所感を一言。
>日蓮…仏と信じる
信教の自由の上からは、貴方が何をどのように信じられても、結構なのですが、当の日蓮聖人自身は、もしかしたら上行の自覚はあったにせよ、自身を釈迦仏を超えた仏、まして久遠本仏とは考えたことは、遂になかったことは信頼できる日蓮聖人真蹟遺文・日蓮聖人直弟による写本遺文から明らかなことです。
>法華経…ゴーダマの直説…信じて…それでいい…
貴方の考えは考えとして、しかしながら法華経をゴーダマの直説と信じて四苦八苦から解放されるかどうか甚だ疑問です。法華経をゴーダマの直説と信じる、それは現代諸科学の発展によって解明された法華経は後世の大乗仏教によって創作されたという事実とは背反します。事実でないことを事実であると思い込む、その思い込みに基づく“信心”に執着する時点で、四苦八苦から解放されるどころか、四苦八苦の真っ只中にいて、全然四苦八苦から解放されていないのではないかと感じました。まぁ、これは私個人の感想ですから、お気に障るようでしたらご容赦ください。
先ずは事実は事実として認識した上で、改めて、学術的にその価値や存在を見直し、確認し、現代そして未来に向けて人類にとって必要な精神的遺産はそれを受け継いでいく。そのような広い度量があってもよいのではないかと思いました。
385
:
今川元真
:2006/03/26(日) 11:00:23
小森霧さん、私自身は創価学会の幽霊会員ですが、漫陀羅は修行道具で、色心不二・依正不二を考えるきっかけにしています。学研のわたしの家の宗教シリーズ「目からウロコの日蓮と日蓮宗」と言う本で、日蓮聖人の事、法華経の事、日蓮宗の事が整理整頓されて結構読み易いです。一読されては如何でしょうか。
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