したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

創価学会法華講正信会顕正会妙観講等はカルトっぽいか

471トゴシ:2002/11/24(日) 22:32
飽きてきた!!!
あんた、自分のために人が時間を割いてものを書いてくれってこと、何だと思ってます。
信じられない人間性です。あきれたもんだね。
失礼なこと書いて詫びるって、「飽きる」っていう言い草がいちばん、失礼じゃん。
最低だよね。別にぼくが怒ることないかも知れんけど、もう信じられないよ。

472みかん:2002/11/25(月) 00:45
飽きてきたという言葉は、刺激的な発言かとは思いますが、
顕正会についてガンコさんご自身が書き込まれること自体に
飽きてきたということかもしれませんので。
お相手の発言に飽きてきたということではないと思いますが
(推測ですが)。

お互い、冷静にクールダウンして話しましょうよ。
(私も他所の掲示板では感情的に書き込むこともありましたので、
あまり説得力がないかもしれませんが。反省してます。)

473モトミナ:2002/11/25(月) 09:04
みかんさん はじめまして
ここは信徒団体のカルト性を語り合う場なので、一方的に顕正会のみを論じていても他の方から見れば、顕正会一色になる事は不満に思われるのも仕方ないと思っています。
飽きる、という表現が適切かどうかは別として、もし深く個別の団体について論じあうならそれぞれ別のスレッドを立てる方が賢明なのかもしれませんね。

475犀角独歩:2002/11/25(月) 14:01

トゴシさん:

有り難うございます。

476菊水護国:2002/11/25(月) 14:17
> 話の中で「戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人様がお作りになった」というので、「伝説じゃ、彫ったのは日法師でしょう」というと、「いや、そんなことはない。大聖人様です」と、こうでした。
うーん。大聖人は器用なんですね(笑)。彫刻の技術もお持ちだったと。

> 「日目上人は唯授一人の血脈相承に拠らず、この世に出現され、誰が見てもすぐにこの方とわかる」
などとのたもうていましたから(爆)
その方、前世所持の血脈を持ってるって言ってませんでしたか。
今度顕正会に遭遇する事があったら、浅井さんは、「(血脈)相承は断絶したが、血脈は永遠である」と言う説を立ててますが、どういう意味なのか聞いてみてください。

477アヤエ:2002/11/25(月) 14:25
ここでの長い話し合いで、たくさんの疑問が浮かびあがりたくさんの葛藤があったと思います。
疑問を打ち消す、見ない振りをする。
顕正会に身を置く人は そういう訓練をずっとされてきたのだと思います。
ガンコさんは長い事思考停止させてきて、その機能はなかなか思うように動かないのだと思います。
だけど もう疑惑だらけになってしまった顕正会に長く身を置くことはできないでしょう。
疑問から目をそらす事に飽和状態になっているのでしょう。
「やめようと思った時にやめられるかどうか」ここが危険か危険でないかの境目らしいです。
顕正会は危険なカルト教団です、間違ってたから辞めた!と簡単じゃないのかもしれません。
HNも悪いかもしれません、名は体をあらわす というじゃありませんか。
飽和状態にある、という事はガンコさんが次のステップに上がった、という事かもしれません。
(そう信じたいです)

478犀角独歩:2002/11/25(月) 14:27

菊水護国さん:

> (血脈)相承は断絶したが、血脈は永遠である」と言う説

まあ、そんな宿題にしないで、ちょっと、この点、解説していただけませんか。
お願いします。

479モトミナ:2002/11/25(月) 14:30
独歩さん
顕正会では日法師彫刻ということで認識していると思います。
会員が大聖人作成といったのは、返答に窮して身勝手な判別で言っただけの事、フライング的な発言だと思われます。
2人来た、と仰られていますが、どの程度の人間がやってきたのか、かなり新しい入信の会員ではないでしょうか。
要するに以前より指摘している会員の低レベル化の現れ、一端でしょう。

>「日達、日顕は大聖人に背くとき、正しい信仰は浅井先生の一身に流れる」
呆れ果てて物も言えませんね。
これも教学薄弱化によってそう思い込ませてしまっている、としかいいようがありません。
非常に面白い傾向に傾いていますね、顕正会は。会の真骨頂とでもいいましょうか。
会としては表向きは”断じてそのような言い方はした事がない”と公言するでしょうが、教学の薄い会員には会の言っている言葉がどうしても、顕正会に血脈が水平移動したように移る。
インプリンティングは顕正会の最も手腕の見せ所でもありますし。

そういえば、狡猾という言葉で思い出しましたが、当時は”下らない”として私自身も取り上げもしませんでしたが、会の歌で自らの作詞作曲としている歌詞で”孤中貫く師の苦闘”というのがありましたね。
もし会長自身の作詞作曲であるなら自分自身を”孤中貫く”とか”師”なんて言葉を使っている時点で、言葉は悪いですがイッちゃってますし、会長の作詞作曲でないのなら、虚偽になりますし。
こういった端々にポロポロと出てきてしまうんでしょうね。

480犀角独歩:2002/11/25(月) 15:01

戒壇之漫荼羅の材となった楠については、少なくても石山では2説あるわけです。

一つは法師寄進説です。精師の『家中抄』日法伝に見られます。

「或る時日法御影を造り奉らんと欲す七面大明神に祈念し給ふ感応の至りか浮木出来せり、此の木を以つて戒壇院の本尊を造立し次に大聖の御影を造ること已上三躰なり」

もう一つは弥四郎国重寄進説で、量師の『大石寺明細誌』です。
この場合、弥四郎国重は波木井円師の嫡男であるといいます。

「古伝に云はく、此木甲州七面山の池上に浮び出て夜々光明を放つ、南部六郎実長の嫡男弥四郎国重之を取り上げ以て聖人に献ず等云云」

精師の言では何と七面大明神に祈念して浮かんだ木となるわけですが、これは現在の石山教学にとっては、まことに都合が悪いわけです。ですから、亨師が奇怪の書と言ったにせよ『大石寺明細誌』のほうがまだましということになります。しかし、ここでは今度は弥四郎国重が身延の波木井円師嫡男となってしまい、これまた、都合悪い。結局、これらは伝説として片付けられながら、しかし、法師彫刻説のみが残り、現在に至っているという経緯があると私は見ているわけです。

しかし、もっと、厳正を期せば、法師は春師の流れなのであって、となれば『富士一跡門徒存知事』の

「一、御筆の本尊を以て形木に彫み、不信の輩に授与して軽賤する由、諸方に其の聞え有り。所謂日向・日頂・日春等なり」

に実は該当してしまいます。
結局のところ、法師彫刻説は幾重にも都合の悪いところなのでしょうが、造初御影、生御影を法師作に据える石山としては苦肉の選択と言うことになるのでしょう。

要はこれを浅井さんも踏襲しているわけですね。

まあ、以上のことは、それとして、私に議論をふっかけた会員は、どうやら随分と“青かった”というのがモトミナさんのご指摘ということになるでしょうか。

しかし、インプリンティング、フライングは、実は隠し立てする本音が出たものなのでしょうね。

それにしても「孤中貫く師の苦闘」と自らを師と呼んでしまうところにまた、浅井さんの本音もあるのでしょうか。

私が勝手に名付けた「謙遜内証告白」における日目・浅井再誕説、この点を外すと、顕正会の動向というのは分析が立たなくなるだろうというのが、私の意見です。何故、そう述べるかというと、今を時機の到来と見るとき、目師の再誕はないわけですから、このときに時を得た人と名指されるのは浅井さんしかいないからです。要は浅井さんを中心にして、顕正会理論が成り立っているとすれば、この人が特別な師であるということを無言に支持することになるわけですね。

481犀角独歩:2002/11/25(月) 15:02

480はモトミナさん宛に記したものです。失礼しました。

482モトミナ:2002/11/25(月) 16:19
まことにもって独歩さんのご指摘にはいつも驚かされます。
顕正会員はご指摘の『富士一跡門徒存知事』を聞いたら大混乱してしまうでしょうね。
ほとんどそんな事知る者はいませんから。

また目師最誕説における会員の意識もまたご指摘の通りだと思います。
本山が御遺命破壊の当事者であり、他の在家も本山に追従する中、顕正会のみがただ我が身を顧みず、大聖人に忠誠を尽くした”正しき団体”な訳ですから。
これを会長が命がけで守ったことになるわけですから、表向きは会長は”私は目師出現の露払いができればよい”と言っても、会内では実しやかに”謙遜”と受け止められているわけです。
そう言いながらも様々な場面では”大事に併せて時を感じて大事な方が出現される。それが日寛上人であり、日霑上人である。またこの広宣流布眼前の時、そして宗門濁乱の時、大事の使命を持って生まれ合わせたのが顕正会である。また広宣流布を成し遂げるのはもう顕正会しかない”と言っているわけですから、これはもうそのものズバリを指している事になりますよね。
このカラクリが会内にいて、信奉しきっていると見えてくるはずはないのです。
私もまたそうでした。

会員の何よりの悲しきはただ無智な事です。
教学研鑽は”信心は頭で理解するものではない、命で感じるもの”とし”ただ智慧の有無に頼らず顕正会で御奉公すれば大功徳が出る”という方針が彼等をこうさせてしまっているのです。
その癖”仏法に矛盾点など一つもない。その仏法を正しく実践している顕正会に矛盾点などある道理がない”と、いかにも仏法の実践は顕正会の活動が究極であるかのように言い切れてしまう会員が悲しいわけです。

483ファン:2002/11/25(月) 22:06
独歩さん
独歩さんの立場は何でしょうか?
何宗になるんですか?

484菊水護国:2002/11/25(月) 23:23
独歩さん
浅井さんの指導をそのまま転載します。
前段で「御遺命破壊」を指導した後に宗門の罰として、以下のように述べました。
「これは、どういうことんなって現れたかというと、御相承の断絶であります。細井管長は、昭和五十四年の七月二十二日、入院していた白糸の滝の側にある富士山病院で、臨終思うようにならず急死を遂げた。これも罰ですね。貫主の立場にある人が、誰も側にいない時、一人でもって急死してしまったんです。よって、御相承をすることが出来なかった。まさしく、御遺命に背いた故にですね、細井管長は、御相承を授けることが出来なくなってしまった。次の阿部管長また、御遺命違背の失によってですね、これを受けることが出来なかった。すなわち、御相承の授受っていう、授ける受ける、この両方がですね、出来なかったわけであります。まさに、七百年来、富士大石寺門流において、未だ曾て無いっていうことが起きた。
(中略)
それでは、重大なことは、これで、正系門家の血脈は断絶してしまうのか、そんなことは断じてありません。たとえ、六十六代・六十七代の間でもって、相承の授受が出来なかったとしても、どんなことが事態がおころうとも、この、大聖人・日興上人・日目上人から伝わってきた、本宗の血脈ということは、絶対に断絶しないんですね大聖人様の、万々の御配慮が在す。御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。
況や、広宣流布の時には、既に前生、前の世に御相承を所持された、日目上人が御出現なるんでしょ。ですから、少しもその様な断絶は、心配する必要がないってことであります。但し、それ以前に、末法濁悪の徴として、この様な異常事態が正系門家に起こるんです。そして宗門が、物凄い抗争に陥って泥沼んなる。仏法の世界がそれならば、世間もまた今度は濁乱を起こして、ついには、自界叛逆から、そして他国侵逼に至るんだ、まさに広宣流布の前夜だ、私がいうのはここにあるわけなんであります。
そしてですね、この異常事態こそ、広宣流布前夜の出来事でしょ、「末法濁悪の未来にうつさん時」てことでありますから、この異常事態の中にです、広宣流布はしんしんと進むんですね。これを進めるのは、御遺命を正系門家の中で、独り命をかけて守り抜いてきた顕正会以外にはない、まさに、大聖人様が、顕正会をして、立たしめ、戦わしめ給うのであります。

485犀角独歩:2002/11/25(月) 23:32

モトミナさん:

取り敢えず、石山義に基づいて記します。
戒壇建立、この場合、勅宣・御教書ということが問題になると思うわけです。

で、目師は再誕して、一閻浮提の座主として、聖天子として再誕する興師へ再度、天奏するというのが、富士門の広宣流布のシナリオですね。

現在、顕正会は憲法改正だなんだと騒いで、いわゆる御教書について取り沙汰しているわけです。しかし、わたしはこれを甚だ“僭越”であると思うわけです。

上に記したとおり、目師が再来、天奏という儀式を受けて興師が聖天子として、勅宣を出す。それを受けて御教書が続くわけですが、政治の立場から決済をするのは誰であるのか、ここでもう一度、富士門のシナリオを考えてみます。
114に記したことですが、もう一度記します。

「広宣流布の日は上行菩薩は大賢臣となり・無辺行菩薩は大賢王と成り・浄行菩薩は大導師となり・安立行菩薩は大関白或は大国母となり、日本乃至一閻浮提の内一同に四衆悉く南無妙法蓮華経と唱へしめんのみ」

現代語に書き下す必要もないでしょう。また、この四菩薩につき、この前文に

「日興先をかくれば無辺行菩薩か・日朗後にひかうれば安立行菩薩か・日蓮大将ならば上行菩薩か・日目は毎度幡さしなれば浄行菩薩か」
とあります。広宣流布の時は日本国だけでなく一閻浮提一同に南無妙法蓮華経と唱えるというのです。広宣流布の暁に国立戒壇というのであれば、全世界一同に題目を唱えることが条件と言うことでしょう。さらに四菩薩の関係を整理すれば、

上行菩薩 =日蓮=大賢臣
無辺行菩薩=日興=大賢王
浄行菩薩 =日目=大導師
安立行菩薩=日朗=大関白・大国母

ここで、御教書に係る政務、大賢臣は誰人ですか。すなわち、日蓮大聖人その人であるというのです。その補佐は富士門としてはやや違和感があるかもしれませんが朗師であるとも言います。

要するに広宣流布、戒壇建立というのは弟子・檀那・信者などが云々することではなく、四菩薩が再び、この世に応誕しその一切を取り仕切ることなのです。これは上一人から下万民に流れ伝う壮大な広宣流布のドラマです。

民主主義という現代思想に慣れていると、「民衆が希求が総意になるとき、日目上人が再誕される」などという下から上への流れを考えてしまいます。しかし、これは富士義から大きく逸脱しています。
勢い、露払いだなんだと言って、勝手に人を集めて「日目上人の物真似をすること」を、私はこの富士義に立つとき、“僭越”であるというのです。

神力品の「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し 無量の菩薩をして 畢竟して一乗に住せしめん」という一節を、この富士門広宣流布の有様に見ているはずです。

愚民100万が集まってとやかく言っても始まりません。
四菩薩が再度、応誕されるとき、あたかも夜明け前の漆黒の闇を一挙に晴れ渡す如く、衆生の第二位に位置する菩薩までも畢竟して一乗に住せしめてしまうというのです。

衆生を済度する四菩薩にとって、ちんけな露払い、前準備など、まったく不要の要らぬお世話に違いありません。

富士門の所伝から言えば、勅宣は興師に係り、御教書は蓮祖に係ることである、それを一介の凡夫が云々することは、僭越であるというのです。

それとも浅井さんは目師であるどころか、興師、あるいは蓮祖であるとでも言うわけでしょうか。

486犀角独歩:2002/11/25(月) 23:39

ファンさん:

はじめまして。

> 立場は何でしょうか?

質問の意味がよくわかりませんが、私は日蓮・日興は果たして何を語ったのか真実のままに見ようとする立場です。

> 何宗になるんですか?

創価学会35年、法華講に5年。今は私独歩は名で表すとおり独歩です。
いずれの集に属するものではありません。
自覚としては釈子であり、その流れを日蓮・日興に汲みます。
しかしながら、その流類を無謬と見るのではなく、その是正と将来の可能性を鑑みるものです。

487犀角独歩:2002/11/25(月) 23:44

菊水護国さん:

資料のご紹介有り難うございます。

まったくもって笑止千万の暴言。
牽強付会、御遺命曲解、謗法、ここに極まるものと拝見しました。

かつて小野寺直(自称・法皇日了)の僭称を菊水護国さんが糾弾をなした如く、日目にあらざるものが日目の真似事をするのみならず、衆目の尊敬と「先生」「師」を僭称せんが為に富士義を私する浅ましい所行であると私は読みました。

488犀角独歩:2002/11/26(火) 10:39

浅井さんの相承論というのは、ここまで、ひどいものであるとは知りませんでした。
証拠を示さず、ありもしない嘘をまことしやかに語り、会員を騙すあくどい手口。
要するに浅井さんのやり方というのは池田さんの口コミで会員を煽動し、会長本仏論、池田本仏論を浸透させていったやり方と変わるところはありません。

以下の言は特にひどい。

「本宗の血脈ということは、絶対に断絶しないんですね大聖人様の、万々の御配慮が在す。御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです」

いったい、何を根拠にこんなことを言っているのでしょうか。
そもそも宗教法人として大石寺とは別の顕正会・浅井さんがいう「本宗」とは何ものでしょうか。また、言われていることは富士教学というより、経巻相承などと類型をなす異流儀というしかありません。

顕正会は石山教学に拠っている、と私自身考えてきたのですが、ここにその考えを撤回します。

顕正会では寛師の絶対性を言うようですが、寛師には上述のような血脈断絶・蘇りなどという考えは毛筋ほどもありません。蓮興目已来、自分(寛師)を経、未来永劫に金“口”嫡々相承を言うのです。つまり、浅井教学は寛師教学とも違背する、富士から見れば謗法教学であるというのが正体です。

もっとも卑劣なこと、それは日蓮の言葉でないことを日蓮の言葉のように語ることです。そして、それが「自己の絶対性を証明する道具」とされていることです。

浅井さんの言葉はよくよく見れば、それは日蓮の絶対性を言うように見せかけながら、実は「自分こそ絶対であること」を論じるために日蓮とその権威を利用していることがわかります。これはまさに浅井氏を頂点とする浅井教に他なりません。

浅井教であれば、何の説明もなく、浅井氏が言うこと自体が絶対の権威たり得ます。
顕正会員が言う「浅井先生は絶対に正しい。浅井先生しか御書の御意がわかる人はいない」という呪文はまさにその事情を雄弁に物語るものです。

もっとも危険なこと、浅井氏が何を言っても語っても、それこそが日蓮の教え、日興の教え、日寛の教えそのものであると理解されてしまうことです。

日蓮門下教学・解釈というのは、経(法華経)釈(天台)御書(日蓮)によって徹底検証するというのが日興已来在り方です。

ところが、その根拠とする御書の解釈を発言者に委ねることは教学の自殺行為であることをロムの皆さんはしっかりと肝に銘じていただきたいと思うのです。

489問答迷人:2002/11/26(火) 10:55

菊水護国さん
独歩さん
モトミナさん

>御相承というものは、口伝えとか、その様な一つのものではない、如何なることがあっても絶対断絶しない様に出来てんです。故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

なるほど、これは本当に酷いものですね。僕は、顕正会は、富士門流の原理主義だと考えてきましたし、この掲示板でも、そういう意味から顕正会擁護の発言をあちらこちらでしてきましたが、全て、撤回させていただきます。不明の段、謹んでお詫び申し上げます。今後、浅井氏の発言を厳重に監視し、問題点を指摘して参ります。

490菊水護国:2002/11/26(火) 11:45
> 故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

どういうことになってるんだ(笑)。根拠が無いぞ(大笑)。
まあ『「顕正会の考えに反する猊下には血脈は無い」が、「顕正会の考えに従う猊下には血脈は蘇る」から、管長は顕正会に同意しなさい。』
何ていう所でしょうか(爆)。

491モトミナ:2002/11/26(火) 15:02
独歩さん 菊水護国さん 問答名人さん
全く以て仰られる通りです。
いつから顕正会はこんな無謀な独自理論を展開して、”これが本山古来の教学”となってしまったのでしょうか。
思い当たる節はいくつかあるのですが、どうも完全に逸脱し始めたのが正本堂消滅以後にそれが極端になっていったように思います。
正本堂崩壊は顕正会が主張するところの”究極の戒壇ではなかった。本門戒壇などではなかった”として撤去された事実が顕正会の絶対なることを証明したものだと会は誇示し、会員も信奉を深めるようになったようです。
そこからが会内部では凄まじい理論の数々を披露していく展開になってしまうのですが、私がついていけなくなったのも丁度その辺りでした。

今心を鎮めて思い起こせば、そういった慢心から来る理論展開をいくつもされてきたようにも思います。
かつては会長は管長代行を務めた中島氏から”秘中の秘を明かされた”と言い、能化であった妙縁寺住職から仔細を話され、結論として”冨士の奥義は会長しか知らない”というような事を吹き込まれていました。
そういった事を含めて、正本堂のあの事態を会員として目の当たりにした当時は、さすがに”顕正会こそ、会長こそ”とも思ったものでした。
しかし、それ以降急激に変貌する教学論に次第に疑問が沸いては自分で押し込め、多くの会員と同じように”深い教義は凡夫の自分に理解などできるわけがない”と片付けてきてしまったわけです。
結局は顕正会は自らが言い放った事柄が事実になった時、それまでひたすら隠していた毒牙をついに顕した、という事なのでしょう。
読み返していて呆れ果ててしまいました。

菊水護国さんが仰られるままの感想を私も持ちました。
>> 故に、もし、大聖人様の御心に叶う、正しい貫主上人が御出現になれば、その時忽ちに正系門家の血脈が甦る。そういうことになってんです。

血脈の消滅、そして復活。
それを補佐して御書を引くのかと思えば、”そういうことになってんです”。
どういうことになっとるんじゃい!と誰もが聞き返したくなりますよね。(爆)
この言葉、私は生(ライブ)で聞いてしまった生き証人なんですね。ハハハ。

492犀角独歩:2002/11/27(水) 00:20

モトミナさん:

> 中島氏から”秘中の秘を明かされた”と言い、能化であった妙縁寺住職から仔細を話され、結論として”冨士の奥義は会長しか知らない”

これって、変ですよね。
だって、中島氏、妙縁寺住職から聞いたわけですから、少なくともこの2人は知っているのに、「会長しか知らない」というのは(笑)

それにしても、「日蓮大聖人のいうとおり唯一実践する団体、先生」というのは、私はものすごい傲慢だと思うわけです。

血涙を流し、肉を裂いて、骨を筆とし、血を墨とし、皮を紙として、日蓮の教えを実践しようとも、万分が一も及ばないと自省するのが弟子・檀那というものです。

「自分は日蓮大聖人のいうとおり実践している」、こんな戯言を吐く人間を増上漫というのですよね。

私は浅井氏を三類の敵人の「俗衆増上漫」であると思うわけです。

二十行の偈に言う、比丘にもあらざるに「未得謂為得 我慢心充満(未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん)」とは、まさに浅井氏を指す経文であると私は思うわけです。

493モトミナ:2002/11/27(水) 17:57
独歩さん
>「自分は日蓮大聖人のいうとおり実践している」、こんな戯言を吐く人間を増上漫というのですよね。
顕正会員はこの文を見たら、”そんな事はない”と言い切るでしょうから、きちんとした表現で言い代えさせて下さい。
「浅井先生は日蓮大聖人の仰せのままを実践している無二の師匠である」と。そしてまた
「その浅井先生の指さされるまま信心していくなら、これは即ち大聖人の仰せのままの信心である」と。
総幹部会などではいくらでも聞ける会員の発言ですが、問題なのはこれを本人ではなく会員に思い込ませて平然としている、という事でしょうね。
上辺では”私は広宣流布の時、正しき貫主がおでましの時、末座で立ち合わせて頂ければそれでいい”と謙遜しているのですが、本当の謙遜というのは違うはずです。
少なくとも会長出席の総幹部会等で目の前で”先生の驥尾に付し”とか”先生の戦いの一翼を担う事こそ我が本望”などと会員が言っている事を知っているわけですから、これを目の前で打ち消してこそ”謙遜”になるはずです。
会長絶対を大声で叫ばせて煽動している事態、これどこに謙遜などあるのでしょうか。

494モトミナ:2002/11/27(水) 17:59
補足させて下さい。
要するに自分では言っていないが、会員に言わせしめている、という事が現在の顕正会であるということです。

495トゴシ:2002/11/27(水) 19:59
>”先生の驥尾に付し”とか”先生の戦いの一翼を担う事こそ我が本望”

結局、「先生」「先生」なんですよね。うん。

496犀角独歩:2002/11/27(水) 22:57

モトミナさん:

記述を正確に期していただき、有り難うございました。

497菊水護国:2002/11/27(水) 23:23
もう一つ付け加えますと、顕正会では会員が登壇して「浅井先生の大信力に護られ・・・」と言いますが、この言葉に疑問を呈する者はいないのでしょうか。
「大聖人様の佛力・法力に護られ・・・」なら分かりますが、何故「浅井先生の大信力に護られ」るのでしょうか。こんな言葉を会員に吐かせて平然としているとは大した方ですよ。

498犀角独歩:2002/11/27(水) 23:41

うーん、こんだけの浅井分析、ちょいと特筆ものですよね。
まあ、私は浅石の声と喋り方は気持ちが悪い(管理者からのお願いに引っかかりそうですが)から、単に始まったのですが、しかし、実のない、自画自賛は、聞いて腹が立つ、でも、尊敬している人は「あばたもえくぼ」は、どこも同じなのでしょうね。

499犀角独歩:2002/11/27(水) 23:42

すみません。打ち間違いです。「浅石」は「浅井氏」です、もちろん。

500ガンコ:2002/11/28(木) 13:25
 浅井昭衛物語(ガンコ編)

・昭和32年 妙信講発足
・   33年 日淳上人より直々に認証を賜る。
・       妙縁寺住職 松本日仁尊能化 妙信講指導教師となる。
・   37年 法華講連合会結成
・       連合会と妙信講の間に種々のトラブル出来す。
・   39年 松本御住職 指導教師を辞すむね妙信講代表に伝え、本山に辞表を提出す。
・   40年 妙信講 正本堂の御供養に参加 ところが御供養金を浅井が着服したかの誤解出来す。
・       連合会との確執いっそう激化 御登山も認められず、これより奉安殿前での遥拝が始まる。
・   44年 5年振りの御登山叶うも御本尊紛失事件の嫌疑をかけられる等、忌まわしきこと多し。
・       御遺命守護を決意す。
・   45年 「正本堂に就き宗務御当局を糺し訴う」をもって宗門諌暁開始
・   49年 妙信講に解散処分下る。
・       首脳幹部 信徒除名に処せらる。
・       松本尊能化 住職罷免 宗門追放に処せらる。
        
      ・・・これより3年後、松本御能化逝去
      ・・・10年後、妙信講初代講頭 浅井甚兵衛逝去
      ・・・浅井昭衛 いまだ宗門復帰のめど立たず

上記は顕正会の資料から、わたくしが思うままにピックアップした、いわば恣意的なものです。
なにに主眼を置いているか、飾って言うならば「悲劇のヒーロー物語」です。
今の新進の幹部はいざ知らず、ベテラン幹部は皆「御遺命守護の戦い」「試練と忍従の歴史」の2冊を熟読し、育っていったのです。
もちろん感じ方は人それぞれでしょう。
おそらく初めてお読みになった方の中には、なんだ浅井というのは元からトラブルメーカーだったんだ、とお感じの方もおいででしょう。それを承知で書いたのです。

501菊水護国:2002/11/28(木) 13:38
ガンコさん。
> これより奉安殿前での遥拝が始まる。
この事について、顕正会では「毎年12月28日に浅井先生が石畳の上での遥拝勤行」と言われてますよね。
これは少し脚色があります。
本当は「大石寺の外にパイプ椅子を置いて、幹部とともにマッハスピード勤行(全部で5分位)を行って、即時撤収します。」
ちなみにその場所ですが、本山近くの土地を浅井名義で持ってます(数坪ですが)。そこに昔は「御遺命守護の看板」を建ててたんですが、その土地です。

502菊水護国:2002/11/28(木) 13:43
ガンコさん。
ところで、妙信講の悲劇は本当です。
創価学会には舐められる。
親父は連合会にいじめられる。
まあ、子供がグレるような動機で浅井さんは可笑しくなっていたんですよ。

503犀角独歩:2002/11/28(木) 14:22

ところで浅井氏を筆頭に、この一族って、何で飯を食っているのですか。
これだけの仏法の正義を言うわけですから、まさか顕正会で飯を食っているわけじゃないでしょうね。
この一族の職業ってなんですか。

504モトミナ:2002/11/28(木) 15:05
独歩さん
浅井甚兵衛氏の代より印刷業にて生計を立てていましたが、現在はご奉公に専念という事で、顕正会の収入しかないはずです。
甚兵衛氏系統(浅井会長の兄弟等)に関しては、どこどこに在住している、どうなったこうなった、というのは知っていますが、何で生計を立てているのかは知りません。
浅井会長の直系は皆さん顕正会の主任理事や理事といった顕正会の職員として生計を立てています。
つまり、言い方を変えると”顕正会は飯の種”という事になります。
大宮に転居してかなりの豪邸に住み替えたのですが、貧乏暇なしで御奉公している末端会員には辛い話でしょう。
本部移動で即座に新居を構えられる優雅さ。
そういえば主任理事も結婚後に旧本部(常盤台公園隣接)が建設された後、さらに前の旧本部(浅井会長宅隣)を更地にした後、新居を構えていたはず。
何度もホイホイと自宅を立てられる理由はただ一つ、といったところでしょう。

菊水護国さん
これは私は知りませんでした。マッハスピードというのも笑えました。

505犀角独歩:2002/11/28(木) 15:28

モトミナさん:

早速のご回答、有り難うございます。
やはり、宗教法人という名の株式会社でしたか。
会長は文字通りの会社企業の会長ですね。
顕正会の教義は、収入を得るための道具であったわけですね。
しかし、「ご奉公」とは便利な言葉ですね(笑)
法華講でも使います。

何度も挙げたのですが、私は『四菩薩造立抄』の以下の一節に、いつも聖人の実像を見るのです。それに比し「会長先生」とか言われる族長は、どいつも俗物の極み、“食法餓鬼”の誡めに当たる罰当たりな連中であると思うわけです。

「日蓮は世間には日本第一の貧しき者なれども、仏法を以て論ずれば一閻浮提第一の富める者なり」

いつから、仏教は飯の種、名誉賞賛の道具とされるようになったのでしょうか。
池田さんと正本堂、非難された致し方ないものですが、それと浅井さんの国立戒壇、大した差を私は感じないのです。

これまた、以前、挙げた文章ですが、『宗教の自殺』という本に、以下のような一節があります。顕正会・浅井さん、「お前もか」と思いながら、読み直したものでした。

「既成の宗教によって点火されなかった宗教心に新興宗教が火を着け、人々を巨大な信仰集団の徒にしたことは新興宗教の功績であり、それ以外に救われる術がなかった人々をして、心の安定を得させたことは高く評価されるべきであろう。
 しかしながら、私にはこの新興宗教がたちまちに金集めの組識に変化することに深い憂慮をおぼえるのである。新興宗教がある程度大きくなると、必ずその教祖を絶対者として、神あるいは仏の再来としてあがむ。そして教祖をピラミッドの頂点とする教団を拡張することが最大の善と考え、そのために猛烈な金集めが行われる。そのことが私は、大きな疑問なのである。……
 宗教の教祖というものは、多かれ少なかれ詐欺師の能力を持っているといえる。詐欺師はというのはいささかいい過ぎであるが、あるいは役者の才能といってもよいかもしれない。つまり、ひょっとしたら間違っているかもしれない自分の教説を百パーセント真実であると思わせる才能である。そのためには自分自身が自分の教義を百パーセント信じなければならないが、このような才能を持たない人々は、決して多くの人に影響を与える宗教家になれない。
 しかし、真の宗教家は自分の詐欺師的な才能に十分警戒している…」(PHP研究所・P210)

506犀角独歩:2002/11/28(木) 15:38

「100万人達成、一国諌暁」というキャッチ・フレーズが、人集め、出版収入という現段階から、次のステップ、本格的な集金体制へのスライドを意味することになるのだろうと私は予測しています。

507菊水護国:2002/11/28(木) 15:45
モトミナさん
仰る通りですが、優雅といっても田舎の成金親父程度ですよ。
大宮市盆栽町の300坪程度の家で喜んでるなんて、学会から見れば小さい小さい。
やっぱり本部移転は都落ちだったのは事実でしょう。

また何故大宮の本部に移転したかについて書ける範囲で情報開示します。
平成9年頃から、浅井さんは右翼結社○○社から脅迫されてました。ネタは控えさせて頂きますが・・・。
そして脅しに屈した浅井さんは、大宮の菱屋会館の空家を莫大な金額で賃借させれれる事になりました。
これが青年会館です。さて、そこに青年会館を置くに際して工事準備を行っていたとき、哀れになったその結社から、安い費用で本部土地の斡旋がありました。
その結果、現在の本部会館があります。

ところがこれにも裏がありまして、その右翼結社はそこに支部会館を置くつもりで、土地を別人名義で購入してあったのですが、資金繰りに失敗したので、会館建設を中止し、甘言で顕正会に土地を売りつけたのが本当です。結構哀れですがね。

508犀角独歩:2002/11/28(木) 16:28

> 507

この話、菊水護国さんが書かれるだけに現実味があって、面白いですね。
賭けない範囲はお会いしたときにお聞かせ願いたいと。

509モトミナ:2002/11/28(木) 16:58
菊水護国さん
>仰る通りですが、優雅といっても田舎の成金親父程度ですよ。
(爆)それでも身も財も削って御奉公(?)している会員にとっては、夢のようなことなんです。
私自身が最先端にいたのでよく分かりますが、末端の真剣な会員の暮らしはかなり酷いものです。
それだけ傾倒しているということなのですが、時間も金も余裕ができるべき立場になれる20代30代でもジリ貧生活なわけです。
詳しくは別途にでも実態を掲載させて頂こうとは思いますが、その会員の真心であっという間に建ててしまえる神経が理解できないわけです。

右翼結社の話は軽く知っていました。
やっぱりそうだったか、という感じでしかないのですが、それでも移動に関してあれだけ理由を付けて会員を説得している姿はそれはそれで哀れなものですね。

510菊水護国:2002/11/28(木) 17:06
しかし「東京直下大地震を避けるために」同じ関東圏内に引っ越すのは意味無いぞ。
東京直下大地震が来たら大宮だって、十分圏内だよ。

511菊水護国:2002/11/28(木) 20:28
>(爆)それでも身も財も削って御奉公(?)している会員にとっては、夢のようなことなんです。
私自身が最先端にいたのでよく分かりますが、末端の真剣な会員の暮らしはかなり酷いものです。

私は末端班長の頃から、金銭的な貧窮はしなかったから分からないのですが、貧窮してた子には結構恵んであげてたもんね。
そういえば、年金も保険も入ってない若者がいて、本当はいけないんですが、医者に行くとき健康保険証貸してあげたこともあったな(笑)。

512トゴシ:2002/11/28(木) 21:58
>「東京直下大地震を避けるために」同じ関東圏内に引っ越すのは意味無い

だって、もうすぐ広宣流布するから日本は自然災害なんか起きなくなるんじゃないの?
法華経の行者は守られるんだから、何が起きても、どこにいても平気なんじゃないの?
変なの。

513犀角独歩:2002/11/29(金) 12:02

そう言えば池田さんも「法華経の行者には守護がある」とか何とか言ってるのに、自分や、自分の家を特別警護させたりしていますよね。

仏教を信じるのであれば、自分の警護なんかさせなければいいわけですよ。
ま、こんなところに真実というのが見えるわけです。

広宣流布が来れば、天災も起こらないようなことを言っているのに、地震を心配して会館の場所を決めているわけですか(笑)こういうところを見て、わたしも「やっぱりな」と思うわけです。

これは石山でもそうですよ。「大聖人は生涯、質素な薄墨衣であったから、その衣を着る」みたいなことを言って、実のところは色ばかりは薄墨でも高価な衣なんですよね、織り紋まで入った。

「日蓮大聖人の精神でやっている」なんて、どんなにやり尽くそうがおこがましくて言えるセリフではないのに、たやすくこういうことを言う人間が、結局、尊敬を集めるわけです。集まる人間に見る目がないのか、仏教がわかっていないのか、まあ、両方なのでしょうね。

514モトミナ:2002/11/29(金) 12:25
トゴシさん
いや、顕正会の考えている広宣流布までの道筋としては以下のようになっています。
顕正会の大弘通->三類の強敵の出来->大地動乱->自他の二難出来->民衆の改悔->広宣流布達成
簡単に言うと、現在、最終段階といっているのは、顕正会の大弘通が開始された事によって次々に事相となる、といっている段階です。
つまり大地動乱(大地震)は近く発生するということなわけです。

独歩さん
>仏教を信じるのであれば、自分の警護なんかさせなければいいわけですよ。

そうですね。でもそうゆう会員をいいくるめる方法として必ず顕正会で用いる話があります。
目師は東北弘通の際等、帯刀されていたという事です。
あと日興上人の文言など。
法の為には外敵から身を護る術もまた必要だというのが顕正会の理由です。

515モトミナ:2002/11/29(金) 12:35
ようするに仏法の行者でも油断があれば魔に付け入れられる。
用心堅固がなければだめだ、ということなわけです。

516菊水護国:2002/11/29(金) 13:33
今、顕正会の警護は「衛護隊」って言うんですが、昔は「整理部」だったんですよね。
衛護隊は24時間浅井邸を警護してるんですよね。
会員使えば無料ですもんね。多分警備会社頼むと結構高いよ(爆)。

さて、旧浅井家の時はこんな24時間体制の警護なんて無かったんですよ。それが今や24時間私邸警護だもんね。
私は「整理部」〜「衛護隊」に名称変更した時、及び埼玉に移ったときに変貌があったように思います。

ちなみに「衛護隊」は「諸天昼夜常に衛護す」から取ったんだろうが「昭衛、克衛、城衛を護る」と言う意味だと言う説もあります(笑)。

517モトミナ:2002/11/29(金) 14:18
旧浅井宅には衛護はありませんでしたね、確かに。
しかし、考えてみると宗教団体というのは本当に金がかからないものですよね。
顕正会しか詳しくないので例にとらせて頂きますが、本部職員はまずびっくりするような賃金労働ですからね。
労働時間もかなり厳しく朝6時頃から夜遅くまでなんてことはざらで、休日はあるものの会の折伏で動きまわっているわけですから。
衛護隊も賃金ゼロ、つまり無報酬で数時間から十数時間も労働させられるわけです。
せいぜい顕正会で作った弁当が配られる程度です。
また会合でも衛護隊は活躍する場が与えられ、会員の動員処理や会長の警護など、セキュリティ面での出費が会としては全く無いわけです。
地方会館などを例にしてみると会館に割り当てた本部職員が2人程度、後の衛護隊や会館清掃者や受付などは無賃金なわけです。
しかも出仕させる理由は”仏法守護”という名目なわけですから率先してくる者は無論、顕正会で少なくとも信心している者は、そう言われたら出ないわけにもいかないんです。
通常一般の会社は人件費がとにかくかかってしまうわけでして、その点税金面でも多くのメリットがある宗教法人に加え、その他の労働者が自主的(?)に無賃金で働いてくれるわけです。
いろんな宗教法人が存在するのもいたしかたなし、といったところですね。

518モトミナ:2002/11/29(金) 14:20
訂正
>本部職員はまずびっくりするような賃金労働ですからね。

本部職員はまずびっくりするような低賃金労働ですからね。本部会長直系の人は抜いて。

519菊水護国:2002/11/29(金) 15:00
平成5年頃、富士の発送手伝ったとき「浅井先生のお気持ち」と言う寸志を頂きました。
封筒の中に1000円でした。

520トゴシ:2002/11/29(金) 19:08
モトミナさん
でも、大地震が起きたってなにしたって、顕彰会・浅井さんだけは大丈夫って教えじゃないの?
それとも、やっぱ、会館は建物だからだーめってこと(大笑)

521トゴシ:2002/11/29(金) 20:17
しかし、ただで会員使って、自分と、自分の家と家族を警備させるなんて、ほんとにいやなヤツ。
なんで、そんなことにモトミナさんはかばいたてるだろか。

522モトミナ:2002/11/30(土) 18:06
トゴシさん
かばい立てはしてませんよ(笑)
ただ会員に会って突っ込む際に、会員側の認識レベルをしって頂きたく会員側はどう思っているか、というスタンスで書いているわけです。
私自身の中では顕正会は完全にカルト化していると思っています。

523トゴシ:2002/11/30(土) 22:57
モトミナさん
そういうこと。では、「顕正会員は」って、主語をお忘れなく。
ロムの人も誤解すると思うな。

524みかん:2002/11/30(土) 23:09
>>152 >>158 >>160
sunyaさん、顕正居士さん、こんばんは。

ウェーバー学にもルター学にも新約学にも門外漢なので、アレですが。
当該書籍(『マックス・ヴェーバーの犯罪―『倫理』論文における資料操作の詐術と「知的誠実性」の崩壊』)も読んでませんし。そもそもドイツ語できませんし。
ワイマール版というのは、ワイマール版ルター全集所収のルター訳新約聖書のことだと思われます。
http://www.kyobunkwan.co.jp/FBooks/weimar.htm

ベン・シラの知恵の書というのは、わたくしは知らないのですが、シラ書(集会の書)のことでしょうか?
シラ書はアポクリファ(外典・続編)なので、プロテスタントは使用しないのではないかと思うのですが詳しいことは知りません。
それにシラ書は旧約(ヘブライ語)なので新約であるクレーシス(ギリシア語)とは関係ないのではないかと愚考します。

以下は田川建三の『書物としての新約聖書』(1997 勁草書房)からの知見。518-522頁参照。
ルター訳新約聖書といっても、ルターの生前になんども改定されいくつものバリアントがあるそうです。また没後も20世紀に至るまで改定されているそうです。なので、どのバージョンをさしているのか気になります。ウェーバーが所持していたのがどのバージョンか、羽入辰郎氏は全てのバリアントをチェックしたのか、当該書籍を読まないとなんともいえませんが。
書誌学についての書籍なので、当然チェックしていると思いますが。
ふつうルター訳の定本は1545年版だそうです。最終版は1546年。最初の版は1522年(Septembertestament)。

525顕正居士:2002/12/01(日) 20:14
みかんさん。

Webで検べた範囲のことを"166"に書きました。

ルターが職業の意味でBerufと訳したのは『ベン・シラの智慧の書』(『集会の
書』とも訳す)の2箇所だそうで、Luthers Bibelにはありません。旧約外典は
ユダヤ教徒の聖書からははやくにはずされ、『シラ書』の原文はありません(
20世紀に断簡が発見された)から、『七十人訳聖書』から重訳したものです。

526モトミナ:2002/12/03(火) 13:59
ふとした事なので唐突ですみません。
顕正会の会則を読んでいくうちに、前の会則を思い出しました。
第十五条 本会は、日蓮正宗に国立戒壇の正義が蘇り本門戒壇の大御本尊に対し奉る不敬が解消されたときには、時の富士大石寺法主上人に、昭和四九年八月一二日付を以て本会(当時法華講支部妙信講)に下された不当なる解散処分の撤回を申し出るものとする。
として平成6年3月31日付で会則が設けられていましたが、現在は改定されて上記の文はなくなってしまいましたね。
顕正会としては当時、本門戒壇本尊の不敬(正本堂遷座)が改められるという事は即ち、正しい法主が出てきて忽ちのうちに之の義を砕き、日蓮正宗として国立戒壇を掲げるという姿になると思っていたようですね。
実際に私もそう思っていました。
しかし現実には正本堂から戒壇大本尊は移されたものの、国立戒壇を宣揚するわけでもなく、ましてや阿部上人がそのまま法主だったわけですから、これは顕正会としては会則を変更せざるを得なかったのでしょう。
それゆえに”御遺命守護完結式”なる本部式典に出席した時は、今までの顕正会員の想像していた”御遺命守護完結=宗門復帰”とは全くかけ離れたものになってしまった事に驚いたものです。
現在の会則はまた国立戒壇を謳っているものの、内容に若干の差があるわけです。
なんだか都合良く変更されていくわけですね。

527ガンコ:2002/12/03(火) 14:56
>それゆえに”御遺命守護完結式”なる本部式典に出席した時は、今までの顕正会員の想像していた”御遺命守護完結=宗門復帰”とは全くかけ離れたものになってしまった事に驚いたものです。

もじどおり「不思議の還御」だったのですから、先生だって驚かれたでしょう。平成6年には想定し得ぬ展開だったろうと思います。
だからといって先生の大御本尊様に対し奉る恋慕渇仰はいささかも変わらない、宗門復帰を願われていることは間違いないと思っています。
現状としては解散処分の撤回を申し出る時機ではないのですから致し方のない面があります。
いずれにしても平成2年の諌暁書で要求したことが通ったのですから、わたくしも驚いたものでした。

ちなみに先般の総幹部会で先生は、平成2年の諌暁書を学ぶよう、全幹部に指示されました。

528モトミナ:2002/12/03(火) 15:31
ガンコさん
さてそこ何ですね、問題点は。
会員心理は常に顕正会に対して肯定的であるわけですから、振り返って思考するという事が往々にして欠如してしまいがちです。
そもそも「御遺命守護」という言葉は顕正会は何を指して叫んできたのでしょうか?
文字通り顕正会の言う「御遺命」とは国立戒壇そのものズバリを指しているわけですよね?
それが正本堂以降の経緯の原点だともいえるわけです。
それ故に顕正会は「御遺命違背」といえば”国立戒壇放棄”となったわけですし、「御遺命守護」といえば”国立戒壇の正義”を指したわけです。
そこで私が甚だ疑問に感じたのが、「御遺命守護完結式」なわけです。
式典に出席した当時、帰り道で気心を知れる後輩に対してすら「あれで完結になっちゃうんだ?」と話して困惑したものです。
ガンコさん、よく思い出して下さい。
私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。
あくまでも事実は顕正会のいうところの”正本堂から不思議の還御された”だけの事であって、御遺命守護=国立戒壇の正義 は完結していないはずです。
御遺命守護完結とは、当時の顕正会員の認識からすれば、「正本堂から戒壇の大御本尊が清浄の御宝蔵へ戻られ、宗門に国立戒壇の義が戻る」ことを指すわけです。
いや、当時の顕正会員の認識ではありません。
顕正会自体が御遺命守護完結を上記と定めていたところなわけです。
それが”正本堂から不思議の還御”となっただけで、国立戒壇の御遺命は何ら宗門には蘇らないうちに、”守護完結”とは一体どうゆうことなのか?と疑問視するわけです。
実際、観念文より四座の広宣流布祈念から”御遺命守護完結”の文字は抹消されてしまったわけですから。
観念文はまたそれで飛び火してしまいそうな論題なのですが、とりあえず今は、あの完結式を私は御遺命守護完結の詐称と判じる以外にはできません。

529モトミナ:2002/12/03(火) 15:34
訂正です
×私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。
○私が言いたいのは”正本堂から戒壇の大御本尊が御宝蔵に戻る事だけで御遺命守護完結に当たるのか?”という事です。

530犀角独歩:2002/12/03(火) 15:57

モトミナさん:

私は、あまり聞き慣れない言葉なので、お聞きしますが、「正本堂から不思議の還御」というのは正本堂から仮奉安殿に戻ったことを言うわけでしょうね。

ここで「不思議」という言葉が使われていますが、ぜんぜん不思議でもなんでもありませんよ。私は正本堂の解体については平成改元前後の早い時期に風聞していました。要するに大前机の池田さんをモデルにした裸像に向かって拝む形となっているのが不愉快だというところから始まっているのです。

学会の破門が決まったころには正本堂解体は当然の目標になっていました。しかし、勘違いしてほしくないのは、この決定は、顕正会とは何の関係もない、宗創不和の当然の帰結であったということです。もう一つは正本堂の高さ66mは達師の66世を表していましたから、それを67m、すなわち顕師の67世に変える目論見があったわけです。

当時、宗門内で、その時期を論議される中で言われていたことは「正本堂はいつ壊してもいいんだけれど、顕正会に勝利宣言なんかされたら不愉快だ」ということでした。

あと、もう一点、「還御」というのは文字通り、還るということなのでしょうが、新奉安殿は正本堂を壊して同じ場所に建ち、そこに同じように安置され、同じように参拝が繰り返されているのです。外から見ていると何か大きな変化があったように見えているのかもしれませんが、何も変わっていません。変わったのは創価学会・池田寄進であった建物ではなくなった、ただその一点だけです。

要するにこんなことで、なんで顕正会と浅井さんはお祭り騒ぎができるわけなんでしょうかね。

531モトミナ:2002/12/03(火) 16:23
独歩さん
全くその通りです。
しかし面白いものでして、顕正会員として活動していた当時は「不思議の還御」(不浄の正本堂からの戒壇の大御本尊の御生還)を驚いていたわけです。
本当に「顕正会の言うとおりになった」と思い込んでもおりましたし、だからこそ「顕正会しかもう広宣流布を成せる団体はない」と本気で気持ちを固めてしまいました。
しかし、一旦離れてしまうと何と馬鹿馬鹿しいカラクリでしょうか。まさに独歩さんが仰る通りのままでした。

先にも申し上げましたが、「顕正会は凄い、絶対だ」と言い切る前に会員の方は考えてみて欲しいのですが、顕正会としては話が前後しているわけです。
つまり、宗門の国立戒壇論復活がありて後、戒壇の大御本尊の御宝蔵遷座、という順序があったわけです。
だからこそ私は国立戒壇の義も宗門に復活していないのに、「御遺命守護完結」とは的外れではないのか?と思ったわけです。
ところがガンコさんのように”正本堂より御宝蔵へ遷座”という事が前面に押し出されて、あたかも顕正会はこの一事だけを見つめていたように宣言され、それを会員は間に受けてしまうわけです。
今の私にしてみれば、カラクリを紐解いてしまえば、事前にこんな事程度は察知できてしまっただけの事、としか捉えられませんが。

で、独歩さんの話を聞いて顕正会員はどう受け止めるのかというと、顕正会では”戒壇の大御本尊=日蓮大聖人”となっているわけですから、あれこれ言われても動じないんですよね。
「人法体一」からこうゆう考え方が固定観念化されているわけですが、顕正会は戒壇の大御本尊を即日蓮大聖人と拝み参らせているということは、学会の破門や宗門内部での正本堂解体などは全て日蓮大聖人が”もう、ここには居られたくない”と考えたから、そう動かされていった、と考えているわけです。
つまり、御在世の蒙古襲来によせて蒙古帝国の王に諸天其の身が入り、謗法の日本を攻めさしめた、の如く、諸天が宗門・学会のトップの身に入り自界叛逆せしめた、と受け止めているわけです。
そしてそれを唯一人孤中貫かれた会長先生だけが、大聖人の御意を聞き奉り、大弘通を以て正本堂の誑惑(たぶらかし、まどわす)を崩壊せしめた、という筋書きになっているわけです。

532犀角独歩:2002/12/03(火) 16:31

531 モトミナさん:

なるほど。今回の解説は実に興味深く拝見しました。

> 戒壇の大御本尊を即日蓮大聖人…正本堂解体などは全て日蓮大聖人が”もう、ここには居られたくない”と考えた

面白いですね、こうきますか(笑)
となると、今は新奉安殿に安置されているのも「日蓮大聖人が、ここにおる」と、こう考えるから、つまり、顕師は御意のままに新しい建物を建てて、遷したと、こうなってしまうわけですが、ここのところは言われないのでしょうね(爆)

ところで「正本堂より御宝蔵へ遷座」というのは何のことでしょうか。
確か正本堂から元の奉安殿に遷したのであって、御宝蔵へは一度たりとも戻っていないはずですが。

533モトミナ:2002/12/03(火) 16:42
追記させて下さい。
独歩さんが言われる
>新奉安殿は正本堂を壊して同じ場所に建ち、そこに同じように安置され、同じように参拝が繰り返されているのです。
と仰られている点は重要だと思います。
なぜなら>531で言ったとおり、顕正会は国立戒壇の正義が宗門に戻ってこそ、正本堂から御宝蔵への御遷座、というのが条件であったわけですから、何も変わってない、ということになってしまうわけです。
つまり顕正会では正本堂さけ崩壊すれば”事(御遺命守護)は完結した、後は広宣流布(国立戒壇)だけだ”と思っているのですが、私が顕正会の御遺命守護完結は間違いだと何度も言っているのは、まさしくここを指しているわけです。
未だ国立戒壇を主張しない法主が中心となって建てた新奉安殿もまた、顕正会側の意味あいからすれば正本堂と何も違いはないはずなのです。
顕正会的な表現で指摘させて頂くなら、次のような事になってしまいます。
・国立戒壇を放棄し、顕正会を破門し、相承の授受が断絶してしまった法主が建立した「正本堂」
・国立戒壇の正義を護持せず、顕正会の破門も解かない、相承の授受が断絶してしまった法主が建立した「新奉安殿」
何が違うでしょうか?共に国立戒壇の正義を貫いていない。
にも関わらず正本堂は駄目だが、新奉安殿なら良い、というのであれば、その差は創価学会が絡んでいたか、いなかったか、という違いだけではないでしょうか。

ここがペテンだ、と思うのです。会員はその場の雰囲気に酔いしれ、顕正会こそは、と思っているかもしれませんが、顕正会会長は「もう宗門もあてにしない、顕正会が大聖人の御遺命をただ成就する」とまで言い放っているわけですから、現在の宗門が腐敗堕落していると顕正会では認識しているはず。
それでもその腐敗堕落の宗門が建立した新奉安殿は良い、というのが会員は理解できていないわけです。

534菊水護国:2002/12/03(火) 16:44
実は「正本堂解体」と「奉安堂建設」は同時計画だったんですが「還御を寿ぎ奉る記念大会」を行うまでは、後者の「奉安堂建設」は会員には隠していました。
ですから、一部を除いて(私は知ってましたが)、奉安堂建設計画は伏せられておりました。
顕正会のほとんどが「免震構造の新奉安殿建設」を行い、そこに還御したと思い込んでいましたから。
そしてしばらくたってから「奉安堂建設計画」を発表し、それを攻撃しだしました。
つまらんカラクリなんですがね。

ちなみに独歩さんへ
顕正会員の若い層のほとんどは、「奉安殿」と「御宝蔵」が同義語だと思っております。肉眼で見てない哀れさを感じますが・・・。

535犀角独歩:2002/12/03(火) 16:47


そうそう、あと、一点、モトミナさんに。

「不浄の正本堂」と、こうあるわけですが、これはつまり、正本堂にはキリスト教の司祭が来たり、また、遺命違反に意義によったなどということになるから、そういう言い方になるのでしょうね。

ところで、顕正会では戒壇之漫荼羅の修繕、いわゆるお色直しは、どうとらえるのですか。

奉安殿から遷そうとしたところ、腐朽が進んでいたので、赤沢長陽に、さらにその下請け、A、さらに下請けへと、修理に回ったわけです。聖教新聞社のH氏が詳細な写真も撮りました。これらの事実は顕正会的な発想からすれば、まさに謗法に当たると判断されるのではないのかと私は思うのですが、浅井さんやその他はこの件に関しては、どんな見解を示しているわけですか。

536モトミナ:2002/12/03(火) 16:47
独歩さん
私は悲しいかな、顕正会教学が基礎になっているので、表現が不適切でした。
御宝蔵とは元の奉安殿を指して下さって結構です。

537犀角独歩:2002/12/03(火) 16:50

533 モトミナさん:

そうそう。そういうことですよ。まさにそのとおり。

534 菊水護国さん:

> 顕正会員の若い層のほとんどは、「奉安殿」と「御宝蔵」が同義語だと

ああ、そういうことですか。
でしょうね。

538モトミナ:2002/12/03(火) 16:53
菊水護国さん
それは・・・言わないで下さい。若年にして顕正会に縁して、本山へ一度たりとも出向いたことのない悲しさです。
顕正会では「御遺命守護の戦い」という本が出版されていて、その中で「御宝蔵」「奉安殿」という学会、顕正会との定義解釈の云々があるのですが、それを基にして発言しました。
情報ソースが少なすぎますね。お恥ずかしい。

独歩さん
>戒壇之漫荼羅の修繕、いわゆるお色直しは、どうとらえるのですか。

顕正会では一切指導されていないはずです。
そんな事を顕正会員が聞いたら、驚くはずですね。

539菊水護国:2002/12/03(火) 16:57
そもそも、顕正会は戒壇の御本尊が板だということまでは知ってても、それが彫ってあり、金が塗り込んであるまでは知りません。
ほとんどが、板に筆で書いてあると思ってます。
ひどい人だと戒壇本尊は紙幅だと思ってる方もいます。
大体「板本尊」自体見た事がない方がほとんどです。
そもそも常住と形木本尊の違いも分かってないかも・・・、
そこに独歩さんが前に言っていた「戒壇本尊は大聖人が作った、日法師等聞いた事が無い」等という初級顕正会員の戯言が成立する要素があります。

540犀角独歩:2002/12/03(火) 17:09

> 539

そうなんでしょうね。
私と話した顕正会の青年は「戒壇の大御本尊様は日蓮大聖人が“作られた”」と、こうでした(笑)

「ああ、そう。じゃあ、材木を板にして、鉋で削って、彫刻等で彫って、漆かけて、金箔まで、聖人がやったのか!」と一喝してやろうかと思いましたが、それも大人気ないし、あんまり可哀想なのでやめました(笑)

541菊水護国:2002/12/03(火) 18:27
私が会った高校生顕正会員は、戒壇の御本尊は顕正会本部(旧本部・常盤台)の本尊だと2年位思っていたそうです。
まさに顕正会本部の階段を上がったところにあるから「階段の御本尊」何てね(嘘)。
今は法華講にいて、笑い話になってますが、本気でそう思ってたそうです。

542犀角独歩:2002/12/03(火) 20:21

> 541

こういうことって、やっぱり、あり(笑)
そう言えば、私が高校生のとき、学会で後輩の体験発表の原稿をチェックしたら「自由の菩薩」と書いていた…。その後、そいつは本当に自由の菩薩になってしまったっけ。
まあ、若い情熱というのはかわいいもんですけれども。

543犀角独歩:2002/12/04(水) 22:58

顕正会は何故「御宝蔵還御」ということに拘るのでしょうか。これはもしかして、ずっと前から戒壇之漫荼羅は御宝蔵にあったとでも思っているからなのでしょうか。

顕正会が斜に見ている達師の言を聞く耳があるかどうかわかりませんが、以下のような講義があったわけです。いちおう、断っておきますが、私はこの内容に全幅の信頼を置いているわけではない、けれど、以下引用するところは、史実に基づいているのだろうと思うわけです。

「自分が住むところに(御影様や戒壇の御本尊を)安置するのは申し訳ない事です。初め何もお寺がなかったときには六壷に安置したかも知れませんけれども、結局、その大坊や塔中の後方の中心に本堂を造って戒壇の御本尊を安置し、そして御影堂に御影様を安置するのが当然かと思われます…
 日有上人の時代に…御宝物(戒壇の御本尊様や御影様ではなく、大聖人の御真翰類や普通の紙幅の御本尊様等)を納めるために校倉造りの御宝蔵を造った…
 徳川時代の初め、寛永になって日精上人が御影堂を建立(西暦1632)…棟札に「本門戒壇本堂」と書いております…
 とにかく、現在、御影堂と称するところに日精上人の時代は戒壇の御本尊様を祭り、本堂と称していたわけです。つまり、これまでは本堂と御影堂が並んで建っていたのですが、日精上人の時には御影堂と本堂を一所にして今の大きな御堂を建てたのでしょう。そして戒壇の御本尊様を安置して、その前に御影様を安置せられたのでありましょう…
 次の寛永十二年(西暦1635)七月五日には御堂の御宮殿を造立されております。その裏書きを見ると、この御宮殿はいまの御堂を建立してから三年後に出来ております。で、これにもまた「本門戒壇御宮殿」としてあります。だから、今の御影様の後に戒壇の御本尊様を安置してあったに違いありません。
 それからずっと後、四十数年経て延宝七年(西暦1679)に、はじめて日精上人の御影堂御影様後の板御本尊が造立されております。故にこの時(延宝七年)に御影様後の板御本尊を造立し戒壇の御本尊様を御宝蔵へお移しになったのではないかと推測されます」(総本山大石寺諸堂建立と丑寅勤行について
 http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Desert/5234/honzansyodou.html

長い引用ですが、要するに戒壇之漫荼羅は本堂に・御影像は御影堂に別々に安置されてあったけれども、精師が御影堂を“本門戒壇本堂”として再建した折、御影像の後ろに戒壇之漫荼羅は安置された、その40年後、精師筆の板漫荼羅を造立して御影像後ろに安置し、ここに初めて戒壇之漫荼羅を御宝蔵にしまったというわけです。

延宝7年(西暦1679)のことであるといいますから、今から300年ほど前のことです。
それまでは戒壇之漫荼羅は本堂、あるいは御影堂に安置されていたというわけです。

しかしながら、どうも顕正会の論調を聞いていると、ずっと御宝蔵にしまわれていたと思っているように感じるのですが、これって、私の穿った見方ですか?

544菊水護国:2002/12/04(水) 23:22
> しかしながら、どうも顕正会の論調を聞いていると、ずっと御宝蔵にしまわれていたと思っているように感じるのですが、これって、私の穿った見方ですか?
そのとおりです。穿った見方ではありません。顕正会員は本気で「日興上人以来、戒壇本尊は御宝蔵にしまわれていた」と信じています。

545犀角独歩:2002/12/05(木) 00:11

544 菊水護国さん:

あ、やはり、そうでしたか。
まったく、好い加減なものですね、浅井さんというのは。

546モトミナ:2002/12/05(木) 08:55
戒壇大本尊の移動云々について、別スレで確か独歩さんが仰られていた事を思い出しました。
戒壇大本尊は身延から延々と冨士大石寺まで運ばれてきたのか?のような事柄について・・・
確か秘仏かそうではないかの論展開から出てきた話だったと思いますが。
顕正会では身延からそのまま御宝蔵に御仕舞いされた、という認識を持っているはずです。
但し、顕正会発行の文献内からはその後御宝蔵、奉安堂、その他と様々な場所に移されてきた、とは記述されていますが・・・
私が詳細について知ったのは、会活動を退して以後ですので、大方の顕正会員は戒壇大本尊の時代別安置場所については実に曖昧に記憶していると思われます。

547犀角独歩:2002/12/05(木) 09:39

モトミナさん:

顕正会の認識を教えていただきたいのですが、正本堂は謗法の建物であったという根拠は読み取れるのです。けれど、何故、奉安堂はよいのか。ここのところがピンとこないのです。顕正会の認識としては顕師は「不相承」「相承詐称」の貫主であるわけですね。その人が建てた建物は謗法は思わないわけですか。

もう一点。先だっての法要登山でも30万人が戒壇之漫荼羅を参拝したわけですね。
しかし、「宝蔵に秘蔵厳護」という論点からしたとき、この参拝は謗法厳戒の俎上に乗らないわけですか。

以上、二点、顕正会ではどんなアナウンスになるのか、教えていただけませんか。

548菊水護国:2002/12/05(木) 11:11
横レス失礼・独歩さん
顕正会(浅井さん)は「奉安堂」も否定批判してますよ。
奉安堂建立計画を発表した頃は、浅井さんは結構「奉安堂」を攻めてますよ。
また、不敬の御開扉を即刻中止しろとも言ってました。

549菊水護国:2002/12/05(木) 11:17
浅井さんの発言集
「私は阿部管長に強く求めることがある。それは、『濫りなる御開扉を即時中止せよ』ということであります。」(平成12年3月5日号顕正新聞)
「阿部管長はいま、正本堂の跡地に、奉安堂なる巨大な建物を建てんと企てている。(中略)戒壇の大御本尊様を利用して本山の収入を図るためであります。『いいかげんにしないか』と私はいいたい。」(平成12年4月5日号顕正新聞)
「奉安堂を建てる場所は正本堂の跡地だという。正本堂の基礎は壊さずそのままにして、その上に建てるのだそうです。頭が狂っているのではないか。」(平成12年4月5日号顕正新聞)

550モトミナ:2002/12/05(木) 15:17
独歩さん
菊水護国さんの仰られる通りです。
但し、かつての正本堂に対する攻撃とは違うとも思えます。
その違いは、かつての正本堂時は宗門復帰も視野に入れていた故に法主を管長と呼びはするものの、謗法とまでは責めなかった。
しかし、現在は”もう宗門に望むものは何もない。広宣流布は顕正会が為す”というように、宗門復帰を考えなくなった顕正会では管長に対する責め方を血脈相承断絶の者という扱い方になっているので、発言もまた以前とは違った”謗法の者”のような扱いになっているように思えます。
奉安殿を否定もしていますし、無用の御開扉も即座中止を発言しています。
これから先、奉安殿にそのまま安置し、御開扉を続行するようなら、きっとまた諌暁書を出して、顕正会総登山でも発令するのではないでしょうか。

551モトミナ:2002/12/05(木) 15:23
学会の方、法華講の方に少々お聞きしてみたい事があります。
顕正会では、例えばビデオ放映の際に会長が出てくると、ビデオに向かって礼をするという習慣があるのですが、他の団体でも同様なのでしょうか?
ふと思ったものでお聞きしてみたいです。

552菊水護国:2002/12/05(木) 15:31
> 551
創価は知りませんが、法華講でビデオに礼をするなんてありえません。
ましてや、顕正会での会長にあたる、在家講の講頭は「講の指導者」では無く「講のお世話役」に過ぎませんから、世間的儀礼的な挨拶しかしません。
もちろん御僧侶にも直接目の前にいれば、挨拶はしますが、ビデオに出てくる人に挨拶するなんてナンセンスですよ。
もっとも、顕正会時代の僕が班長をしていた班では、ビデオに礼をするのは中止させてましたがね・・・。

553犀角独歩:2002/12/05(木) 16:22

菊水護国さん:
モトミナさん:

まあ、そうでしょう。そういう答えが返ってきて当然でしょうね。
となると、「御遺命守護完結」って、いったい何が完結したというわけですか。まず、これが一点。

それと、そもそも昇師建立の奉安殿には浅井さんは参拝していたわけでしょう、30年代は少なくとも。となると、「御開扉即時中止」というのは、過去の自分を批判していることになりませんか。これが一点。

以上の点は、どんな弁明をするわけでしょうか。

554モトミナ:2002/12/05(木) 16:22
菊水護国さん
>もっとも、顕正会時代の僕が班長をしていた班では、ビデオに礼をするのは中止させてましたがね・・・。
爆!
そういえばかつてまだ私も幹部ではなかった初信者の頃、幹部が私の家に来てテープを聞こうと言い出し、一人で拍手を真剣にしている姿を見て、驚いていたのを思い出しました。
総幹部会のライブでも会長登場で皆伏せながら拍手している姿は異常でしたが、もっと異常だったのはビデオで同様の事をしていましたからね。
あれはみんな引きますよ。特に若い子たちに毎回説明していた後輩は、今となっては”あれ程アホらしかったものはない”と笑い話にしていますが・・・。

555犀角独歩:2002/12/05(木) 16:23

菊水護国さん:
モトミナさん:

まあ、そうでしょう。そういう答えが返ってきて当然でしょうね。
となると、「御遺命守護完結」って、いったい何が完結したというわけですか。まず、これが一点。

それと、そもそも昇師建立の奉安殿には浅井さんは参拝していたわけでしょう、30年代は少なくとも。となると、「御開扉即時中止」というのは、過去の自分を批判していることになりませんか。これが一点。

以上の点は、どんな弁明をするわけでしょうか。

556犀角独歩:2002/12/05(木) 16:25

浅井さんがでているビデオを観て、礼をする(大爆笑)
嘘でしょう、そんなことをやっているのですか。
そんなこと、するほうもするほうですが、やられるほうもやられるほうですね。
あまり、下品な言葉は使いたくありませんが「いかれてる」というほか、言葉もありません。

557モトミナ:2002/12/05(木) 16:32
独歩さん
それこそ理解に苦しむ、という所なんです。私も顕正会活動の末期状態にあって尚、肯定的に捉えようと努力しましたが、駄目でした。
だからこそ、御遺命守護”完結”という式典がどうにも納得いかなかったのです。
そこが会の方向性の極点にもなっている気がするわけです。
結論から言えば絶対に御遺命(国立戒壇)を守護しきって、それが完結した事にはならないはずです。
これが成就したとする会の見解に理解が示せません。
完全に初期の目的から逸脱しているといえるでしょう。

奉安殿の参拝に関しても全くもってその通りですが、御本尊下附についても同様の事がいえるでしょう。
破門される前は会員(当時は講員)は御本尊下附をされていたにも関わらず、下附がなされなくなった途端に「大量の下附は大謗法」と言い出す始末ですから。
許可されなくなった途端に責めるなら、それまでは何だったのか?と問いたくなるわけです。
それを自己弁護するように「熱原の烈士達は大聖人にお会いすることすらなく、大事を為し遂げた。今の顕正会員も戒壇の大御本尊にお目通りが叶わずとも大事を為せる」と言い出してしまうわけです。
もはや収拾不能の弁です。

558お暇庵:2002/12/05(木) 16:46
歓談の中すいません。皆さんの間にすこし、お邪魔します。

法華講の中でにビデオに向かって挨拶、礼という作法が唯一有る団体をお忘れ
ではないですか。正座、拍手、礼をやっているのはM観講です。私も当初ビッ
クリしましたが講頭の話になると正座を強制されるということがありました。
な、何者?という感じでしたが、あそこににとってはそういう存在です。他の
登壇者には正座しなくても、あの方だけにはそういう礼でビデオに向かってや
るのです。まいりました。

559犀角独歩:2002/12/05(木) 17:05

557 モトミナさん:

なるほど。それが先の問題定義であったわけですね。
よくわかりました。

560アヤエ:2002/12/05(木) 17:48
ビデオ上映会ですか・・・
一度連れていかれました、その時はすでに顕正会の実態を知りつつあったので
宗教の話では会いたくないと彼女には宣言してたのですが
相手はビデオさえ見てもらえれば 顕正会を信じてもらえると思いこんでいたので
なんとしても見せたかったのでしょうね、思いっきり騙されて連れていかれました。
席を立とうとしても「おねがい、おねがいだから すぐ終るから」と懇願され、
周りの人間もすべて会員だと思うとちょっと怖くて帰れませんでした。(情けない)
開き直ってどんな人間がいるのか周りを観察してみました。
高校生もグループでいましたし、お年寄もいらっしゃいました。
ロビーには子連れのお母さんがたくさんいらして目立ってました。
ビデオ会は体験発表のビデオでしたが 一人の発表が終る度に
皆さん一斉に拍手をしていたのが印象的でした。

561犀角独歩:2002/12/05(木) 18:07

仏教というのはビジュアルに訴えたものが広がってきたのでしょうね。
当初は仏像は作らなかった。このころは仏殿説話をレリーフに刻むことで広まったわけです。
次に、仏像という形で表現した方が広まりました。
これは教典にしてもそうでしょうね。文字が当時はビジュアルとしての意味を持ったわけです。

日本で仏教の人々を圧倒したのは仏像と堂塔伽藍というビジュアルでした。
次に地獄変などと言われる絵画表現がインパクトを与えるわけですね。
読経、念仏、そして、題目なんかも、こんなビジュアル的な要素が強いのであろうと思います。

学会では文化祭、そして、その映画が圧倒的に支持をされます。
顕正会は、統一協会や、オウム真理教と同じく、ビデオを巧みに使って、人々を煽動したわけですね。煽動という言葉が悪ければ、アピールといってもよいと思います。いずれにしても人々を動かすほど、訴えかける力をビジュアルが持っていると言うことです。

だいたい、テレビ、ビデオなんて、家庭で観るとき、みんなくつろいで観ている。ところが正座して、拍手して、礼までする。要するにビデオを上映している場所が現実の世界のように機能しているわけですね。仮想現実(バーチャル・リアリティ)が現実として機能するとき、私はそこには精神病理を注意しなければいけないと思うわけです。

562犀角独歩:2002/12/05(木) 18:14

ねえ、菊水護国さん:

先に私が引用した達師講義の精師の部分ですが、現在、御影堂といわれる堂宇は、実は「本門戒壇本堂」「本門戒壇御宮殿」として建立された。そこには戒壇之漫荼羅が安置されていた。三門は朱塗りとなった。

これって、要するに精師の代で××××したという意味になるでしょう。
何故、本門寺を公称しなかったのでしょうか。

563菊水護国:2002/12/05(木) 21:08
> これって、要するに精師の代で××××したという意味になるでしょう。
何故、本門寺を公称しなかったのでしょうか。

だって、勅使が来てないじゃありませんか。私の考えですが、本門寺寺号公称は勅宣で決定するものでは無いでしょうか。
恐らく、本門寺の勅額が出ると考えます。
宗門と国家と国主全ての意思が一致して、意味をなすのでは無いでしょうか。
そして、その他の事項も伊勢の遷宮と一緒で「御治定」が発せられるでしょうか。
多少、独断と偏見で書きました。

564犀角独歩:2002/12/05(木) 21:40

> 563

そうでしょうね。
当然、そういう道筋でしょうね。勅宣、そして御教書の順位でしょうね。
勅額を持っているという人物がいましたね(笑)

冗談はさておいて、しかし、そうなると精師の「本門戒壇本堂」「本門戒壇御宮殿」は命名は、では何を意味すると?

565犀角独歩:2002/12/05(木) 22:14

↑と、何故、問うかと言えば、本門戒壇本堂との命名は勅宣・御教書を受けない限り、しないであろうと思うからなのです。

566菊水護国:2002/12/06(金) 00:11
勅額を持ってる人?(笑)
ああ、有髪僧の大法皇様のことね(爆)

>本門戒壇本堂との命名は勅宣・御教書を受けない限り、しないであろうと思うからなのです。

勅額は「本門寺戒壇院」になるであろうと思います。
「本門戒壇本堂」という名称自体は「本門戒壇本尊を安置してある本堂」程度の意味しか無いと思います。
なぜなら、それを作った精師自体が未来に勅使御一行が来られたときに、衣冠束帯のきょ(引きずる布)がぶつからない距離を想定して、二天門と御影堂の間を作ってますからね。

567菊水護国:2002/12/06(金) 00:25
ついでにもう1つ
これは私の己義なんですが「本門寺の戒壇」が勅命で決まっても、大石寺自体の寺号を変える必要は無いのではと考えています。
現在でも、寛永寺の中に「輪王寺戒壇院」があります。
つまり寺院全体の寺号とは別に戒壇院自体に寺号がつくとも考えられます。
他にも、東大寺の中に「唐招提寺戒壇院」が作られた例もあります。
戒壇院自体に寺号をつけるという事では無いのでしょうか。

569犀角独歩:2002/12/06(金) 19:28

> 勅額は「本門寺戒壇院」

これは血脉抄から、すればそうでしょうね。
まあ、しかし本門寺内に建つとすれば、単に「戒壇院」でしょうね。

ところで、ここで疑問になるのは、聖人の言う三つの本門中「戒壇」、二箇相承の「富士山本門寺戒壇」、血脉抄の「戒壇院」、精師の「戒壇堂」が、元より、同一のものを指していたのかという点ですね。

三つの法門の戒壇を直ちに堂宇、寺院と見ることに私は疑問があります。
しかし、二箇相承であれば、これは建物を指しているでしょう。
戒壇堂といえば、寺院内の堂宇、しかし、戒壇院といえば独立した寺院と見てもよいのだろうと思えるわけです。

この辺を一括して同一に論じると見落とすものが多すぎると考えます。

570犀角独歩:2002/12/06(金) 19:39

あと、精師が戒壇之漫荼羅を背にして、御影像を入れた堂宇を建立したとき、これはれっきとした本堂であったのでしょう。しかし、その後、戒壇之漫荼羅は、なんと御宝蔵にしまわれてしまうわけです。

達師の言でわかるとおり、石山では、戒壇之漫荼羅が安置されていたところを、古来より本堂と呼んでいた。ところが、その戒壇之漫荼羅をしまったわけですね。ここから、この本堂は本堂の機能を失い、単なる御影堂となったわけですね。

しかし、本当に精師以前、戒壇之漫荼羅を安置した本堂なるものがあったのでしょうか。私はこの点を大いに疑っています。そもそも条々事でも「石寺は御堂と云い墓所と云い、日目之れを管領」というわけです。

もしも、戒壇之漫荼羅を安置する本堂なるものがあったのであれば、筆頭にこの管領を記すはずです。それなのに、ここで「御堂」となっています。また、これを本堂ではなく、御影堂であったはずだと達師も言うわけですね。

もとより、本堂とは石山においては御影堂を指していたのではないでしょうか。御影像が安置されたところが本堂という意味です。

私は、言われるような、戒壇之漫荼羅が安置された本堂、は石山にはなかったのではないのかと思うわけです。

しかし、精師は戒壇之漫荼羅を入れて、その前に御影像を置いた前代未聞の堂宇を建立し、高らかに「本門戒壇本堂」と銘打ったのではないのか、そう考えたほうが自然にとらえられるわけです。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板