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法華経について

320犀角独歩:2008/08/05(火) 00:16:53

318 パンナコッタさん

解説、有り難うございます。概ね、仰るとおりです。
本来、法華経には摂受・折伏といった成句も、概念もないのに、「法華涅槃時」の括りのなかで『涅槃経』説の摂折論をもって『法華経』を捌く天台の在り方は如何なものか。また、こうした点を日蓮は前提にするために、かえって『法華経』の原意から、日蓮の解釈は外れてしまっていないかという点を指摘しました。

321天蓋真鏡:2008/08/05(火) 10:40:42
天台は方法論を説き、 日蓮は其儘利用した?

322犀角独歩:2008/08/05(火) 10:57:35

マターリさんが、319に整理された常不軽菩薩の特徴は、実は『法華経』に登場する菩薩の特徴ですね。(地涌菩薩が迫害をされると言った記述はないので、この部分で特例)

ところが、面白いことに、「法華経を自分は、誰よりも深くわかった、理解している」という大方の当の本人たちは、まるでこうした菩薩達とは異なります。法華経を理解していないと人を平気で蔑みますし、法華経を信仰しない人の人格を貶して恥じることもありません。口汚く感情的で人身攻撃に余念があります。そうした例は、こちらの掲示板でいくらでも指摘できるでしょう。

こうした法華経菩薩達とまったく異なった言辞と行動を、なぜ、法華経信仰者がなすのか、それはもちろん、不軽菩薩物語のとらえ方、ひいては解釈に問題があるのではないですか。では、どのようなとらえ方かと言えば、「折伏的な」ということではないですか。わたしは摂折で法華経を解釈すれば、徹底的に「摂受的な」経典であると思います。それは、まさにマターリさんが 1.人から悪口雑言される 2.悪口雑言されても怒らない 3.逆に、悪口雑言した人を敬い、しかもその人を礼拝する と整理して有様が摂受と映じるからにほかなりません。この三つの整理のなかには相手を「折り伏す」という高圧的、かつ強制的なところは片鱗もありません。

323パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:56:14
マターリさん
添品法華の闍那崛多を捩ったら、お菓子の名前になってしまいました。
議論が紛糾した摂折スレに即して、いくつかあったと思います。(大変膨大ですが)

但行礼拝の不軽と蓮祖の相違ですが、これは個人的な資質が大のような気がしますね。
手がかりになりそうな文献を拾ってみると、災難興起由来・安国論そして太田抄記載の
『涅槃経に云く 若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、
 是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり』
この思想が蓮祖の根底にあったからではないか、と推察されます。
だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物でしょう。
(極限状態の松葉ヶ谷や小松原の襲撃に対しては、人としては真っ当な反応でしょう)
論断敵対書のようなcoolな対応もありますので、法華誹謗に対しては毅然と対処するのが
蓮祖のスタンスだったのではないでしょうか。

324パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:57:17
独歩さん、
逸脱していなくて良かったです。

しかしながら、法華を標榜する大方の人々が不軽の対極にいる現実は由々しきものですね。
お教えも精神性もあったものではありませんし、毒氣深入失本心故・戒禁取見の故、
致し方ない部分でもあり、自分の犯した科に気付くまで時間を要する部分でしょうね。

325マターリ:2008/08/05(火) 21:01:09
>犀角独歩さん、パンナコッタさんから紹介していただいた、摂折スレ
を拝見しました。この中で犀角独歩さんが、「日蓮は涅槃経の行者だった
」とおっしゃっています。

そのために日蓮は、常不軽菩薩を涅槃経的に解釈したと考えれば、常不
軽菩薩について、1.人から悪口雑言される、とだけ記した理由が、理解
できました。

また、顕正居士さんのカキコを拝見しました。
>智邈が「折伏思想」の創唱者である。むろん、智邈の主観では竜樹で
ある。日蓮は智邈のこの思想をよく理解しなかった。

長い時間をかけて、国から国へ、人から人へと教えが伝わっていくうち
に、元の教えが、全く別の物へ変化していく恐ろしさを感じました。

>パンナコッタさん、
>だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物
でしょう。

蓮祖は、一方で、とても心優しいという評価があります。私は、その点に
ついて御書を見ましたが、どうも文面からは理解できませんでした。

326パンナコッタ:2008/08/06(水) 13:45:10
 「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、
 蛍火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし」
録内、真偽未決・佐渡書の末尾ですが、こんなイメージですね。

327天蓋真鏡:2008/08/06(水) 17:07:07
天台は像法での方法論、日蓮は末法での方法論を纏め挙げたのではと自分は考えます。何故其の時代に其の方法なのかでは無いでしょうか。

328マターリ:2008/08/06(水) 20:27:24
>パンナコッタさん、そうですね。学会教学を学んだ私には、そうした
蓮祖のイメージが強いです。

それから私は、書簡からみる蓮祖の心の動きを探っています。蓮祖は、
嬉しいときは大口を開けて哄笑し、悲しいときは大地に身を投げ出し
て泣き、好きになれば人前もはばからず思いのたけを訴える、という
ように、とても単刀直入な性格だったようです。

つまり、愛憎の振幅が大きく、荒削りな人間性だったようですが、
文章には、そうした性格が出ていないような気がします。文章の面で
は、心にバリアを張っているかのようです。ふつうの人は、文章に
心の揺れや迷いが表れるものですが、それが全くみえないのは、どう
いうことなのだろうか、と疑問に思います。

蓮祖を襲った数々の難は、安楽行品を無視したことに原因があると思
います。法華経の作者は、法華経教団が難に遭わないよう、安楽行品
を書いています。難に遭って教団が壊滅したのでは、経典のみ残って
も意味が無いからです。

安楽行品の経文の通りに信仰し、なおかつ、それでも難を受けたら、
常不軽菩薩のように、難を耐え忍ぼうということだと思います。

法華経の観点からは、「やはらかに法華経を弘むべし」が正しいと思わ
れます。法華経は、聖徳太子が言っているように「穏やかな経典」なの
だと思います。


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