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日蓮聖人の本尊観

78無徳:2002/08/04(日) 03:00
皆さん今晩は:

 皆さんの教学力の凄さを思い知らされています。
なんとも、私のような無知を託つ人間にとっては論議に参加することが躊躇わ
れます。

 しかし、何とか少しは棹をさしたいと思い、少々皆さんと違った角度から牽
強付会を承知で論議に参加させていただきます。

 岩波の仏教辞典によると『久遠』とは『永遠』と同義として扱われています。
更に『永遠』の項を見ると、宗教においては大別して永遠なる概念については
三つの様式に類型化できるとして、一つは莫大な数量の神話的時間を象徴する
為と、二つ目は円還的に回帰する無際限の時間を意味するものとして、更に三
つ目は時間を超越する無限性ないし無時間性を示すものとして永遠なる概念が
使われているとして、仏教においてもこれらの三つの様式に対応する時間論が
併存しているとされています。

 そして、インドにおいては第一の類型として、莫大な時間を表す概念として
『劫』『劫波』『永劫』なる思想があり、更に、第二の類型として世界は『成・
住・壊・空』という四劫を絶えることなく繰り返して経歴するという円還的な
思想もあり、これを人間に当て嵌めると『輪廻』思想になるとしています。そ
して第三の類型として、この輪廻からの離脱を『解脱』として理想化し、生死
輪廻を超越する無時間性が立ち現れ、いわゆる『空』なる概念として結実した
としています。

 いったい、法華経の作者は如何なる時間概念を所有していたのでしょうか?
更には日蓮大聖人は『久遠』や『無始』なる時間的概念をどのような位相で捉
えておられたのでしょう?

 当然ながら仏教においては時計が指し示す物理的な時間とは違った、人間の
心的領域に属するものとして、心的世界の流転変化の位相を時間として位置付
けているものと私は考えています。

 したがって、『劫』『劫波』『永劫』や『成・住・壊・空』なる概念を宇宙論的
に解釈することも出来ますが、私はあくまで人間の認識(意識)の成せる業とし
て理解しています。それでは単なる唯識論ではないかと言われそうですがそのこ
とを否定しようとは思いません。(続く)


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