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日蓮聖人の本尊観
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:
管理者
:2002/07/30(火) 19:38
65 名前: モモ 投稿日: 2002/07/18(木) 03:18
>私はここで戒壇の本尊、日蓮本仏論、国立戒壇論といった寛師以降の石山教学を、あるいは生命論と言った創価教学を徹底して批判をしてきました。それは、それを信じる人たちの顰蹙を買うものであり、私が恰も日蓮宗教学の煽動者であるような批判メールを送りつける人もいるのです。けれど、戒壇の本尊、日蓮本仏論、国立戒壇と寛師教学、生命論といった戸田・池田教学はかつての私の補助自我であったことを率直に認め、それを批判すると言うことは、ある面、徹底した自己否定を展開していることを看取している方は少ないのです。永年、積み上げてきた信行学とは、まさに自分自身の投影であるけれど、それを徹底して批正していくなかで見えてくるものは、実はシャキャムニの本来の教説でした。
非常に重く、かつ明確、簡潔に独歩さんの主張がまとめられていると思います。
私は平成6年の六万総登山ごろから毎月御登山するようにしております。都合で
出来ないときは次の月に2回とか。以来8年なのでもうすぐ100回ぐらいにな
ると思います。子どものときから数えれば100回を超えているかもしれません。
やはり御登山の実感とご利益はありがたいと思うのです。独歩さんも御登山した
回数は何百回もあると思います。きっとそれぐらいになれば独歩さんの境地にた
どり着けるかもしれません。しかし今はやはり大石寺を離れたいとは思いません。
他のページも見てみて、大石寺も宗教社会学の批判によく当てはまっているのに
気がつきました。
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