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日蓮聖人の本尊観

209顕正居士:2008/08/11(月) 01:05:54
>>202 >>203

犀角独歩さん。

本化四菩薩を脇士とすることで本門の教主をあらわすのが日蓮の意匠なのは直弟以来誰も異論が
ないし、むろん曼荼羅はそうなっているから日寛師の奇説を検討する必要はないのですが。

文の主語は「地涌千界」でこれが本門の釈尊を脇士とするのならば「以本門釈尊為脇士」と書かねば
なりません。「以」は「ヲ」に当たります。ところで「為本門釈尊脇士」と書くと、「本門釈尊ヲ脇士ト為ス」
のか「本門釈尊ニ脇士ト為ル」のかわからない。それで先のように読まれないため「本門釈尊為脇士」
(本門釈尊ニ脇士ト為ル)と書いたのですね、多分。「以」がなければ「本門釈尊ニ(ノ)脇士ト為ル」と
読むのですが、念のためでしょう。そういうわけで日寛師の奇説は漢文法上も検討に値いしません。
漢文のデタラメな訓読(「自も我も得たる仏来れり」の類)にことよせ教相を超越した己証を述べるのは
本覚法門で普通のことですが、日寛師の場合はテキストに即した解釈を真面目にやっている中で
突然それが飛び出して来ることがあるのが特徴です。そういうのは切紙とかでやるのですが、細草の
談林は大石寺と八品派のマイナーな趣味の学問の場所だから、現場では区別が付いていたのかも。


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