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創価学会の功罪を考える
909
:
ジャンノレン
:2003/11/14(金) 17:29
諸氏の考察、興味深く読まさせて頂いております。
それぞれにある時期を共有された価値観や情熱に、ある種の憧憬を感じております。
創価学会の存立基盤は言うまでもなく大石寺の長年に渡った法義伝統にある訳ですが、ここ十余年に
渡って彼の団体が垂れ流す情報を私感で分析すれば、蓮祖の代理として布教に勤めるというものの、大石寺の
教義範疇を一歩もでていないと思うのです。大石寺に関与する僧侶や在家の歴史的また文書的考察批判を幾度
と無くされていますが、それは大石寺の教義を前提とした批判であって、批判すればする程、大石寺が彼等に
とってトラウマのように正に対する反としての役割を演じているように思うのです。その証拠に何等それに変
わる代替的教義や理念を提案出来ていないのが現実ではないでしょうか。彼等が批判の対象として大石寺を上
げる以上、彼等のトラウマは益々増している様に思います。やっと某氏本仏論が台頭したかと思ったら、直ぐ
に引っ込めて、ようやく最近の成果と言えば凡夫本仏論ぐらいでしょうか。それもあっけなく外郭情報からの
出現でした。五座・三座の勤行も観念文を変更したとはいえど形式は全く大石寺のそれであり、本尊すら各氏
が指摘されるように第二十六代の借り物です。私はいっそのこと某氏の本尊にし、簡易勤行にした方がよっぽ
ど、現代的であり、今後の民衆仏教としての方向に整理が着くと思っているのですが、その動きも聞こえてき
ません。まるでお釈迦さんの手のひらの孫悟空のようです。
三大秘法や大聖人という尊称、はたまた本仏論これらは全て大石寺からの借り物です。五老末裔の各門流の批
判文を借りて批判するのですが、これらに依存した批判で団体の存立基盤を成しえたとは恐らく思っていない
と考えるのですが、本尊と本仏論と正当・正嫡性としての記号性のみを大石寺から横スライドさせたのが団体
の現状の有り様かと思います。これらを団体の功罪に当てはめると、田舎寺であった大石寺の教義を少なくと
も仏教の開祖釈尊の定義を印度からすれば辺国の日本、しかも鎌倉期に誕生した蓮祖を末法の仏を宣揚したこ
とは大いに仏教界の教義研鑽に貢献したと思われます。罪はオリジナル性が皆無にかかわらず団体の正当性を
掲げてまるでブランドもののフェイクを周囲からの指摘も顧みず、後生大事に持っているという哀れさです。
しかし、もっとも可愛そうだったのは、大石寺に伝わる化儀や本来の法義を彼等は何にも教えて貰っていなかったと言
うことです。Jルーカスさんが時折漏らされる古来の法則は、大石寺の懐の深さやしたたかさを垣間見せてくれます。
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