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素朴な疑問

2973顕正居士:2006/12/04(月) 19:12:37
続きです。
しかし本尊問答抄の修正は別の問題を生じました。仏本尊、法本尊の問題です。
法華宗(天台宗)は所生の仏を本尊としない、能生の法を本尊とすると言った。
第一、史実に反します。どう考えても天台宗の本尊は弥陀、薬師、釈迦など仏です。
それで浄顕房の学問に合わせた特殊な解答だという説があります。
幾分そういう面もあろうかと思います。多分、浄顕房は毘盧遮那如来があらゆる仏の
能生の仏だと考えていたのでしょう。これは先の唐決のように標準的な考えです。
しかし同じ毘盧遮那如来でも、密教が入っていない中国天台と円密一致の日本天台では
違ってきます。毘盧遮那如来はもと華厳経の仏で宇宙そのものを擬人化した仏です。
中国天台で正覚を成じるとはこの毘盧遮那如来を証得することで、したがって
始成即久成、長寿はただこれ証体の用、毘盧遮那一本異ならずです。
密教ではこの仏の具体的人格性を強調します。金剛界智法身の方ですが。
円密兼学の日本天台では密教のそういう思想も入って来ますが、しかしむしろ方向が
反対の思想が発達しました。己心への収束、如来蔵思想の発展、本覚思想です。
毘盧遮那如来は法である仏ですが、如来蔵も法である仏です。けれども密教の普及で
毘盧遮那如来は法である仏ということが(学問が十分でない人には)少し忘れられます。
日蓮は著しく人格化した毘盧遮那如来ではなく、如来蔵を本尊とすることを言わんとし、
幾らか極端な表現をした可能性があります。


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