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摂折について。

103犀角独歩:2005/07/11(月) 03:45:30

まず最初に分析。
shamonさんの投稿は、もうほとんど荒らしに変わらない様相を呈しています。
書き込みはいつも同じです。(a)悪口を書く、(b)言っていないことを書く、(c)答にならないことを書く。


分析(a)悪口を書く

> 犀角さんと言う方は、創価学会で長年「折伏」とは、相手に兎に角勝つことだ。論理に窮するようなことがあったら、相手を中傷・罵倒してでもやり込めることだと洗脳されてきたことから抜け出せないようです。勝っただの、負けたのだに拘って、自尊心を満足することに執着してまともな議論も出来ず、都合が悪くなると自分のしてきたことは棚に上げて他を非難をする

書かれる悪口は常に自分自身に当てはまります。以下のように書き換えられます。

「shamonさんと言う方は、顕本法華宗で長年「折伏」とは、相手に兎に角勝つことだ。論理に窮するようなことがあったら、相手を中傷・罵倒してでもやり込めることだと洗脳されてきたことから抜け出せないようです。勝っただの、負けたのだに拘って、自尊心を満足することに執着してまともな議論も出来ず、都合が悪くなると自分のしてきたことは棚に上げて他を非難をする」

ここで「創価学会」であることがまるで悪いことのように書いていますが、わたしから見れば、shamonさんより創価学会のほうがよほどましです。こんな汚い手口は使わないからです。また、わたしは「折伏」など論じていないのであって、折伏を言っているのはshamonさんのほうです。顕本法華宗には知り合いもいますが、しかし、こんなひどいことはしません。一応、上のように言い換えてみましたが、顕本法華宗も迷惑をしているのだろうと気の毒に思います。顕本法華宗のイメージダウンをするためにこのようなことをやってみせているのでしょうか。

> 頓珍漢

繰り返しますが、このような語句は使用しないほうがいいでしょう。


分析(b)言っていないことを書く

> ①、②

この二つはわたしが記したことではなく、自分で作文し、わたしが言ったことのように偽り、それを繰り返しています。先に記したとおり、嘘は100遍、書いても嘘です。

分析(c)答にならないことを書く

質問に対する答になっていません。

(1) 謗法攻撃が折伏に当たる経証は何か
shamonさんの答え「理解する能力がないようです」
(2) 持戒が折伏に当たる経証は何か
shamonさんの答え「全く理解する能力がないようです」
(3) 如説修行抄が真筆である科学的な証拠は何か
shamonさんの答え「全く理解する能力がないようです」
(4) 顕本法華宗が日蓮宗で改革を目論んでいるとはどのような意味か
shamonさんの答え「馬鹿馬鹿し過ぎますね」
(5) 顕本法華宗・今成師の摂折論は何が間違っているのか
shamonさんの答え「本当に馬鹿馬鹿し過ぎますね。」

以上、詰るばかりで何一つ答がありません。


> 簡単な文意も読めず、日本語に意味も解らず、簡単な文意も読めず、日本語に意味も解らず、罵詈雑言を尊大に繰り返す「創価学会の折伏」の洗脳から抜け出せない方との議論は無駄「創価学会の折伏」の洗脳から抜け出せない方との議論は無駄

上記、抜き書きに明らかなように、「簡単な文意も読めず、日本語に意味も解らず、簡単な文意も読めず、日本語に意味も解らず、罵詈雑言を尊大に繰り返す」のもshamonさんのほうです。また、今度は「創価学会の折伏」という言葉を連発して、また、レッテル張りをしていますが、これはわたしへの批判としてはまったく的はずれです。また、創価学会のほうがよほど、shamonさんよりましです。とはいうものの、わたしは創価学会を肯定する立場にはありません。

104犀角独歩:2005/07/11(月) 03:46:20

◎shamonさんが答になっていないのは以下のとおりです

(1) 謗法攻撃が折伏に当たる経証は何か
(2) 持戒が折伏に当たる経証は何か
(3) 如説修行抄が真筆である科学的な証拠は何か
(4) 顕本法華宗が日蓮宗で改革を目論んでいるとはどのような意味か
(5) 顕本法華宗・今成師の摂折論は何が間違っているのか
(6) 悪侶が持戒の僧を害することが摂受になるとはどういうことか
(7) 折伏が持戒以上のことであるという経証は何か

105一寸法師:2005/07/11(月) 08:15:20
いやいや、正気の沙汰ではない方に付き合わされました(笑)。馬鹿馬鹿しいので、御相手は終わりです。どうぞ、お引き取り下さい。

106shamon:2005/07/11(月) 08:26:43
一本取られましたね(笑)

107犀角独歩:2005/07/11(月) 08:29:17

先にはshamonさんが、今度は一寸法師さんが、わたしに、引き取れと書いています。お二人は同一人物ですか。また、引き取り依頼をすると言うことは管理人さんでもあるわけでしょうか。

3人は同一人物ですか。shamonさん=一寸法師さんが=管理人であれば、管理人からの要請と言うことになります。そうであれば、shamonさんが管理するような場所に長居は無用です。引き取りますよ。

どうなんでしょうか。

ただし、正気沙汰などという侮蔑される筋合いはありません。
謝罪を希望します。

108川蝉:2005/07/30(土) 18:11:20
日蓮聖人の不軽菩薩観

日向上人の著述「金綱集」は、「日蓮宗事典」によれば、
「佐渡阿闍梨日向が日蓮聖人より聴聞したところに基づいて諸宗の大綱を記述した著書。」とのことです。
その「金綱集第十下」に、
「摂受とは、世間の文に当たる。安楽行品の意、世界歓喜為人生善の意なり。(中略)
折伏門とは、世間の武に当たれり。不軽品の意、対治破悪是れなり。(中略)今時は日本国、摂受か折伏か、能く能く思案有るべきなり。
善導の千中無一と、法然の捨閉閣抛と、弘法の無明辺域非明分位、如此乘乘得名望後作戯論と、正覚房の牛飼履採とは、前代未聞の大謗法、(中略)是の時不惜身命の文を守って一言も法敵謗法を責めん事、真実時尅相応の殊勝の功徳たるべし」(宗全第十四巻495〜6)
と有ります。
日蓮聖人が講義の中で、「安楽行品の意は摂受、不軽品の意は折伏」と語っていたと考えられるし、すくなくとも直弟の日向上人が「安楽行品の意は摂受、不軽品の意は折伏」と領解していた事になります。

また「日蓮宗事典」には、「中老日法の『日蓮聖人法門聴聞分集』(宗全第一巻)は身延での日蓮聖人の『一代五時図』の講述を筆受されたものと推定される。」
と記しています。
その「日蓮聖人法門聴聞分集」には

「不軽品と薬王品等には或いは強説、或いは五五百歳中広宣流布等如何、その上へ仏に両説之れ在り、一切経は摂受と折伏を出でず(中略)末法折伏の世に難ずべからず」(宗全第一巻108)

「末法は是れ折伏の時なり」(宗全第一巻111)
とあります。

日蓮聖人が講義で「不軽品は強説であり、現今は末法折伏の世であるから強説を否定すべきでない。末法は折伏の時」と語られておられたか、直弟の日法上人がそのように領解していたと云うことになります。

また「宗全第一巻40」に、収録されている直弟の日頂上人の「申状 」には、
「折伏を起こして」と、日蓮聖人の弘通を形容しています。

このように直弟が不軽品を折伏ないし強説と領解していたことがわかります。

「開目抄」に
「抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家武家に奏する誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、」(昭定598・学会版230)
とあるように、日蓮聖人は勧持品二十行の偈を色読したと云う確信を懐かれています。

相手に順応し軟語を以て次第に法を説く摂受の弘通ならば、三類の迫害を受けることはないわけですが、相手の間違いを強く指摘批判したり、強いて正義を説き聞かせる結果、三類の迫害を招くことになるわけです。
三類の迫害を招いた事実から云えば日蓮聖人の化儀は折伏を面としたと云う事になります。

二十四字の教えを拒む者に強いて説いた故に、罵りや杖打を受けた事から云っても、不軽菩薩の弘経化儀も強説・折伏と云うことになります。

109川蝉:2005/07/30(土) 18:12:06

嘉祥大師が
「持品の末に、悪世の弘経は毀辱誹謗を被りて諸々の苦悩を受くと云う。小行の流れは(=初心低位の菩薩は)多く退没を生じて弘経すること能わず。この故に今、四行に安住せば悪世に居すと雖も常に快楽を受くべしと明かす」
と云って、勧持品と安楽行品の関係を述べています。

勧持品の迫害を招く本地が高位の菩薩の強説弘宣、すなわち折伏の化儀と異なる摂受の弘通化儀が安楽行品に説かれたと云う事です。
法華経には摂受の安楽行品と強説(折伏)の勧持品並に不軽品が有るわけです。

「顕仏未来記」に
「例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人日蓮は名字の凡夫なり。」(昭定740・学会版507)
とあります。
文意は、「不軽菩薩の弘宣した二十四字の教えと日蓮弘通の妙法五字とその意は同じである。また彼の像法の末と現今の末法の初めとも同じであり、また弘宣者も同じく凡夫位である、このように時・機(逆機)・法・導師も同一である。」
と云う意味です。

日蓮聖人は勧持品の色読者であることを自任していると同時に「不軽菩薩を紹継する」と云う自覚をもたれています。
と云うことは、不軽菩薩の化儀も勧持品と同じく強説(折伏)と見られていた事になります。

こうした日蓮聖人のお考えを聴聞していたから、直弟子が不軽菩薩の化儀を折伏・強説の化儀と記し、日蓮聖人の弘通を折伏を称していたのでしょう。

文永十二年の「曽谷入道殿許御書」に
「夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず(中略)悪人為る上、已に実大を謗ずる者には強て之を説く可し、」(曽谷入道殿許御書・昭定895・学会版1026)
とあるように、大判すれば、日蓮聖人は末法の五逆・謗法の衆生の救助の対象としたのであるから当然、強いて説く、即ち折伏の化儀を採られた事は明白です。

続いて、「強いて説く」経証として、不軽品の
「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」
「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是の無智の比丘何れの所従り来りてか」
「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」
の文を引き、さらに、法華文句十の「本未だ善有らざるには不軽・大を以て之れを強毒す」との文を証として挙げ、

「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、 」と、日蓮聖人の弘通化儀は不軽菩薩の化儀と同じ方法を採っていると述べられています。

日蓮聖人の弘通化儀が折伏を面としているのですから、当然、日蓮聖人は不軽菩薩の化儀を「強いて説く・而強毒之」すなわち折伏の化儀と見られていたことは確かです。
「開目抄」に「不軽品の如し」の句が無かったとしても、日蓮聖人が不軽菩薩の化儀を強説・折伏と理解されていた事は確かでしょう。

110shamon:2005/07/31(日) 10:40:53
全く、川蝉さんの仰る通りです。開目抄の「常不軽品の如し」が例え後人の挿入であったとしても、日蓮聖人は他の御真蹟において不軽菩薩の「強いて説く」ことと「受難の覚悟」については、再三に述べられています。 日蓮聖人の思想を理解していれば、開目抄の折伏の義に「常不軽の如し」とあっても何ら矛盾しませんし、文意も変わりません。

すべては、十界互具に基づきます。そもそも仏性の顕発というのは、「愚かなる凡夫」に「悟れる仏」を顕わそうとするものです。相反する性質のものが、実は相互に他を具している。したがって、内在し相反する性質を、表に顕わそうとする修行が必要になります。不軽菩薩の「但行礼拝」も一見すれば摂受の行でありますけれども、その内には「強いて説く」折伏の義を含んでいるのです。摂受に内在する折伏を超越させて、顕わさねばなりません。俗的な言い方をすれば、人心が乱れているような時には「表面的に優しいだけでは駄目だ、本当に優しいのなら、優しいが故に厳しさを顕せるものが本物である。」と説いているようなものです。本来摂受的である僧侶が、折伏的姿勢を顕わすのも同じ修行でありましょう。内在する性質を顕わすことが出来なければ、仏になることなどは到底適いません。不安を苛まされる愚かな人間が安心を得ることも、臆病な人間が自信を持って生きれるようになることも出来なくなります。

涅槃経は折伏、法華経は摂受の経典とされていますが、日蓮聖人が涅槃経の内の摂受を見出し、法華経の内に折伏を見出してそれを顕わさんとするのも、すべて一貫した思想に基づいているものです。

111伝六:2005/07/31(日) 21:37:57
開目抄の真筆に「常不軽品のごとし」がなかったということの妄説であることを、完璧に論じないといけないのだけれど、それは後にして、たとえで話すことをおゆるしいただきたい。「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる」という歌があるが、山部赤人の真筆には「鶴」という文字は無かったとメモしてある写本があったら、メモがおかしいと誰も考えるだろう。たとえ藤原定家であってもそういうメモがあればおかしい。定家の真筆かどうかを鑑定しないといけないわけだが、そんな問題がおこるわけがない。「常不軽品のごとし」がなかったということは、そういう問題である。それが宗門人のなかにわからない人があるというのは元品の無明かと思うくらいだ。川蝉さんのご努力には敬意を表します。

112shamon:2005/07/31(日) 23:17:51
開目抄「大経(涅槃経)は偏えに折伏を論ずれども、一子地に住す。いかんぞ曾て摂受なからん。この経(法華経)は偏えに摂受を明せども、頭破七分という。折伏なきにあらず」

> 涅槃経は折伏、法華経は摂受の経典とされていますが

彼の掲示板では、そんな学説があれば紹介して下さいとか、通説を鵜呑みにしたければとか、論拠を挙げない日蓮解釈の受け売りだとか言っているようですが、あの方達は日蓮聖人の御遺文をきちんと読まずに何を根拠に論議しようとしているのでしょうね。きっと門流独自の習性と言うのが染みついているのでしょう。

113伝六:2005/08/04(木) 12:19:53
「(上略)就中最も長篇にして、且つ吾人が読みて最も興味を感z3えしは、田中氏の摂折論なりとす。蓋し吾人が多とする所以のものは、其経論の解釈正こうを得たるが為にあらず、其法門の構成巧妙なるが為にあらず、吾人は今日の如き宗教萎靡、信仰冷却の時に当たりて全身是熱情、満腔是信念とも見ゆる田中氏の、敬虔なる、真摯なる、活信仰を聞くを得たるを喜ぶものなり、本篇を読みて粛然襟を正さざるものは宗教家にあらざるなり。」これは「本化摂折論」を読んだ無尽灯(浄土真宗の機関紙)記者の評です。明治時代の話ですが。真正の折伏に偏狭独善の要素は微塵もないことが、この評でもわかります。

114伝六:2005/08/04(木) 12:23:27
訂正します。「感z3えしは、」は「感ぜしは」です。

115川蝉:2006/06/17(土) 11:31:22
皆さん今日は。

このスレッドの8番で、私は「『破日蓮義』に対する反論書として、円明日澄の「日出台隠記」が刊行されているが長文なので紹介できない」旨を記しましたが、このたび試しにブログを作りましたので、そこに「破日蓮義」の部分に対応する「日出台隠記」の箇所を訓じて、掲載しました。

この掲示板に投稿するには長文過ぎてご迷惑になると思いブログで紹介することにしました。
もし興味をもたれる方は閲覧してみてください。
http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/ です。


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