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摂折について。

111伝六:2005/07/31(日) 21:37:57
開目抄の真筆に「常不軽品のごとし」がなかったということの妄説であることを、完璧に論じないといけないのだけれど、それは後にして、たとえで話すことをおゆるしいただきたい。「若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴(たづ)鳴きわたる」という歌があるが、山部赤人の真筆には「鶴」という文字は無かったとメモしてある写本があったら、メモがおかしいと誰も考えるだろう。たとえ藤原定家であってもそういうメモがあればおかしい。定家の真筆かどうかを鑑定しないといけないわけだが、そんな問題がおこるわけがない。「常不軽品のごとし」がなかったということは、そういう問題である。それが宗門人のなかにわからない人があるというのは元品の無明かと思うくらいだ。川蝉さんのご努力には敬意を表します。


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