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摂折について。
108
:
川蝉
:2005/07/30(土) 18:11:20
日蓮聖人の不軽菩薩観
日向上人の著述「金綱集」は、「日蓮宗事典」によれば、
「佐渡阿闍梨日向が日蓮聖人より聴聞したところに基づいて諸宗の大綱を記述した著書。」とのことです。
その「金綱集第十下」に、
「摂受とは、世間の文に当たる。安楽行品の意、世界歓喜為人生善の意なり。(中略)
折伏門とは、世間の武に当たれり。不軽品の意、対治破悪是れなり。(中略)今時は日本国、摂受か折伏か、能く能く思案有るべきなり。
善導の千中無一と、法然の捨閉閣抛と、弘法の無明辺域非明分位、如此乘乘得名望後作戯論と、正覚房の牛飼履採とは、前代未聞の大謗法、(中略)是の時不惜身命の文を守って一言も法敵謗法を責めん事、真実時尅相応の殊勝の功徳たるべし」(宗全第十四巻495〜6)
と有ります。
日蓮聖人が講義の中で、「安楽行品の意は摂受、不軽品の意は折伏」と語っていたと考えられるし、すくなくとも直弟の日向上人が「安楽行品の意は摂受、不軽品の意は折伏」と領解していた事になります。
また「日蓮宗事典」には、「中老日法の『日蓮聖人法門聴聞分集』(宗全第一巻)は身延での日蓮聖人の『一代五時図』の講述を筆受されたものと推定される。」
と記しています。
その「日蓮聖人法門聴聞分集」には
「不軽品と薬王品等には或いは強説、或いは五五百歳中広宣流布等如何、その上へ仏に両説之れ在り、一切経は摂受と折伏を出でず(中略)末法折伏の世に難ずべからず」(宗全第一巻108)
「末法は是れ折伏の時なり」(宗全第一巻111)
とあります。
日蓮聖人が講義で「不軽品は強説であり、現今は末法折伏の世であるから強説を否定すべきでない。末法は折伏の時」と語られておられたか、直弟の日法上人がそのように領解していたと云うことになります。
また「宗全第一巻40」に、収録されている直弟の日頂上人の「申状 」には、
「折伏を起こして」と、日蓮聖人の弘通を形容しています。
このように直弟が不軽品を折伏ないし強説と領解していたことがわかります。
「開目抄」に
「抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる誰の僧か刀杖を加へらるる、誰の僧をか法華経のゆへに公家武家に奏する誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、日蓮より外に日本国に取り出さんとするに人なし、」(昭定598・学会版230)
とあるように、日蓮聖人は勧持品二十行の偈を色読したと云う確信を懐かれています。
相手に順応し軟語を以て次第に法を説く摂受の弘通ならば、三類の迫害を受けることはないわけですが、相手の間違いを強く指摘批判したり、強いて正義を説き聞かせる結果、三類の迫害を招くことになるわけです。
三類の迫害を招いた事実から云えば日蓮聖人の化儀は折伏を面としたと云う事になります。
二十四字の教えを拒む者に強いて説いた故に、罵りや杖打を受けた事から云っても、不軽菩薩の弘経化儀も強説・折伏と云うことになります。
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