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摂折について。

109川蝉:2005/07/30(土) 18:12:06

嘉祥大師が
「持品の末に、悪世の弘経は毀辱誹謗を被りて諸々の苦悩を受くと云う。小行の流れは(=初心低位の菩薩は)多く退没を生じて弘経すること能わず。この故に今、四行に安住せば悪世に居すと雖も常に快楽を受くべしと明かす」
と云って、勧持品と安楽行品の関係を述べています。

勧持品の迫害を招く本地が高位の菩薩の強説弘宣、すなわち折伏の化儀と異なる摂受の弘通化儀が安楽行品に説かれたと云う事です。
法華経には摂受の安楽行品と強説(折伏)の勧持品並に不軽品が有るわけです。

「顕仏未来記」に
「例せば威音王仏の像法の時不軽菩薩我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人日蓮は名字の凡夫なり。」(昭定740・学会版507)
とあります。
文意は、「不軽菩薩の弘宣した二十四字の教えと日蓮弘通の妙法五字とその意は同じである。また彼の像法の末と現今の末法の初めとも同じであり、また弘宣者も同じく凡夫位である、このように時・機(逆機)・法・導師も同一である。」
と云う意味です。

日蓮聖人は勧持品の色読者であることを自任していると同時に「不軽菩薩を紹継する」と云う自覚をもたれています。
と云うことは、不軽菩薩の化儀も勧持品と同じく強説(折伏)と見られていた事になります。

こうした日蓮聖人のお考えを聴聞していたから、直弟子が不軽菩薩の化儀を折伏・強説の化儀と記し、日蓮聖人の弘通を折伏を称していたのでしょう。

文永十二年の「曽谷入道殿許御書」に
「夫れ以れば重病を療治するには良薬を構索し逆謗を救助するには要法には如かず(中略)悪人為る上、已に実大を謗ずる者には強て之を説く可し、」(曽谷入道殿許御書・昭定895・学会版1026)
とあるように、大判すれば、日蓮聖人は末法の五逆・謗法の衆生の救助の対象としたのであるから当然、強いて説く、即ち折伏の化儀を採られた事は明白です。

続いて、「強いて説く」経証として、不軽品の
「乃至遠く四衆を見ても亦復故に往いて」
「四衆の中に瞋恚を生じ心不浄なる者有り悪口罵詈して言く是の無智の比丘何れの所従り来りてか」
「或は杖木瓦石を以て之を打擲す」
の文を引き、さらに、法華文句十の「本未だ善有らざるには不軽・大を以て之れを強毒す」との文を証として挙げ、

「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、 」と、日蓮聖人の弘通化儀は不軽菩薩の化儀と同じ方法を採っていると述べられています。

日蓮聖人の弘通化儀が折伏を面としているのですから、当然、日蓮聖人は不軽菩薩の化儀を「強いて説く・而強毒之」すなわち折伏の化儀と見られていたことは確かです。
「開目抄」に「不軽品の如し」の句が無かったとしても、日蓮聖人が不軽菩薩の化儀を強説・折伏と理解されていた事は確かでしょう。


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