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本門の戒壇について

94ROCK:2003/12/12(金) 20:42
[自説訂正>>27>>30

最近、『御本尊集・奉蔵於奥法寶』を手に入れて一読したところ、>>27および>>30
における《「法華講衆」という呼称の所見は応永十一年の日時師書写本尊》とする
愚考は訂正せざるを得なくなった。すなわち、『御本尊集・奉蔵於奥法寶』に、

──────────────────────────────────
日行上人(三八)
 文和二年三月十二日(一三五三)
 奥州一迫柳目法華講衆武庫掃部
 柳目妙教寺蔵

(『御本尊集・奉蔵於奥法寶』P78、2000年)
──────────────────────────────────

とあったのである。
一瞬、目を疑った。なぜなら、上記本尊が所蔵されているという妙教寺の「本尊
目録」には「奥州一柳目法華衆武庫掃部○○○」(『奥人』3−P18)となってお
り、『富士宗学要集』にも「文和二年三月十二日、奥州一柳目法花衆武庫掃部□
□□」(富要8−P189)となっていたからである。
『御本尊集・奉蔵於奥法寶』の本尊写真を見たが不鮮明で何れが正なのか断定し
難い、というのが正直な感想であるが、『御本尊集・奉蔵於奥法寶』に「奥州一
迫柳目法華講衆武庫掃部」と記されていたこともひとつの事実であり、今は《「
法華講衆」という呼称の所見は応永十一年の日時師書写本尊》との愚考を訂正し、
文和二年の日行師書写本尊とする次第である。


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