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本門の戒壇について

121直人:2004/05/16(日) 00:37
>>120の続き

 時系列は前後する。
 池田氏は昭和39年5月3日・第27回本部総会において、

  恩師戸田先生が、大客殿の建立が終わったならば、ひきつづいて、すぐに正本堂を建立
  しなさい。(『会長講演集』11−P170)

と云い、

  正本堂の建立は、事実上、本山における広宣流布の体制としてはこれがさいごなのであ
  ります。したがって、あとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかりになります。
  (『会長講演集』11−P172)

と云うのである。創価学会におけるもっとも早い「国立戒壇論」放棄(名称のみでその本質は
国立>>109)はこれより後のことであった。また、戸田氏は一貫して「国立戒壇論」を貫いてお
り、第27回本部総会における池田発言は、

  イ、宗門によって建立される堂宇は正本堂が最後である。
  ロ、広宣流布の暁には国会の議決によって国立戒壇が建立される。
  ハ、正本堂は本門戒壇(国立戒壇)ではない。

ということである。しかしながら、池田氏は『立正安国論講義』(昭和41年)において、

  正本堂、すなわち事実上の本門事の戒壇が建立されるのである。正本堂建立こそ、日蓮
  大聖人の御遺命たる本門戒壇建立の具体化であり、宗門七百年来待望の壮挙ということ
  ができるのである。(『立正安国論』P658)

  日蓮大聖人御建立の三大秘法は、われわれ創価学会員の手による正本堂建立をもって
  完全に終了するのである。

と云い、正本堂を究極的な戒壇―本門戒壇と位置づけるのである。さらに、昭和42年、細井
師は「新年の辞」において、

  日蓮正宗総本山に、事の本門戒壇堂ともいうべき、正本堂の建立起工式が行なわれる
  (「新年の辞」『大白蓮華』188号[昭和42年1月号]P12)

と云うのである。かくして、正本堂は本門戒壇と意義づけられるのである。けれども、この《正
本堂=本門戒壇》路線がこれ以降定着したかと云えばそうではない。昭和41、2年の時点で
は本門戒壇と意義づけられていた正本堂であるが、昭和47年4月28日に発布された訓諭に
は、

  日達、この時に当って正本堂の意義につき宗の内外にこれを闡明し、もって後代の誠証
  となす。正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の
  戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。
  (達全2−1−P3)

と云い、「広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき」として、昭和42年の発言よりはやや後退
した感がある。ところで、昭和51年、阿部師が『本門事の戒壇の本義』を著しているが、細井
師は『本門事の戒壇の本義』の緒言において、

  正に正本堂は本門事の戒壇である。
  (『本門事の戒壇の本義』緒言『大日蓮』361号[昭和51年3月号]P23)

と云い、訓諭では「広宣流布の暁」として未来に委ねられていたものが緒言では《正本堂=
本門戒壇》となったのである。


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