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本門の戒壇について

117直人:2004/05/10(月) 23:36
>>113の続き

 池田氏は1959年5月3日・第二十回本部総会において、
  
  大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通ら
  なければならないのが、創価学会の選挙なのでございます。(『会長講演集』4−P81)

と述べている。けれども、真実、戸田氏が云う如く「日蓮正宗の国教化」「衆参両院の議席獲
得」「政権獲得」を目指さないのであれば、「関所ともいうべき、どうしても通らなければならな
い」などとしなくてよいはずである。
 もっとも、戸田氏によれば、国立戒壇は万民一同が日蓮正宗に帰伏し、かつ、国会の可決
を以って建立されるとする(>>112)のである。かくの如く行うのであれば、創価学会員を政界
に進出させ、一定の議席を獲得しなければならない。こうした戸田構想を具体化したものが池
田氏による《学会青年部内閣構想》であったのであろう。
 池田氏は1960年6月10日・中部総支部幹部会において

  創価学会は衆議院には出ません。なぜかならば、あくまでも宗教団体ですから。政治団
  体ではありません。 (『会長講演集』1−P86〜87)

と云い、1961年6月「文化局の使命」と題する巻頭言において、

  われらは政党ではない。ゆえに、けっして、衆議院にその駒をすすめるものではない。参議
  院ならびに、地方議会等、その本質にかんがみて、政党色があってはならない分野に、人
  材を送るものである。(『巻頭言・講義集』1−P33)

と云うのである。しかしながら、この《衆議院不進出路線》はわずか4年で破棄されるのである。
かくして、1964年5月3日・第二十七回本部総会において、

  公明政治連盟を一歩前進させたい。すなわち、公明政治連盟をば、皆さん方の賛成がある
  ならば、王仏冥合達成のために、また時代の要求、民衆の要望にこたえて、政党にするも
  よし、衆議院に出すもよし、このようにしたいと思いますけれども、いかがでございましょうか
  (大拍手)それでは全員の賛同を得ましたので、これをもって決定とします。
  (『会長講演集』12−P175)

と云い、公明党結党の既成事実を形成するのである。その後、1964年6月30日・第七回学生
部総会において、

  御書には「国立戒壇」ということばなどはどこにもありません。戸田先生も、ちょっと「国立
  戒壇」ということばをもらしたことがありますが、私も先生がおっしゃったから申し上げたこ
  とも一、二ありますけれども、御書にも日興上人のおことばにも、日寛上人のおことばにも
  「国立戒壇」ということばはないのです。「戒壇」といえば「本門戒壇建立」となるのです。
  (『会長講演集』11−P214)

と云い、「国立戒壇」の名称放棄を行うのであるが、これは公明党結党に際して政教一致批
判を回避するための詭弁である。


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