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本門の戒壇について

112直人:2004/05/09(日) 20:29
 創価学会がはじめて「国立戒壇」なる語句を使用したのは1950年11月12日・創価学会第五
回総会における戸田城聖氏の講演においてであった。

  広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。われわれ凡夫の力をもってして、これを左右す
  ることなど、ぜったいにできないのでありまして、(中略)しかし、国立の戒壇は、まだ建立せ
  られず、現在にいたっております。それこそ、末代にのこされた仏勅といわなくて、なんであ
  りましょう。 (『講演集』上−P46)

 その後、戸田氏は1951年5月3日・会長就任式挨拶において次のように述べている。

  天皇に御本尊様を持たせ、一日も早く、御教書を出せば、広宣流布ができると思っている
  人があるが、まったくバカげた考え方で、今日の広宣流布は、ひとりひとりが邪教と取り組
  んで、国中の一人一人を折伏し、みんなに、御本尊様を持たせることだ。こうすることによっ
  て、はじめて国立の戒壇ができるのである。 (『講演集』上−P50)

 ここには昭和40年代、広宣流布の方程式とされた《舎衛の三億》なる思想など微塵も見られ
ない。戸田氏の国立戒壇論はさらに加速していく。戸田氏は1955年3月27日・鶴見支部第四
回総会において次のように述べている。

  広宣流布の姿におきまして、また広宣流布の途上におきましては、経済界に、あるいは新
  聞社において、あるいは雑誌において、または、これに類似する文化活動において、あるい
  は映画において、あるいは政治において、また会社の重役といえども、会社の小使いといえ
  ども、皆、御本尊様のありがたいことがわかって、これらの人々のなかから国会議員が出て、
  国立戒壇の請願が出され、国会で可決され、天皇陛下も、また、この御本尊様のありがたさ
  を知ってこそ、初めて広宣流布ができるのです。 (『講演集』下−P27)

 特に会長就任式挨拶・鶴見支部第四回総会における戸田氏の戒壇思想は今日の顕正会が
主張する戒壇思想と全同と云えるかもしれない。なお、顕正会の国立戒壇論は次の如くである。

  日本一国に南無妙法蓮華経と唱え奉る広宣流布のとき、国家意志の表明を以て国立戒壇
  を建立して戒壇の大御本尊を安置し奉れば、日本は仏国となるのである。
  (『日蓮大聖人の仏法』改訂版P164)


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