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雑談&連絡スレッド

2990無精髭:2011/01/31(月) 20:35:18
>>2961-2967
前に私とかufloatさんが指摘したことですが、一方でデマや暴論を吐きまくりつつ、
発言の末尾に「被害者のご冥福をお祈りいたします」とか書く人がいますよね。
「加害者死にさらせ」とか「リンチにすべし」とかいった内容が主な発言が、唐突に
被害者への哀悼の言葉で結ばれてしまうことから生まれる、奇妙なコントラスト
というかギャップというか、そういう文章をさらっと書ける人の神経への率直な
驚きが私にはあります。被害者の冥福を祈りつつ加害者の不幸を望む人たちというのは、
もしかしたら「こんなひどいことを書いてはいるが、自分は被害者の身になっているんだ」
とか「被害者の身になっているからこそ、こういう厳しいことを書かざるを得ないんだ」
とかいった意味合いで「被害者の冥福」うんぬんと書き加えているのかもしれませんが。

そういう人たちに対して私が言いたいのは、チミたちが加害者に対してあること
ないことを書いたり非現実的な懲罰を要求したりするのは、実は被害者の身に
なっているからではなくて、自分の私的な正義欲を満足させたいからじゃないか、
要は自分の身が可愛いからなんじゃ? そのために被害者の立場を利用している、
つまり追悼の決まり文句としてごく普通に違和感なく使われる言葉を、狂人めいた
主張を相殺するための免罪符として使用しているだけなんじゃぁ? ということでした。
もうちょっとちゃんとした言い方に換えると、被害者のことを考えて正義の行使を
唱えているのではなく、当の事件に対するその人自身の気持ちをわりかし安易に
表現するための打ってつけの手段として、被害者の気持ちなり立場なりを代弁する
ことが選ばれるのではないかと思っております。どんなに言っていることがメチャ
クチャでも、一番重要な(やたら目に付く)ところで被害者を引き合いに出されては、
大抵の人にとっては反論するのが躊躇われますから。

だから、場合によっては死者の冥福を祈ることを表明しないだけでなく、死者の
冥福をあえて祈らないと表明することには、次のような戦略的な効果があるかと。
すなわち、死者の気持ち&加害者への憎しみを強弁するうちにその真意から外れ
たり、死者の立場に立って何か違法な手段に出た場合において死者の名誉が傷つく
事態を招くおそれがあることに対して鈍感だったりする人たちへの戒め、当て
こすりとしての戦略的な効果が考えられるでしょう。

死者は何も語ることができませんから、生者の方ではそれを好いことに一方的に
好き勝手なことを書くことができるし、死者の気持ちを代弁するなんて事実上
不可能な行為にも手を染めることができます。死者の気持ちが分からないことは
確実である以上、不可知なことは不可知なこととして扱い、事実として分かっている
その人の死という出来事のみに傾注し、それを基点に発言したほうがいいのでは
ないかと私は思っています。


また上記とは別に、冥福を祈ることに疑問を呈する観点も存在します。
http://iwasironokuni.cocolog-nifty.com/komiti/2008/04/post_947d.html
http://q.hatena.ne.jp/1213504037
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2003/12/post.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1327823723
これはつまり、祈る(生者)側の宗教観・信仰心の問題ではなく、故人(死者)側の宗教観・
信仰心の問題ということです。場合によっては失礼に当たるとのことなので、注意しましょう。


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